Mother (介護日記)
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2002年07月31日(水) 車椅子担いで電車で外出、第2弾。

昨夜はこの上なく暑くて、ほとんど眠れなかった〜当然、寝不足(-_-;)

それなのに、今日は絹江が肌着を買いに行きたいと言うので、
しかも、この灼熱地獄の中、出かけることに・・・

心配しながらば〜ちゃんを置いていくよりも、お散歩がてら連れて行っちゃえ。
↑これがケアマネージャーに注意される原因なのかも知れないけど。

一駅。到着ホームは幸いにも階段を使わずに改札に出ることができたのでラッキーだった。
この駅の改札は、一箇所だけ幅の広いところがあって、車椅子に乗ったまま通過できた。

* * * * *

デパートのようなスーパーは、古い建物でエレベータがなく、通路も狭い。
ば〜ちゃんは手すりにつかまって階段を昇り、私が荷物を持ち、絹江が車椅子を担いだ。
肌着売り場が2階で助かった。(^_^;)

こまめに移動しながらも、ば〜ちゃんには広い通路で待っててもらって、
絹江と一緒に見て回った。
私も欲しいと思ったデザインのセットがあったけど、今日は残念ながら持ち合わせがなくて。

* * * * *

本来は障害者手帳を提示すると電車賃が割引になるんだけど、今日は持ってくるのを忘れた。
ま、車椅子で電車に乗るのは、まだ2回目だし、そういうことに慣れてないので、
つい、いつもと同じように券売機で買ってしまう。

行きに通れた広い改札は、帰りには鎖が掛かっていたが、
駅員が気付いてすぐに開けてくれた。

そして、すぐにまた別の駅員が寄ってきて
「お客様、どちらまで行かれますか?」と聞いた。

「2番線の、48分発です。」と言うと、
「それでは、階段の前でお待ちください」と言って、一足先に階段を降りていった。

駅員は、階段下にある車椅子用のリフトのカバーをはずして電動スイッチを入れ、
私たちがいる、階段の上まで運んできた。

    この間に、絹江に氷イチゴを買わせていた(笑)
    ば〜ちゃんが食べたいっていつも行ってたからね。
    近所にかき氷をやってるお店があるもので、通る度に言われてた。

あぁ、これこれ。
あるのはわかっていたけど、ふむふむ、こうなっているんだ。
母は、車椅子のまま前進しリフトに乗った。
このリフト、「JDエスカル」というらしい。
リフトを操作しながら、リフトと一緒に駅員が階段を降りて行く。
そして今度は反対側からまた前進してリフトを降りた。
お礼を言ったが、駅員はまた車椅子を押して地下通路を進んでいく。
あ、こっちにもリフトが付いていたんだ。
再び、母はリフトに乗り込み、階段を昇って行った。

またひとつ、新しい体験をした。

電車の中で、さっきのかき氷を3人で食べた(笑)

* * * * *

電車を降りると、
ヤンキーの男性2人、女性1人、ベビーカー2台が、階段下に立ち止まっていて、
「手伝いましょうか?」と声を掛けてくれた。

いやいや、そちらこそ大変なのでは・・・(^_^;)

「大丈夫ですよ、娘がいますから(^▽^) それに母は少しなら歩けるんです」

ヤンキーの男性二人は、それぞれ子供を乗せたままのベビーカーを担いで、
陸橋を渡った。

こんな状況でもなかったら、この人たちと話をする機会はなかっただろう。
良く言われることだけど
“障害者になったからこそ触れることのできる人情”ってやっぱ、あると思う。

母は手すりにつかまって、階段を昇って降りた。
絹江はここでも車椅子を担いでくれた。
暴言が多いんだけど、愛情もたっぷりあるらしい(^_^;)


2002年07月26日(金) 市役所高齢者福祉課にて

一昨日の日記に書いたが、介護保険の期限が8月末に迫り、
このままでは全額自己負担になるとケアマネージャーに脅かされたため、
今日は市役所に寄って来た。



まずその前に。

病院での検診の際、受付窓口に介護保険再申請にかかる「医師の意見書」の作成を申し込み、
診察時には、主治医にも直接お願いをして来た。
ダメ元で「有効期限が迫っているのでできれば今月中に書いていただきたい」と。
すると主治医は「29日に書いて、受付に預けておきます」と快く受けてくれた。
29日はちょうどレフティーの休暇なので、
出来上がった意見書を取りに行って、そのまま市役所に回って申請することができそうだ。



市役所高齢者福祉課。

「介護保険の更新手続きが間に合いそうにない」と相談に行った。

すると・・・

 * 申請の手続きは8月31日までに市役所に提出すれば良い。

 * 再認定の結果が出る日が9月1日を超えても、認定後の介護度に変わりがなければ
   そのまま9月1日に遡って継続扱いとなるので問題はない。

 * もし、認定後の介護度が、現在のものよりも低くなった場合は、
   今までよりも利用できる金額が減ってしまうので、
   限度額目一杯のサービスを利用している人は、
   差額分の自己負担が発生する場合がある。

 * 母の場合は、現状が「介護度1」であるが、
   これが再認定後に「要支援」に下がった場合は、利用限度額が10万円程度低くなる。
   しかし、現在実際に利用しているサービスは「要支援」となっても
   充分にまかなえる範囲であるから心配ないと思われる。
   
 * 万一、介護度が2段階下がって「自立」となった場合には、
   9月以降の利用料については、介護保険の適用にならないので全額負担となる。


この説明によれば、特別心配することはなさそうで、取り敢えずはホッとした。


ただし、ケアマネージャーにとっては、
有効期限後の新しい介護度が事前にわかっていないと、
事務上、不便であるらしいとのことだった。

なぁんだ、ケアマネの都合によるところが大きいのだとしたら、なおさら、
自ら利用者に対して更新手続きを促すべきであろう。




ついでにケアマネについて気になっていたことを話してきた。

私は用意周到に、不満を箇条書きにしたものを持参していた(笑)

一昨日の日記の「介護認定再申請にかかる不手際」についてと、
元看護婦としての医学的知識が、
実際には患者や家族の不安をあおっているという現状について。(7月5日と、6日の日記参照)

