浅間日記

2009年05月29日(金)

一月ばかり赤ん坊の不調、自分の不調を繰り返している。
小さい子どもを育てていると、こうした消耗のスパイラルに陥らざるを得ないことがある。

人はみな泣きながら生まれてきた、と中島みゆきは歌う。
今の私の心情はむしろ、人はみな泣きながら育ててきた、である。
それはそれで、立派に歌心を誘うではないか。



フラフラになりながら、泣きそうになりながら、怒りながら子どもを育てたって、大丈夫である。
それは、行く当てのない無表情な人生よりはよほど幸せなのだ。

2006年05月29日(月) 我が身にふりかかるとみるや、なりふりかまわず
2004年05月29日(土) 内心の自由



2009年05月22日(金) 放棄できない病

インフルエンザの国内感染者がまた増えた。
豚インフルエンザウィルスは、現在のところ弱毒性であるが、変化の可能性が高く用心が必要、とのこと。



「インフルエンザに感染したとして「薬は嫌です」なんていったら怒られるかね」
「まあ当たり前だね」
「漢方にして下さいと言っても駄目かね」
「まあタミフルだね」

朝っぱらから、馬鹿な会話を交わす。



私は−病院や薬が苦手な者の直感として−、騒ぎが怖くて病院に行かれない潜在感染者がいるに違いない、と思うのである。

怖い服を着た人に囲まれ、自分の身体に関する意思決定権は奪われ、ともかく拡大を防がねばという使命感と緊張感の入り混じった処置を否応なしに受け、24時間監視測定の対象にされるのである。

発熱は何度も経験しているが、そんな目にあうのは未経験である。
身体は回復したとしても、他の病気になるか、少なくともその後の人生を何事もなかったようには生きていかれない、そんな副作用を感じる。

正直言って私には、インフルエンザに罹患するより恐ろしいことである。



世間一般にはまた、社会的な不安も大きいだろう。
会社ではあの人を営業によこさないでくれと言われるかもしれないし、果てには仕事を失うかもしれない。

だから、そういう訳で、なんだか高熱が出て怖いけどこのまま寝ていよう、という人がいるんじゃないかと思うのである。

2007年05月22日(火) 
2006年05月22日(月) 全天候型人生を迎える日
2005年05月22日(日) 金網デスマッチ
2004年05月22日(土) 個人主義



2009年05月20日(水) time goes by その2

この間のお休みの日のこと。

時計博物館なる場所へ。
Aも私も、学校でやる時間の計算がどうにも嫌になって、気晴らしに出かけた。

仕掛け時計が動く12時にあわせて、昼前に到着。

18世紀のイギリスで作られた、美しい意匠の柱時計。
線香を使って時間を測る面白い時計や、大きな砂時計。
子、牛、寅と文字が打ってある和時計。
とても可愛らしい、ハンディタイプの日時計。

正午になると、あちらこちらの時計が、仕掛けを披露し始める。
今こそ我が精巧さを見せる時!とばかりに音を鳴らし、人形が動き、鳩がとび出す。

時の流れを-人生を-いかに人は楽しみ、また楽しむことを大切にしてきたか、
この精巧な時計のひとつひとつから伝わってくる。
先人達は、細切れにされた瞬間ではなく連綿とした流れとして時を認識してきたこともよくわかる。

そんなものを見ているうちに、
ちっぽけな時間の計算など、すっかり何処かへ行ってしまった。



夕飯時、AがHに得意になって報告する。
日時計とか、砂時計とかあるんだよと、食事そっちのけで言っている。

腹時計ってのもあるな、とHが付け加える。
それは時計博物館にはなかったよとAが真顔で応える。

2006年05月20日(土) 
2005年05月20日(金) 
2004年05月20日(木) 油断スイッチで幕があがるとき



2009年05月19日(火) 固執する意味

上田市は13日、松くい虫対策で毎年行ってきた農薬の空中散布を今年度は中止することを決めた。今月末に開く市松くい虫防除対策協議会で説明し、承認を得て正式決定する。市内の母親らがつくる「こどもの未来と健康を考える会」(田口操代表)が「農薬の空中散布により健康がおびやかされている」として市に中止を申し入れており、母袋創一市長は「人体に影響がないとは言い切れない。要望を真摯(しんし)に受け止め今年度は見合わせようと判断した」と話した。

