浅間日記

2007年07月29日(日) 放蕩後

「地下鉄のザジ」のごとくAを誰かの大人にまかせ、週末を遊びほうける。
Aもまたザジのごとく観劇に食事にと、都会に連れ出される。
地下鉄は通常運行していたし、ムール貝は食べなかったけれど。

SちゃんにもKちゃんにもNちゃんにも会ったし、
奇跡的な偶然でマサヤ画伯とも路上で邂逅することができたし、
満足して帰ることにした。

駅のホームでは、大きなリュックを背負った人が沢山。
この人たちはちゃんと投票へ行ったのだろうかと気になって仕方がない。

口うるさく投票へ行けと言わないと、腰を上げない人の気が知れないが、
私の気が知れなかろうが、そういう人はいると最近は実感している。



清清しい山の空気に囲まれて、家まで歩く。
やっぱり涼しい信州が何よりだと口にしたら、
Aときたら、暑さで眠れぬ夜をすごした腹いせなのか、

自分はこの地に生まれたからすべて信州の成分でできているけれど、
お母さんは半分が東京の成分だからかわいそうだね、などと言う。


それでいいと思っているんだから放っておいてくれ、とひとくされ。

2005年07月29日(金) 
2004年07月29日(木) 



2007年07月28日(土)

猛暑で眠れぬ夜。

東京にせよ、名古屋にせよ、大阪にせよ、博多にせよ、
湾岸につくられた都市というのは、蒸し暑さから逃れられない。

電車の音が聞こえるねと、眠れぬ床の中でAが言う。
お母さんは小さい時からこの音を聞いてたんだよ、と応える。

2006年07月28日(金) 
2005年07月28日(木) よろず医者
2004年07月28日(水) 福祉パニック



2007年07月27日(金)

これから上京。もう出発しなくてはならない。
東京の湿った暑さのなかで週末を過ごす予定である。


2006年07月27日(木) Yellow stupid Award
2005年07月27日(水) 成せば成る
2004年07月27日(火) オセロ



2007年07月24日(火) かりそめ

申し分のない夏空の下、山へ。
今日は、お外のお仕事である。

一月のあいだ来ないうちに、山は枝葉が茂って
同じ場所とは思えないほどである。
変わらないのは、熊や鹿がほんの少しむこうで息を潜めている気配。



帰りに、山の家へ寄る。
父がやめてしまった畑は、雑草の群落となっている。

冷たい家の中へあがり、コップに水をくんで飲む。
エディット・ピアフのCDをかけて、ぼんやり板の間に横になる。

彼らはもうほとんどここへは来ないだろう。
今までここで過ごしてきたことは、これ以上継続されないのだ。

いったん終わりと区切りをされた場所へ、次の時間を継ぎ足すにせよしないにせよ、
世代間の引継ぎというのはしんどい作業である。

私は父みたいに上手くやれない。畑もなにもかも。
いい年をして何も身についていないから、今になって慌てている。

生きている時間や場面というのは、はかなくてかりそめなくせに、
ときどき永遠であるかのように幻惑されるから嫌だ。

2005年07月24日(日) 
2004年07月24日(土) メモリがいっぱいです



2007年07月23日(月)

夜更けの台所で、夜なべ仕事。

もう数時間後に始まる週明けから始まってしばらくは、
がけっぷちのスケジュールで動かねばならない。
そしてその幸先は非常に悪いんである。

もう勘弁してくれと、何ものかに向かって訴える。

自営の場合は退職というカードがない。
こんなに忙しい会社もう辞めてやる、と決断することが困難なのだ。
だから、これはこのままやっていると自分が駄目になると思う仕事の切り上げ時を見極めないと、
やばいなあと思うんである。

2006年07月23日(日) 担ぎ手の私怨
2004年07月23日(金) 災害軍師



2007年07月19日(木) さよなら先生

夕方のラジオで、河合隼雄さん逝去のニュース。

昨年脳梗塞で倒れてから、眠り続けている先生はどうされただろうかと心配であったけれども、ついに逝ってしまわれた。



長年にわたり臨床心理の世界に貢献され、大きな業績を築いてこられた方である。
とりわけ私にとっては、人の心と物語についての研究、とくに
物語が人の心に働きかける力について書かれた本を、感心して読んだ。



混沌とした精神のうちにある人というのは、色々ややこしい。
気難しかったり、攻撃的であったり、衝動的であったり、依存的であったり、何かに異常に執着したりすることがある。