若い女性職員の話では
“ケアマネが医学的なことを話す”と言うのは、聞いたことがあるとのこと。
それが私の担当のケアマネのことなのか、
ケアマネ全体の傾向なのかは追求しなかったけれど。

取り敢えず、言いたいことをすべて言ってすっきりした。



あちこち買い物をして夕方帰宅すると、市役所から電話がかかって来た。
年配の女性職員だった。

「今日の“ケアマネージャーについて”という書面は、
“苦情”として受け取ってよろしいのでしょうか?
 こちらから、お相手のケアマネージャーさんにお話をした方が良いでしょうか?」


ご存知の通り、うちは、いろいろあってケアマネを変えたばかりなので、
ここでまた何かを言えば『誰がやっても文句ばかり』というレッテルを貼られてしまう。
他人とのことだから、いろいろあるということも理解しなくてはならないので、
今回のことは相手に言わないでおいた方が良いと思う。
ただし、現場ではこういう事実があるということを把握しておいてもらい、
今後、市役所としてケアマネージャーを指導する機会があれば、
うちの担当のIさんに限らず全員に対して、苦情事例として伝えて欲しい。

・・・と、そう言った。


2002年07月25日(木) 病院にて

今日は母の検診の日。

レフティーが休暇なので、車がある。
絹江も夏休みなので、ついでにガングリオンを抜いてもらおうかと思っていた。
ところが再診受付で「今日は整形は休診です」と言われた。

ちょっと待って。
絹江は急ぎじゃないから今日じゃなくてもいいけど、ば〜ちゃんが困る。



整形外科では、
『毎週木曜日は手術日だから8時半までに来てください』と言われているが、
予約になっているにもかかわらず、実際には主治医に会えず、
看護婦が注射をして、飲み薬をもらって帰るだけのことが多い。

主治医の診察が受けられないのであれば、こちらもそんな早い時間から行きたくない。
そもそも内科の場合、11時の予約であっても終わるのは12時半頃になってしまうので
8時半の整形に間に合うように来ると、二つの科で4時間近くかかってしまい、
それが大きな負担になっているのである。

そうかと言って、整形と内科とを別の日にするのも大変だ。
遠いし、疲れるし、タクシー代もかかる。
まぁ、このあたりは、こちらの勝手な言い分かも知れないけど、
せっかくの総合病院なのだから、融通を利かせてもらいたいと思う。



母がこの総合病院の整形外科に掛かるのは、3月の胸椎圧迫骨折以来で、
骨粗鬆症の進行を遅らせる意味で継続的な治療なのであるから、
とにかく、どの看護婦でも良いから注射をしてもらって、
どの先生でも良いから毎回同じ処方箋を書いてもらえれば、
特に母に変わったことでもなければ、それで良い。

しかし前回
主治医の診察を受けず看護婦に注射をしてもらったまでは良かったが、
処方箋が出ていなかった。

そのため、指定の薬局に薬を取りに行った時、
「今回はフォサマックが出ていませんね」と指摘された。
「骨粗鬆症の治療など継続的に服用すべき薬を切らすのは良いことでありません」と。さらには、
「○○病院の××先生は大変お忙しいようで、
 他の患者さんも必要な薬が処方されていなかったりということが度々あって、
 その苦情がうちに来るので困るのです」と聞いた。
 
素人の私が考えるように、
『この患者が来たら、この注射をして、この薬を出す』と言うような
“主治医が先々の投薬についてカルテに指示を書き込んでおくこと”は
できないらしいのだが、注射を指示した当日の医師はカルテを見た時に、
毎回フォサマックが処方されていることに気付かなかったのだろうか?
フォサマックは鎮痛剤の類じゃないのだから、毎回必ず出すべき薬ではないのか?



今日は、こちらの不満、希望、疑問に思っていることを思い切って全部話してきた。

すると、受付の男性職員は整形外科の看護婦と連絡を取って、
二人そろって私たちが待っているソファまで説明にやって来た。


今日は整形休診とは言え「他に医師がいるので」と言うことで、
注射をしてもらい、処方箋を出してもらうことができた。
また内科に合わせて、2週に1度2回分の予約を入れておいてもらった。

予約を入れることで、8時半までに行かなくても整形にカルテが回るので、
主治医が手術に入る前に、投薬について他の医師に引き継ぐことができるので
内科の時間に合わせて来れば良いと言うことになった。

しかし毎回、処方箋を書いてくれたか、次回の予約が入っているかを
自分でしっかり確認する必要がある。


2002年07月24日(水) 「介護認定の再申請」にかかる不手際

今朝ケアマネージャーから電話があった。

「先日のデイサービス、いかがでしたか?」

デイサービス初日はケアマネージャーのIさんがいなかったので、
感想を聞きたかったようだ。

母が喜んで帰ってきたこと、
だけど、何を食べたのか何をしたのか覚えていなかったこと、
入浴後、肌着シャツと靴下が、他の人のものであったことを報告した。




続いて『介護保険の再申請』についての話になった。

義姉からは
「アリュールちゃんちは介護保険の有効期限が8月末だから、
 早くケアマネージャーに更新手続きをしてもらわないと」と言われていた。

市役所からは、すでに私の手元に申請書が来ていた。
申請書には、提出代行者(ケアマネージャー)の印を押すところもあったので
先日、施設担当のMさんと、デイサービス開始について電話で話したついでにうかがったところ
「そのまま持っていれば良い」とのことだった。


しかし・・・


「今から再申請の手続きをしたのでは、
 8月末の有効期限までの更新にはとても間に合いませんよ」と言われた。


ケアマネージャーとの契約書には、
“再申請の手続きについては、期限内に完了するように必要な援助を行います”と、
書いてある。


「確かに(契約書では)そのように謳ってはいますけど、
 うちが抱えている50人全員の申請代行をすることはとても無理なので、
 一人暮らしの方や、どうしても時間がないと言う方だけで、
 通常はご自身でやっていただいてます」


はぁ? それならそれで、せめて最初にそう言ってよ。
それが契約書で言う“必要な援助”であり適切なアドバイスでしょう?

