Mother (介護日記)
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2002年08月30日(金) 「それより・・・肺がめちゃくちゃ汚いよ?」

先週木曜日、
検診だと言うことをすっかり忘れていた私は午後になって気付き、
内科だけは診てもらえたものの、整形は元々木曜日は「手術日」のため、
少数の予約患者しか受けない表向きは「休診日」なので午後からでは到底無理、
注射も薬も諦めたので気になっていた。

また整形の担当医とは6月6日以来、会ってないように思う。
母の肋骨の下の痛みについて先日、内科の主治医が初めて
「折れてるかもしれない」と言ったことも気になったし、
いつもの看護婦による注射だけで終わらずに、
担当医に会っておきたいと思っていた。

そこで今日、夏休み最後の平日だったので、
絹江のガングリオンも抜き取ってもらうために整形外科に行くことにした。




タクシーを飛ばして予約外の受付時間11時にギリギリで到着し、
整形外来に行くとものすごく混んでいた。 たくさんあるソファにギッシリと。
でも流れを見ていると、そのすべてが患者ではなく付き添いが多いこともわかった。
私もそのひとりじゃないか。

母が呼ばれるまでに2時間、
絹江はその30分後、そして会計が終わるまでには3時間かかった。



母の肋骨の下の痛みと発作的なセキについて話すと、
すぐに右の肋骨のレントゲンを撮ってくるようにと言われた。

出来上がった画像を見た担当医が言った。

「あぁ〜これじゃぁねぇ〜セキや痰がひどいのもうなずけるなぁ。
 肋骨が折れてるかどうか、これではわからないけど、
 それよりも肺がめちゃくちゃ汚いよ? 内科でも診てもらってるんだよね?」

毎度ながら本人を目の前に大きな声で遠慮なしに言う人だ。
幸い、母には話しがわかっていないようで、その後不安そうなこともなくて良かったが。

レントゲン写真は、鎖骨から肋骨の上側は骨の形がわかるが、
下の方は白くかすんでしまっていて、骨の状態もわからない。
そのかすみが母のセキや痰の原因になっているらしかった。


「でも内科では最近、レントゲンを撮っていませんので」

「今日は肋骨だから、肺を撮っているわけじゃないけど、これじゃぁねぇ・・・
 一度撮ってもらった方がいいんじゃないの?
 あぁ、でも先生もきっとわかってるんだろうなぁ・・・」

と、カルテをめくりながら言った。

どういう意味だろうか?

この先生には3月20日に最初に診てもらった時にも、同じように
「全体に傷んでいる」と言われている。


私は母の入院後、内科の主治医から早い時点に
「呼吸器系なのでもしもということも考えられる」と言われていた。

老人の肺炎と言えば、常に日本人の死因の上位にあって、
『ある日風邪をこじらせて高熱が出たと思ったらアッと言う間に亡くなってしまう』
・・・というイメージが私にはあったのだが。

それが、入院を繰り返し、その都度、退院したとは言っても以前の生活には戻れず、
それどころか、なだらかではあるが次第に悪くなってきているので、
この病気が完治するとはとても思えず、
かろうじて現状維持の加療である、と私の中ではもう諦めていて、
いつ何が起こっても不思議ではないという覚悟もできている。

今日も、整形の担当医のその言葉に、
“肺炎だけじゃないのではないだろうか” “肺がんなんじゃないだろうか”などと
ネットで検索をしたものの、すぐにそれがバカらしく思えて辞めてしまった。

病気の症状にしても薬の効能にしても、
『こういう症状があったら、絶対にこの病気』とか
『この薬を使うと言うことは、絶対にこの病気』とか、
人間の体のことはそんな単純に振り分けられないのだから・・・

ひとつの病気にしても、症状がいろいろあるし個人差も大きい。

今時の薬は、あっちの病気にもこっちの病気にも効果がある。
それをいちいち詮索していたのではキリがない。




飲んでる薬がどうだとか、ホントの病名は何だとか、もうどうでも良い。



治らない病気。

現状維持の加療。



いつ何が起こっても驚かないぞ。


実は、私は少し前、葬儀についてネットで調べたことがある。

母に“その時”が来た時に、あわてずに行動しなくてはならないので、
その準備をしておこうと思ったのだ。

それで、緊急連絡用の電話番号簿を作ったりもした。

親戚の誰に電話すれば、そこから誰と誰に連絡が行くだろうから・・・とか、
母の友人には、誰と誰に連絡すれば良いのだろうか・・・とか。

私というのは、すぐに頭が真っ白になってしまうタイプだと思っているので
自分が動けないような場合でも、他の人に代わってもらえるように、
リストを作っておくことが必要だと思った。

縁起が悪いとか、言っている場合ではない。
死は確実にやってくる。




小学4年、父が亡くなった時のこと。
うろたえて泣くばかりの母は電話をかけることができず、
親戚への連絡はすべて叔母がやってくれたのだと聞いた。

    *当時うちには電話がなかったので、うちから誰かにかけることは少なく
     親戚からの電話は近所で借りていたので、掛け方もわかっていなかった


30の誕生日を迎えたばかりで突然亡くなった同級生。
その奥さんである私の友達は、
『彼のお母さんに早く連絡をしなくては、と思うのに、
 何度かけても他所の家にかかってしまうので、
 結局、自分の母親に電話してもらった』と言っていた。

