::幸福の印*追記 2009年08月04日(火)

ひっそりこっそり好きだった写真家の方が亡くなられたことを知った。しかも、それは半年も前のこと。

知ったきっかけはmixiの足跡から。恐らく写真関係のコミュから足跡を残してくれたのだろう、そこから彼のページへ行ってその作品と感性に触れて、震えた。それと同時に、日記から癌に侵されていること、抗癌剤の影響から時折カメラを持つ指が震え撮影もままならなくなることも知った。それでも彼は最後まで写真を撮り続けたそう。

わたしも、写真を撮ることが大好きな一人として、自分がそこに存在した証を残せる人になりたい。
写真の中で幸せそうに笑っている人になるのではなくて、その人を撮る人になりたい。

立ち止まってこもってばかりいないで、もっと外に出て行こう。ちゃんと見つめてみよう。そうすれば他に見えてくるものがきっとあるはず。

今この瞬間は過去で、1秒後は未来。もしかしたら10秒後に、10分後に、10時間後に、10日後にわたしは死んでしまうかもしれない。人間人生のうち幸福であると感じる回数よりも不幸であると感じる回数の方が多いと思う。けれど、いつまでも心に残るのは幸福の方。だったら、少しでも幸福の数を増やす努力をしなければ。

どんな病におかされようと、たとえ短い生涯だろうと、「わたしは幸せだった」と確信を持って死にたい。



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考えることをやめたいのに心の中渦巻いて仕方がない。どうしてこんなに気にしてしまうんだろう、人の目を。もっとひとりで上手に生きてこれたはず。家族がいて、友人がいて、趣味があって、それだけで満足していたはず。なのに、どうして求めてしまうんだろう。三年前は平気だったでしょ?じゃあどうして今はダメなんだろう。どうしてこんなに安心を求めてしまうんだろう。環境がそうだから?年齢がそうだから?ひとりだって大丈夫、ひとりだって大丈夫と必死に自分へ言い聞かせている姿が滑稽で仕方がない。それがすべてじゃないことくらいわかっているはずなのに。

あと何か月過ごせば、大丈夫になるんだろう。焦ったっていい結果を生まないことくらい身をもってわかっているはずなのに。

誰かと一緒にいられる安心感を知ってしまったから、守られる幸せを知ってしまったから、ひとりでいることに幸せを感じていたあの頃にもう戻れないのだろうか。けれど、たとえ「戻してさしあげましょうか」と神様に言われたところで、それを選ぶかどうかはわからないけれど。

行き来できれば、いいのにね。


2003年08月04日(月) 梅雨明けしたそうで。

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