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おとなの隠れ家/日記
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2004年10月08日(金)
本音が言えない 後編




何度も自分の中で繰り返し考えてみた。
本音を言えないことが、なぜ問題なの?って。

何故?どうして?何故?どうして?何故?どうして? ←こんな感じで。

それくらい、わたしには、わかりにくいことだった。

で、ひとつ思いついたのは
「本音」の取り扱い方に、わたしとのズレがあるんじゃないかと。



本音が言える、言えないの問題よりも
言ったあとの自分のことが気になるんじゃないかな。
どう思われうるかと。

どう思われようと知ったことじゃない、なんて人もいるかもだけど
それは、その人のやり方なんだろうから。

もしも、きらわれたくない、イジメにあいたくない
だから言わないのならば、それはちゃんとした理由があるわけだし
言わないことを自分で選んでいることになる。
だから、言える誰かがいないせいで「誰にも言えない」と悩まなくてもいいんじゃないかと。


もしも本音を言える誰かを必要としているのなら
まずは自分が誰かに心を開いてみるべきだろう。
それをせずに聞いてくれる人が欲しいのならば、カウンセラーに頼むといいかもしれない。


でもさ
本当に、本音を言える誰かを求めているんだろうか。
まずは自分の話を聞いてくれる人が欲しいのでは?
だって、本音を言うということは丸裸になることだよ。
誰にでも簡単にそうなれるものかな。
親身になって話を聞いてくれる、そういった信頼がなければ本音なんて出ないだろう?


親に本音が言えないってのは、別に珍しいことだは思わない。
わたしは未だに、語っていない本音は幾らでもある。

友だちに本音が言えないってのは、
前に書いたように信頼関係が出来上がっていないからだろう。
順番があるんだよ、これには。

恋人や配偶者に本音が言えないってのは
これ、ちょいと考えもんだ。
まぁ、これはおとなが考えることだから割愛ね。



一方的に「本音を言いたい」だけで、受け止めてくれる人は稀だ。
仲間はずれになりたくないから合わせているだけの友だちとか
自分が都合のいいときだけ求める友だちでは
本音を言える関係など、できるわけないだろと、わたしは思う。


だからといって
こちらが一方的に相手を信頼して本音を言ったとしても
相手が本音で返してくれるとは限らない。
本音を語り合える相手を見つけるのに、マニュアルはないと思ったほうがいいね。
リスクは大いにあるもんなんだ。
自分が、相手が、傷つく可能性がね。


わたしだって経験あるよ。
本音を語って、相手が本音じゃなかったと知ったときの衝撃は
人間不信という形で心の傷になる。
真にうけて、それが違っていた日にゃ
モノも食べられないほど落ち込むもんだ。


こどもの頃から、そういったことを繰り返し
もちろん学習はするんだろうけれど
今、こうしておとなでいても
やられるときは、やられる。
わたしは、そうだ。
人付き合いをゼロにしないのなら、傷つくことは避けられないだろうとまで思っている。


そうやって覚えたのが、「言わない本音」←これ。
本音をまったく言わないというのではない。
言うのは本音、だけれど言わない本音もあるということ。
わかりにくいかもしれないが、わたし的やり方。

本音じゃないとか、嘘だとか、話半分だとか、どうでもいいよ、好きにすれば?
と、胡散臭い人間関係にはうんざりしている。
本音語らないで何を語るんだよ、おい、とも思う。
おとながこうなんだから、こどもはなおさら大変だろうなぁ。



そうそう、
本音が言えないことを苦しく思う理由のひとつに
我慢をできないんじゃなくて、知らないこどもが増えていることもあるそうだ。
過保護に育てられることで、何でも自分の思い通りになるものだと勘違いし
社会(こども社会)に出たとたんに、そうならない場面に出くわすと
どう対処していいのか、わからなくなると。


となると、傷ついた場合も、深みにハマる怖れもあるということだ。
自力で立ち上がる練習もしとかないと、おとなの社会でいきなりもまれたら......
と、心配でたまらない。