浅間日記

2009年04月28日(火) 作為の真相

先日のこと。

仕事の合間に雑談になった時、ひとりの女性が私の筆記具を目に留めて、
「やはり環境に配慮して鉛筆を使っているのですね」と言われた。

「いえ違います」と即答し、たまたま家の中に転がっていたのを入れてきただけです、と付け加えると、まじめそうなその女性は、はあそうですかという風で、気の毒である。

どうして私は、嘘でもいいから「もちろんそうです」と言えないのだろう。

しかも、よせばいいのに、「ちびた芯でも騙し騙し書くことができる鉛筆は、私のようなルーズな人間にはぴったりなんです。シャープペンシルだとこうはいかないので困るんですよ」などと、環境とは無関係にそうしている理由をアドリブで付け加えたりしている。



本当を言えば、ちびた鉛筆で仕事に臨んだことなどない。
特に出かける前は、良い成果が出るように祈りを込め、包丁を研ぐ料理人のような気持ちで削っている。

どうして私は、ちびた芯でもなどと口からでまかせを言ったのだろう。

この作為は一体何か。
数日経った今になって、もう一度考えた。



おそらくそれは、自分が道具を楽しむ心は特別なものであって、エコロジカルな活動と無関係であることだけは明確にしておきたい−その場の雰囲気や真実を犠牲にしても−という、その気持ちと、
世の中に張り詰められすぎてパンパンになっているエコロジーの空気を緩めてしまいたかったのだ。

2007年04月28日(土) 
2005年04月28日(木) ファンファーレ
2004年04月28日(水) 奴らの足音のバラード



2009年04月27日(月)

クライマーのS君が、朝刊に載っていた。
ある国の栄えある賞を受賞したのである。

三組の登山隊のうち二組が日本人の隊である。
S君のほかにも、馴染みの人達の笑顔が並ぶ。

みな爽やかである。良い顔をしている。
権威ある賞を、本当の目的-よいクライミングをすること-のオプションとして楽しんでいる。



名誉職みたいな長老が何かとにらみをきかせるこの業界であるが、
自分がヒマラヤに登り続けられるのは、もはやこうした情熱ある若手のおかげだ、とHが言う。

あらキミもなかなか謙虚なことを言うね、と心の中で感心する。

Hはずいぶん色々なことに折り合いをつけている、と思う。
だから果たして、自分も-S君や他の若い人みたいに-誰に気兼ねすることなく毎年のように海外の高所へ行けたらと、そういうふうに思っているだろうかと、時々ふと思う。

2007年04月27日(金) 
2006年04月27日(木) 天国はいらない、故郷をくれ
2004年04月27日(火) よい子馬鹿



2009年04月21日(火)

連日のごとく上京。
年度の初めというのはどうしてこう、やたらと集会やら研修が多いのか。

この仕事が終わったら、しばらくはもう信州から一歩も出たくない。
否、生活圏から出たくない。

八百屋のような商売が時に羨ましくなる。

2007年04月21日(土) フィルハーモニー
2006年04月21日(金) 
2005年04月21日(木) 魔法の鏡日記
2004年04月21日(水) 修繕・トマト・夜道



2009年04月15日(水) time goes by

Aは時計の読み方を学び始めた。
難しいところですから時計を見せるなどして家庭でもご協力を、
と、教員からの通達に書いてある。

そういう目でAをウォッチングしていて、発見した。
未だこの人には、時間の観念が十分に育っていないのである。

正確にいうと、時は刻々と過ぎていくものだ、という感覚が育っていない。
日単位、午前、午後、夜、ぐらいの、まことにプリミティブな刻みで生きている。
そもそも子どもの暮らしというのは、それぐらいで支障ないぐらいがよい、という気もする。



時を教え、寝た子を起こすべき時なのか。
そもそも時が過ぎるのを、どの単位でもって暮らしに導入すればよいのか。
人の一生か?それともコンマ一秒の世界か?