また、亡くなった彼の弟からは、
『「誰(友達)に連絡して欲しい?」とたずねたが、
 彼女は動揺していて友達の名前が出てこなかった』と聞いたような気がする。

人が亡くなった場合は、
お通夜に間に合うようにすみやかに連絡しなくてはならないので、
そう言ったいろいろな話から、やはり日頃から準備しておいた方が良いと思った。

親の友達関係などは、特に親しく行き来がなければ、なかなかわからないものだ。
それは夫婦でも同じことが言える。

だから、住所録を作る時には50音順ではダメだ。
それでは誰に連絡をすれば良いのかわからない。

親戚・会社(上司・同僚)・同級生など、本人との関係ごとに作るべきだと思う。
そして、お付き合いの程度によって「第1報」を入れる人のリストがあれば良い。


   ◎ 救急車の中で聞かれること (既往症・服用中の薬・経過など)
   ◎ 入院時に聞かれること ( 同上 )
   ◎ 入院時に必要なもの ( 着替え・雑貨など )
   ◎ 親戚名簿 ( 続き柄・名前・電話番号 )    

私は、これらについてひとつのファイルにまとめておいた。
家族にはそのファイルの存在を知らせて、わかりやすい場所に置いてある。
家族はこれを見て行動できるであろうし、
電話連絡などは友達や親戚に頼むこともできるだろう。

そして市内の葬儀社やその費用についても、少し目を通しておいた。


2002年08月29日(木) 覚えてる。

今回は余程うれしかったらしく“京都に泊まりに行った”ことをしっかり覚えていた。

「ありゅちゃん、京都はいいねぇ。また行きたいよ〜」

まるで“明日にでもまた行きたい” という表情だった。




『旅行効果』 とでも言うのだろうか、今朝は母の行動に少しだけ変化があった。


いつもなら目が開いていても、こちらが声を掛けなければ起き出して来ないのに、
今朝は7時には起き出して、顔を洗い始めていた。


無理に旅行に連れ出して、帰宅後に熱でも出したら、それこそケアマネージャーに
『それ見たことか。だから自己満足なんだよ』と叱られるに決まっている。


しかし、その心配をよそに母が活動的だったので私もホッとした。


私は朝食にパンを食べるように言って、薬と水を用意してから二度寝をしてしまったが
8時半に起きた時には、母は居間に座ってテレビを見ながら朝食を食べていたので驚いた。

いつもは自分の部屋で食べている。

さらに、これにはレフティーに言われて気が付いたことだが、
テレビを自分でつけることなど、最近はまったくなかった。
時代劇など好みの番組の放送中に呼んでも、すぐに疲れてしまい、
ベッドに戻ってしまうのだった。



これは何を意味するのだろう?



いつもは、居間を使うことに遠慮がちだった。

それが今回一緒に旅行して同じ部屋で寝たことで、
家族の一員としての再認識につながったのだろうか?


2002年08月28日(水) 車椅子で京都1泊旅行

今回の旅行の詳細については、普通の日記にUPしています。
ここの日記では、一日の文字数に限定はないけれど、
一日にひとつしか書けないので、読むことを考えるとあまりに長いひとつよりも、
サザエさん式に、ショートストーリーをたくさんの方が読みやすいかと(笑)


1000文字づつ、いくつも書いてますので、お暇な方はどうぞ(笑)


今回の旅行で勉強になったことや不満に思ったことなどは後日抜粋して、
こちらに書きたいと思います。


2002年08月27日(火) 車椅子で京都一泊。

思い切って1泊2日の家族旅行を強行しました。( ̄m ̄)

車椅子を持って電車に乗ってというのは確かに大変でしたが、
貴重な体験にもなりました。

母もとても喜んでくれました。

これから詳細を書こうと思いますが、
いつもの長文の日記をアップする体力がないので(笑)
今夜はとりあえず、写真のページをごらんになってください。


2002年08月24日(土) ショート、中止。

8月23日(金) 

今の信頼関係が崩れるような気がしてならないから、ショートステイは辞めておく。

いつか利用せざるを得ない状況もやってくるとは思うけど・・・



老人会のお友達のTさんから電話があった。

近況報告をした。

Tさんは、ゲートボールのメンバーが減ってしまって寂しいと言っていた。

そうだ。
母をゲートボールの見学に連れて行ってあげればいいんじゃん。

少しずつ、過ごしやすくなってきているのだから、
ゲームの邪魔にならない程度、見学をさせていただけば・・・
休憩の時間に、お話しができれば・・・

電話を母に代わり、Tさんから“ゲートボールのお誘い”を受けた母は、
勘違いをして、自分がゲームをやる気になっているらしかったが、
ここでは敢えて何も言わなかった。