上田市が松くい虫対策の農薬空中散布を中止する方針を固めたことに対し、県林務部の轟敏喜部長は14日、信濃毎日新聞の取材に「費用対効果を考えると、空中散布に替わる有効な被害予防策はない」と述べ、空中散布を行う県内市町村を引き続き支援していく考えを示した、というニュース。



松くい虫被害というのは、アカマツという樹に固有の病虫害で、
日本列島の西から東へ被害が拡大している。

10年ほど前東海道新幹線で西へ行くと、大阪から西沿線のアカマツ林は一面に茶色くひどいものであったが、今やアカマツ林はすっかりなくなったと聞く。

目下のところ被害の最前線にあるのは、この信州や関東以北であり、上記の記事にあるように、長野県は松くい虫対策を森林管理の重要課題としているわけである。



件の会によると、農薬散布の後、複数の子どもに高熱や多動などの症状が表れ、大人にも頭痛や倦怠感などの症状が出ているということである。因果関係は未だ明確でないとされているが、病院で行った調査結果を提示するなどが、本年度の中止につながったと思われる。



このことについては、色々とわからないことが多い。

一つには、農薬の空中散布をはじめとする、松くい虫対策の効果の問題。

結果も出ないのに、農薬を森林にばらまき続ける意味がどこにあるのかわからない。空中散布される農薬だけでなく、地上での薬品処理も含めて、膨大な量の有害化学物質が、県内の、否、国内の森林土壌を汚染している。

EUでREACH規制による規制が行われ、国内で化審法が改正されるなど、有害化学物質の取扱は今日かつてないほど厳しくなっている。
いかな森林づくりと言えども、そうした動きに知らぬ顔をしていてはいけないだろう。


もう一つには、アカマツ林に固執する意味。

既に西日本では被害が食い止められず、大面積のアカマツ林が裸山となった。
それから画期的な技術開発があったわけではないし、現実問題として被害は拡大し続け、大局的にみて同じ結果となるのは時間の問題である。

それならば、アカマツが全滅した場合に裸山とならないための方策を考えるべきであり、それこそが急務である。後継樹は5年や10年で育つものではないからだ。確かにアカマツという木が立地するところは特殊で、他のどんな樹木でも育つという場所ではないことが多いから、アカマツを残さねば樹林が成り立たぬという気持ちも分かる。しかしだからこそなおさら、丸裸になってしまう前に、少なくとも低木類で表土を覆い土砂の流出を防ぐような対策に予算を割くべきだ。

繰り返す。防災とか生物多様性という側面を考えれば、市民のニーズは、アカマツ林ではなく、健全な森林の継続にあるはずである。いわんや人の健康をや、である。

2005年05月19日(木) 旺盛な気分
2004年05月19日(水) 国語の時間に教わったことの話



2009年05月15日(金) 三万人の死者

警察庁が発表した自殺統計のニュース。

トピックスは三点。
三万人を超す年間自殺者数は、既に11年連続であること。
昨年は30代をはじめとする若者の自殺者が増加したこと。
「就業失敗」「失業」「生活苦」など不況を反映した動機が増加したこと。

