
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年09月15日(水) ■ |
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| 見えないんじゃなくて見ていないんだろう? その7 |
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さてここまでが、番組の一回目をみて考えてみたこと。 どれも深刻に受け止めた。 ひとつ「本音がいえない」の本音について、かなり書いてはみたのだけれど いまひとつ、まとまらないので、もうちょっと考えてみることにする。
特設掲示板に寄せられたこどもの声は 小さいころから、がっちりとかまってもらわれすぎて息苦しそうなこどもや うわべだけのこどもの演技にまんまと乗せられ、本当の姿をみようとしないおとなへの苛立ちが、 溜まりに溜まっていることがうかがえる。
まだこうやって、声が聞ける分いいんじゃない? おとなはそれを有難く思うべきだ。
そこから早いとこ、救ってあげないと 見えないなんて言っている場合じゃない。 SOSがちゃんと出ているのだから。
......とわたしは思うのだけど、 そのわたしの神経を逆なでするような二回目のタイトル。
「大人はどう向き合うのか」
営業会議じゃないのだから、ああすればこうなるってもんじゃないだろうに。
番組の中で、こどもに問いかけた。
「大人に言いたいことは何か?」 「どんな言葉が嬉しかったか?」 「どんな言葉に救われたか?」
だって。 だめだ、こりゃ。 やっている番組はいいけど、この問いかけはどうよ。
聞くなよ、そんなこと。 考えればわかることだろう?と、思わずテレビに文句を言った。 こどもが何を考えているかわからないといって、こどもの言葉を求めておきながら その解決法まで、こどもに聞くというのか? てめーで考えろ、自分だってこども時代があっただろ?と熱くなったのはわたしだが こどもは冷静だった。
そんなこと、おとなが考えてください。 嬉しかった言葉、救われた言葉を言って、それを言われたからといって 嬉しくも救われたりもしません。
ナイス♪ わたしにはこどもの方がまともに映る。 おとなはこうやって、こどもをこどもとしてはみない傾向にある。 おとなの目線を押し付けるのだ。
こどもが見えない→実際にこどもに聞いてみる→見えるようになるはず
安易としか思えない計算だ。
大人とこどもとの間に溝ができている、物事の捉え方にズレがある
って、おいおい、ズレがあって当然だろう? 相手は大人ではなくこどもなんだよ。 同じだったほうが、怖くない?
一体、おとなは何を求めているんだ? なんか態度が横柄なんだよね、わかってあげるから言ってみなのように。 こどもが見えないというおとなに非はないという前提で物事が考えられている。
思うようにできなかったり 言いたいことをいえなかったり それをわかってやろう、受け止めようとするのがおとななんじゃないかい?
番組の冒頭からどうも気に入らない展開だった。
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