哲学者みたいなことを考えすぎて、自分が混乱した。



結局のところ、親離れしていない子どもには、何事も寄り添って教えるほかないという結論でよいことにした。

時間の観念も、夕飯の準備をする、風呂の準備をする、散歩に行く、布団に入る、
そうした毎日の繰り返しについて、時間の目安を共有できれば十分だろう。



時計を正確に読めるようにならなければいけません、という何の哲学もない学校の姿勢が、私には「人に機械のように使われる人生を呑み込め」と言っている様に感じられ、少々焦ったのである。

もちろんそれは妄想にすぎず、教育現場がそのような意図をもつわけはない。

けれども、ミヒャエルエンデが名著「モモ」で警告したような、
自分の時間を奪われた人の生き様は、現実社会のもうほとんどであり、
それはやはり、時のインプリンティングに人間的な視点が欠けていたのだと思う。



Aはどうしたら、時間を−人生を−自分のものにできるだろうか。
親心からの願いは、その一つなのである。
時計の針を多少読み違えたって、そんなことはどうでもよいのだ。

2007年04月15日(日) 
2006年04月15日(土) 



2009年04月14日(火) 孤独と雨と風景と

日帰りで上京。

夕暮れの汽車から、雨に煙った田畑や里山が見える。
菜の花や桜は彩りに深みを増し、新緑はみずみずしく生命を蘇らせる。

国道の、しっとりと濡れたアスファルトの路面ですら美しい。



雨を一方的に悪く言うのは、天気予報の意地悪な解説ぐらいである。
もちろんうんざりするような雨だってあるけれど、私は総じて雨降りの日が子どもの頃から好きだった。



風景を美しいと認識するとき、私はほとんどいつも雨や雪とともにある。


風景とは、自分はこの世で独りの存在だと強く感じる時に初めて、美しい優しいものとして姿を現す。

雨はそして、私から孤独の事実を引き出す触媒なのである。


長らく忘れていたけれどそういうことだったと、今日思い出した。

2005年04月14日(木) コミュニケーション原点回帰
2004年04月14日(水) made in Japan



2009年04月13日(月) シェア

企業と生物多様性、なるレポートを読む。

昨年5月に生物多様性基本法が成立、施行され、以来、企業と生物多様性は奇縁で結ばれたのである。

同法第6条によると、こうである。
「事業者は、基本原則にのっとり、その事業活動を行うに当たっては、事業活動が生物の多様性に及ぼす影響を把握するとともに、他の事業者その他の関係者と連携を図りつつ生物の多様性に配慮した事業活動を行うこと等により、生物の多様性に及ぼす影響の低減及び持続可能な利用に努めるものとする。」

果たして企業は、こんな責務を負うことができるのだろうか。
生物の多様性に及ぼす影響を把握する?



来年2010年には、G8環境大臣会合が神戸で開催される。生物多様性イヤーなのだそうである。
「シー・オー・ツー」に続いて、次は「生物多様性」が経文のように唱えられるようになるかもしれない。



企業が自慢げに披露する取り組み事例を見ても、違うなあという感じが否めない。
ただ単に、ゴミを清掃したり、植林をするのは-もちろんそれらは大変結構なことだけれども-、生物の多様性と直接関係ない。むしろ多様性を損なうのではないかと思われる取り組みもある。



私達は多分−準備運動として−多様性とは何かを理解しなければならない。
多様性があるとは、どういう状態なのか。
多様性がないとは、どういう状態なのか。

企業の場合は、まずは本業で取り組んでみることを、私は提案したい。

もしも、万が一、「売り上げシェアの○%を競合他社に譲り、業界全体の企業数を増やします」という経営方針を掲げ、かつ業績を伸ばすような企業が現れたら、そのとき初めて私は、企業の生物多様性保全への取り組みに期待すると思う。

