Mother (介護日記)
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2002年09月30日(月) セキが止まらない・・・

母は今夜、既に1時間以上にわたって、セキをしています・・・



体重を計ったら、また痩せました。

4/22  53kg

7/ 6  49kg

8/ 7  48kg

9/30  46.5kg

パジャマを脱いだら46kgだろう。 5ヶ月で7kgのマイナス。

それでも下腹は元気に飛び出しているんだけれど(笑)

母には47kg(病気する前の体重)と言っておきました。

母は体重をとても気にする人で「体重が減る=ガン』という認識を持っているので、
不安をあおるのは良くないと・・・

体重を計る時は絹江やパパをダシにして、母の見える場所で計っていると、
母から「私も計ってみようかしら」とやって来てくれるのです。

私が、かがんで体重計をのぞきこみ、母には直接目盛りが見えないようにします。


食事、ほとんど食べられないし・・・

ご飯もおかずも、ほんの一口づつでおしまい。

好きだった甘いお饅頭なども、食べなくなりました。

おなかが空いたかどうかも、あまり良くわからないみたいで。


2002年09月29日(日) 24日の日記の追加を。

24日に下田に行った時の日記の続きを、今日、26日のところに書きました。


2002年09月28日(土) デイサービスの 『連絡帳』

デイサービスを利用するにあたり、毎回連絡帳を交わすことになっている。

利用日によっては、朝のお迎えの時間が10〜15分ほどずれるので、
次回のお迎え時間がかかれている。
また、当日の母の様子が簡単に記されている。

担当者によっては
「お変わりなく過ごされました」というスタンプだけのこともあるが、
それだけでは、何を食べて何をしてきたのか、さっぱりわからない。

今月は、献立表ももらわなかったし。

母は帰宅すれば忘れてしまうので、聞いてもわからない。

そこで前回、
『箇条書きで良いからレクリエーションの内容を書いて欲しい』とノートに書いたら、
さっそく、書いてくれるようになった。

「今日はジャンボカルタをして遊びました。
 チームに分かれて、手書きの江戸カルタにお手玉を多く載せた方が、カルタをもらえます」

「今日は風船バレーをしました。楽しそうに参加されていました」 など・・・

これを私が書き直して母の日記のネタにして、母自身に清書をしてもらう。
その日のことを思い出すのも大切な気がするから。

今度、施設を見学に行って、レクリエーションの様子をビデオやカメラに収めて来よう。


2002年09月27日(金) 検診。

昨日の内科の検診はレフティーに行ってもらった。
「パルスオキシメータの数値は92だったよ」と報告してくれた。
「『セキがひどいのでデイサービスから帰ると苦情みたいなことを言われる』って言っておいた。
 先生は『今、薬(プレドニン)を減らしてるから』って言ってたけど」

聴診器を当てて「はい、いいですね」と主治医は言うが、レフティーは
『これのどこがいいんだよ』と思うばかり。
でも、いくら耳が遠いとは言っても補聴器もしていることだし、
本人の前では聞きにくいこともある。
最近の激しいセキについて、レフティーも聞きたいことはあるのだが、
かと言って、どう聞けば良いのかもわからず、結局聞けず仕舞いだったようだ。



今日の整形の予約は12時だったので、絹江のお弁当を作った後、
体調不良の私は、ギリギリまでもう一度寝ることにした。

それなのに、こういうときには人が来るものだ。
ケアマネが来月の予定表を持ってきた。
次に、郵便局が簡易保険料の集金に来た。
結局1時間おきに起こされるのだった。



雨の影響か、タクシーを頼んだら「10分ほど待ってください」と言われた。



病院に着いて玄関先で料金の精算をしていると、
目の前のベンチに座ったお年寄りの女性から苦情を言われた。
「ちょっと、何してるの? タクシー、乗るの? 降りるの?」
「降りるんですけど」
「早くしてちょうだいよ、後ろの車がつかえてるじゃないの」