自殺してしまった七割の人が、直前に然るべき相談所の門をたたいていたという事実も、やりきれぬ。



インフルエンザで年間三万人の死者が出たら大騒ぎするのは必至である。
その危機感を、日本人が自ら死に向かい続けている事実にも振り向けたいと思う。

私達はもう11年間も、有効なワクチンがみつからないでいる。



経済状況が良くなれば、自殺者はいくらか減るかもしれない。
けれども私は、経済状況が悪くても自殺者が出ないという風でなければ駄目だと思う。



生きていくということは、孤独で苦しい。
希望の言葉をかけるのは簡単ではない。

死にたいのなら明日にしたらどうかと言い続けるような今の政治では、
人々の絶望を救うことはできない。
今の日本は、日本人にとって重たい足かせでしかない。

生きようじゃないか、と真実から言えなければ。

2008年05月15日(木) 鳴りわたる、1つ目の鐘
2007年05月15日(火) 道徳ソングか情景か
2006年05月15日(月) マクマーフィの最期
2005年05月15日(日) 



2009年05月12日(火) 疫病神の宿る心

国内初の新型インフルエンザ感染者のニュース。
もう2日も経っているので、ニュースとは言えないけれど。

水際で食い止めた、というのは詭弁である。
カーボンオフセットと同じぐらい、実態を反映しない。

そんなことよりも、長年愛読させてもらっている日記の著者が、
「隔離されている人へもっと配慮を」と書いていることのほうが重要だ。

その観点をすっかり忘れていたと、反省した。
同時に、ハンセン病問題を思い出した。



「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書には、国による隔離政策の過ちについて、こんな風に書いてある。

一.新憲法の「文化国家」「福祉国家」の理念と、国立療養所への全患者収容の考えが結び付けられた結果、入所者らは基本的人権の享有者ではなく「新しく明るい日本」「健康の日本、無病の日本」の犠牲者となった。

一.戦後は保健所が地域からハンセン病患者をなくす「無らい県運動」の第一線機関であったため、運動のすそ野は医師や保健婦をはじめとして著しく広がり、これらの「善意」が戦前の衛生警察の権威以上に全患者収容に威力を発揮した。

一.ハンセン病も精神疾患対策も、諸外国に対する体面から始められた点で
共通している。隔離収容は国民の偏見を固定化し、差別を助長した。

一.報道記者の多くはハンセン病問題に不勉強で、療養所に足を踏み入れることもなかった。
報道が気付かなかったということは、社会的に問題が抹殺されたも同然だった。



厚生労働省が、新型インフルエンザの隔離政策で同じ過ちを繰り返さないことを願うと同時に、
どんな病気であれ、それに罹病した人は被災者であっても決して加害者ではないということを忘れてはならないと、自戒した。

2007年05月12日(土) 5月の朝食
2006年05月12日(金) 
2005年05月12日(木) 



2009年05月11日(月)

山の家で過ごす楽しい連休だというのに、病が抜けぬまま終わる。



色々と自分の健康を甘く見ていたら、乳腺炎になっていた。
炎症とは、身体の湧き上がる怨念である。怒りの炎である。

お前のような健康管理のできない者はこうだとばかりに、
40度の熱が身体の中で火を噴いている。

横になって2日間水だけで過ごし、怒りを静める。
燃やすものが何もなくなって、ようやく鎮火する。

よく二日で平熱に下がったと医師は驚いたが、
焦土と化した身体を復興させるのは容易ではない。

今度はウィルスが口の周りに跋扈し始める。
身体という資源を巡って、体内に共生している者たちが、
今がオーナーチェンジの時とばかりに表に出てくるのである。

面白いものだと思いながら観察する。
頭がおかしいと思われるかもしれないが、もし自分が死にかけたり死んだりしたら、他の生物がちゃんと後を使ってくれるという見通しは、悪くない。

その反対に、自分の肉体が、極めて難燃性で、埋めたら有害物質を溶出して土壌汚染源となり、PCBみたいに異様に安定し処理に困るような物質だったとしたら、それこそ死んでも死にきれぬ。

馬鹿話はさておき、もう少し身体と上手につきあわねばならない。
死ぬにはまだちょっと早い。

2006年05月11日(木) 家が鳴る
2005年05月11日(水) 
2004年05月11日(火) もう春ではない日


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