ただ、日記には「Tさんからゲートボールを“見に”来るように誘われました」と書かせた。

母はゲートボールの場所さえも忘れていて、
Tさんから道順を教わっても理解できなかったが、仕方ない。

週に3回、3時間程度練習をしているので、連れて行ってあげようと思う。


2002年08月23日(金) ショートステイの勧めに・・・

夕方、ケアマネージャーから電話があった。
「介護保険の新しい保険証は、市役所からまだ来ていませんか?」

ヾ( ̄。 ̄;)

「昨日、訪問調査があったばかりなので、
 認定会議は9月5日ぐらいになるだろうとの話しでしたが・・・」

「あら〜、昨日が訪問調査ですか? ずいぶん遅いですねぇ。
 申請はずいぶん前だったでしょう?」

「8月6日です。」

「あら? もっと早くじゃなかったかしら?」

「主治医の意見書が、予定の29日にできあがらなかったので。」

「ところで、この夏休みは、どちらかにお出かけになりましたか?
 前にね、行きたいなぁなんておっしゃってましたのでね。
 今月26日から月末でしたらお部屋が取れるので、
 お母さん、ショートにいらっしゃってはいかがですか?

 お母さんにとっても、ちょっとした旅行気分になれるでしょうし。
 ご家族とのお出掛けで、お母さんがいつも中心というのは、
 お母さんにとっても大変でしょうから・・・」

母を泊まりに出せば、家族に自由な時間ができるかも知れないけど、
あまり気が進まないのは、家族と離れて知らない人ばかりの場所に行き、
母が不安になって混乱するのではないかということが、非常に心配なのだ。

ただでさえ、昼寝の後に夜明けと間違えたり、数分前のことがわからなくなってしまうのだ。

昼間はみんなと集っていれば良いだろう。
しかし夜になって、それぞれが部屋に戻ってしまえば、
途端に寂しくなってしまうのではないだろうか?

その施設には4人部屋が多い。
夜中に激しいセキが出ると、相手の方に迷惑なんじゃないかとか、
トイレの場所が覚えられずに、あちこち探し回るのではないかと心配だ。

しかし、ケアマネージャーは押してくる。
「それでは部屋にポータブルトイレを設置するのはどうでしょう?
 3時間に1回程度、見回りもありますし、トイレの介助も付きますから。」

絹江の夏休みも終わりに近づいてきた。
来週のレフティーは2連休である。
何かを予定してとった休暇ではないが、
少し遠いところの大型SPAにでも行きたいなと話したばかりだった。

母が一緒に楽しめて、
休みのたびに運転手をさせられるレフティーにもあまり負担をかけない・・・となると
知恵のない私には、温泉ぐらいしか思いつかないのである。

長時間の移動はできない。
炎天下を数時間も連れまわすことはできない。
車椅子で行ける場所。
激しいセキがでることも考えると、映画や舞台を見るのも難しいかもしれない。
それじゃどこに行こう?・・・
確かに、母が一緒だと行動が制限されることが多い。

ディズニーシーに行きたいと思うが、
母を連れまわすことにケアマネージャーが反対なのだ。

「それでは、1泊2日で・・・」

「あら〜。
 みなさん、お出掛けになる当日は何かと忙しいですし、
 準備もありますので、お出掛けの前日からお泊りになりますね〜」

「それでしたら、2泊3日で・・・」

「お帰りはデイサービスと同じ時間になりますので、3時半だと早過ぎですから、
 みなさん、お出掛けから帰った翌日以降までいらっしゃいますよ。」

「そうですか。 でも母が混乱するんじゃないかと心配なので・・・」

「大丈夫ですよ、お母さんぐらいの人はたくさんいらっしゃいますから。」

「嫌がったら、お迎えに行けばいいのでしょうか?」

「いいえ、それも介護ですからね。
 ご家族がせっかくお出掛けになっているのですから、それはちゃんとお預かりいたします。」



何だか、怖くなってきた。

それじゃ、本人が帰りたがっても予定の日までは帰してもらえないってことじゃん。


私はそんなことは望んでない。


しかし、私はケアマネージャーに押されるままに、
それでも日数を減らして3泊4日を受けることになった。



* * * * *



しばらくして、今度は宿泊施設(デイサービスと併設)の担当者から電話があった。
「施設利用の規定が変更になったので、新しいものを後ほどお届けします」


5時過ぎに書類を持って来たので、
ショートステイを利用するにあたって、いくつかの質問をしてみた。

夜中のセキについては・・・

「今回は初めての利用だと言うことで個室を用意しましたから、
 他の方に迷惑がかかるとかと言った心配はありません。
 ご自宅では、そういった時に何か対処をしていますか?」

「寝る前に水筒と飴を用意しています。」

「それでしたら、当日もそのように準備いたします。」

夜中に目が覚めて、場所が違うことに対して混乱するのでは・・・

「○○さんぐらいの方は多いですが、それほど心配ないと思いますよ。」

ショートステイから戻って、家や家族がわからなくなったら、と心配なのですが・・・

「それは・・・大丈夫だと思いますけどねぇ・・・」

玄関脇のトイレから出てきた母も、内容は理解していなかったが、そばにいた。
以前に撮ったツーショットで顔を覚えていた母は、
「あら、いらっしゃい。また遊びに来てね〜」とにこやかに微笑んだ。