そのご婦人は、
私たちの乗ったタクシーの後ろについた、家族の車に乗って帰るところだったようだ。

障害者割引(1割)を使うためには、障害者手帳の提示をして、
運転手はその手帳の番号と名前を控え、1割引きの計算をしなくてはならず、
普通の人のようにスマートな清算にはならないので、
気付かぬうちに誰かに迷惑を掛けているのかも知れないけど、
自分はベンチで座っているのだし、
何も1分やそこらのことで目くじらを立てて怒鳴らなくてもいいじゃないか。
それでも運転手さんがいい人だったので救われた。
後ろの車からはクラクションを鳴らされたりはしなかったけど、
降りた後、会釈をしておいた。

本当なら、院内から車椅子を借りてきてタクシーの脇につけるところだが、
今回は車椅子を置いてあるところまで仕方なく歩かせた。 
雨の日なのに転んだら、どうするんだよ。



借りようとした車椅子に、誰かの診察券が載っていたので受付に届けた。



雨で空いているかと思われたが、整形もかなり混んでいた。

呼ばれるまでに1時間。

「どうですか?」と聞かれて、
「セキがひどくて」と話し始めたら、
「セキのことを整形で言われてもねぇ。それは内科の方で言ってもらわないと」

だからさ、セキがひどいから、その勢いで骨が折れてるんじゃないかって言ってるんだよ。
触ると痛いっていうところがあるんだし、内科でも前にそう言われたし。

「それじゃ、レントゲンで確かめてみましょう」

なんだかつい最近も撮ったような気がするんだけど。
この1年に何回放射線を浴びてるんだろ? そういう副作用もあるんだよな。

母抜きで話したいこともあったので、2度目は私だけが診察室に入った。

結果、痛がる部分は折れてはいないのだけど、セキが長引くと筋肉痛になるらしい・・・
それは前からわかってるけど。
「セキ止めも痛み止めも内科で出ているから」と、これ以上、やりようがないらしかった。


先生は画像を手に持ったまま説明をして、そのまま封筒に入れてしまったが、
「写真に撮りたいんですけど。まぁ、私が見てもわからないんですけど」とお願いして
蛍光灯の面に貼ってもらい、画素数も圧縮率も最高にして撮った。

いつの間にかカーテンの後ろに母が来ている気配がしたので、
会話には気をつけた。

* 今後、急激な体調の変化が起こりうるかどうか。

  『それも考えておかなくてはならないでしょうね。風邪を引かせないように』


* 朝、起きたら死んでいたなんてことも・・・

  『それはよくあることで仕方ない。そこまで考えていたら、看る人の体が持たない』


* あちこちに連れ出していることについて、体に負担かどうか。

  『寒い日だとか、雨の日だとかじゃなければ、それは良いことでしょう』



その後、処置室にて看護婦によるエルシトニンの筋肉注射。
その様子もデジカメの動画機能を使って、撮影。


会計が終わるまで2時間。


2002年09月26日(木) 生まれた街、下田

24日の日記の続きです。



銀行を出てから、了仙寺に向かった。
以前、ゆきっちと涼ちゃんとで来たことがある。ジャスミンの花が強く香る時期だった。

わざわざ「ここに来ました」と言わんばかりに、
『了仙寺』と書いた入り口で写真を撮った(笑)

庭に入ると、散策をしている団体さんがいた。
寺をバックに母の写真を撮っていると、その中のひとりの紳士が、
「撮りましょうか?」と言ってくれたので、お願いした。
一枚撮ったところで、寺をバックにしたのでは「顔が小さくなってしまう」と言われ、
ズーム設定してから、もう一度お願いしたら、これがとても良い写真になった。
写真のコーナー参照)

そもそも、私は写真映りが悪いので、私自身の写真は少ない。
「撮るよ」と言われた瞬間に表情が硬くなるというのか、
鏡で見る自分とはまったく違った顔になる。
ましてや、私がカメラを持つ以上、母とのツーショットはなかなか撮れず、
行きの電車の中で散々挑戦したが、やはり腕の長さには限界があった。

だから、この一枚にはとても感激した。
一生の記念になるだろうと思う。
どこかの知らない紳士、「ありがとうございました」だけで通り過ぎてしまったけれど、
本当に感謝している。


 * * * * *


了仙寺を裏道から出て、ペリーロードを歩く。
石畳の川沿いの小路は、雰囲気の良いところ。
居酒屋、クリーニング屋、雑貨屋、喫茶店などが民家の間にあって、
のどかな午後の散歩にはちょうど良かった。

