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おとなの隠れ家/日記
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2004年10月11日(月)
認め合うということ




長いこと自分の中でくすぶっているネタだ。
自分の言葉がみつからず、もやもやしている。
考えが頭の中でぐるぐる回っている。

え〜い、書いてしまおう。



何かが足りない、何が足りないんだろうと、このごろ、ぼんやりと考えている。
テーマは「人間関係について」


友人関係
恋愛絡みのぶつかり合い
うまくいかない、または諦めきっている夫婦の話
上司、同僚、部下との関係、それぞれの立場
社会で触れ合う他人との関係など

人間関係と呼ばれるものの中で、わたしが不快な思いをするのは
認め合うということをあからさまに拒否した関係だと言える。


わかりあえなくても認め合えれば、何か見えてくるのでは?

そんな話を思いつくままに。



【認め合うこと その1】



「自分と他の人を比較する」


比べてもいいじゃないか、とわたしは思う。
比べなきゃ自分がわからないから。
誰かと比べて、自分が優れているとか劣っているとか
いい勝負だなとか
そう考えるのは自然なことじゃないのかな。


比べることはよくない
だからみんな同じに
もしくは個性を発揮するように促す


そういう教育もあるようだけれど
わたしには、これ、とてもわかりにくい。


競争のない世界など、ほとんどないのに
競争心はダメよと否定しているように聞こえる。

テストの点数で仕分けられる学校で日々を送りながら
自分のペースでがんばりゃいいさと言葉では簡単に言えても
成績が悪ければ、居心地が悪いのが学校だ。


自分がやらなくても
誰かが、何かが、自分に優劣をつけるのが社会じゃないの?
絵がうまい、足が速い、勉強ができる、
これらは、誰かが点数なり評価なりをつけるから
誰かと、何かと比べるから、わかることだと。



勝ち負けを教わらずに
自分は自分と教えられ
個性を延ばせという


これさ

あたりを見回し、平均的にやってればいい
自分は自分、他人のことなんて関係ない
自分はこれをやりたいから、これだけやる

わたしには、そう聞こえるんだ。



ひとりで生きているわけじゃあるまいし
誰かと関わりあって生きてるくせに
周りの中の自分、つまり社会の中にいる自分を自覚しないでどうするよ、と思うわけだ。


問題なのは比べることではなくて、比べて、それを認め合えないことだと。