
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年10月07日(木) ■ |
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| 本音が言えない 前編 |
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9月初めにみた例の番組で何人ものこどもたちが語った
「誰にも本音が言えない」
という言葉が、どうも引っかかってね。 しばらく考えてみた、自分はどうだったのか、そして、今はどうなのか。 わたしは本音を言えているのか、と。
番組をみたときに、瞬間的に頭に浮かんだ考えは 本音を言えないことが、どうしてそんなに気になるんだろう、ということだった。 自分があまり気にしたことがないからだ。
しかし、その次に頭に浮かんだのは 言いたくても言えない、となると、恋愛感情 つまりオトコに対しては、そういうことを考えたことはある、ということ。 恋愛感情の場合、本音を言えないだけでなく、言わないというのもあるし。
こう考えると わたしも本音ばかりを言っているとは、いえない。
他にも キツイとかツライとか、言わないことがある。 言うと相手が気にするかなと思うときとか、特にね。 気を使わせないようにと、ま、本人は思いやりのつもりでいる。
それが通じるか通じないかは、相手のセンサーの性能による。 有難いと思われるか、都合いいから利用しようと思われるか それもまたセンサー次第。
この場合、自分で本音を言っていないことが、はっきりわかっている。 そんな自分に、呆れることもあるが 自分でやっていることなので、自己責任だとも思うし 相手のセンサーの性能によって自分を使い分けることはしないが 相手によって、本音を言っている場合とそうでない場合はある。
誤解のないように付け加えれば だから建前ばかりとか、嘘ばかりということじゃないよ。
自分の感情であれば、コントロールできるものもあるってこと。 骨をおって、誰かの笑顔をみることができるなら苦にならない。 でも、わたしは心が広い人間ではないので、その「誰か」というのは 限定された「誰か」だということだ。
つまり、自分で決めている。 本音を言うかどうかをね。
本音だから何でも言っていいとか 本音を言えないことが悪いことだとか
本音を、そう取り扱うから、苦しいんじゃないのかな。
言っていいことと、そうでないことがあるように 言わないことがいいと、いうことがあるように
だから
言えないなら言わなくていい 言いたいなら言えばいい
そう考えればいいと思うんだけど。
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