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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年02月26日(火)
無題


 今日は(「も」?)、ちょっと「野球」から離れてみようと思う。

 今日の夕刊で、国会で犯罪被害者等(おそらく被告人の家族が含まれていると思われる)のプライバシーを保護するために過剰取材をする報道機関やフリー記者らを勧告対象にする見解を示されたという。

 私は勉強不足なため、その裏にある「からくり」がわからないのだが、「被害者らの人権保護」には賛成だし、正直「なぜ今頃」という気もしないではない。


 大学時代、夕方に友人と2人キャンパス内を歩いていると、新聞記者に声をかけられた。いわゆる「取材」。テーマは、“選挙に行かない若者たち”。「選挙には行かない」と答えた私たちに、記者は「何故行かないの?」と聞いてきた。そう目の当たりに言われると、返答に困る。でも、またとない経験なので、思い当たる節をいくつか挙げてみた。

 また、新聞記者をいう人との接触はそうそうないと思い、私も2,3質問をしてみた(前にも雑誌編集者を質問攻めにし、「こっちがインタビュー(電話で)してるの」とあきれかえられた経験を持っている)。

 印象に残った答えがある。質問内容は、「記者をされていて、一番苦労していること、辛いことは何ですか?」そして、答えは「被害者の写真をもらってくること」だった。

 私たちが何気なく見ている三面記事の被害者の写真。あれは、事件後、記者が被害者の自宅や実家に行き、遺族から提供してもらうのだとか。その道中、「帰れ」と怒鳴られたり、水をぶっかけられたりすることもあるという。また、辛そうに写真を差し出す遺族を見るとやはり心が痛むのだとか。

 この話を聞いてから、ある疑問が沸々とわいてきた。
 果たして事件・犯罪被害者の写真を世間に公表する必要はあるのだろうか。(むろん、遺族の了承のもと、事件解決のために捜索等で必要であれば別なのだが)

 それに反して、加害者の写真は目が隠されていたりする。これじゃあ、一体どっちが加害者かわからない。被害者の写真が公表されたからって、本人が生きかえるわけでもないし。

 事件が大がかりになればなるほど、加害者と同時に被害者のプライバシーも明らかになっていく。子供が被害者であれば、将来の夢を書いた作文が公開されたり、学校でどういう子だったかクラスメートや先生らによって明らかになる。そのエピソードを聞いて、私たちは「何の罪もない子供がかわいそう」と思い、憤りを覚えたりするのだが、そこまでさらされた被害者がかわいそうにも思う。

 例えば、私が何らかの理由でこの世からいなくなったとする。そうしたら、家族や友人知人、マスコミの手で、いろんなことがさらされるのだろう。もちろん、この日記のことや応援している学校のこと、毎日付けている体重記録メモもその対象になるかもしれない。ああ、イヤだな。想像しただけでたまらない。


 「個人情報保護法」というものがある。ネットや本でかじった程度の知識で恐縮だが、この法案がそのまま通ると大変なことになるらしい。周りには「ライターになりたい」という人が少なくないし、また私も「物を書いていきたい」と思っている人間の一人だ。それだけに危機感を持っているし、今後の動向も見守っていきたい。

 事件・犯罪被害者の人権の保護に賛成しておきながら、「個人情報保護法」に危機感を持つというのは、一見矛盾しているかのようにみえるが、それだけ“言論の自由”と“人権保護”の問題は複雑に絡み合っている。