
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年10月16日(土) ■ |
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| 認め合うということ その6 |
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金メダルを狙って銀しか取れないとき 回りは、よくがんばったよと言うだろうが 本人はどうだろう。 自分も金がよかっただろうし 回りが金を期待しているのも知っていて 金を取るために、自分でできる最高レベルまで自分と戦っているのに やってきたことが報われないことだってある。
勝ち負けだけを意識すれば、金以外は「負け」ともいえる。 どんなにがんばったとしても、勝った人と負けた人に分かれる。
でもそれは勝負としての勝ち負けで、人としての勝ち負けじゃないだろ。
負けた悔しさをバネにしたり 尊敬や憧れに対し、自分もそうなりたいと挑んでみるとか ライバルと刺激しあいながら、お互いを高めていくとか
誰かがいるから、がんばれる 自分ひとりじゃ続かないこともある。
よくがんばったよ、と相手を認め 報われないこともあると、自分を認め お互いが認め合うところに、感動が生まれるのかもしれないな。
勝ち負け神話に魂を奪われ、やっきになって生きるのも勝手だが 勝ち負けと関係ないことまで、勝ち負けレースを増やさなくてもいいのに と、おとなをみていて、そう思う。
どんな物差しで勝ち負けと言うの? たとえば、恋愛とか結婚をさ。 幸せ、なーんて、面と向かっていえる?
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