「いや、今度は○○さんが泊まりに来てください」

「何しに行くの?」

「お風呂に入ったり、ゲームをしたり、みんなでお話しをして。」

「あらそう、いいわね〜」


でも私は、どこかで否定的だった。



 * * * * *



私は広告の裏に「26(月)〜29(木)3泊4日でお泊りで○×△に行きます」と書いて、
母の部屋の壁に貼った。


母は、ベッドに座って何度もそれを読み、
「ねぇ〜『3泊4日でお泊りに行く』って書いてあるけど、何しに行くの?」と聞いてきた。

「みんなでご飯食べたりゲームをやったり、お話しをしたり。旅行みたいなもんだよ。」

「ふ〜ん・・・」



しばらくすると、また聞いてきた。

「ねぇ、3泊4日でお泊りだってけど、何しに行くの?」

「ご飯食べて、ゲームして」 ってか、それ以外に説明のしようがない。



レフティーともいろいろ話した。


途中で、戴き物のお菓子と麦茶を置きに行くと、母がトイレから出てきたが、
汚したワケでもないのにズロースとズボンを脱いで、オムツだけになっていた。

「なんで脱いだの? 濡れちゃったの?」

「さぁ、何だかわかんないけど、
 3泊4日でお泊りだって言うんで頭が一杯になってて・・・」と、そう言った。

私はあわててズボンをはかせ、気をそらすように和菓子を与えた。

そして、先ほど書いたお泊りのメモをはがして来た。

ところが・・・

レフティーと絹江と相談していたところへ、母がやってきて、
「カレンダーに「3泊4日でお泊り」って書いてあるんだけど、何しに行くの?」

しまった、月間カレンダーにも書いちゃったんだっけ。

で、即、撤去。

別のカレンダーに、
毎週のデイサービスと、検診と、昨日のお出掛けについてだけ記入して貼り替えた。



 * * * * *


私が思うに、これは立派な“拒否反応”だと思う。

例えば、これが知人との3泊4日の成田山への旅行というのであったなら、喜んでいただろう。

デイサービスの初回も、知らない人がお迎えに来て家族から離れ、
どこに連れて行かれるのか、何をするのかわからずに不安そうではあったが、
デイは『お昼を食べてお風呂に入ってゲームをする』のに相当する時間なのであったから、
帰宅した母は楽しそうだったし「また行きたい」と答えたし、
繰り返し利用することに何の抵抗もないのだが。

果たして今回も同じだろうか?
「行ってみたら楽しかった」と言うだろうか?

入院や旅行とは違って、施設に連泊するのに納得できる理由が見つからない。
母がいくら考えても、根拠たるものが見つからないので混乱している。

老人施設への入居で良く言われるのは
「私は家族に見捨てられてしまったのではないだろうか?」との不安を抱くこと。

私たちは、この狭い我が家の中で、扉と言うものを取り去っているので、
ベッドから呼べば、いつでも家族が飛んで来るし、
母が数歩歩きさえすれば、どこで誰が何をしていると言うのが即座に見える状況にある。

おそらく、母はこんな環境の中で安心しきって過ごしている。


私たちは、母を不安にさせてまでどこかに出かけたいとは思っていないのだ。

帰りたいのに帰してもらえないような環境は、母にどんな影響を与えるだろう。
どんなに施設の人が親切にしてくれても、それは家族ではない。

『個室にポータブルを置けばトイレを探すことはない』のは確かだけど、
「ここはどこ? 私はなぜここに来ているの?」という不安に対して、
どこまでフォローができるのか。

母の頭は、すでに境界線上にあるのであって、
いつ何がきっかけでガタガタっと崩れてしまうか、わからない。

一度崩れたものは、元に戻すことはできないだろう。

去年の入院中に、ボケたおばあさんと同室になったことがあった。
私はとても心配した。
その方には申し訳ないけど、
一日中一緒に過ごす母が影響を受けて同じようになってしまったらどうしよう、と。
「私は、まだここにいてもいいですか?」とか、
「2階の雨戸を閉めてきていただけますか?」とか、
レフティーの仕事が終わるまでの2時間近くいるだけで、私も非常に疲れた。
その方が昼夜を問わずに「娘に電話をかけて欲しい」とか、
意味のわからないことばかりを話しかけてくるので、母も眠れず、
数日後に部屋を変えてもらったのだった。


ショートステイに出されたことで
「見捨てられた、邪魔者扱いされた」と思い込んでしまうかも知れない。
かつてあれほどの被害妄想があった人である。
現在の安心や信用が崩れ去り、暴力的になったり悲観的になったりはしないだろうか?

