浅間日記

2011年09月22日(木)

朝のテレビをつけたら、まだ電車に乗れない新宿駅の人が映し出されていた。

昨晩の様子だが、朝になった今でも運行再開していないように、あるいは、
都心は未だに暴風雨が吹き荒れているかのように誤解する。

いつまでも「一番ひどかった状況」を流し続けるのは、
刻々と変わる状況を把握しなければいけない視聴者にとって有益ではないように思う。

2009年09月22日(火) 物見遊山者
2004年09月22日(水) 先達はあらまほしきかな



2011年09月21日(水)

「二時間後の列車から運休が決まっています」
「すぐ乗ります」

こんなやり取りをして、台風から逃げるように、上野駅から北上する。
ローカル線を乗り継いで、無事に上杉謙信文化圏へ。

どこの地方へ行っても、郷土の歴史や文化に誇りをもつスポットがある。
街並み、行事や人とのつながり、そんな暮らしぶりにプライドを感じると嬉しくなるけれど、もう人の気配がない、経済も政治もない、というような場所へ来ると、寂しいなと思う。

間違いなくこれは、大都市、あるいは地方都市への一極集中がもたらした、
破壊現象の一種だと思う。

2007年09月21日(金) 
2006年09月21日(木) 火災で発芽促進する植物
2005年09月21日(水) 最期のカード
2004年09月21日(火) それでも地球は回る



2011年09月20日(火) 残照

地方巡業の旅。
これでしばらくの間はお休みになる。
乳飲み子が増え、いつ再開できるかもわからない。



幼馴染のTちゃんとNちゃんと会う、というオプションを設定し、上京。
眩しいぐらいの銀座の街で落ち合う。

小皿に盛られたオリーブをつまみによく冷えたカヴァを飲む二人が羨ましいが、今回は我慢することに。
Nちゃんは昨日ハノイから帰ってきたばかり。良いバカンスだったと話す。
Tちゃんは多忙を極め、連休も仕事という忙しさの中、時間をとってくれた。



自分が三児の親となることを予想していなかったのと同じように、
この二人にも何が起きるかわからない。

けれどもその方向は、今のところ一生独身コースにあるようだ。

その自由自在な様子がいいなと私は思い、彼女達は家族のある私がいいなと思う。

でも、結局のところ、私達にとってそれは大した意味をもたない。

因数分析や古文や英単語を必死に覚え、好きな音楽にはまり、格好よい先輩は誰か面白がって値踏みした私達にとって、
今現在の在り様が独身であれ、家族もちであれ、経済的に恵まれていてもそうでなくても、どっちでもいいのである。元気でいてくれさえいれば。

若葉の頃の絆と記憶は、それだけ強い残照を放っている。

2010年09月20日(月) 糧
2009年09月20日(日) 稲刈り
2007年09月20日(木) 経験と真実
2006年09月20日(水) 任侠の話
2005年09月20日(火) 
2004年09月20日(月) 山からの不労所得



2011年09月13日(火) 夜空に輝く美しい月にいる

昨日の夜空は、激しい夕立の後ずっと雲に覆われていたから、
お月様は、御簾越しにしか拝めなかったのである。

未練がましく、今日も小さいYと夜空に満月を探しに行く。
今日もどうやら、お隠れになっている。



気のせいか、今年はラジオでもやけに熱心に、中秋の名月を伝えている。

でも、震災から半年の今、それはそうだろうなとどこか納得する。



昨日までは当たり前に日常を共にしていた人が、
あっという間にいなくなってしまい、もう二度と戻らない。

そうした人へ思いを馳せるのに、お盆はまだつらい。
そうそうご先祖と一緒の弔いのカテゴリには入れられない。
まだ遺体が発見されていない家族ならばなおさらのことだろう。

そしてきっと、多分、そんな気持ちを引き受けるのが、この満月の夜だ。

一瞬でいなくなって、もういない。
不思議で、やりきれなくて、寂しくてせつない無常感を、
私達はせめて、月に向かって解放したいと願うのだろう。

あの人は今、夜空に輝くあの美しい月にいて、きっと自分を見ている、というふうに。

2006年09月13日(水) 知りたいのはそれだけだ
2005年09月13日(火) 同じ糠床の中に居る
2004年09月13日(月) 厄年センサー



2011年09月09日(金) 巡礼

山の仕事でずっと木曽谷にいる。

どういうわけか、身籠ると木曽の仕事が入る。

五ヶ月の身体で山腹を這い上がり、谷を下るのだから、無謀極まりない。
同行のSさんや他の人をハラハラさせている。

でもこれは、私の巡礼なのだ。誰も理解しないかもしれぬが、そう思う。


人の世界を離れ、谷を分け入り、この世とあの世の境目に一旦行かないことには、
新しい生命をこの世に迎えることができぬ。そういうことになっている。



朝日をあびて輝く200年を越すヒノキの大木に、あるいは
美しい岩肌をみせながら蛇のように山腹に横たわるナメ滝に
「something great」を感じながら、

私はいま再び子どもを産もうと思います、と祈るように語りかける。

生きるものの摂理として、そうなることになったから、そうしようと思う。それだけのことだ。


三児の母となる戸惑いや理由探しといった些細な人間事から、
私はすっかり自由になった。

2010年09月09日(木) 
2009年09月09日(水) 
2006年09月09日(土) 
2004年09月09日(木) ペンは剣


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