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おとなの隠れ家/日記
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2004年09月14日(火)
見えないんじゃなくて見ていないんだろう? その6




投げ損ねたボールがあたっただけで、気に食わない一言を言っただけで
イジメの対象になるらしい。
シカト、暴力、いたずらなど、それまでの学校生活が一変して苦痛のものとなる。
多くのイジメが誰かに救われることは少ないようだ。

親に話しても笑われた
先生に相談しても、自分でなんとかしろと言われた
友だちにはいえない、かばってもらえば今度はその友だちがイジメの対象になる


つらいねぇ、やるせないよ、こんな書き込みをみると。
八方ふさがりのように思うんじゃないかな。


イジメに耐えかね、相手を殺そうと刃物を隠し持って学校に行ったというこどもの取材があった。
どうして殺そうと思ったのか、その心のうちを聞いていると、わたしにも伝わってきた。
積み重なる憎しみと自分を守るために、相手を殺すしかないと、彼は思ったそうだ。

彼は繰り返される暴力の痛みには耐えられたという。
先生や友だちにこの話をして、今の関係がくずれることが怖かったらしい。
しかしあることから我慢の限界を超えた。
屈辱、それには耐えかねた。
刃物をカバンにしのばせ、朝、いつものように食卓へと向かったら
朝食をあわただしく準備する母の姿がそこにあった。
「おはよう」といえば「おはよう」という言葉が返る。
「こぼさずに食べるのよ」という、いつもの小言がある。
彼は家族の存在を感じたらしい。
もしも自分が人を殺したら、家族が悲しむ、相手にだって同じように家族がいる。

どういう方法で殺してやろうかと計画を練っっていた狂気の世界から彼を引き戻したのは
普段と変わりのない朝食の食卓の風景だったというわけだ。


こんな話を聞いていると、心が痛くなるよ。
十代で、そこまで追い込まれてしまう、学校に行くことがまるで地獄だ。
どうしてそうなっちゃっているんだ。

もはやこどもは諦めているように見える。
ただ息を殺して、じっと学校生活が終わるのを待っているような。


それにしても
回りのおとなたちは気づかないもんなんだろうか。


「ちゃんと見ていれば、私たちが追い込まれていることを親も先生も気づくはず」


こどもの書き込みに、そうあった。
だよね、見ていれば何か感じるはずだよね。


わたしは、こどもが、誰かを殺したいという気持ちがどうやってわきあがるのか
衝動的な場合を除けば、ちっともわからなかったのだが、今は少しわかってきた。


計り知れない憎しみと、これ以上耐えられないところにいる
そこを抜け出す方法として、相手をやるか、自分がやられるか


こどもが? そんなはずない
そう思っていたのが間違いか。

こどもなのに、そういう状況にいるのかもしれない、
こでもだからこそ「殺す」「自殺」という発想になりやすいのかもしれない、
そう思った。


こどもの起こす事件や自殺は何かと目立つ。
以前にはあまりなかったことだというのもあるのだろう。
その原因を「こどもが変わった」という目でみる前に
こども社会にも、おとな社会に似たようなモノが迫っているとみるほうが
当たっていはしないか。