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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年03月10日(日)
努力の中にあるもの(読書感想文)


 先日行った鳥取旅のお供に携えていた本をついに読破したので、今日はその感想なだを書いてみたいと思う。

 読んだ本:「多摩川晩花〜日本ハムファイターズ・渡辺浩司 苦節13年の軌跡〜」(安田辰昭著・ベースボール・マガジン社)

 内容:13年のファーム経験を経て、レギュラーを獲得したという希有の存在である日本ハムファイターズ・渡辺浩司選手(現コーチ)の半生が書かれている。ちなみに彼は、新潟県出身者で、プロ野球選手の野手としてレギュラー入りできた初めての選手である。

 内容自体は、4ケタのお金を払っているわりには、ちょっと物足りないかなあという気がした。また、著者が元々高校教師であったためか、模範的な内容にやや偏っており、もう少し突っ込んで「渡辺浩司」という選手の素顔を垣間見たい気がした。しかし、(渡辺選手と)同じ県内で他校の監督をしていたという著者の立場は、意表をつかれていたし、「珍しい本を読んだな」という満足感を得ることは出来た。

 さて、この本を読んで私が思ったことは、「努力の中にあるもの」についてだ。

 文章からうかがい知ることの出来る渡辺選手は、野球にとてもひたむきで、また努力家でもある。それはあまりにまっすぐで、ややひねくれてる私のような人間にとっては軽いアレルギー症状をも促してしまう。でも、敬意を払える選手だ。

 以前に日記に私は「努力することは怖い」と書いた。でも、この本を読んでその考えをちょっと改めてみた。

 渡辺選手は幼いころから、野球が好きで、絶えず練習をし、志望校に入るために懸命に勉強もした。

 しかし、高校時代の努力とプロに入ってからの努力の質が大きく異なっているように思える。

 高校時代、渡辺選手は夢の甲子園に出場することはなかった。それどころか、入部後1年間は不祥事のため試合に出ることすら出来なかったのだ。

 文中には、「厳しい練習に耐え抜いた」とか「長く厳しい冬季練習」などという悲壮感すら漂うような言葉が並んでいた。

 で、最後には「いくら泣いても涙は止まらない」「これからどうすればいいんだ!」となる。

 しかし、引退後、1,2年生に混じって参加した、「甲子園」という絶対目標に束縛されない伸び伸びとしておおらかな野球を知ってか、プロに入ってからの野球に対する心構えが大きく変わった。

 練習は厳しいからこそ楽しんでやるべきだ。たとえどんな役割であろうと、そこに楽しみを見出し、積極的に取り組もうとなり、たとえ試合に出れなくてもプロ野球選手だという自負と自覚だけは持ち続けたい、また、好きな野球をやって給料をもらえるなてこんな幸せなことはないとなる。

 そこには、高校時代のような悲壮感は見当たらない。だからこそ13年間という長い間、努力を重ねることが出来たのかもしれない。また、あるいは本人に「努力をした」という意識はないのかもしれない。大好きな野球を夢中で続けてきた。ただそれだけなのだから。

 もし、彼が高校時代と同じような努力の積み重ね方をしていたら、きっとどこかでキレてしまった、バラ色の14年目はあり得なかったのではないかとすら思える。


 私は「努力するのが怖い」と思っていたのは、そこに伴う悲壮感故のことだった。そして、それが努力だと思っていた。苦しく辛いのが「努力」だと思っていた。もちろん、そういうことのあるのだろうか、努力を重ねる人にはきっと根本に「希望」や「明るさ」や「情熱」があるのだろう。

 私もたわいもないことだけど、夢中になったことは何度かある。でも、それを「努力」だと思ったことは一度もない。しかし、見方を変えればそれを「努力」ととってくれる人もいたかもしれないな、今になってふとそう思った。

 
 今日、「ZONE」というスポーツ番組で、筋肉番付の「SASUKE」に挑戦しつづけているある男性が取り上げられていた。仕事をする時間も惜しんで、トレーニングに励んできたが、結局、同じ壁にぶつかり越えることが出来なかった。

 そんな彼は、体ではなく心を鍛えることに気付いた。瀧に打たれる彼を見て、悲壮感が削がれていくように思えた。果たして彼は悲願の完全制覇なるのか、是非注目したい。


参考文献::「多摩川晩花〜日本ハムファイターズ・渡辺浩司 苦節13年の軌跡〜」(安田辰昭著・ベースボール・マガジン社)