だから、人の心理に寄り添う人間というのは相当にタフでなければ、
治療対象としている人とともに、一緒に連れて行かれてしまう。

河合隼雄という人は、その点でとても優れた人であった。
暗闇にとびこんでいっても、暗闇に引きずりこまれることの決してない、
そういう人であったように思う。

そしてその心丈夫さはおそらく、氏の教養に支えられている。
自分の心を遠くへ遊びにだす術を、とてもよくご存知なのである。


今頃は天国で、得意のフルートを楽しんでおられるだろう。
ご冥福を祈る。

2006年07月19日(水) あばれ天竜、檻を壊す
2005年07月19日(火) ドキュメンタリーの光と影



2007年07月14日(土) 1:1

朝早くから、上京。

羽毛布団のセールスマンのような人から、
羽毛布団とはまったく関係ない話を聴く。

世の中で周知されている出来事や評価というものは、
すべからくフィルタリングされたものである。
法律は、その最たるものである。



その結果、どこの誰にも適用されない出来事や評価が亡霊のように存在する。
あるいは、どこの誰もが適用されるはずの出来事や評価が欠如する。

グローバル・スタンダードを経て、
私達の世界は今や15万分の1のスケールに縮こまり、
広くを見渡せるが自分の足元は米粒より小さい。

常にパースペクティブな視点以外もつことができず、
自己と他者を区別するものが希薄になって、
自分自身の生の実態がつかめなくなっていく。

でもしかし−そのことで安心するにせよ、落胆するにせよ−
1:1の自分は必ず存在する。
整形を施された芸能人ほど綺麗じゃなく、イチロー選手より機敏ではなく、
村上世彰より金儲けが下手な自分は、そこにいる。
世界の中で自分にだけ有益なこともあるし、有害なこともある。

人は身の丈を知ることで初めて身の丈を超えることができるし、
個の存在が明確になることで初めて集団の良し悪しを考えることができる。

2006年07月14日(金) ガムランと積乱雲
2005年07月14日(木) 一回しか死ねない
2004年07月14日(水) 見た目から入る話



2007年07月12日(木) 名物ドーナツ饅頭−選べない運命−

ある山村集落の、旧道沿いの菓子屋に、
「名物ドーナツ饅頭」というものが売っている。

山間部の川や山に囲まれた場所で口にすれば、
何にも替えがたい特別な美味しさがある。
そういう種類の食べ物である。

その店の主がせっせと粉を練って揚げている。
10個入り1000円で、白餡と黒餡が入っている。

ただし、1袋、つまり10個のパッケージの中で、
白餡と黒餡を何個にするかは、客には決められない。

客には決められないというよりも、店の主でさえ白か黒かを識別できない。
餡を包んだ後は、白も黒も一緒くたにして揚げたり砂糖をまぶしたりしているからだ。

だから-理論的にいけば-10個のうち8個が黒餡のときもあるし、
10個のうち1個も黒餡がない場合もある。
もっとも、たいていの場合、白黒バランスはほどほどのところにおさまっている。


このシステムへ文句を言う客もいないようだし、
釣り客やハイカーなんかには結構売れていて、昼過ぎには売り切れる。
「黒か白か選べないんだってさ」と嬉しそうにいいながら、人にすすめている。




不可知は、時には一種の快感となる。
どきどきわくわく、というやつである。

10個のドーナツのうち、大好きな黒餡が8個なら嬉しいし、
白餡が10個なら残念という、感情の起伏を楽しむことができる。

食品玩具に熱狂的な消費者がつくのも、同様の理由と思われる。



そして、選べない−選ばなくてよい−ということは、人に安堵をよぶ。
「ドーナツの餡が黒か白かなどよきにはからえ」ということにしてしまえば、
黒と白の味の違いについて深く考える必要もないし、
黒が何個で白が何個という悩みから開放される。文句を言う人もいない。
おまけに店主も楽である。

自分の運命を決められないが、責任もとらなくてよい。
もう一切そのことを知らなくても考えなくてもよい、というのは、楽ちんなのである。


繰り返して書けば、
ドーナツの餡が白か黒かについて「選べない」ということは、
ひとつの加えられた制約であると同時に、ひとつの選択責任からの解放なんである。

2004年07月12日(月) 肌寒い空気



2007年07月10日(火) ここは自分の場所ではない

北の方へ。

長野県はむやみやたらに南北方向に長い。
だから、端のほうへでかけていくと、
太平洋の空気がしたり、日本海側の空気がしたりする。
失礼ながら、もうここは新潟県でいいんじゃない?という気配がある。



行政界という線引きに、実際の生活や人の感覚はそう簡単になじまない。
そういう場合がある。
その証拠に、違和感が高じて本当に岐阜県へ出て行ったしまった山口村という村もある。

自分達の住んでいる場所を「ながの」と表現するのは、長野市近辺の住民だけである。
それ以外のほとんど全ての県民は、ながのという言葉に郷土イメージをもっていない。

長野県はむやみやたらに南北方向に長い。そして色々な県に隣接する。
だから、自分はむしろ−暮らしと風土というくくりでいけば−、上州人や越後人や甲州人や遠州人かもしれないという人々の集まりで構成されている。

これにさらに、私のような外様が結構加わっているから、さらに複雑である。
実のところこの県は、合衆国みたいになっているのかもしれない。

自治体としてはそれでは困るから、なんとか県民として連帯感を保つために「信濃の国」という歌があって、これは県民なら誰でも知っているということになっている。
もちろん私はまったく歌詞を知らないし、ワンフレーズだって歌えやしない。



