
おとなの隠れ家/日記
marko
MAIL
BBS
クリックすると
ランキングに投票されます♪
↓
|
 |
| 2004年06月08日(火) ■ |
 |
| 話半分 その2 |
 |
あれからまだ考えている。 それより前から考えていたというのが正解なのだが。
足跡のコメントや書き込みを読みながら 身近な人に聞いたりしつつ考えてみると
話半分というのは、話をまともに信じちゃいないということに かなり近いようだ。
ウソのような、ジョークのような、 わたしには、そんなイメージかな。
「話半分できく」というのは、その話の信ぴょう性や真実味に 聞いた側が疑いまたは疑問を持つ状況がきっかけとなると思われる。
前と言ってることが違うちゃないか つじつまが合わないじゃないか
という感じで。
知らなければ、ああ、そうなんだと思えることも 知っていたりすると、そうじゃないはずだとか 知らなくても自分の考えていることとあまりにもかけ離れた話であれば それ、怪しい話だよね、などと思う。
きっと、話半分できいてしまうのは、そう思わせる過去や体験が あるからかもしれない。
でもね、 疑おうが、疑問に思おうが まずはそれを本当のことだと思って見たりきいたりするんじゃないかな? 本当のことだとすれば、ちょっとおかしくないかと考えるということでしょ? だから最初っから話半分できくということが、わたしは難しいと思っているんだ。
大げさにモノを表現したり、ウソの多い人の話でも わたしは話を話半分ではなくて、話全部きく。 その後、その話に対する自分の考えを見つける。 結果的に「あの話は話半分だ」と思う。
確認がとれることなら誰かにきくこともある。 自分がどう処理するか、一応話のネタもとに確認しないと こっちの受けとり方が悪いだけなら、相手に失礼だしね。
時々、ニュースを話半分できいたり 話の出どころによっては噂を話半分できくというのは、わたしにもある。 あえて使うなら「話半分」という言葉でもいいが わたし的には「話を信用していない」という方が近い。
「話半分」という言葉をわかったフリして使っているわたしは (一応、この言葉を使えないわけじゃないけれど) 本音をいえば、 話は話として信用している、もしくは信用していないのできいていない のいずれかしか、わたしの中には無いような気がするんだ。
こう書くと、冗談も通じないような固そうなイメージを 自ら全面に押し出しているような気もするが 「素朴な疑問」として読んでもらうと有り難い。
なんせ「とろりん日記」など書くようなヒトだし。(笑)
........で、この話は、もうちょっと続く。 次は、お声のかかった「真実」について、考えたことを書いてみようと思う。
|
|