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おとなの隠れ家/日記
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2004年10月19日(火)
認め合うということ ラスト



「認め合うということ」を考えながら、書きながら、自分の気持ちを再確認してきた。

わたしが求めるものが、そんなに特殊なんだろうかと。

いくつかのパターンを思い浮かべ、自分が考えていることに探りを入れてみた。

人に求めるのなら、自分はどうなのか。


今の気持ちは

認め合おうよ、なんてのは、勧誘しあうようなもんじゃないのかもしれないと。

もともと、その気がなければ、無理な話なんだと。



人は自分の存在を誰かに認めてもらいたい、
そう思っていると、ある本に書いてあった。

これ、誰かにわかってほしい、というのと似たようなもんなんだろう。


わたしも、そう思っている。
大勢の誰かに認めてほしい、わかってほしいというのはないが
大切に思う人には、わかってほしいなと。


だから、人間関係は大事に取り扱ってきたつもりだった。
でも、だからどうよ、って感じなんだよ、結果的には。


こっちがどれだけオープンに構えたとしても
相手が策を持って接してくるなら
認め合おうよ、という話は通じないことを強く感じる。



友情であれ、恋愛感情であれ、夫婦であれ、公共の場での関係であれ
築きあげるものだと、わたしは思うんだが
それぞれの人間関係の形ばかりを意識している相手と向き合った場合
自分の立場のみが優先され、相手の立場はなし、なのに気づく。


人と人とは縁が会って出会う
出会いは必然だ
とかいうけれど

その出会いを、はなから、どういう形にするのか、したいのか
決めようとしているように、わたしにはみえる。

つまり出会いの先を計算しているように感じる。
出会いの意味に答えを出したいみたいに感じる。


友だちごっこ
気のあるふりごっこ
さらには、信頼関係を作るふりをする
異性をその気にさせて楽しむ

人間関係を弄んでいるようにみえる。


誰かにやられたから、その仕返しなのか
人間関係なんて、うっとおしいから表向きだけでいい、と思っているのか


人間味がないと思うことが増えた。
いくつかの人格を使い分ける人が増えたようにも感じる。


理想と現実の中で
自己防衛本能が、そうさせるのかもしれない。


わたしは、といえば
人間関係は、ワンパターンしか知らない。
相手がどんなカードを出そうと、わたしのカードは一種類しかないから
それを差し出すしかなくて。

でも、これをやると、自分へのダメージが大きくなってきた。
わたしが持つ自己防衛装置が、型遅れになってきたようで
世の中に対応しきれなくなった自分を、しみじみ感じる。
わたしもカードの種類を増やさなきゃいけなくなったのかも、とね。

古くからある商店街が、ショッピングモールに移転することに似て
いいもわるいも、そんな時代なんだと。


人と人は、認め合おうという気持ちの積み重ねで
形はどうであれ、関わりあって生きるものだと思っていたが
どうも、そういうもんじゃないらしい、という気でいる。


自分さえよけりゃいいんだよ
そう思えばいいんだよ
と、勧められているようだ。
ま、遺伝子を残してもいないわけだから
そういう考え方も、ありかな。


改造してこなきゃ、だ。


おわり