私も呑気に構えていて悪かったので、
今回は100%大声で相手を責めるつもりはないけれど・・・




介護保険は、6ヶ月ごとに介護度を見直すことになっていて、
その度に、主治医の診察と『意見書』が必要であり、
意見書をもらうまでにはある程度の日数(7〜10日)がかかる。
おまけに母の定期健診は2週に一度。
しかも、今回に限っては主治医の都合で3週間空いた。

明日の検診で、主治医にその場で“意見書”を書いてもらえるかどうか、
病院に電話で問い合わせてみたが、受付の話では、どうやら無理らしい。


意見書を添えて市役所に介護認定再申請をしても、
そこからまた、日程を調整して訪問調査、
その資料を基に週に一度開かれる認定会議を経て、
正式に介護度が出るまでには1ヶ月、
しかも、現状では2ヶ月近くかかっていると言うのである。

このままでは、有効期限の8月31日以降については、
新しい介護度が出るまでは介護保険が適用されないので、
デイサービスやベッドのレンタル料が、全額自己負担(介護保険なら1割)に。
つまり、毎月3千円程度で済むところが、3万円になるということだ。堯福陰Α院叩叩



先日20日、認定から4ヶ月でやっと、
デイサービスが利用できるようになったばかりだと言うのに・・・

介護度1の母の場合、毎月165,800円までを一割負担で利用できる権利があるのに
この3ヶ月間、ベッドのレンタル17500円分しか利用できなかった。
せっかく利用枠があっても、翌月に繰り越すことはできないし、
今までの分については、ケアマネージャーの怠慢で捨ててしまったことになる。
これを義姉は「もったいない」と言う。
義姉の自治体は、その点しっかりしていて、何事も俊敏に動いてくれるらしい。
認定から施設の利用開始までがとても早かった。


介護保険の有効期限については、
6月末、Iさんと介護支援事業者との契約を結んだ時にも、
7月に入って、Mさんと施設利用の契約を結んだ時にも、
どちらにも介護保険証を提示し、その場で確認しコピーまで取っているのだから
『その時に適切な指示が出ていれば』と思ってしまうのだが・・・


前のケアマネージャーの怠慢に始まって、
この数ヶ月、書類と電話と訪問に追い掛け回されていた。
こっちは初めてなんだし、ケアマネージャーは仕事なんだから、
期限管理ぐらいちゃんとやってくれよ、って思っちゃイケナイ?


おまけにレフティーにまで「お前も悪い」と怒られて。(-_-;)
『私任せにしないでよ』と、つまらぬケンカの種にもなって。

朝風呂にも入って、歌舞伎に出かけようと思っていたところに、
そんなことで、すっかり出鼻をくじかれてしまった。

こうなるともう、
「私の自由な時間が取れないのは、前の担当者にしろ、今度の担当者にしろ
“ケアマネージャー”がしっかり仕事をしないからだ」としか思えず。┐(  ̄〜 ̄)┌
「何のための契約書(再申請のための援助をすると謳った)なんだ?」とか、
「市役所は、いったい、どういう指導をしているんだ」とか、不満は果てしなく、
不都合はすべて他人のせいにしたくなる。 病気だな、私も(-_-;)。
でもこういうひとつひとつが私のストレスになっているのは間違いないだろう。



私がトロイと言えばそうなんだけど、
介護される人の平均が80代、介護する人が60代だとして、
みんなはこのような面倒な手続きに、積極的に行動できているのか疑問である。

介護保険が勇み足だったと思うのは、まず第一に施設と人が少ないこと、
次にケアマネージャーという資格に対しての教育指導が不十分であることだと思う。

ケアマネージャーに頼り過ぎてる私がイケナイのか?
でも、複雑なシステムだからこそ、導いてくれるためにいるのがケアマネじゃないの?
社長秘書や芸能界のマネージャーとは違うか。ヽ( ′ー`)ノ


2002年07月20日(土) はじめてのデイサービス

一般的には「デイサービス」だが、この施設では「通所リハビリ」と呼ぶらしい。
略して「通所」。

今日は、初めての通所となった。

私は昨日、深夜まで遊んで帰宅した後、今日の持ち物点検をしていた。

 ・通所リハビリ利用同意書
 ・介護保険証
 ・健康保険証
 ・老人医療受給者証
 ・健康手帳
 ・身体障害者手帳
 ・嗜好調査表
 ・着替え
 
「嗜好調査表」と言うのは、好き嫌いのほか、アレルギーがあるかとか、
普段、間食をしているかなどを記入するのだが、中でもおもしろいと思ったのは、
「施設で食べてみたいと思うものがあったら書いてください」という質問で、
私はなんと書けば良いのかわからずに空欄のままで提出してしまったが、
“お寿司”とか“ビーフシチュー”とか“アイスクリーム”とかって、
書いても良いものなんだろうか? 影で笑われそうだよねぇ?
せいぜい“ヨーグルト”とか“プリン”止まり?(^_^;)
ってか、ばーちゃんよりも、これは私の嗜好なんだけどさ。(爆)


* * * * *


今朝は7時過ぎに部屋に行くと、既にカーテンが開いてはいるものの、
いつものうたたね状態だったので、揺り起こして着替えるように言った。

壁に書いた張り紙を指して「今日はここに行くんだよ」と言って、
お迎えの時間8:45までに支度をしなくてはならないと説明をした。

簡単な朝食を摂り、身支度が一通り整ったところで、
「どこか、出掛けるの?」と聞いてくるんだから、まったくもう。ヽ( ′ー`)ノ

やっぱり、あれしかないな。「首からさげるカード」
『毎週土曜日は○○で昼食と入浴のサービスを受けます』と書いて首にかけてあげた。
それを何度読んでも「どこに行くの?」「何しに行くの?」と聞いてくる。
「ここに書いてあるから、忘れちゃったら、ここを見て。」