下田では、行き交う人と挨拶を交わすことが多かった。
同じ位のお年寄りから50代ぐらいの人まで、道ですれ違う時には皆、
「こんにちは」と言うので、こちらも自然に挨拶を返した。
観光客の受け入れに寛容であると言うことであろう。

小さな町だと、中には観光客に対して排他的な感情を持つ人がいたりするらしいが、
ここはそうではなかった。

私が子供の頃から、2年に1度ほど、遠縁を訪ねて来てはいたが、
こうやって街を歩く機会はなかった。
前回、ゆきっちに教えられてやっと下田の散歩コースを知ったほどだった。

確かに、叔父が亡くなってからは遠縁の家にも訪ねにくくなってはいたが、
なんのことはない、お散歩にくれば良いだけのことだった。
そんなことに、叔父の葬儀後15年もの間、気付くことができなかった。



『ペリー上陸の碑』が稲生沢川の河口の広場にできていた。
ここは『下田マリンタウン』の計画予定地になっているらしい。
すでにヨットがたくさん停泊していた。

ベンチが置かれ、花壇が整備されて、お散歩途中の休憩にちょうど良い。
右手には海が広がり、正面には寝姿山、左手には町の建物がギッシリと見える。
海上から下田の町を一望しているかのような場所である。



私たちは、車の通りの少ない路地を使ってマイマイ通りに戻った。
下田は狭い道路が多いので、車椅子では注意が必要だ。
マイマイ通りには両側に歩道がついている。


その後、最初の花屋さんに寄り、カーネーションを買った。

稲田寺(とうでんじ)には、養子に行った母の兄の墓がある。
母は車椅子では墓所に進めないので、境内で待っていてもらった。
ところが、私は墓石の場所がわからなくて、迷子になってしまった。
古い墓石の整理もされていることから、移動したのかと思った。
バケツを持ったまま、グルグルと3周もしたところで、お寺の女性に
「聞いてきましょうか?」と声を掛けられ、恥ずかしながらもお願いした。
ご住職らしき方がわざわざ出て来てくださって、墓所まで案内してくれた。
やはり、彼岸なのでシキミが上がっていた。
水を取替え、持って来たカーネーションも加えた。



次に、福泉寺に向かった。 ここには、母の親兄弟が眠っている。

ここは井戸水であった。
『まだあったんだ』
私は子供みたいに井戸の水を汲み上げたが、たくさん漕がなかったので
雨水のまま、お墓に持って行ってしまった。
今度は墓所は間違えなかった。
ここでもシキミの水を替え、カーネーションを加えた。



駅に戻ると、既に4時を過ぎていた。
電車の時間を見て、構内の喫茶店で休憩。
そう言えば、ここまで飲まず食わずで良く歩いた。

一日を有効に使った気がして、私はとても満足だった。
たくさん撮った写真は、帰宅後すぐに印刷をして、母のアルバムに貼ってあげたら
遅くまで何度も見直していた。


2002年09月25日(水) ビデオカメラ購入。

明日の絹江の運動会をダシにした、と言うのか、思い切ってビデオカメラを買いました。
母の余命宣告よりも、破産宣告が先にやってきそうです(謎)



「運動会の予行練習」と称して、母を撮ってみました。
とにかく、まずは母の画像を撮りたかったので。


落ち着いているときには、まったくそんなことはうかがえないのですが
激しいセキの発作は、一日に何度かやってきて、10分から30分も続き、
それは、いつ息が止まってもおかしくないと思えるようなものなのです。

だから、こんな激しいセキに変わってからは、
「うるさいな、飴でも舐めてろ」とは、とても言えなくなりました。


話しかけた時、ちょうど母が昨日のお出掛け写真を見ていたので
母の十八番の下田の唄「唐人お吉」を歌ってもらいました。

息が苦しくて、伸ばす音も途切れ途切れになって、聞いていて涙が出そうになったけど
それでも母はリクエストされたことが、うれしそうでした。
老人会のカラオケではいつも歌う人がなくて、頼まれて歌うのがこの曲なのでした。
これは古い歌なのでおそらくカラオケには入っておらず、いつもアカペラだったと思います。



