
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年09月11日(土) ■ |
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| 見えないんじゃなくて見ていないんだろう? その3 |
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こどもが将来やりたいことを語ったところで、 おとなから現実的な話でそれをつぶされるのは、 おそらく今も昔も存在すると思われる。
友だちとの付き合いが上手くいかないこどもだって いつの時代にもいるだろう。
親と仲がよくて何でも話せるこどももいれば 親にはうまくいえなくても、友だちとなら話せるとか
どちらともうまくいかないとなると 動物だったり本だったりゲームだったり、そしてパソコンだったり。
こどもの時間さえ取れれば、こどもは自分でみつけていく。 自分の世界ってやつを。
ところが、こどもの世界におとなが立ち入りすぎると おとなを仲間だと思っていないこどもは、 こどもであることを隠してしまうんじゃないだろうか。
小さい頃は遊んでと、親にせがんだこどもたちも 幼稚園や学校に行きだすと、こども同士で遊ぶようになる。 こども同士で楽しかったり悔しかったり悲しくなったりを学んでいく。 言葉で学ぶのではなくて身をもって学ぶ。
2歳くらいのこどもをみていると転びそうになって走る。 転ぶだろうなと思ってみていたら、やっぱり転ぶ。 転んで泣いて、次に走るときは、また転びそうに走っている。 いつ痛いから転ばないようにしようと気をつけはじめるのか知らないけれど やがて転ばないようになる、でも時間が必要だ。
この、どのくらいかかるのかわからいけれど必要な時間というものが おとなの手によって縮められているような気がするんだ。
小さいころから教えると何でも上達する、 そう思い込んで、まだ生まれて10年にもならないこどもに あれこれ習い事を与えてしまうと、本来その歳でやっとかなくちゃいけないことを やる時間がなくなってしまうよ。
こどもが、したいというから こどもが、楽しんでいるみたいだし
本当にそうなのか。
こどもは、よくウソをつく。 親の喜ぶ顔をみたくて無理をする。 褒められたくて、かまってほしくてがんばる。 こどもって親に愛されたいと強く願うものらしいから。
こどもの親に対する洞察力を上回ることは、親には不可能だというくらいに こどもは親の顔色や言葉に敏感に反応するからね。
親はね わたしに言わせれば、演技にすぐだまされる。 これはわたしの経験上、そう思う。
何に興味を持つのか、いろんなことに触れさせ才能を伸ばしてやりたいと思う親の気持ちは想像できる。 ただ、焦らなくてもいいんじゃない?と思うわけだ。
おとなの時間は長い。 でも、こどもの時間は、わずかに10年ちょっとしかない。 それを、おとなになってからでもできることに費やしてしまうの、もったいなくない?
そもそも、おとなにならなきゃできないことがあって こどもは、こどもなりにおとなの期待に答えようとしているんだと思う。 だけれど、こどもだから、おとなのようにできずに苦しんでいるんじゃないのかな。 こどもに、おとなになることを求めすぎていないか?
こどもの気持ちが書いてある掲示板で繰り返し書かれていることは
「ちゃんと話を聞いてほしい、避けないで」 「大人の理想を押し付けないで、本当の私達の姿をみて」
努力が足りないのは、おとな側だね、明らかに。 そこに親の気持ちや事情があることは、想像できなくもない。 対等ならば、お互いの歩み寄り、といいたいところだが 相手はこどもなのだから、おとなと同じ理屈で通じ合えるわけがない。 それが大前提にあることを忘れると「こどもの世界」が見えなくなる。
親の心子知らずというが、そりゃそうだろう、こどもは親になった経験がない。 親はこどもだったことがあるじゃないか。
泣いているこどもに母が言う。
「なんで泣いてるの? ちゃんと言わなきゃわからないじゃない」
ちゃんといえないもんなんだよ、こどもって。
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