私が付いて行くわけではないから、お迎えの車に乗せられた後になって、
“どこに連れて行かれるんだろう?”と不安になってしまうよりは、
カードを見ながら何度でも確認できるほうが良いと思う。
もちろん、母が嫌がらないからできることではあるが。

少し早めに支度ができたので、手足の爪を切ってあげた。
使わないと爪は早く伸びるんだそうで、気付くとかなり長くなっている。

10分前、トイレに行くように言うと「出ない」と言ったが、
それでも「行っておいた方がいいから」と行かせると、ちゃんと出た。(^_^;)

もう来る頃だから、とショルダーバッグを背負わせて、外で待つように言った。
いつもの、道路脇のブロックに座って待っていると、まもなくワゴン車がやってきて、
運転手と若い女性が降りて来て、母の名前を確認し、挨拶を交わした。
母は、助手席に座ることになり、運転手に抱きかかえられて乗り込んだ。

後部には既に3人の女性が乗っていたが、母よりも歳が上のようで皆、白髪。
こちらが挨拶をしても帰って来なかった。
無表情と言うか何と言うか・・・意思の疎通が量れないほどボケちゃってるように見えた。

「よろしくお願いいたします」と手を振りお別れしたものの、
ワゴン車は次の利用者、うちの2件先のIさん宅にすぐに止まった。(笑)

Iさんは、私がバイトしていた美容室での先輩(かなり年下だけど)で、
脚の悪いお父さんがいて、ここに越して来た当時から、この施設の通所介護を受けている。
こんな至近距離で利用日が違っていたら、施設の人も送迎が大変だものね。
Iさん宅は、平日にもお迎えが来ているのを見たことがあるから、
週に2度の利用かも知れない。

母も慣れたら、週2回にしてもらえるとの話だったが、空きがあるならお願いしたい。

* * * * *

母のいない時間の過ごし方については、Diaryに書くとして。

3時半過ぎ、予定通りに帰宅。
「あぁ、楽しかったぁ♪ 送ってもらっちゃった」とご機嫌の母。
(送ってもらわなきゃ、一人で帰ってこれるようなところではない)

『連絡帳』ができた。これによって施設での母の様子を知ることができる。

「健康チェック・軽体操・入浴・昼食・リハビリ・
 レクリエーション(ジャンボカルタ)・茶話会を実施しました。
 初めての通所でお疲れになられたと思います。
 ご本人様は、お友達ができた、ととても楽しそうに過ごされていました。
 これからよろしくお願いいたします。
 保険証類、ありがとうございました。」

ベッドに腰掛けた母に「楽しかった?」と聞くと、
「うん、楽しかった♪」と元気に答えた。

しかし「何をやって来たの?」と聞いても、「お昼は何を食べたの?」と聞いても、
まったく思い出せなかった。

楽な服に着替えさせようとしたら、なんと、下着が母のではない。堯福陰Α院臓
名前、書いてないし。誰のだろう?
自分の下着を間違えるなんて・・・
家族の洗濯物をたたむ時、自分の物はちゃんと区別できているんだけどな。
どんな風に着替えをしたのか、母が状況を覚えているはずもなく・・・
施設の人が間違えたのかな?
きっと、施設の利用者のほとんどが、母のような感じなのだろうから、
他の人が間違えても無理はないのだが。

ありゃりゃ、靴下も!

『着替えには名前を』と注意書きがあったので、母のシャツとパンツには名前を書いたが、
靴下には書かなかった。ってか、どこに書いて良いかわからなかった。

もしかしてパンツも? あ、これは自分のね。(^_^)

本人は良しとしても、間違えた相手の家庭でも“あれ?”と思っているはずなので
すぐに施設に電話して、来週に持参する旨を伝えておいた。

紙おむつは2枚持たせたが、空になって帰ってきた。
「お漏らししちゃったの?」と聞いたが、「ううん、してないよ」と言う。
これも良くはわからない。
家で、今脱いだものと、着ようとするものとをごっちゃにしてしまうこともあるから。


* * * * *


お昼寝をする前に、日記を書くように言った。

一眠りしてしまった後では、記憶が飛んでしまうから、できるだけ早いほうが良い。

母はすっかり忘れているようだったので、連絡帳をヒントにして
「カルタをやったでしょう?」と聞くと、
「カルタ? あぁ、こぉんなに大きいの、ね。
 お手玉をその上に乗せて、たくさん乗せた方が勝ち・・・」(@_@;)

一緒に行かないので、私にはさっぱりわからない。
写真もないので、記憶を呼び戻すことが難しい。
今度、見学させてもらって、写真を撮らせてもらった方がいいかな?
(見学は自由)

施設のパンフレットを見せても、今、行って来た場所としての認識がない。
パンフレットと同じ場所に立たないと、自分が見たのと同じ景色には見えないからね。

ましてや、食堂の写真などは、テーブルや椅子が置いていない、空間としての写真だし、
和室も、畳だけで、みんながカルタをしている様子などがないので仕方がないけど。

浴室の写真を見せても、入浴したかどうか覚えていなかった。



でも、『楽しかった♪』という記憶だけが残っているのは、
今後の継続にとても大切なことだから、いつものように「ま、いいか」


2002年07月17日(水) デイサービスの開始決定

今日ケアマネージャーが来た。

今月分の「サービス利用表」に記載された計画についての確認。

本来は、前月末に本人と面接をした上で、
家族の希望も考慮して翌月の予定を立てることになっている。

今回から、これまでのレンタルベッドに加えて、
“通所リハビリ”と呼ばれるデイサービスが加わった。

通所リハビリの料金の中には、
施設までの送迎・昼食・おやつ・入浴介助(含石鹸等消耗品)も加算される。

ケアマネージャーが来た時点では、まだ喀痰検査の結果がわからなかったが、
夕方には病院の内科看護婦から連絡が来て
「デイサービスの利用には影響なし」とのことだったので、
正式に20日(土)からの利用開始が決まった。



しかし、ケアマネージャーのIさんの発言には、毎回引っかかる。


昨日、お祭りに連れて行ったことや、夏休みにどこかに連れて行きたいなどと話した時だった。

「間質性肺炎って言うのは治らないですからね。
 ご家族の“連れて行ってあげたい”と言う気持ちは良くわかるんですけど
 果たしてそれがお母様にとって(体力的に)どうなのか・・・」