その後、母の部屋の隅に三脚を立ててまわしっぱなしにして40分、
母の夕飯の様子を撮りました。
早速テレビにつないで、母と絹江とで再生してみると、笑える笑える。
もう、最高です。



母は「私が死んでもこれが残るのね」と、少し感傷的に言いましたが、
申し訳ないけど、これでは絶対に泣けないと思います。
笑い転げてしまうと思います。

何とも『母らしい』映像が撮れました(謎)


2002年09月24日(火) 生まれた町へ

今日は風もなく暖かいので、母を「生まれた町」へ連れて行ってあげようと思う。

母の実家のお墓参りもして来よう。

母や自分の体調や、天候などを考えていると、外出はやっぱり突然が多いなぁ(^_^;)


 * * * * *


先月の「京都1泊旅行」のような長さにはならないので、ご安心を(爆)


 * * * * *

列車編。


電車は空いていたので、車椅子持参も気兼ねがなくて良かった。
平日だからかな?

リゾート21という電車は、
海側が「太陽の赤」、山側が「海の青」に塗り分けられている。
海側の座席は、通常、海が見えるように窓側を向いている。
山側の座席は1列で、向かい合わせになっている。

私たちはもちろん、海側のソファ風の座席に。
ちょうど、2両目には車椅子が入れられるぐらいの隙間が作ってあった。

トイレは3両目にあった。

伊豆急線内では、なんと「車内販売」まであったので驚いた。

私は車内で写真を撮りまくっていた。

デジカメを買ってもうすぐ5ヶ月。
出かけるときは必ず持ち歩いて、何かしら撮っては来たのだが、一瞬を捉えるのは実に難しい。
最近は「オート」だけでなく、「マニュアル」の操作も覚えようと頑張っているところ。

母は私に、どこへ行くのかも聞かず、ただニコニコしていたが、
「昔、ここの駅前でパチンコやったら、すっごく出てねぇ。
 そこでもらったお菓子をたくさん持って、旅館に行ったんだよ」と照れながら話した後、
「・・・ねぇ、稲取だってけど、どこまで行くの?」と初めて行き先聞いてきた。
「このまま、下田まで行っちゃう?」

次第に言葉が多くなってきた。


 * * * * *

駅編。


伊豆急下田駅は伊豆急線の終点なので、ホームの作りはカタカナの「ヨ」の形になっている。

今降りたばかりの車体は、はやばやと係員によってホースで水がかけられ、
清掃が始まっていた。

その脇で「リゾート21号」の先頭車両と母の記念撮影。

さらに、改札口前の「わかふじ国体」のマスコット「ふじっぴー」と並んで記念撮影。

そうそう、下田駅は“出口と入り口が別になっている”めずらしい駅。
人が交差することなく、流れが一方通行になるので、
休日やシーズン中には混雑解消にとても良いだろう。

トイレは改札を出てすぐ右側にあった。
身障者用の個室には、簡易ベッドもあった。
『子供のおむつ替え用』と書いてあったが、大人は使えないのだろうか?
最近、いろいろなHPをまわっていて、
大人にもおむつ替え等のスペースを必要とする人がいることを知った。
幸い、母は今は立つことができるから良いが、確かに全介助の場合は大変だろうと思う。

構内で『下田歴史の散歩道絵図』と言う絵地図をもらった。

駅舎を出たところに黒船の模型が置いてあり、そこでもまた写真。

先月の京都では写真の枚数が少なかったな、との反省もあって、
今回は、とことん撮ろうと思って(笑)
しかも『これぞ、下田』というものをね( ̄m ̄)


 * * * * *


駅前の小道を抜けると、早速母の知り合いにあった。

おそらく私は初対面であるが、母はその同じような年頃のご婦人と話し始めた。
もちろん、母とのツーショットをお願いした。
しかしこの出会いがきっかけで帰宅後に家系図を作成することになり、
そのことで母にいろいろ聞いているうちに、
長年の謎が解けたり、衝撃的な?事実が明らかになったりするとは、
この時点では思いも依らなかった・・・


