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| 2002年02月23日(土) ■ |
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| 甲子園の「選手宣誓」をちょっと掘り下げてみよう。 |
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このしゃべりな私が今まで公表しなかったのが、不思議なのだが、実は私、自称「高校野球選手宣誓マニア」である。
選手宣誓に特別詳しいわけではないのだが、とにかく好きなのだ。
昨年3月、東京ドーム構内にある野球の資料のそろっている図書館にわざわざそれだけを調べるために行ったほどである。とりあえず歴代選手宣誓者名を調べようと昔の新聞をあさり、穏やかな図書館司書のお姉さんを切らせかけた経験を持っている。
とにかく、今まで調べた中で気付いたのは、「京都西高校は、高校野球(甲子園)の選手宣誓を語るにおいて、重要なファクターである」ということだ。
京都西高校は、2001年春に京都外国語大学西高校とその名を変えたが、あえてここでは旧校名のまま、話を進めさせていただく。
同校は、これまで2度の選手宣誓を経験している。その2回とも画期的なことをし、世間の注目を浴びた。みなさんの中でもすでにご存知の方はいらっしゃるはず。
一度目は、昭和62年春、上羽功晃主将による英語の選手宣誓。2度目は、平成10年春、三好剛主将による手話に選手宣誓だ。手話は、その前年の夏、どこかの予選大会ですでに行われていたらしく、甲子園史上初となったが、英語はおそらく史上初であろう。
ちなみに英語の選手宣誓は途中でミスがあったのだが、当人は潔く「すみません」と謝ったことが、好感が持てると評されていた。これも、おそらく史上初?!
同校の3度目の選手宣誓が待たれるところで(ただし、春だけにしてね(苦笑))。
◎ 選手宣誓
春→抽選で1番クジを引いたチームの主将がする。そのため、地域に偏りがあり、S56〜60は、広島→広島→兵庫→兵庫、H3〜6は、北海道→北海道→東京→東京となっている。
夏→昨夏より、立候補制にある。私のようなマニアにとっては「ドラマ性に乏しくなる」ので淋しい。逆指名のため、競合のなくなったドラフトを見るような感じだ。しかし、当の選手らを考えるといいことだと思う。
◎ 選手宣誓の始まりは? 実は定かでない。 春はおそらく昭和27年か推測するのだが、夏は…。ちなみに私あるこの推定は、昭和25年で、宣誓したのは松商学園ではないかということだ。今後も調べて決着をつけたいと思っている。
◎ 選手宣誓の自主制作
それまでは、選手宣誓用に用意された文章があり、それを読むだけだった。しかし、いつからか選手宣誓をする選手にその内容は任されることになった。昔読んだ雑誌で記憶する限りは、わりと最近だったのではないかと。
◎ 有名どころ
選手宣誓経験者として、有名なのが今は野球評論家をして活躍されている豊田泰光さんだ。選手宣誓を経験しているプロ野球選手は意外と少ない。
◎ 脅威の大分県勢
選手宣誓をする代表校は偏っていると前述したが、平成に入ってからの大分は驚異的で、春夏計4回の経験を持つ。
H1 別府羽室台 H2 藤蔭 H4 柳ヶ浦 H7 日田
☆ 今後調べて行くこと 選手宣誓チームの戦績・選手宣誓未経験県勢の有無・最多選手宣誓経験県勢・選手宣誓者の守備位置や成績・選手宣誓のはじまり・選手自作による選手宣誓がなされた年とその時の宣誓者の所属校名と名前・史上初手話の選手宣誓をしたチームと宣誓者名主たる選手宣誓の内容・京都大会の選手宣誓校等 (声出して読んだら、早口言葉みたい…)
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