兼松孝行の日々つれづれ

2002年12月02日(月) 扉座「いちご畑よ永遠に」

毎年扶桑文化会館に公演しに来てくれる扉座の芝居「いちご畑よ永遠に」を観る。
毎回会館さんの好意でチケットをとってもらうのだが、いつもいつもいい席ばかりで嬉しい限りだ。
好意に甘えてばかりもいられないので、できる限りお客さんを増やそうと今回は劇団員以外にも声をかけ、自分の芝居で人を呼ぶくらいの人数は集めることが出来た。
でも、ふたを空けてみれば所々に空席が目立った。
非常に残念だ。

もちろん自分自身がこの小屋の建設に関わった分、ここで様々な公演が行なわれてお客さんが喜んでくれること、それだけで仕事をしてよかったと思えるのだが。
だからこそ、一杯になって欲しいと思う。

さて公演の方は、ジョンレノンの生涯を最初の妻シンシアを軸にして進められていく展開だった。
自分自身ジョンレノンに関するいろんな著作物やビデオ、映画なんかを割と観ている方だと思っているので、お話自体はすんなり入ってきた。
むしろ、どんな切り口でどんな思い入れがあって芝居を作っていくのかと言うことに興味があった。
特にシンシアを軸に芝居を進めていく当たりで、オノヨーコをどんな風に描いてどんな位置に置くのだろうかとちょっと心配になっても観た。
それはたぶん、オイラがジョンレノンのことを後追いだから新しい(現在の)事柄を否定されると、困ってしまうと思うところがあったからかも知れないし、むしろジョンレノンがここまで愛されているのは、オノヨーコと出会ってからの活動があったからだと思っているからだ。
でも、その心配も何処ふく風、ジョンとヨーコのことも肯定されていて、そしてそれに苦しむシンシアの姿が印象的だった。
演出・脚本の横内さんが思っているジョンレノン像とオイラの思っているジョンレノン像がずれていないことに(何故だか)安心した。
ジョンレノン自身はカリスマでもなく神様でもなく普通の人間だった。
そしてその普通の人間を普通の人間として描いていくことそのものに意味のある芝居だと思った。
だから、芝居を皆がら「そうだよな、そうだよな」といろんな場面で納得しながら芝居を観ていた。

芝居そのものについては、ジョンレノン役の佐藤さんがだんだんジョンレノンに見えてきた。
後半になればなる程、まわりのビートルズの面々とはレベルの違うリアルさがあった。
シンシア役の山田まりあさんも、期待以上に演技が出来ていたことに吃驚した。
演出的にはいろいろと勉強をさせてもらった。
でも、バンドの生演奏がねらいどころやアイディアは素晴らしいと思ったのだけど、演奏そのものに釈然としないところがあった。

釈然としないといえば、仕方がないこととは言え、イマジンを演奏するシーンのピアノが白くなかったことが残念でならない。
ピアノが出てきたその瞬間どうしても現実に引き戻されてしまった。
きっとオイラ自身が小屋を建設する仕事をしていて、そこで何度も観たピアノが目の前にドーンと現れてしまったからかもしれない。
ここまでいろんな場面を忠実に、そして役作りも風貌までそっくりに作ってきて、イマジンのピアノがそれ?っていう、、、、うーん、ショックだったんだな、それまで素敵な夢を見させてもらってた分。

でも、ぐっとくるシーンや台詞がいつくかあったし、全体的にはいい芝居だったと思う。

公演終了後懇親会があって横内さんとも少しお話をさせてもらって。
でも、緊張の余り、普通芝居の感想をいったりするところを、いきなりイマジンのピアノの話をしてしまった。
それでも、誠意ある対応をしてくれた横内さんに感謝だ。

来年の扶桑公演も楽しみにしている。


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