 * * * * *


勤めていた銀行の、別の支店に寄りたかった。
ここには研修でいつも一緒だったWさんがいるので、退職の挨拶と近況報告をしようと思った。

突然の訪問に驚いたようだったが、再会を喜んでくれ、
またかつて私と一緒に仕事をした仲間が2人、転勤でこの支店に来ていると教えてくれた。

考えてみたら3連休明けで店内は混雑していたのだが、
私が声を掛けたばっかりに、わざわざ仕事を中断し窓口カウンターまで来ていただいた。
(迷惑な客に成り下がってしまった私であった・・・)



・・・ 取り敢えず、今日はここまで。


2002年09月20日(金) うるさいんだよ

買い物から帰って来た時、車椅子の母が立ち上がり玄関まで歩くのを見て、
工事中の道路の警備員が言った。

「少しづつでも歩かせないとダメだよ。うちのお袋もそうだったんだけどね。
 ラクをさせてちゃ、歩けなくなるから。
 ここでもいいから、一日に一度は歩く練習をしないと」

またですかい。

「はぁ、でもうちは肺が悪いので、少し歩くと息切れがしてダメなんです」

それでも、その60近いだろうその警備員は、繰り返し力説していた。


だからね、うちは足が悪いんじゃないんだって。┐(  ̄〜 ̄)┌

歩く練習をしたからって、以前のようにゲートボールができるようになるわけでもなし。
ただ、息が苦しくなるだけ。
母はリハビリ系の病気や怪我じゃありません。

それに骨粗鬆症もあるのだから、転んだりしたら即、寝たきりになってしまう。

家の中では歩いてますからご心配なく。

車椅子だからって、誰でも彼でも「足が悪い」と思うのは辞めて欲しい。

これでも本来は自宅安静のところを、無理に外に連れ出しているのだから。


2002年09月19日(木) その日は突然にやってくる

私が借りているこの日記サイト「エンピツ」は、いろんなジャンルに分かれている。
私の場合は「家族・動物」

たまに他のジャンルをお散歩していて、知り合う人もいる。
「闘病」のジャンルに登録しているきよしさんもそうだった。
肺の悪いお母様を、仕事を辞めて自宅で介護しているが、
その様子を写真入りでUPしていた。

自宅介護・車椅子・肺・・・と言った共通点があったので、
日記が更新されるたびに読んでいた。

「エンピツ」は「マイエンピツ」という機能を使えば、
その人が新しい日記を書いたことがわかるようになっている。

つい先日の日記では、
お母様の具合があまり思わしくないので、
最期を自宅で迎えられるように準備を進めている、と書いてあった。

今日「マイエンピツ」をチェックしたら、きよしさんの日記が更新されていたが、
そのタイトルが気になった。

あわてて日記を開いた。

日付を見ると17日。 ???

あれ?昨日は日記の更新に気付かなかったのかな?と思った。



そうじゃなかった。 一昨日の日記を書いたのは、今日のお昼だ。


“間に合いませんでした”


病院の手続きや、自宅での酸素や、庭の手入れまでも済ませて、
まさに退院するというその日の早朝に、亡くなられたのだそうだ。

掲示板に書き込む言葉もみつからない。


それは、遠からず必ずやってくる自分のことでもある。


2002年09月14日(土) デイサービスの後・・・

デイサービスには、いつも喜んで出かけて行く。

たまに「何しに行くんだっけ?」と聞くので、
「お風呂とお昼ご飯だよ」と言いながら、お迎えのワゴン車の写真を見せる。

今日は施設で『敬老祝賀会』があって、
11時から家族も参加できる会食会が予定されていた。
母にはいつも通りに昼食が出るが、家族は弁当持参とのことであった。

ちょうどレフティーが休暇だったので、
施設の見学を兼ねて連れて行ってもらおうと思っていたのだが、
レフティーは“リカバリー”で頭がいっぱい。
時間がかかりそうな作業なので、昼間のうちから取り掛かりたいとのことで
連れて行ってもらえず、私は諦めるしかなかった。
施設までは町内のワリに遠い。車で10分、しかも山道だ。