2006年04月13日(木) ニュースと文脈
2005年04月13日(水) 花ざかり
2004年04月13日(火) 阪神ファンじゃないのに道頓堀に飛び込んだ人



2009年04月12日(日) 聴く阿呆

Hも山に行かないし、今日は家族みんなで満開の桜を見に行こうと、
楽しい休日を算段していた。

それなのに、なんだか不協和音の朝である。
気分を変えようとかけたオペラ・アリア集のCDでは、
マリリン・ホーンが慰めるようにオンブラ・マイ・フを歌っている。

私は誰とも口を聴きたくないぐらい疲れていたし、
Hは昨日のクライミング気分が消えず、浮かれポンチである。
Aは休みの嬉しさと存在を主張したいので、猛烈にやかましい。

ついに、赤ん坊を泣かせ片づけをしないAは、私にひどく叱られ、
今日一日あなたへの不機嫌を直さないと、宣言されてしまった。

怒り心頭、やさぐれた私に、音楽の記録媒体というのは無残である。
演奏中ですからお静かにといさめる人もなく、コシ・ファン・トゥッテは無視される。

気まずい沈黙が、朝の台所に広がる。
気まずかろうが何だろうが、そのまま静かにしててくれと、
がちゃがちゃと茶碗を洗う。

さすがにしょんぼりしたAと、自分だけ浮かれていたことに気付いたHが、
神妙に洗濯物などたたんだりしている。

そのうちに、ルッジェーロ・ライモンディが闘牛士の歌をうたい始める。
諸君の乾杯を喜んで受けよう、という勇ましいメロディ。

よく知られたメロディにあわせ、Hがはなうたをはじめた。
Aも、フンフンとあとにつく。

悠然とアリアは展開し、二人もさらに調子付き、コーラスに至った時には、
チャンチャラチャンチャンと手振り身振りで大合唱である。

私といえば、たぬきが訪れた夜のゴーシュみたいにおかしみをこらえながら、どうやったら怒り続けている風に見えるか苦心するばかりであった。

2006年04月12日(水) 
2004年04月12日(月) マンガさん



2009年04月09日(木) 骨粗しょう症の街

射すような日差しが異様な晴れ日が続く。

もともと内陸の山国で乾燥するこの土地は、
こんな晴天が続くと、砂漠にいるような乾いた空気に覆われる。

土地区画整理事業によって最近整備された街区に用足しにでかけ、
ピカピカ新品の、しかし恐ろしく貧相な町並みに辟易する。

草木一本生えないコンクリートジャングル-既に東京などの大都市では死語であるはずの-には、所狭しと、安普請の家が建てられている。
新しい道路に植栽スペースはなく、アスファルトの照り返しが焼け付くようである。



田舎の都市というのは、緑化政策が著しく立ち遅れている。
緑などそこらへんにいくらでもある、という慢心がそうさせている。

田舎町の緑の潤いは、農地や森林、古くからある民家の植栽によっている。
それらは、自然と人工の中間的な、信州の美しい田舎風景であった。

行政が予算を確保し、都市のインフラストラクチャーとして整備したり担保した緑資源がどれだけあるか、と検証すれば、もうほとんどお粗末なのである。

そのお粗末な状況のままで、農地や森林や民家に開発をかければ、どのようなことになるか。
骨粗しょう症のように、変化に対応できない脆弱な街ができるのである。
そしてそこには、砂漠の民ベドウィン族のような気性や文化が育つのである。

