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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年02月22日(金)
努力の向こうにあるもの。

 おそらく双方面識がないであろう2人の女性から、共通した思いのメールを戴いたことがある。それは、野球(含めたスポーツ)を見るときに感じる「辛さ」についてだった。

 私にも、野球を見るにおいて、マイナス感情が働くことがある。それは、「むなしい」とか「しんどい」という言葉で表されるもので、「辛い」という心境はある意味新鮮に響いた。

 だが、私も野球を見る辛さを無縁ではないことに、最近気付いた。

 
 実は、私、生まれたこの方、「努力」ということをしたことのない人間だ。かといって才能があるわけでもないのだが、どうも「目標に向かってこつこつ」とか、「継続して毎日きちんと」とかいう類の行為が性に合わない。だから、努力をしている人達を尊敬しているが、「努力」という言葉自体は好きじゃない。

 よく「努力すらば報われる」とか「努力することは無駄ではない」と言われるが、果たして本当にそうなのかと思ってしまうのだ。

 
 高校時代、愛読していた高校野球雑誌には、その年センバツ大会に出場する注目の選手のインタビューが載っていた。

 その投手は、幼いころからいろんなことを犠牲にして野球に打ち込んできた。中学のときには、利き腕をまっすぐ上げることが出来なくなってた。色々言われるのがイヤで、体育の授業が憂鬱だったという。

 彼は評判の好投手で、チームも強かった。優勝候補にも挙げられていたが、結局準優勝に終わった。その年の秋、ドラフト2位指名で晴れてプロ野球選手になった。

 活躍が期待されたが、怪我が多く、1度も一軍に上がれないまま、たった4年で退団した。

 高校時代、雑誌のインタビューで「もしも、プロで活躍できなかったらどうする?」と聞かれたとき、「友人の家がやっている焼き肉屋さんにお世話になります。すでにお願いしていますしね」と答えている。たわいもない会話。でも、実際、彼は、そんな事態に迫れれることを予想していたわけではないだろう。

 たくさんのことを犠牲にして、挙手も出来ない利き腕で野球に打ち込んだ。それでも、プロで花咲かない。「野球」を奪われた彼は、それからどう生きているのか知らない。もし自分だったらと思うとぞっとする。幼い頃から「これしかない」と信じて積み重ねてきた努力が水の泡になる。虚しくて、気が触れそうになる。

 それからしばらくは、テレビや球場で高校球児を見るたびに、「この子らは何をどれだけ犠牲にして、ここにいるんだろう」と思っていた。ただ「感動」とか「さわやか」だというだけで、野球が見れなくなった。叶わなかった夢を思う「辛さ」。

 確かに、その努力は野球以外で生きるしれないし、一生懸命やるその姿勢が身に付いていることは強い武器だとは思う。でも、彼の夢はあくまプロ野球選手だった。

 むろん、彼はまだマシな方だ。憧れの甲子園で大活躍できた。しかし、それすら叶わずに野球人生を終えてしまった選手の中にも、彼に勝るとも劣らない努力をしている子はいたはずだ。

 私は、マイナス思考も持ち主なので、努力をするのが怖いと思う。積み重ねたものが水の泡になったとき、自分が自分でなくなり、とんでもない行動に出るかもしれない。それは、実際に壮絶な努力をしてみないとわからないことなのだろうが。