START NEW INDEX MAIL BBS


おとなの隠れ家/日記
marko

MAIL
BBS


クリックすると
ランキングに投票されます♪

My追加


2004年10月15日(金)
認め合うということ その5




できる、できない
こどものころから、何度となくコレにぶつかる。

できないからといって、強く怒られたことなく育ってきたように記憶しているわたしは
やってもできないようなことを、やれといわれることはないだろうと思って
生きてきたように思う。

だから、考え方として、できないことをダメなことだと直接結びつけることは少ない。
むしろ、できないという言葉は、結果というよりは過程のような気さえする。


【逆上がり】

運動神経のいいこどもなら、なんなくこなす。
わたしは時間がかかったほうだ。
できなかった子も、どんどんできるようになると
自分だけできないことに焦ってくる。
できる子が羨ましいというよりは、できない自分が悔しいわけだ。
毎日練習した、手が豆だらけで鉄臭くなるまで。

逆上がりが簡単にできる人
ちょっと練習したらできた人
かなり練習したらできた人
かなり練習したけど、できなかった人
練習もせず、できない人

どれにも理由があるような気がする。
できる、できないのね。


でもさ、逆上がりができなくてもダメ人間ってことじゃないだろう?
おとなになったら、まるで関係ないし。
できるようになりたい、自分がそう思ったからチャレンジするもので
できるようになるのか、そうじゃないかは、また別な話じゃないかと。


【水泳】

一言で言えば、泳げない。
足が届く範囲でなら浮くことも潜ることもできるが
足が届かないところじゃできない。
溺れた経験があるから水が怖いのだ。

人は言う。
練習すれば、(浮けるし潜れるし)泳げるようになるはずだと。
自分でも泳げるもんなら泳げるようになりたい気は少しあるが
水の恐怖と戦うことは望んでいない。
それでももし、自発的に「泳げるようになりたい」と思えば
泳げるかもしれないとは思っている。

これ、ある角度からみれば、意気地なしだ。
泳げるようになるかも、と思いながら、やろうとしないわけだから。
わたしがおとなだから、面と向かって言われることはないだろうが
こどもだと、どういわれることか、努力が足りないといわれるかもね。
でも、泳げないからって、泳げないというだけでダメ人間?


できる、できないのハードルは自分の心の中にあって
自分でハードルを設定するものだと、わたしは思う。
できない自分を認める
できない相手を認める
それから次のことを考えればいい。

できた自分に満足することも
できなかった自分を受け入れることも
学ばなきゃいけない、すべて自分だと。
それをやらないから、考えないから、人のせいにするおとなが生産され続けている。


「なぜ、できないの?」

これに答えるのは、おとなのわたしでも難しい。
自分の努力が足りないから、できないのか
わたしの能力では無理で、つまり能力が低いのか
誰かと比べたところで、その理由は簡単に見えてこない。
理由がどうであれ、今現在「できない」ということは、わかっていて
できるようになるのか、できないままで終わるのか、それもわからくて
でも、できたほうがいいんだろう、という気はしてて、葛藤しているもんなんだ。

なんでもかんでも「やる気」をみせるなんて、できると思う?
自分に不向きだな、としり込みしてしまうこと、あるでしょ。
だから、こどものうちに「ダメな子」と思わせるようなこと、しないでほしい。



こどものおもちゃの鉄砲が壊れた。
パパに直して、と頼んだ。
パパは無理だよ、と言った。
パパならできる、3歳の息子は父親にそう言った。
日頃、できないと駄々をこねたとき、息子はパパに言われているのだ。

「お前にならできる」と。

パパは、パパならできる、という言葉にやる気をみせて(というよりは立場上)
鉄砲を分解してみたが、ネックはIC部分が壊れているのが濃厚、降参した。
息子は残念そうな顔をしていたらしいが納得したそうな。

もし、ここで「パパってダメだね」といわれたら、こども相手でもショックなのでは?


できないこともあるということを、3歳児でも知っている。