我が家にとっては、
1泊2日の家族旅行よりも、3泊4日の後の母の精神状態の方が重要なのだ。


明日、電話をしてショートステイを辞めることにする。


2002年08月22日(木) 検診日を忘れていた 堯福陰Α院叩叩

今日が検診日だと言うのをすっかり忘れていた。堯福陰Α院叩叩

整形は8:30、内科は10:30の予約なのに、気付いたら既に1時を回っていた(^_^;)

すぐに病院に電話をすると、
内科の看護婦が「4時までですから、あわてないで来てください」と言った。

2時頃、タクシーを呼んで出掛けた。

病院の玄関で母の知り合いに会ったが、
お互いに「どっかで見たことがあるけど」状態・・・(^_^;)
しばらく話していて、やっと以前に住んでいたアパートのご近所さんだとわかった。
そこで恒例の“ツーショット”撮影。

ロビーも、外来も空いていた。
そのワリには待たされた。┐(  ̄〜 ̄)┌

酸素濃度は93%。
「良くなってますよ。
 前だったら、この数値ではとっくに入院してましたからね。」

発作的な激しいセキと肋骨の下の痛みについて報告したが、
今回は初めて「折れているのかも知れませんんね。」とコメントした。
「これ以上、ステロイドは減らせないでしょうね。しばらくはこのままで行きましょう。」

2週間後が非常に混んでいるとのことで、3週間後の予約になった。


2002年08月20日(火) 明日、訪問調査

介護保険の再申請に伴う訪問調査が明日に決まった。

うちが現在利用しているところとは別の、老人介護施設の担当者が来ることになっている。

今月6日に、市役所に医師の意見書を添えて申請書を提出した。
そして明日の訪問調査。
おそらく月末の木曜の認定会議にかけて新しい介護度が決定するのだろう。

そうだ。
家族構成や、入退院の記録や服用中の薬、問題行動などを事前に準備しておこう。
聞きながら書き取るのでは時間がかかるので、
わかりきったことについては文書を作って渡すだけにすれば良い。
それよりも、母とたくさん話して現状の把握をしていただきたい。



* * * * *



そう言えば、今日、ふと気付いた。

母は最近、「お風呂に行きたいね〜」と言わなくなった。

確かに、毎週土曜日のデイサービスが始まったのだけれど、
帰宅してしばらくすれば忘れてしまう人である。
デイサービスに満足しているからだとか、デイサービスまで我慢をしているとは思えない。

以前は、暇を持て余すと「お風呂に行きたい」と言い出したのだが、
母はもう、。ただ寝ているだけの生活に、すっかり慣れてしまったのではないだろうか。

私が、暑いだの、だるいのを理由に、
毎日外へ連れ出すのをサボっていたからなのか・・・

こちらが用意しなければ、ご飯を食べることも忘れている。
前は、そうではなかった。
「朝ご飯は何?」と聞いてきていた。


2002年08月18日(日) 指示待ち、待機中。

日記を書き始めると、毎日同じようなことを書いていることに気付く。
遡って読んでみると、数日前に書いたばかりなので消去する・・・


私の時間はいつも細切れ。


薬を飲むこと、着替えをすること、お風呂に入ること、片付けをすること・・・

母の自発的行動は少なく、こちらが指示を出さなければじっとしている。


* * * * *


私が 「顔を洗って」 と言う。

寝ていた母が自力で起き上がるまでには時間がかかるので、
私がその場を離れてしまうと、起き上がった時点で動作が終了してしまう。

動作が遅いことがわかっているので、私も寛容に家事などをして待っているが、
あまりに遅いので見に行くと、ただじっとベッドに座っているだけ。

また 「はい、顔を洗って」 と言う。

すると今度は“トイレに入ってから顔を洗いに行こう”と思うらしいのだが、
これまた動作が遅くてトイレに10分ほどかかっているうちに、
顔を洗うことなどすっかり忘れて、そのまま部屋に戻ってしまう。

私はまた“あれ?まだトイレかな?”と見に行くことになる。

「あ〜もう、だから、顔を洗ってって言ってんじゃん! ┐(  ̄〜 ̄)┌ 」

こんなふうに母のすべての動作に対して、私は何度も同じことを言い、
結果の確認をしなくてはならない。

そうやって、やっと顔を洗ったかと思えば、前夜から洗浄液につけた入れ歯はそのまま。

「あ〜、なんで顔を洗った時に一緒に歯もやらないかなぁ? ┐(  ̄〜 ̄)┌ 」

頭が普通なら、そんなことは言わなくてもわかるのに・・・と思ってイライラする。


* * * * *


食事に時間がかかることは承知している。

キッチンの前の居間にいる私は “まだ食べ終わらないのだろう” と思っている。
ところが、ずいぶんな時間が経過してハッとして様子を見に行くと、
ご飯を食べ終わったら片付けもせずにベッドに横になり、既にうとうとし始めている。