いくら母の耳が遠いとは言え、すぐ横に座っているのに、
「治らない」って言うのはどうよ? ┐(  ̄〜 ̄)┌

母は、ケアマネのIさんの左隣に座っていたので、
ちゃんと聞こえなかったかも知れないんだけど、私はハラハラしたもんね〜

 母は右の耳はほとんど聞こえず、左側の耳に補聴器をしているので、
 母と私の座る位置は会話をする場合に重要になってくる。
 ファミレスでは、母が補聴器をしている左隣に座るか、
 向かい合わせなら左側の対角に座るようにしなくては、会話が成立しない。

私だって、治らないことはわかっているけど、毎回それを確認させられるのはねぇ。


確かに、言ってることは正しいかもね。

『ディズニーシーに連れて行きたい』って言うのは、確かに私が無謀なのかも知れないけど。

命があと少しだとして、安全で平凡な毎日を過ごすのが良いのか、
今までほとんどできなかったこと(旅行等)を叶えた方が良いのか。
難しい問題だよね。

まぁ、私も、連れまわすような場所を選んで言ったからイケナイんだろうけど。

結局は、言い方。


2002年07月16日(火) お祭り

ここのお祭りを見るのは、今回が初めてかな? 2度目になるのかな?


よほど楽しかったんだろうね。
今日はどこへ行ったか、ちゃんと覚えていたよ。


帰りの電車の中で聞いてみた。

「今日は楽しかったね〜」

「えぇ、おかげさまで」

「って、どこに行って来たんだっけ?」

いつもはここで 「さぁ、どこだったかな?」 と忘れているのに、今日は

「お祭りに行ってきたんだよね〜」 と答えた。

帰宅後、山車の写真などを印刷して持って行ったら、既に日記を書いていた (^▽^)


良かった、楽しんでもらえて。


2002年07月14日(日) SPA

今日は天気予報では、雨の降る確立50%。
お洗濯は無理だろうと思っていたけど、次第に青空がのぞいてきた。


雲の動きをにらみながら、とりあえず1回はお洗濯。


その後、昼にはやばそうな雲も消えて、真っ白な夏の雲に変わったから、
ボウリングの大会に出掛けるレフティーの車に便乗して、
私とば〜ちゃんはSPAに行くことにした。


そうそう、今日はデジカメを持っていくのを忘れた。(^_^;)


今日は、暑いので、ば〜ちゃんも露天に連れて行った。
いつも、中から露天に入っている人をうらやましそうにしていたば〜ちゃんだけど
外が肌寒い時には、その後が心配なので露天には連れて行かなかった。
今日は露天からは、真っ青な海と空と、低いところを流れる真っ白な雲が見えて、
とても気持ちが良かった。
ばーちゃんも、とても喜んだ。
だけど、お湯が熱かったので、のんびりつかっていることができなくて残念だった。


今日は時間的なゆとりがあるので、
リフレクソロジー(足の裏のマッサージ)をしてもらうことにした。
ば〜ちゃんは、館内も車椅子だったので、
足の裏のマッサージによってどこかに影響が出たら困るとのことで、やってもらえなかった。
私が受けている20分の間、同じお部屋でアクアリウムを眺めて待っていた。

今度、一人になれる時間ができたら、ゆっくりコースを受けに来ようっと。


レストランに行って、リンゴとカッテージチーズのパイを食べた。
ばーちゃんには、お魚のスープとマンゴージュース、私はライチのお酒を飲んだ。


日曜ということもあって、観光客も多くって、にぎわっていた。



車椅子を借りてきて、海岸をお散歩した。
今日はヨットハーバー近くのデッキまで行って、海をのぞき込んで見ると、
名前を知らないお魚が群れをなして泳いでいた。
スイスイ進んで海藻を囲んだかと思うと、
ものすごい勢いでその海藻を食べていたのでびっくりした。



堤防の方まで歩いてみようかと思ったら『立ち入り禁止』(-_-;)
あれ? だって、何人もあっちに行ってるのに・・・?



レフティーのボウリングが終わるまでにはまだ時間があるので、タクシーで帰ってきた。


2002年07月12日(金) デイサービス開始なるか

ケアマネージャーから電話があった。

「今日、会議がありまして、
 お母さんのデイサービスの件、毎週土曜日に決まりました。
 ただ、“明日すぐに”というわけにも行かないので、来週の20日からと言うことで。
 痰の培養検査の結果については、わかり次第ご連絡をいただけますか?」

ふ〜ん、20日からね。
私は銀行のお友達と遊ぶために土日を希望していたからラッキーだけど、
もともと土日の方が、施設は空いているらしい。

でも、あまり期待せずに待っていよう。
検査結果に因っては、利用できないかも知れないのだから。


* * * * *


義姉から電話が来た。

お中元なのか、「今日、ゼリーを送ったからね」と言った。

私の方が目下なんだけどな。
ばーちゃんのお嫁さんだからかな。
いや、母と同居していなくても、うちにはいろいろと気を使ってくれる。
私が気を使わないだけか(笑)

でも義姉も私も、儀礼的なものは省こうと言うことで意見が一致しているので
他の親戚と違い、もらいっぱなしで良いことになっている。
義姉は、激しい気性の叔母に振り回されているので、
その点、うちは私もレフティーも付き合いやすいのかも知れない。

今度どこかに出掛けたら、その時にお土産を送れば良いだろう。

義姉とは、母の病気以来、電話で話すことが多くなった。
ボケ老人を抱える者同士、お互いに励ましあっている。
そう言えば、いつも電話をもらうのは私だ。
私も自分から掛ければいいのにね(^_^;)


「デイサービス、どうなった?」と聞かれて、まだ始まらないと言うと
「ホントに遅すぎる」と憤慨していた。

義姉の方はデイサービスとヘルパーの利用が始まっている。


2002年07月07日(日) 昨日の日記

UPしてから修正を繰り返して継ぎはぎしているうちに長くなってしまった・・・


あぁそれから。


いつも「Mother」を読んでいただいてありがとうございます。

最近、普通の日記「Diary」よりもこっちのほうがカウンタが進んでる(^_^;)