小さな島国でも、地続きの場所というのはこんな様である。
それでは、大陸という場所での、人種や歴史や文化の織り成すカオスというのは一体どんなになっているのだろうかと思うと、なんだか気が遠くなりそうである。

2005年07月10日(日) 狂気がかった仕事
2004年07月10日(土) 嫌な死に方



2007年07月09日(月) 風林火山馬鹿

この夏の信州は、「風林火山」一色なんである。
もちろん、NHK大河ドラマのためである。

どこへ行っても、センスの無いのぼり旗がヒラヒラしている。
武田信玄に全然関係ないエリアだろうがなんだろうが、
見境なくヒラヒラしている。

まったく、これほど田舎趣味なことがあろうか。



今はどうなっているのか知らないけれど、少し前に、
「攻められた側である佐久市の観光課では、全県をあげたこの能天気なキャンペーンについてかなり戸惑いがあるようだ」という新聞記事をみた。

佐久近辺には、敗れた側の子孫であることが明確な人が沢山暮らしているので、とてもじゃないが、やんやと騒ぐ気にはなれない、というわけである。



研究家の中には、「武田軍は志賀城の援軍を破り、3,000人の首を城の周りに並べた。戦意を失った城主ら300人は討ち死に。生き残った者は売られた」という被害の史実をあらためて示す人もあった。

ずいぶん前に新聞へ掲載されていた、この小さな記事にある人々の実感こそ本当の歴史というものである。

2006年07月09日(日) 夢の花
2005年07月09日(土) 鑑賞日
2004年07月09日(金) 落胆



2007年07月08日(日) 華麗なる地震情報

ラジオで「華麗なる大円舞曲」が流れる最中で、地震情報。

気を利かせたつもりか、アナウンスの最中にも、
曲は音量をおさえて継続されている。

「震源地は四国沖で、震源の深さは約50km、地震の規模はマグニチュード4.4です。」とか、
「なおこの地震による津波の心配はありません」とアナウンサーが落ち着いた口調で話すその背後で、意気揚々としたワルツがまるで地球の震えを祝福するみたいに絢爛豪華に奏でられているから、可笑しくなった。

ずいぶんと余裕のあることである。

2006年07月08日(土) 破綻の現実
2005年07月08日(金) キスゲ通勤



2007年07月03日(火) 平和と危険と

私は、日本が被爆国であるということに、
実は、平和の鳩以外の不安と恐怖を感じている。

戦争で核爆弾が使用されたのは、第二次世界大戦での日本だけであり、
それ以前も、それ以後も、例がない。
数ある兵器のなかでも別格であることは、素人でもわかる。
使う方にも−人を人と思わないような−、ためらいがあるのである。

だから思う。
ひとたび、汚染されているということは、
ふたたび、汚染される危険性が高いということだ。

ポイ捨てゴミのたまる場所みたいに、
既に汚れている場所は、再び汚されやすい。
被爆国へ使用することは、
世界の人の記憶を、ほんのちょっと修正するだけですむ。

だから、「原爆を落とされても仕方がなかった」という防衛相の発言は、
「もし戦争になったら、日本にまた原爆を落としてもいいです」、ないしは
「日本との利害関係の調整に原爆を使用してもらってかまいません」
というように、私には聞こえるのだ。

良識ある市民から噴出する、人道的な側面からの指摘に加えて思う。
久間防衛相の発言は、私達の生命を危険にさらすものである。

2006年07月03日(月) 
2004年07月03日(土) 主権が彼岸からやってくる



2007年07月02日(月) 世界的名声の母国語はありや

第十三回チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で、
神尾真由子さんが優勝した、という小さな新聞記事。
Hが感心して読んでいる。
楽器を造る部門だってあるんだよと、横からちょっと知ったかぶる。

ふうんとうなづいて、
それなのに、こんな小さな記事だ、とため息まじりにH。
「71歳でエベレスト登頂」なんてこーんなだぜ、と、新聞の上で手を広げる。

マスコミはもう少し評価にふさわしいものを評価してほしい、と言いたいのらしい。



エベレスト登山は、シニアのツアー客であふれている。

世界一高い山だからその成果がわかりやすいし、何だかすごくみえる。
でも、極論すれば「71歳でも登れる山」なんである。現実がそうなっている。

もちろん、鍛錬に鍛錬を重ねた71歳ということだけれど、
世界には、鍛錬に鍛錬を重ねた71歳が登ることのできない山というものがごまんとある。

評価軸が「老人の頑張り」にあるのだからいいではないか、
と思うのだけれど、Hにはご不満のようである。
自分のクライミングとは、わずかでもない交ぜにされたくないのらしい。


まあ確かに、日本人の活躍が世界中の人々から評価されている時に、
日本国内だけがその価値に気づかないというのは、どんな分野であれ不思議な現象なのかもしれない。

欧米なんかでも、そういう場面があるんだろうか。

2005年07月02日(土) みかんの船は再び江戸へ行く
2004年07月02日(金) 青空球児は何処へいった


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