お天気も悪いので、私は昼前から寝てしまった。

3時半、玄関がにぎやかになった。

母が戻ってきたのだ。
お迎えに出ようと体を動かしたら、レフティーと絹江が出迎えてくれた。

今日もまた、母のセキのことを言われていた。

遅れて私が起きて行くと、
母は今日の敬老会でもらった花と紅白のお饅頭を手に、ご機嫌だった。

しかし、連絡帳にはレクリエーションについての記載がないため、
敬老会でどんな催しがあったのか、わからないし、本人も思い出せない。
箇条書きで良いから、毎回書いていただけるとうれしい。
デイサービスから帰宅後は、決まって2時間ほどお昼寝をするが、
覚めればデイに行ってきたこともすっかり忘れて朝と勘違いして
「おはよう、今朝は早いね、まだ5時半だよ?」と言う始末。(-_-;)

そして、その夕方のこと。

トイレから、ズボンもズロースも脱いで出てきたのを見て絹江が大きな声を出した。
「ママ、おむつ履いてないから、ズボンもパンツもびっしょりだよ!」

堯福陰Α院叩叩

私はすぐにベッドを見に行った。濡れていなかった。
トイレの前に脱いだズボンは濡れていたが、
自分の意思でトイレまで来たがセキをした拍子に一部漏れてしまったという程度であった。

今日はデイから帰宅後、そのまま寝てしまって一度もトイレには入っていなかった。
部屋にもゴミ箱にも濡れたおむつはないので、
おそらくは、デイサービスで入浴した後、おむつを履き忘れたのだろう。
・・・というよりも、着替えはデイサービスではどの程度見てくれているのだろうか?

最初の施設利用の時は、母は別の人の肌着シャツと靴下を履いて帰ってきた。
お漏らしがほとんどない時期に、予備にと2枚持たせたおむつは2枚ともなくなっていた。

母に聞いてもわかるわけがない。
入浴したことだって覚えていないのだから。

母には、髪をさわってみてその感触で思い出させたりする。
私は、ドライヤーでセットしたようなスタイルを見て判断するのだが、
どのように洗ってくれているのか、着替えの時はどうしているのかが知りたい。

しかし、私も最近、施設で働く人の日記などを読んでいて、
その大変さの一部を知っているので、あまりごちゃごちゃ細かいことを言いたくないが・・・

夜、地元のテレビで母の施設の敬老祝賀会の模様が放送されていた。

絹江の中学のブラスバンド部が演奏をしていた。
急いで母を呼んで来て、そのテレビを見せたが、あっという間に終わってしまい、
母が思い出すまでには至らなかった。


2002年09月12日(木) 検診 ・ SPA ・ ランチ

2週間おきの検診が、
今回は予約が混みあっているとのことで3週間目になってしまったので
レフティーが検診に合わせて取ってくれた休暇もずれてしまった。
でも、行きだけは、レフティーの出勤に合わせて送ってもらった。


整形では約30分ほどで呼ばれて、処置室で看護婦さんに注射をしてもらった。
今回は、その直後をデジカメで激撮してみた(笑)
木曜日はもともと手術日で予約の人だけしか診てもらえないが、
今日は特に緊急手術が入ったようで、やはり担当医との面談はできなかった。

9時過ぎに内科の外来ソファに移動したが、予約の10時半までは長い。
毎度ながら「寝て待つ部屋が欲しい」と思う。

私が2回目のトイレに立って戻って来たら、母がいない。
置き去りの荷物を持って診察室に入ると、母の声がした。

カーテンをめくって診察室へ。
「すみません、トイレに行ってました(^^ゞ」

それにしても母は相変わらずのハイテンションで
「センセ♪ ここが痛いの。どっか悪い? でもセンセの顔見ると治っちゃう♪」
などと言って笑わせていた。

パルスオキシメータの数値は88%。
90%を割るのはどれくらいぶりだろうか。

聴診器を当てて「肺は、いい感じですね」と言われてもねぇ。
先日撮ったレントゲンについて、コメントをもらいたいと思ったが、
やはりその辺は濁された。

「去年ならとっくに入院してましたけどね」って、前回もそう言ったが、
入院しないで良い理由は何だろう? 同居しているからか?