こちらの日記しか知らないあなた、私にはいろんな面があります(謎)

HPもどうぞよろしくね。

一筆箋にでも足跡残していただけると喜びます。

あはは〜 たまには宣伝。 (^▽^)v


2002年07月06日(土) 不安材料

ゆきっちの車でSPAに行った時、湯上りに体重を量ってみた。

母は49kgにまで減っていた。
気が付かなかった。


前に量ったのはいつだったろう?と、母の日記帳をたどってみると、
『4月22日 体重53kg』との記録があった。
2ヶ月で4kg減ったことになる。


去年までは47kgだったのが、
入院後に歩かなく(歩けなく)なったことや、飲み薬の副作用もあって、
一時は54kgにまで増えていた。


担当医からは、食事を減らすようにと言われてはいたが、
特別に何かをしたわけではなく、全体に量を軽めにした程度だった。
しかし、8度の熱を出した今月1日は、水分以外にはまったく食べることができなかったし
その後もあまり食欲がないようだ。


確かに、晴れれば30度近くになり、健常の私たちでさえ食欲が落ちるのだが、
体重が短期間にこれほど落ちるとなると心配になってくる。


毎日見ている私はこうした母の変化に鈍感になっているようで、
ゆきっちから「お母さん、少しやせた?」と言われて気付く有様である。


たまにレフティーも「ばぁさん、顔がやせたんじゃない?」と言っていた。


先日木曜日の検診でも、担当医がそう言ったような気がする。
母はステロイドの影響で、一時は『Moon Face』と呼ばれる顔のむくみがあったが
薬の量を減らして来ているので、それが改善されたとの認識でいた。
障害者申請のために撮った写真などは、まさに『Moon Face』である。
その写真が比較対照となるので、現在の顔を見れば痩せたと感じる。


しかし私は、それはあくまでも“むくみが取れた”との認識だけで、
体重の変化としては捉えていなかったので、今回の変化には驚いた。


母の足の負担を考えれば、もとの体重に戻りつつあることは好ましいのだが、
2ヶ月で4kg減と言うのは、病的な気もする・・・




そこでまたケアマネージャーの発言を思い出した。




母は今、唇におできができている。

それを、先日ケアマネージャーが書類を取りに来た時に指摘され、

「唇はどうしたんですか? ヘルペスじゃないんですか?」と言われた。

「胃が悪いんじゃないでしょうか?」と母と私が言うと、

「胃が悪い時にはここ(口角を指して)にできるので、
 そこにできるというのはヘルペスじゃないんですか?」

知らないよ〜 だったらどうなの?

口唇ヘルペスだったら伝染るから、デイサービスは無理だって言いたいの?

「先日の検診では先生は何も言っていませんでしたが」と言うのがやっとだった。



ケアマネージャーには、それなりの医学知識があるとみえる。
この手の職業には、かつて看護婦だったと言う人も多い。

しかしどうであれ、本人なり家族なりを不安にさせるような発言は避けていただきたい。


そこで『私だったら、この場合、なんと言うだろう』と考えてみた。

「あら、唇、痛そうですね? どうしましたか? 胃が悪いのかしら?
 それともヘルペスかな?
 ヘルペスだとしたらウィルス性で人に伝染ることもあるから、
 デイサービスが始まるまでに早く治しておかなくちゃね。
 先生はお薬を出してくれた? 出てない? それじゃ、たぶん胃が悪いだけね。
 お熱の出たあとなんだし、胃腸も弱っていたんでしょう。
 こういう時は、良く噛んで食べるように気をつけてね。」と言うだろう。

例え、施設に帰ってから 「口唇ヘルペスができてました」 と報告するにしても、ね。



あぁ、それからもうひとつ思い出した。



パルスオキシメータの数値について、私が『91〜94%』だと言った時、

『91ですか? 91? あぁそれじゃ確かに、外の歩行は無理だわ。
 先生からは“在宅酸素療法”の話しはありませんでしたか?』 とケアマネージャーに言われた。

これも、医師が必要ないと判断していることに対して、むやみに不安をあおる発言である。

「そんなに悪いのだろうか」と、私は何か言われるたびにネットで検索を繰り返し、
一層神経質になっていくような気がする。

どこかへ遊びに連れて行かなきゃと思う気持ちも、
結局はタイムリミットを意識してのものだと思う。

ケアマネージャーは、母のことを
“デイサービスに連れて行けるかどうか”という観点でしかみていないようである。
そこには母の病状を心配するという愛情が見えてこないのだ。

所詮は他人。
所詮は職業。


2002年07月05日(金) 過敏

夕方、ケアマネージャーから電話があり、2時間後に書類を取りにやって来た。

ケアマネージャーは、何度かうちに電話をかけているのに私が出ないので、
母が入院でもしたんじゃないかと思って心配していたらしい。
月曜日に熱を出して病院に行ったことが気に掛っていたからであろう。

昨日は10時から1時半頃まで病院に行っていたし、
今日は12時から2時半まで美容室と買い物で出ていた。

そう説明すると、
「あら、まだ熱が下がったばかりなのに」と髪を切りに行ったことを注意された(-_-;)

ん〜・・・

前回ケアマネージャーがうちに来てくれた時も、
母のセキがひどかったのを見て心配してくれたのはいいのだけど、
どうも、私以上に過敏な反応を示す。


* * * * *


最初の面談の時も、既往症を見て
「肺炎を繰り返しているみたいだけど、どうしてなのかしら?」とか、
「プレドニンを使い続けているけど、何の病気なのかしら?」と言ったので、
私は「感染症を防ぐためだと聞いていますが」と答えながらも不安になってしまった。

母がもしかして重大な病気も併発しているんじゃないだろうか、
担当医は、私がこういう性格だから本当のことを教えてくれないんじゃないだろうか、等と考えて
プレドニンの効能について再度ネットでしつこく調べたのだった。

