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題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、
母の様子や入院等についての内容が書かれています。
ここに、ガンのコトが少し書いてあります。
| 2002年08月10日(土) |
日記と言うより記憶(7/29−4) |
記憶があやふやになってきた。 急ごう。
確か7/29の夕方前後に小姑達がきたんだと思う。 お通夜、告別式の打合せが終わった後だったと思う。 叔母は小姑と顔を合わす前に帰っていった。
父が母の最期に間に合わなかったのは 父が病院から連絡を受け、 小姑に連絡をしたからじゃないかと思う。 今病院から連絡があって、病院へ向かうから。 朝そう電話をもらって1番早い便で来たと小姑から聞いた。 父がただ母の元へかけつける事だけを考えて来たら・・・ 例えパジャマのままでも。 必ず間にあったんだと今でも思う。 それを考えると、父はウチの家長ではなく いつでも父家の長男なんだなぁと思う。
小姑がやってきて、私と妹はその小姑応対に慌しく動いた。 お茶を用意し、小姑の指示を仰ぐ。 お母さんのお備えを買ってきなさい。 お菓子とか果物とかね。
買いに走った私が家に戻った時見たものは カレンダーだけになった台所の壁だった。
小姑達のすることを抗議するコトもできず ただ見ていたA子。 私が帰ったときに、壁を指差しただけだった。
母の通っていた病院の診察券、楓の鈴、楓の診察券 母の何か判らないメモ、先月までのカレンダー。 何か頂いた時のリボン。 今月のカレンダー以外、何もかもなくなっていた。 まさか・・・
ゴミ箱を見る。
あった。
悲しくなる気持ちがあふれ ゴミ箱から先月までのカレンダーを拾う。 退院の日がハートマークで記されている。 死んじゃうってこういうことなのかなぁ?
前に通っていた病院の診察券も拾った。 悔しさがこみ上げる。 もっとちゃんと診察されていたらわかったはずなのに。 このことは専門家に話をしたが、母が元気な間は 見送ることになっていた。 この話はまた別の機会に触れることになると思う。
夜、母のそばで父と私達は交代で灯りの番をした。 ものすごい睡魔がやってきては消えていく。
翌朝早くに小姑達が、玄関を掃除していた。
母の靴がまとめられていた。 今日は仏様が通るから、玄関はきれいにしないといけないからね。 あーた達、どれがお母さんの好きな靴か私達には判らないから 選んでちょうだい。
ゴミ袋にまとめられた母の靴。
悲しみは通り越すと、もうどうでもよくなるのかもしれない。 母が同窓会にはいていった靴だけを選んで、ゴミ袋から出した。 よく履いていた靴、お気に入りの靴、入退院で履いていた靴も 選びたかったけど、もうどうでもよくなった。
でも 母がまだ家にいるのに、母のものをどんどん片付けられるのは どうしても悔しかった。 悔しい?悲しかった、辛かった。母がいたコトさえ消し去るようで。 それをするのが、母と距離の近い人ならまだ印象も違うだろう。 でも小姑だったのが反発心を招いたのかもしれない。
小姑に抗議するコトはできず、父に抗議した。 お母さんがまだ家にいるのに、なんでお母さんのものを 片付けたり捨てたりするの?許せない。 怒りを露にした。 父は黙っていた。
数時間後、父は 伯母ちゃん達には言っといた。あんまり勢い良く片付けるな、 あいつらに恨まれるぞ、と言っといたから。 そう私に言った。
言い方があるだろう?と思ったけど私も黙っていた。 言っても無駄だし。 こうやって、人は諦めていくのかな。
母を乗せる車が来た。 近所の人(おばちゃん)達も手を合わせ母を見送ってくれた。
小姑達がしてくれたことは、母が嫌いでやったんじゃないことは 当時も今もそれは理解している。 家族(主に父)が遺品を見るのが辛かろうと親切心で してくれたんだと思う。 でも、遺族が亡くなった人を偲びながら遺品の整理をすることは 色んな気持ちや想い出を整理することと同じだと思う。 だから、想い出が少ない人には、1番に整理をして欲しくない。
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