兼松孝行の日々つれづれ

2001年09月07日(金) 女心

前回の芝居を終えて、いろんな意味で女心がわからんなあと思っていたところで、たまたま芝居のビデオを見ているときに、ふと思ったことがあった。

蜷川演出の「パンドラの鐘」という芝居。
勝村政信扮するミズヲが大竹しのぶ扮するヒメジョの胸を鷲掴みにした瞬間、ヒメジョはミズヲに今まで感じたことのなかった得も言われぬ気持ちがわき上がってきて、そこから恋心が芽生えるといった場面。
もともと皇族の家系のヒメジョは周りにふしだらなやつがいない純粋培養のお嬢様だった。
そんなお嬢様が公衆の面前で乞食のミズヲに胸を鷲掴みにされる。
今までされたことのない様なワイルドな感じに動揺と恥ずかしさと、そして思いをストレートに表現されたそのことでヒメジョはミズヲが特別な存在にかわってくきっかけになる。

その時、もちろん大竹しのぶの芝居がすばらしいからそこまでわかったのだけど、こういう発想はオイラの中にはないなあと感じた。
演出しながら女心の表現はやっぱり苦手だなあと思っていたところに、こんなすごいの見せられると、改めてそれで飯を食ってる人達の台本を読むときの想像力のすごさに驚かされてしまうし、人生経験まだまだたりんなあと思わされてしまう。

台本を文字通りの意味だけで限定的にとらえてしまうと決してなしえなかった表現なんだろうなあ。
ここが芝居のおもしろいとこであるし、難しいとこだと思う。

そして、オイラはやっぱり女心はわからない。


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