だから先日の血液検査についても、私がナーバスになってしまったと言うわけだ。

小さなことがいくつも重なると何かの拍子にそれがとても気になり始める。

前のケアマネージャーは「遠い」から嫌がっていたが、
今度のケアマネージャーは「病気」が気になって仕方がないらしい。

今日は、先日担当医に記入してもらった『施設利用情報提供書』を渡したのだが、
それを見て「まだ痰の培養検査の結果が入っていませんね」と言った。
その情報がキチンと出ないと、会議に掛けられないらしい。

確かに、預かるほうからすれば『集団感染』などに注意しなくてはならないのだから
それぐらい神経質になっても仕方ないし、そういう厳重な環境だからこそ
こちらも安心して預けられるというものなのだろうけど、
病状について、家族が担当医から聞いたことに疑問があるときには、
担当医に直接聞いてもらいたい。
家族を不安にさせるような発言は避けていただきたい。

施設利用までの道程は遠いな・・・
だんだん面倒になってどうでも良くなって来たと言うのが本音。


2002年07月04日(木) CRP

今回はレフティーが仕事だったので、タクシーでGO。

今朝は母の熱もなく、
病院についても足取りもしっかりしていて車椅子を使うことなく徒歩で移動した。

しかし、血液検査の結果はあまりよろしくないようだ。
・・・というのは、PCに映し出された数字の4〜5種が赤字の表示であったからだ。
見慣れない英文字と数字が並ぶ中で、
ハッと目を引く赤と黒の表示の違いにはきっと意味がある。
しかも、担当医のK先生は、その画面をサッと見ただけで、
いつものように説明をすることなく隠すように閉じたのが、私にはとても気になった。
先生は、私が何かと詳しく調べて神経質になりやすいことを知っている。


今日の母のCRPの数値は1.12、赤字表記だった。


* * * * *


月曜日に私も血液検査をしたので、
いろいろな検査項目が英文字で示されていることを知っていた。
I先生の説明を受けながら、これまでにも良く聞かれる『CRP』について
私は数値を読んで記憶して帰ってきた。

CRPが目立つのは2列ある検査項目のうちの左側、
他の項目とは1行開けて一番下に書いてあるからだ・・・

『CRP C-Reactive Protein 』とは、
感染症があるかどうか炎症反応を調べるものだとI先生は説明してくれた。
帰宅してからネットでも確認をした。
0.12という数字はまったく問題がない、と言っていた。(通常0.3以下)

* * * * *


パルスオキシメータの数値(血液中の酸素濃度)は94%。
レントゲンの結果については画像を見ることなく「いつも通りですね」と言うだけだった。


* * * * *


母の後、私も診てもらった。
先ほどの母と同じ血液検査の結果について、今度はしっかりとPCに表示したまま
「はい、どれをとってもまったく問題はありませんね。
 異常がある場合には、ここに赤字で表示されますから、すぐにわかるんですけど」

ひとつだけ紺色表示があったが、それがどの項目であったのか聞きそびれてしまった。
ただ「これはまだ正常な範囲ですからね、まったく問題はありません」と言った。

微熱と頭痛が続いているので、今日は薬が処方された。
ハイゼットとグランダキシンである。
どちらも、更年期障害の治療として使われる副作用の少ない薬だと言う。

帰宅後にネットで調べると、自立神経失調症の治療としても使われることがわかった。
私は、学生時代に走った後、よく貧血で倒れることがあったが、
その時にも自律神経失調症という診断をされたことがある。

検査をしても、特に異常が認められないのに、本人に不快な症状がある場合は
自立神経失調症、あるいは年齢的に不定愁訴=更年期障害と診断されることが多い。

次の母の検診(今回は担当医の都合により3週間後)に合わせて、
私にも予約が入れられた。


2002年07月02日(火) 今日も熱がある

今朝は一旦起き出してトイレに行ったものの、
その後着替えることもなく寝ているので熱を計ってみると38度だった。

食欲もないようだったので、とりあえずバナナだけで薬を飲ませた。

その後、気温もぐんぐん上がってきたので、長袖パジャマを脱がせて肌着一枚にさせた。
母はもう、暑いとか寒いとかに鈍感になってしまっているので、
こちらが気をつけて調節しなくてはならない。

時々爽健美茶を飲むように勧めて水分補給をしていたが、
そう言えば朝以降、トイレに行っていなかったので行かせることにした。

ところがトイレに着いたときには、既にオムツはびっしょりで、
パジャマのズボンも濡れていた。
・・・と言うことは、もしや、と思ってベッドを見ると、
やっぱりマットが濡れていた(-_-;)

こうして熱があって動きが一層鈍くなると、トイレでも介助が必要となる。
おしりにまで手が回らないので、ちゃんと拭けないのである。

今、ウレタンマットを干しているところ。お天気が良い日で良かった。

仕方がないので、お昼寝はフロアマット(2畳用)を二つ折りのまま敷いて代用。

シーツもパジャマも、今日のこの気温なら、なんとか乾きそうだ。


* * * * *


お昼寝をしていたら、玄関のチャイムが鳴って起こされた。

母はちょうど玄関脇のトイレに入っていたので、チャイムが聞こえたようで
「誰か来たよ」と言った。

新聞屋さんの集金だった。

支払いを済ませ、母の体温を計ろうとしたら、
「絹江ちゃん、今、行ったみたいね。
 こんなに早く行く日もあるのね、大変ね」と言った。ヾ( ̄。 ̄;)

昼寝したので、また朝と夜を間違えてる・・・
新聞屋さんが出て行ったのを、絹江が登校したのと勘違いしているらしい。

『今は夕方の5時だよ。 朝じゃないの。』と言っても、
そう簡単に理解できるわけがなかった。

「こんなに早く行くんだね、大変だね」 また言ってる・・・(-_-;)

『だからね、今は夕方の5時なの、わかる?
 絹江は朝の8時に学校に行ったんだよ』

「まだ8時じゃないよ」 だからぁ・・・(-_-;)