食事と一緒に渡した薬も飲んでいない。


* * * * *


今日は雨でもあって、連日の猛暑から比べると気温が下がっていた。
窓を開けていると、半袖では冷えるかなぐらいに思った。

お風呂から出てしばらくが経過、私はテレビを見ていた。

そこへ絹江が 「おばーちゃん、もう寝てるよ、しかも反対向きで」 と言うので、
おむつをつけているかどうかの確認をしなくては、と見に行くと、堯福陰Α院叩叩
おむつだけつけて、これまた上半身裸で、
ベッドの頭の向きが逆で、脱いで湿ったままのバスローブを体の下に敷いて寝ていた。

「ちょっとぉ、何やってんの! 今日は肌寒いんだよ? そんな格好で・・・」

シャツとパジャマを用意して 「はい、これを着て」 と言い、
動作が開始されたのを確認してからその場を離れ、
数分後にまたチェックに言ってみると・・・

パジャマの上を着ないで、タオルケットで寝ていた。

「今日は肌寒いから、ちゃんとパジャマを着て。
 タオルケットじゃなくてこっちのお布団にしよう。」

自分でやらせるにはもう限界なんですかね? 私が着替えさせてあげればいい?


* * * * *


広いリビングと言うのが欲しい。

良くチラシで見るような、LDつながりの和室があればなお良い。

母の動きが目に入るけど、家族にとって負担がかからないような・・・

四六時中、目の前のダイニングテーブルに座らせておくのでは私も気が散る。

しかし最近は、目が届かないことでのデメリット(何度もチェックに行く負担など)の方が
大きいような気がして、椅子に座らせていることが多い。

でも、その椅子に座らせていると、洗濯物を干しに出る掃き出し窓をつぶしてしまう。

畳に座らせれば、それこそ、私の動く場所がなくなる。


* * * * *


自分でやらせること、こちらがやってあげること。

目の届くところにいさせること、自分の時間を確保すること。

どうすりゃいいんですかね〜 ヽ( ′ー`)ノ


2002年08月16日(金) まぁ、仕方ないけど・・・

今日は絹江がレフティーの実家から戻ってくる。

先ほどメールが入って、順調に乗り継げば2時半にこちらにつく予定。

そこで「2時過ぎたら絹江を迎えに行きます」と書いて渡したら、

「絹江? どこかに出掛けてるの?」と聞いてきた。堯福陰Α院叩叩

絹江のいない生活4日目なんですけど・・・(-_-;)


2002年08月15日(木) セキ

昨夜も、寝ようとしたら母のセキが始まった。

「コンコン」なんてもんじゃない、「ウェホン!ヴェホン!ウェ〜ッホン!」

風邪に非ず。

一旦、発作が始まると長い・・・

以下省略。 過去参照。


そして今朝もまた、セキで起こされた。





母が朝食を自分の部屋に運んで行ってから、それなりの時間が経過したので
「朝ご飯、もう終わった頃かな?」 と見に行ったら、
なんと畳に座り込んで右の肋骨下を押さえていた。

堯福陰Α院叩叩

まだ ご飯も手付かずだった。

「ここが・・・ここが痛いの・・・いっ・・・痛い」

この間とは違う場所のようだ。

しかし痛いとは言っても、主治医に聞いても特に検査も処置もないのだし、
様子を見るしかない。

あまりにもひどければ、
今日なら木曜日で主治医がいる日なので病院に連れて行くのだけど、
大抵は数十分のうちに落ち着いて来るのだ。


体を支えながら起こし、ベッドに座らせて横になるように言ったが、
痛くて自力では体を倒せないようだったので、電動でベッドを起こして寄り掛からせた。

ベッドを倒そうとしてスイッチを入れたが、傾き始めるととても痛がるので、
そのまま、しばらくはもたれていることにした。

その後見に行った時にはベッドは水平に倒されており、寝ているらしかった。

お昼前には、先ほどの朝食をすっかり食べ終わっていたので、ホッとした。


2002年08月14日(水) 全裸で?

昼間、あまりにも暑いので、行水気分で母にもお風呂に入るように勧めている。

今日も暑くて散歩どころではなく、とくにやることもないので、お風呂を勧めた。

「はい、補聴器はずして〜」

「汗を流す程度に、サッとね〜」

母がお風呂に入っている間に、ベッドの上には着替えのシャツとおむつを出しておいた。



「はい、拭かなくて良いからバスローブ着て〜」



その後、放置した私も悪いのだけどね・・・



30分ほどして見に行ったら、なんと素っ裸で寝ていた!! 堯福陰Α院叩叩

おむつはどうしたぁ?