入院することは、私たちにとってラクそうであってそうでもないから、
私もその理由を追求するつもりはないが・・・



会計が終わって11時。
朝、食べ損なった私は、おなかが空き過ぎていた。



 * * * * *



何かを食べて寝たい昨日デイサービスを休んだので、SPAに寄って行くことにした。

最近『おむつをしている乳幼児の入浴はご遠慮ください』の貼り紙が気になる。

いつものように車椅子で2階の浴室へ。

入浴後の脱衣室で急にセキが出始めた。
確か、朝出かける前に飴を持ったはずなのに、見つからなかった。
脱衣室は空いてはいたけど、他人には不愉快なセキ払いの声が、一層、
今後のSPAの利用を自粛しなくてはならないと私に思わせた。

ドライヤーをかける頃にはどうにかセキもおさまり、私がお化粧をするまで待っていてもらった。



 * * * * *



レストランまでゆっくり歩いて行った。
平日の午後であるのに、結構混んでいた。

私たちは冷房を避けて、外のテラス席へ。

母は、お魚のスープとフランスパンを少量とジュース。
一緒に食べようと思っていたタンシチューは、ほとんど食べなかった。

私は母のジュースと同じ色のカクテルを注文。
1杯目でかなり来てしまったのに、2杯目に突入(笑)

それにしても、もりもり君はいつ見てもかっこいいよなぁ・・・ヾ(≧∇≦)ノ~~


 * * * * *


帰宅するとケアマネージャーから留守電が入っていた。
午後から来ると言っていたが、どうせ夕方だろうと寝てしまった。

5時過ぎ、玄関のチャイムで起こされた。
ケアマネは、更新された介護保険証を取りに来たのだった。
母の近況と私自身の体調について少し話した。


2002年09月11日(水) 敬老の日 祝賀会

今日は、敬老の日の記念行事があったので、デイサービスを休ませた。

市の主催行事に出席するのは無理なので、
その後に行われる町内の祝賀会にだけ、出させてあげようと思っていた。

ところが、デイサービスのお迎えが来てしまった。
先日ケアマネが来た時に、水曜は休むと言っておいたのだが、
ケアマネが土曜日と間違えたらしかった。
「施設には私から伝えておきます」とのことだったが、
やはりこちらからも一報を入れておくべきだったと反省した。


私は今朝から調子が悪くて参った。
いつもの微熱のほかに頭痛もあったので、
洗濯の後、レフティーが起き出したのと入れ違いに寝てしまった。


レフティーが私の様子を見に来た。

私は微熱のせいなのか気温のせいなのか、喉がカラカラだったので、
レフティーにお水を汲んできてもらった。
熱を計ったが思いのほか7度に満たなかった。

そして、時間を確認すると1時半だった。

市の行事から町内のみんなが戻ってくるのは2時半から3時くらいだろうと思われた。

せっかくレフティーがアイスノンを持って来てくれたが、私は寝ている場合ではなかった。

レフティーはずっとテレビを見ていて1時に初めての食事をしたと言い、
母にはまだお昼を食べさせていなかった。

私も、母の祝賀会に付き添うためには頭痛を治したかったので、
久しぶりにハイゼットとグランダキシン(更年期の治療にも使われる薬)を飲むために、トーストとコーヒーで簡単なお昼を食べた。



2時半、うちの向かいにある公民館に車が止まっているのが見えた。
祝賀会の準備をしているようだったので、始まる時間を聞きに行って来た。

「もうすぐバスでみんなが戻って来ますよ」とのことだったので、
母に着替えとお化粧をするように言った。

3時、バスが来た音がしたので、母を急かせて公民館に出掛けると、
既に町内会長の挨拶が始まっていた。

長いテーブルが向かい合わせになっていて、それが2列。
各々に仕出し弁当と梨が置いてあり、ビールやジュース、果物にお菓子、
さらに婦人会の作ったお惣菜がたくさん並んでいた。

聞くと、町内の70歳以上は140人だと言う。
そのうちの40数名が、この祝賀会に集まっているとのことだった。
140人の中には老人会には入っていない人も含まれるので、
今日の集まりには母の知っている人が非常に少なかったのだが、
これは、私の大きな誤算だった。

老人会へは1年半ぶりの参加である。
久しぶりにお友達に会えば母も喜ぶだろう・・・ そう思っていた。

「町内の70歳以上」のグループと会うのは年に一度のこの敬老祝賀会だけ。
「老人会」とは、月に一度の定例会、
「ゲートボール」の仲間とは、週に3回・・・と言うわけで、
母が密接なお付き合いをしているのは、ホンの数人ということになる。