いくらでもある自然は既に過去の幻と自覚して、都市の緑を作る努力を急いでするべきだ。



件の再開発地区には二度と足を踏み入れないようにしようと心に決めたばかりでなく、
いっそこの街を出て緑豊かな東京に戻りたいとさえ思った。

2006年04月09日(日) 
2005年04月09日(土) 不審者侵入
2004年04月09日(金) somebody laughing inside



2009年04月07日(火) 宿るべきところに宿り続けるもの

万物が息を吹き返し、今年度の生命活動が始まった。
コブシが咲き、沈丁花が甘い香りをだたよわせ、
桜は三分咲きとなって、皆のお楽しみである。

信州の風土に身をゆだねてもう何年になるだろうか。
生命というのは宿るべきところに宿り続け、
移り変わるべきものは移り変わっていく。

赤ん坊は幼児になった。
Aは少年少女へ成長した。

ときおり、赤ん坊の頃のAを再びこの腕に抱きたいという衝動にかられる。
往時の写真などみて、かなわぬ思いをなぐさめる。

実際、我が子に宿っていた赤子や幼児の面差しを、
私は二度と再び、この子達の中に見ることはできないのである。

不可逆的なその変化は、もう二度と会えない別れの一種で、
私はそれに死別に近い感情を寄せる。

人の一生を微分解析してゆくと、接線の傾きは一生に一度きりのものであり、
人間関係とはそんな連続する小さな別離の中にあるのだなと思う。

人間の体細胞は二年で全て入れ替わるのだから、当然至極でしょうと、養老先生あたりに言われそうである。しかし、昨今の「科学的エビデンス付き哲学」は、私にはまったく不向きである。

体細胞など知る何百年も前から、私たちは諸行無常を「わかって」いた。



全ての人と人が緩やかに変化し、同じ人には二度と会えない。

けれども見渡せば、この冬産まれた赤ん坊の中に、
桜の枝をもってよちよち歩きをする幼子の中に、
我が子から旅立っていった幼い魂は生きている。

嬉しいではないか。

2007年04月07日(土) ここには神様がいたほうがいい
2004年04月07日(水) 愚民ちゃん



2009年04月05日(日) 国家の癖

国連安全保障理事会は5日、北朝鮮が国際社会の制止を振り切ってロケット発射したことを受けて開催した緊急会合を終えた。というニュース。

米国のライス国連大使と日本の高須幸雄国連大使は、明確かつ断固たる対応が必要だと主張。新たな決議の採択を求めた、とあり、日本政府が国際政治上で何かリーダーシップを発揮しているような姿勢が、ラジオニュースで強調されていた。

けれどもよくニュースを調べると、ロシアや中国との合意が得られず、緊急会合では大した成果は残していないし、今後新たな制裁を盛り込む決議案が可決されるかどうかは、「わからない」し、少なくとも「日本の意気込みだけでは決められない」のが実際のようである。



日本の外交活動の成果や日本の国際社会での評価を正しく国内に伝えない、あるいは積極的に伝えないということがある。

海外での日本の様子は、まるでイタコの口寄せのごとく国民に流布され、
日本は国際社会に存在感を示している、というお告げを私達はありがたく信じるのである。

なんだか、第二次世界大戦中の大本営発表と、本質的に何も変わっていない。
これは、国民を騙すとか、知らしむべからずよらしむべし、というような作為と無関係の、言ってみれば、島国という立地で醸成された国家の癖のようなものではないかと思う。

一つお断りしておくと、私のこの考えは、日本政府がアメリカとの関係に配慮した末の態度、という要因を大きく差し引いた後の話ではある。

2007年04月05日(木) ローソクと絵札
2006年04月05日(水) 時差ぼけ
2004年04月05日(月) 病名告知



2009年04月02日(木)

「東京で贅沢をする」という目標の下、春休みを満喫したAは、
明日から学業である。
宿題の作文を見てくれというので読んでみた。

国会議事堂はヨーロッパ風の建築物であった、
皇居はお堀の対岸に素晴らしい花畑があった、
いつでも誰でも天皇陛下に拝謁できる訳ではない、
東京都庁の展望台は最上階ではなく45階にある、
墨東公園で祖父や祖母と「花」を高らかに歌い上げた、

まあこんなことが、自分の言葉で記してあった。
楽しかったならよかったね、と総括して、寝床にもぐりこむ。

2006年04月02日(日) 口を閉じ 友と離れよ そして踊れ
2005年04月02日(土) 
2004年04月02日(金) 現代人に「ウサギと亀」は創れるか


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