「だって、暑いんだもん」 確かにおむつも蒸れて暑いと思うけど。

そりゃ、私も暑くてだらしないカッコしてるけど、いくらなんでも素っ裸で寝ているなんて・・・


2002年08月10日(土) 痴呆加速・・・

今朝起きてすぐに母の部屋をのぞくと、母はまだベッドに寝ていたが、
ふと見ると、テーブルには朝食のパンとバナナとトマトが載っていた。
でもまだ一口も食べた様子はない。
準備だけして、寝てしまったようだった。┐(  ̄〜 ̄)┌

毎週土曜日はデイサービスの日なので、
昨夜は寝る前にテーブルにメモと、お迎えのマイクロバスの写真を置いておいた。
「毎週土曜日はデイサービスの日です。8時半にお迎えが来ます。」
母はそれを読んで早めに準備をしたつもりなのだろうけど、
本人は既に忘れているらしかった。

取り敢えずは起こして、食べるように言った。

ところが30分ほど経って見に行くと、
食べかけのまま、また寝ていた。堯福陰Α院叩叩
「早く食べないと、お迎えの車が来ちゃうでしょう?」と言うと、
「どこへ行くの? 何しに行くの?」と言う始末。

ここでまた『首掛け』の登場。
大きな札にデイサービス云々と書いたものを首から下げて、
必要な時に見ることができるようにしてあげる。



母は右の肋骨の下がたびたび痛むらしく、
座っているのに疲れるとすぐに横になってしまう。
横になればすぐにウトウトし、目が開けば、カーテンをめくり外の景色を眺めている。

用がなければ寝ているということが多い。

朝、顔を洗って着替え終わるとまた横になってしまい、次に起こしに行くと
「あら? もうこんな時間?」と、今初めて起きたようなことを言う。
そのため、家族に「おはよう」と挨拶をしても、数分後に顔を合わせると
再び「おはよう」という。(^_^;)

レフティーが夜、仕事から帰宅すると「お帰りなさい」と言うが、
「あらレフティーさん、こんばんは」などと言うこともある。


居間に連れてきてテレビを見せたりもするのだけど、
ただ「私はこの俳優さんが好き」だとか、
ニュースの一部を聞いて「怖いねぇ」などと少しのコメントをする程度で、
ドラマなどを見ていて、たまに笑ったりすることがあっても、
ストーリーまではとても把握できていないようだ。

絵本を読むように言っても、ただめくるだけで、
文字を追ってはいても、物語として“読む”ことはできないので、
すぐに飽きてしまい、いつの間にかまたベッドに寝ている。



トイレで汚れたおむつを脱げば、その場でズロースだけ履いて、
部屋に戻ってもおむつを履くことをすっかり忘れている。

家族がトイレに入った時に、おむつが置き放しになっているのを見て、
「ば〜ちゃん、おむつ、新しいの履いているかな?」とチェックをする。

それはお風呂でも同じで、
脱衣場におむつが置き放しになっていて、母をチェックすると、
おむつどころかズロースも履かずに、いきなりパジャマのズボンだったりする。


汗をかいて脱いだものをベッドの柵に引っ掛ける。
夕方、取り込んだ洗濯物をたたむように言うと、自分の物はベッドの柵に引っ掛ける。
つまり、ベッドの柵にはキレイなんだか汚いんだかわからないものが、何枚か引っかかっている。
靴下は、脱いだものも洗濯が終わったものも、ベッドの足元にある。
それぞれ、洗濯をした私が選り分けて引き出しにしまったり洗濯に出したり・・・



会話の8割は無効。
そのうちの半分は補聴器をしていないために、通じていないもの。
残りは、言ったそばから忘れてしまうというもの。
そのため、家族は何度も何度も同じことを言わなくてはならない。
だから、何でも書いて渡すことが多い。



また、暑い寒いの感覚が鈍くなり、夕方早々に窓を閉め切ってみたり、
お風呂の温度を上げたり、ゆっくり浸かって出てきて、湯上りにまた汗をかいたりしている。


してはイケないこと、しなくてはならないことがあるが、
母は寝たきりではないので、私も付きっきりでもなく、
その中途半端が非常に大変だったりする。

『何もやらなくていいから寝てろ』という方がはるかに簡単なようだけど・・・
家族が手を出すことが多くなれば、
ますます自分でやらなくなるだろうし、考えなくなるだろう。
痴呆を進めてしまうのは『何でもやってしまう周りの環境』だと言うね。

何だかまとまらない今日の日記・・・


2002年08月08日(木) だからぁ。

今日はレフティーが仕事だからタクシーで。

整形と内科で3時間・・・

疲れた。



帰宅直後、テーブルの上のメモを見て母が一言。

「あれ? 『本日検診』って書いてある」

だからぁ。

今行って帰って来たところじゃん。 ┐(  ̄〜 ̄)┌



* * * * *



今朝は、母のセキがひどくて起こされた。

前にも書いたことだけど。

「起こされた」と書く私は、ひどい娘なのかも知れないけど、
実際に、毎朝毎朝、深い眠りから呼び起こされるのは、たまらないわけです。
万年睡眠不足と言うか、睡眠不満足と言うか。

コンコンコンコンコン・・・コンコンコンコンコン・・・コンコンコンコンコン

ん〜 ?

あぁ、またセキが出ているな・・・

まだ止まらないのか・・・

お茶を飲めよ〜 

そばに置いてあるだろ〜 

飴も置いてあるだろ〜 

止める方法を考えろよ〜

自分だって辛いだろ〜

胸にも負担がかかるだろ〜



このあたりでセキが止まれば、そのまままた眠れるのだが、止まらない場合には・・・



・・・だからぁ!!!

