初日 最新 目次 MAIL HOME


あるこのつれづれ野球日記
あるこ
MAIL
HOME

2002年02月03日(日)
見果てぬ夢のかけら


 野球ほど親の介入するスポーツはない。
 少し前、高校球児の息子を持つ親御さんが、おっしゃっていた言葉だ。

 私は、特定の高校を応援するようになって、「選手の親」という立場の方と接する機会が多くなった。いろんなお話を聞いたり、いろんな姿を見てみているので、「高校球児の親するのも大変やなあ」と痛感している。それでも、他でもない自分の息子のため、がんばっておられる。そして、また、そこに自分に夢を重ねて。

 甲子園に出た選手やプロ野球選手のエピソードを聞くと、その大半に親御さんが絡む。それも、はたからみれば「そこまでやる?」というくらいに。それくらいしないと、成功できない世界。それが野球。

 今日、テレビで見た俳優・三木良介さんは元甲子園球児だが、やはり小さな頃から父親がしっかりバックアップしていた。本格的なトレーニングを課し、大きくなるようにと、おやつにキャベツ一玉、寿司20貫、巻きずし2本という恐ろしいまでの「プロ野球選手養成メニュー」。

 有名どころでは、イチロー選手の父親は、毎日、練習から帰ってきたイチロー選手の体をマッサージしていた。また、同じマリナーズの佐々木投手が、高校時代野球部を辞めるのを思いとどまったのは、自分の汚れたユニフォームを洗濯する父親の姿であったという。

 また、こんな情勢の中、バットやグローブを買ったり、決して安いとはいえない部費を出すのも、相当な苦労だと思う。昨日の日記とダブるが、そういうことも社会に出て。お金をもらうようになってからわかった。

 そういう親に愛情が報われるとき。それは、その子が野球選手として成功したときであり、また野球を通して、人間的に成長したときかもしれない。


 今でも、思い出すたびに、胸が痛くなることがある。

 実は、私は友人に勧められて、中学受験を経験している。勉強を始めたのは、小学校6年になってからだ。当時は、何も知らなかったのだが、はっきり言って、中学受験を始めるにしては、あまりに遅すぎた。受験はあえなく失敗した。

 地元の公立中学に進学した。何故か、私が中学受験に失敗したことを小学校時代のクラスメートが知っていて、公立中学に行くのが格好悪くてものすごくイヤだった。「まず受かる」と言われていた私立の女子中学の2次試験を受けたいと言ったが、親は反対した。高校は、絶対にいい高校に行ってやる。そう思って、中学入学と同時に、地元では一番と言われる進学塾に入った。

 今思ったら、入ったのが間違いだと思うくらいのおそろしい塾だった。

 英語・数学・国語で、1日2講座3時間で週3回。まず、中学2年半ばまでに中学英語をすべて終える。中学3年からは高校のカリキュラムだった。とにかく宿題が多い。英語は、1回につき7〜8ページくらいあり、プラス単語50個丸暗記。その上に、数学、国語の予習も同じくらいの量があった。(国語は月1回、作文を書くのが宿題だった。今、思えば、これが一番役に立っているかも)

 また、そんな塾についていくために、家庭教師をつけている子もザラにいた。クラスメートの大半は受験戦争を勝ち抜いた有名私立中学生。「この人ら、まだ勉強するのか?」とちょっと疑問に思ったが、それより、あまりに自分が場違いなところにいるなあと入塾した地点で違和感を覚えていた。

 うちでは、その家庭教師役を父がした。父は、熱心だった。その塾は自宅からやや距離があったので、授業終わったら、毎日むかえにきてくれていた。家でも、宿題を見てくれたし、また、野球選手の自主練ではないが、父が問題集を見ながら、新しいノートに手作りの問題を作っていた。

 自分なりにがんばってはいたが、想像以上に高いレベルの授業に息切れをし始めていた。クラスメートは次々辞めていった。それも、私と同じ公立中学の子ばかり相次いで。正直、私もしんどかった。

 イライラして、むかえに来てくれて父を無視して帰ったこともある。授業をさぼりたいがために、「もう迎えにこんでいいから」とつっけんどんに言ったこともある。

 問題がどうしてもわからないから、教えてくれる父に「教え方が悪いんや」と八つ当たりし、父をほったらかしにして、自分の部屋でマンガを読んでいたこともある。

 その塾は結局、中学3年の夏に辞めた。中学3年になってからはほとんど行っていなかった。退園の挨拶も、親だけが行って私は行かなかった。もう建物すら見たくなかった。最後に書いた作文を、塾内のコンクールで優秀賞に選んでいただいた。

 
 高校を卒業してまもなく、机を整理していたら、昔父が作ってくれた問題集が出てきた。パラパラとページをめくってみたら、私の雑な字は最初の本の数ページしか出てこず、あとは、父のややつながって見にくい字だけ。答えが書かれるのを待っていた問題たちは、目に触れられることなく、長い間そこに眠っていた。

 父はこのとき、どういう心境で問題を作っていたのだろう。毎日会社で疲れて家に帰ってきた上の、こんな疲れる作業をして…。きっと娘の私に何かの思いを託していたのかもしれない。そう思うとなんだか胸がつまる。

 父は、今ではそんなこと思い出しもしないし、私に期待をかけるのはもうやめて、趣味に学業に没頭して、自分の人生を謳歌している。

 
 野球選手のドキュメントを見て、「こんな親がいたからこそ、この選手は成功したんだな。親に恵まれるのも大事なことだな」と思っていたが、実は私自身もかつてはそれに近い立場にあったことに気付いた。

 子供のトレーニングに毎日つきあう、子供のユニフォームを洗ってやる。そんな父親と同じように、私の父も毎日塾に迎えに来てくれて、勉強も見てくれていた。
私はそんな父の誠意を踏みねじってまったけど、ドキュメントで紹介されるような野球選手はそうではない。

 風の頼りで、当時の塾で机を列べていたクラスメートは、早稲田や慶応、阪大・京大に行ったと聞いた。私の頭では、父の作った問題をもきちんとやっても、きっとそんないい大学にはいけなかっただろう。でも、そうでなくとも、あの問題をきちんとやっておきたかったと思う。

 たとえ、甲子園に行けなくとも、日々悔いの残さずベストを尽くしたいという選手の心境が、なんとなくわかる。



〜続・つれづれお仕事日記1〜

 仕事初日でこんなことを言うのは何だが、とにかく「いやぁ〜」と気怠い気持ちでいる。明日も、明後日もあるの?え〜、いややぁ〜って感じ。

※今度の職場、ここがイヤ

1,駅から遠すぎる。その上、微妙に坂。
2,交通費高すぎる
3,乗り換え多すぎる
4,携帯のアンテナが立たない
5,何気に寒すぎる
6,正門から校内までが遠い
7,前回、「こいつは、イヤ」と思ってたヤツとまた一緒
8,女性職員は、明らかに私らバイトをバカにしている
9,道ばたで、下宿パンフを配る兄ちゃんと姉ちゃんの存在
10,ガードマンにいちいちIDカードを見せるのがめんどくさい
11,仕事内容に、楽しさを見つかられない

 ちなみに昼はお弁当が出るようだ。私は好き嫌いが激しいので、あまりありがたくないかも…。