
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年10月13日(水) ■ |
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| 認め合うということ その3 |
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これだけ生きてきてもなお、わたしには知らないことが山ほどあって
歳を重ねれば埋まる知識もあるが これは常識だよと言われたって、知らないものは知らない。 知らないことを知らないのだから、打つ手が無い場合だってある。 わたしは、そうだ。 知らないままにあの世行きだろう。
思うに 知らないよりも知っていたほうがいいことはあるのだろうから でも、知らないことを知らないわけだから 知っている人が教えたら、それでいいんじゃない?と。
でも、今のおとなって、面倒くさがりやでしょ。 人と触れ合うにも、表面上だけ繕えばいいと思っているんだか 裏がある行動は目につくし、そもそも、付き合いというものを避けているんじゃないかと。
まずは、付き合いが先じゃないのかねぇ。 日頃、コミュニケーションができていないから、 集まって、いざ話し合いをするとなると 苦情の言い合いになって、私も私もとか、そういうけどあなたもそうでしょ、とか 攻撃合戦が始まる。 もめごとになると厄介だからと我慢して何も言わなかったのよと爆発でもするように。 認め合うんじゃなくて、けんか腰。 おだやかに話し合える環境ができていないんだろう。
学校でも町内でも団地やマンションでも、似たようなことが起っている。 もとはといえば仲間なのにね。
その延長上にこどもたちがいることを、おとなは気づいているんだろうか。 おとながこれだと、こどもだって、仲良くなるってことを表面上のことだと 理解するんじゃないのかな。
常識が欠けている、知識が低下していると言われてる、今。 加えて 教えようとしても、嫌がられる、危険な目にあう、逆に文句いわれるなど 祟らぬ神に的な考えをする人もいる。
教えて、というお願いに反応が鈍いというか冷たいおとな、増えたよ。 教わろう、という態度も、やる気あるわけ?といいたくなることあるし。
原因はひとつじゃないんだろうし 急にそうなったとは思えないんだ、時間をかけてそうなったんじゃないかと。 ということは修復にも時間がかかるだろうな。
教える側、教わる側それぞれに歩み寄ろうという気がなければ お互いを認め合おうとしなければ これからも、どんどん無くなっていくんだろう、あったほうがよいものが。
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