お茶を飲めって言ってんだよ。

うるさくって眠れないんだってば。



と、キレて起き出し、隣の部屋に抗議に行くわけです。

しかし、まだ補聴器をしていない母には通じないので、

強制的に、お茶を飲ませたり、飴をなめさせます。



これって虐待ですか?

だけど、自宅介護は決して絵に描いたようには行かないものなのです・・・



セキが止まったかと思えば、

んんっ・・・ んんっ・・・ んんっ・・・ んんっ・・・ と咳払いが続くのです。


2002年08月07日(水) また痩せた・・・

今日、スパに行った時に体重を計ったら、母は48kgに満たなかった。

また痩せた。


4/22  53kg

7/ 6  49kg

8/ 7  48kg


3ヶ月で5kg ・・・

母が痴呆で助かる。
自分の体重を計るたびに覚えていたら、この減り方を見て不安になるに違いない。


元々、47kgだったのが、入院後に54kgにまで増えたのだった。

プレドニンによる Moon Face はすっかり元に戻った。

この数ヶ月の減り方は・・・大丈夫なんだろうか。

特に食べられないというわけではないのだが・・・

最近、右の肋骨の下あたりが痛いと言うことが多いが、主治医が木曜にしかいないので、
マジックでマークをつけて様子を見ながらも今日まで来た。



明日は検診。


2002年08月06日(火) 介護保険再申請

2日(金)の夕方、
「“介護保険再申請のための医師の意見書”と“簡易保険請求のための診断書”が
 できあがりました」と病院から電話があった。
前日ならレフティーが休暇だったから取りに行けたのに・・・(-_-;)

先月末、ケアマネージャーに『更新が間に合わない』と言われた私は、
前回の検診(7/25)で、主治医に
「できれば今月中に書いていただきたい」とお願いをしたところ、
「それなら29日に」と言っていただいたのだが、ご多忙のようで
結局、月末までにいただくことはできなかった。

市役所では期限(8/31)までに申請書を提出すれば良いと言われたので、
病院から電話が来るのを待っていたところだった。



今日はレフティーが休暇だったので、それを取りに行って来た。


“意見書”は大きな封筒(A4?)で『開封厳禁』と書いてある。
“診断書”には5250円の手数料がかかる。
こちらは封がしていないので読むことができる。
しかし・・・読めない字なんだな、これが(^_^;)


郵便局に行って、保険金の請求をしようと書類を提出したら、
「ご本人さんは今日はいらっしゃいますか?」と聞かれ、
「車の中にいます」と言うと、
「では、書いていただく書類がありますので」と連れてくるように言われた。
車椅子だし、駐車場からはスロープが反対側だし・・・と思いながらも、
本人確認もあるだろうからと連れて来た。
すると今度は「取り扱い局が違うので」と、最初に契約をした局に行くようにと言われた。(-_-;)


先に市役所に行くことにした。

高齢者福祉課にて、申請書と意見書を提出。
介護保険証に有効期間延長のスタンプを押してくれて、手続きは終了。

いや、こんなに早く終わるのだったら、母を車から降ろさなくても良かったのに。
レフティーは、おかげで汗だく。
母にとってもワゴンに乗ったり降りたりは当然負担だと思うけど・・・



日用品雑貨の買い物をしてから、
窓口が閉まってしまう4時前に、郵便局に行かなくては・・・

郵便局では、本来は本人が記入するべき書類もすべて私が代行してOKだった。
母にこれだけの枚数の書類を書かせるのは大変だけど“いいのかな”って気もする。
うちの銀行だったらこうはいかないな。
本人の筆跡、本人の意思の確認。どんなに顔見知りでも、それは必ず。



その後、食料品の買い出しに。

半日が用事で終わってしまった。δ(⌒〜⌒ι)

お疲れ、レフティー。
お疲れ、ば〜ちゃん。
お疲れ、私。

帰宅後は、ハーゲンダッツのキャラメル(ドルセデレチェ)とシュークリームを食べて、
速攻寝。

暑くて起きたら、夕飯の支度をレフティーと絹江が楽しそうにやっていた。
ば〜ちゃんはベッドでゴロゴロ。

今夜は冷やし中華。 と言っても、私だけは冷麺♪


2002年08月05日(月) 今月の予定・・・は未定。

夕方、ケアマネージャーが今月分の『サービス利用票』を持って来た。

普通の日記“Diary”に書いたけど、
今月、私がもしシェラトンの一日社長に選ばれていたら、
家族も同じ2泊3日で部屋を取り、ディズニーシーに行こうかなんて考えていた。

ケアマネージャーからは
「お嬢さん(絹江)にとっても、
 お母さん(ば〜ちゃん)に気を使わないで楽しむ時間というのも必要なんじゃないですか?
 早めに言っていただければ、ショートステイを入れますから」 と言われていたが、
一日社長は落選、その必要はなくなったので、今月の予定は取り敢えずデイサービスのみ。

レフティーも連休が取れないみたいだし、
母の体調は変化するものだし、そうそう簡単にお泊りの予定を組むことはできない・・・


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