『今は朝じゃないの。夕方だよ。さっき来たのは新聞屋さんの集金だからね』

なんと言えば納得するのだろうか。
私は、母に外の道路が見えるように窓を開け替えた。
そこへ、ちょうど向かいの駐車場に生コン車が帰って来た。

『ほら、ダンプが帰って来たよ、お仕事が終わったんだよ。今は夕方だよ。
 中学生も、お勤めの人もみんな帰って来る時間だよ。ここから見ていてごらん』

私もかなりムキになっていた。
窓が開いているので、お隣はどう思って聞いていただろう。

そこへ、5時を知らせる街の広報の音楽が流れたので、
『ほら、5時の音楽が鳴ってるよ、聞こえるでしょう?ね、今は夕方だよ』

今日はお天気が良く陽も伸びたので5時でも明るく、間違えても仕方がないけど。

これまでにも、何度も昼と夜を間違えたりしている。
もちろん、私や絹江もたまに寝ボケて間違えることはあるのだけど、
私たちと違うのは、否定されてもすぐに頭の中で修正ができないという点にある。


2002年07月01日(月) 発熱

「起床後すぐに飲む」と言う薬がある。
骨粗鬆症の悪化を防ぐため、整形外科で出された「フォサマック」である。

私は自分が起きたら、まず母の部屋に行き、
前の晩から用意しておいたそのフォサマックを飲んだかどうかをチェックする。

母はだいたい、私たちよりも早くに目覚め、
ベッドの脇のカーテンと窓を開けては、外を眺めていたり、うとうとしているのである。

今朝は既にカーテンが開き、フォサマックも飲んであった。

私は、まだ補聴器をつけていない母の肩をつついて起こし、着替えるように促した。

タダでさえ寝起きの悪い私は、このところ体調を崩しているので、さらにイケナイ。
今日はレフティーの休暇、雨模様で洗濯もできそうにない。
私はテレビを見ながらぼんやりと過ごしていた。

10時半ごろだったか、レフティーも起き出してきて、私も食べるものの用意を始めた。
そう言えば、母はあれから顔を洗いに来ていなかった。
それでも朝食を渡して、私はまた居間に戻ってしまった。

12時前、レフティーが自主的な仕事で出掛けるというのを送り出そうとした時に
母の部屋をたまたまのぞいたところ、先ほどの食事に何も手をつけずに、
足を下ろしたままベッドに横たわっているので、
「なんだか、今日は調子悪そうなんだよね」と言ったところ、レフティーが
「熱があるんじゃないのか?」と聞くので、まさかと思って計ってみたところ、
なんと8度4分もあった。堯福陰Α院臓
セキも夜明けに限らず、多くなっていたような気もする。

母自身も体が思うように動かないことに危機感を持ったのか、
「私はもう死ぬんだよ・・・」とつぶやいた。

そこで、仕事に行くレフティーに待っていてもらって病院まで送ってもらうことにした。
今回は念のため、電話で午後の診療時間を確認しておいた。(^_^;)

出掛ける前にトイレに連れて行くと、オムツが濡れていた。
熱があって鈍感になっているらしい。

レフティーが「オレも熱があるような気がする」と言って計ると6度7分、
「ん?そう言えば、私も頭が痛いな」などと車の中で計ってみたら、
7度2分あった。ヽ( ′ー`)ノ

* * * * *

再診窓口では、これまたしっかりと「S先生じゃなくて」と忘れずに希望を出した。

「今日は、S先生はいらっしゃらないので・・・」
そう受付では聞いていたのに、しっかりいるじゃん。堯福陰Α院臓
いつものように、意味もなく廊下を歩いていた。

幸い、今日は I先生、あぁ、この先生なら。

母はレントゲンを撮ったが、I先生には比較の対象となる過去の画像がなく
一般的に今日のを診て述べるに、
「これだけ荒れていますので、感染が起きているのかも知れません」

以前から病名として聞いていた「間質性肺炎」「BOOP」であるが
「bronchiolitis obliterans (with) organizing pneumonia
器質化肺炎を伴う閉塞性細気管支炎」と言うのが正しいらしい。

急性憎悪によっては呼吸不全を起こす可能性もある。
万一の場合のことも、まったく無視しているわけにはいかない。

血液検査と痰の培養検査の結果は木曜日に担当医から聞くことにする。

セキがあまりひどいと睡眠も妨げられるので、
抗生剤クラビットと咳止めコルドリンが処方された。

デイサービスの開始に当たっての「施設療養情報提供書」については受付に提出、
約2週間程度でできあがるとのこと、電話が来たらケアマネージャーに連絡して
病院の受付に取りに行ってもらう予定。

* * * * *

私も診てもらうとなると、歳の近い先生だと恥ずかしい。
「診察台に横になって胸と腰を」堯福陰Α院臓法ΑΑΑ福窟Α掘
こういう展開になるとは。(違)

触診では、特に問題はなさそうとのことであったが、
微熱が出始めて既に3週間を超えているので、念のため、血液検査をすることになった。

私の血液検査については『至急扱』で、今日のうちに結果を聞くことができた。
おそらく、
『精神的なものであれば数値ではっきりさせて安心できるように』との配慮だと思われる。
炎症性疾患CRPの値にも何ら問題はなく、肝臓・腎臓も異常なしとのことで
薬は今回処方されなかった。
甲状腺については検査に時間がかかるので、結果は次回木曜日に聞くことになった。
え?甲状腺?ってなに? 喉が腫れやすいとは言ったけど。

* * * * *

帰宅すると4時。 お決まりの3時間コース。

母は、朝から何も食べていなかったが、その後も何も食べることができなかった。
先生からは「水分だけは充分に摂るように。食べなくても薬は飲むように」と言われていたので
結局は薬だけになってしまった。

私は食べてから少し眠った。2時間ぐらいだろうか。

ケアマネージャーからの電話だと、絹江に起こされた。
「ケアマネージャー変更の書類を今日、市役所に提出して来ました」との報告。
こちらも、母と自分が熱を出して病院に行ってきたこと、
施設療養情報提供書を病院受付に出してきたことなどを話した。
こうして、こまめに連絡が取り合えると安心だ。


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