母が会場を見渡しても、知っている人が見当たらず、
「今日は何の集まり?」と私に聞いてきたくらいだった。

実際に母の姿を見て母の隣まで来てくれた方はわずかに3人だけだった。
それでも私は、チャンスとばかりに写真を撮った。

3時からの祝賀会だったので、仕出し弁当に手をつける人はなく、
およそ1時間の談笑の後、用意されたビニールの風呂敷に包み、チラホラと帰り始めた。

私たちも買えることにした。

急な階段を降り始めた時、町内会長が来て私の手荷物を持ってくれた。
ところがそこで、不自然にも元気な私の右腕を脇から支えながら、
さりげなく手の甲で右胸に触り始め、私があれ?っと思っている間に、
さらに左手で私の腰に手を回し、おしりを撫でて来たのである。

私は驚いたが、若い娘ではないので(^_^;)大声を出すこともせず、睨むこともできず、
気付かぬフリをして階段を降りきったが、その人を見る目が変わったことは否めない。

2年前に私が町内の班長だった時からの顔見知りであるが、
当時はそんな風に思えなかったのでガッカリした。

もうじき40の大台に乗ろうかという私ではあるが、
今日は敬老会であり、参加者はみな60〜80代、
お手伝いの婦人会にしても、40後半〜60代であるからして、
本日は私が「一番若い女性」という扱いを受けたと喜ぶべきであろうか・・・


2002年09月06日(金) 介護認定、要介護2。

今朝、ケアマネージャーから電話があった。
昨日の認定会議で新しい介護度が決まったそうだ。

『要介護 2』

これまでの「要介護1」とは、
立ち上がりや歩行が不安定で、
排泄・入浴などに一部介助が必要な状態を言う。

「要介護2」とは、
立ち上がりや歩行などが自力では困難で、
排泄・入浴などに一部または全体の介助が必要な状態を言う。

この認定は、意外と言えば意外。
だって、まだどうにか自分ひとりでお風呂もトイレも行けるのだし。

だけど当然と言えば当然。
だって、セキがひどくなってるし、歩行3分で息切れしてしまうし。

悪くなっているのは、私の方だったりしてね(笑)



デイサービス=1500円(入浴・昼食・送迎)×8回(週2回)=12000円
レンタル介護ベッドが、1750円。
合わせて1ヶ月の自己負担は、13750円也。


2002年09月05日(木) 写真。

新しいプリンタを買った。

京都1泊旅行の写真を印刷してあげた。

母はとっても喜んでくれた。

何度も何度も見直しては「良かったね、楽しかったね」と言った。

本当にうれしそうだった。


2002年09月04日(水) デイサービスの追加

先月末、ケアマネージャーから電話があった。

ショートステイのキャンセルについては、施設担当者に電話しただけで、
「ケアマネージャーにはこちらから伝えておきます」と言ってくれたので
ケアマネとは直接話していなかった。

せっかく勧めていただいことだけど、本人は納得していなかった。
ボケてきているからとは言って、何でもこちらのチカラで誘導できるものではない。



デイサービスについては、
「タクシーを使って温泉に行くよりも、
 送迎付きで昼食と入浴のサービスが低額で受けられるので」という理由に
母が納得しているからこそ、喜んで出かけて行くのであって、
例えばこれも母が嫌がるのなら、
無理に預けて“そのうちに慣れるだろうから”みたいなことはしたくない。

まぁ、それだけ私の介護が序の口であるということの証明なのだろうが・・・



今後、デイサービスを増やしてくれると言うことになり、
現在の土曜日とのバランスを考えて、合間の水曜日にしてもらった。

今日は早速、出かけている。

現在介護保険の再申請中で、保険証は9/5まで延長になっているが、
明日の木曜日あたりにおそらく認定会議があって、新しい介護度が決定するだろう。

それがはっきりしないことには、今月(延長期限後)の予定が立てられないとのことだった。



施設では、母の右の腹をさするしぐさや頻繁なセキが気になるようで、
毎回、そのことが連絡帳に書かれている。

人に伝染る病気ではないのだけど、他の人から見るとあまり良いものではない。

今後、体調を理由にデイサービスを拒否されても仕方ないと、レフティーと話した。


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