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| 2002年03月04日(月) ■ |
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| コントラスト〜果てしない物語〜 |
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1998年の高校野球は、実力・実績・置かれている環境が対極的な2つの学校が話題をかっさらった。
横浜高校と深浦高校。
横浜高校は、「平成の怪物」と呼ばれたエース・松坂大輔を擁して、春・夏の甲子園優勝と国体を制するという三連覇を成し遂げた。
深浦高校は、青森大会の初戦で0−122という記録的な大差で敗れた。横浜高校には何十人という部員がいたのにたいして、同校の部員は10人。
縁あって、当時の両校のことが書かれた本を2冊読んだ。そこで気付いたことを書きたいと思う。
深浦高校のことが書かれた本『0対122 けっぱれ!深浦高校野球部』では、同校と横浜高校との差が次のように記されている。
<東奥義塾は深浦高校に大勝したものの、次の試合で県立田名部高校にコールド負けを喫する。 (中略) 田名部もかなりの強豪かと思いきや、次の四回戦で県立大湊高校に完封負けしてしまう。 そして、この大湊が準々決勝で八戸工大一高とあたって「2対14」とコールド負けを喫する。勝った八戸工大一高は(中略)甲子園への切符を手にする。 (中略) 頂点に立った八戸工大一高が甲子園でどうなったかは前に述べたとおりである(初戦で鹿児島実業にノーヒットノーランを喫し、その鹿児島実業も2回戦で横浜高校に敗戦。そして、横浜高校はそのまま最後まで勝ちすすんだ)>
この文を読んだとき、「はぁー」とため息が出てしまった。本当に気の遠くなりそうな距離感。だからこそ、高校野球は多くのファンを得ているとも言えなくもないのだが。
ところが、この2校、ある共通点があった。深浦高校がマスコミに想像以上にクローズアップされたこともあるのだが、実に多くの人からの熱い思いのこもった「ファンレター」が届いていたのだ。
横浜高校のことが書かれた本『白球は奇跡を喚んだ』ではそんなファンレターの一部が紹介されている。 「心あらわれる感動で、すがすがしい気持ちになれました」「若者たちにありがとうといいたいです」「選手に負けないガッツでがんばりたいと思います」「『勇気と希望』を私はきっと与えられたと思います」等。
また深浦高校側でも、手紙の一部が紹介されている。
「涙が出るほど、うれしかった」「何か自分もやらなきゃ、と思うようになりました」、また、その内容の多くは、「高校野球の原点」「これぞスポーツマンシップ」といった言葉で、たたえられている。
正反対と言ってもいい試合内容だったが、それを見たファンが感じることは実はすごく似ていることがわかる。
人の性格や価値観は様々だから、同じ試合を見ても感じることや考えることは違うということはわかる。 でも、まったく違う試合を見て、同じようなことを感じることに正直軽い衝撃を覚えた。
強いのがいいわけでも、弱いからいいわけでもない。そこにあるのはただ「野球」と「人」と「めぐりあわせ」。
高校野球って果てしないなあ、と思う。
参考文献:「0対122 けっぱれ!深浦高校野球部」(川井龍介著・講談社) 「白球は奇跡を喚んだ〜松坂大輔と青春群像〜」(渡辺元智著・報知新聞社)
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