兼松孝行の日々つれづれ

2002年01月07日(月) 最近思うこと

芝居がお客さんに理解されるということは、先ずはその芝居の様式がお客さんに理解されるということである。

例えば、全くフラットな舞台があったとする。
その舞台上を適当な立ち位置でなんの約束事もなく動いてしまったら、その芝居はお客さんとしては、なんだか分からない一見前衛的な芝居になってしまう。
だから物語上の力関係で立ち位置を構成していかなくてはいけない。
例えば、いくつかの段差で構成された舞台があったとする。
その段差一つ一つに意味付けをしていかないと役者は混乱する。
そして役者が混乱すればお客さんはもっと混乱する。
だから、段差一つ一つに対して場面にあわせた意味付けをしていかなくてはいけない。

そうして物語における関係性の力関係を、舞台上に一定の約束事のフィルターを通してトレースしたものが立ち位置になって来る。
その立ち位置がお客さんには芝居の様式の一部として映るのである。

今回のうちの劇団の芝居では、舞台上に具体的な方向性を持った段差が存在する。
そうすると水平方向のベクトルと垂直方向のベクトルとが同時に舞台上に存在することとなる。
物語を支配する役者は、この二つの方向性のバランスを考えて動く必要があるのである。
そうすると自ずと他の役者の立ち位置も決まってくるのである。

個人的に思うのは今回の舞台は、ある一つの平面で場面を完結させるのではなく、象徴的なシーン程段差を飛び越えた方向性を持ったアプローチをしていった方が、舞台上の気持の流れや空気の流れをお客さんは掴みやすいと思っている。
要は、空間を出来うる限り広く使っていくということである。

具体的には、気持を伝えたい(あるいはぶつけたい)相手に対して物理的な距離を近寄っていくのではなく、距離をおいたところで気持の線をお客さんに見せていく芝居をしていった方がより舞台上の絵としては綺麗に見えるし、そうした方向で芝居を作っていった方が、今回のような舞台では有効な手段だと考えている。

そして役者はそんなことを意識しながらこれからの稽古をやっていく必要があるのではないだろうか。
しかし、これはオイラの個人的な意見なので、当然第一の観客である演出との擦り合わせが必要となって来る。
そして他の人達も、演出がどんな芝居を求めているのか引き出していくアプローチが求められる。


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