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2021年03月31日(水) 100点の映画

私の大好きな映画を書きたいと思います。フランコ・ゼフィレッリ監督の「チャンプ」という作品です。元プロボクシングのチャンピオン、ビリー・フリンが引退後は息子のT・Jと競馬場の宿舎に2人暮らしで住み込みで働いているのですが、ビリーは酒とギャンブルに浸った生活をしています。そこへ離婚して2人を捨てて出て行った元の妻のアニーが現れます。と言うお話です。本当にこの映画が好きで見て欲しいのでストーリーにはこれ以上触れません。私にとってこの映画はラストシーンまで100点の作品です。好きなセリフがあるので、それだけ書いておきます。T・Jがビリーに聴きます。「アニーのこと好きだったの?」とビリーは答えます。「ああ、好きだったさ!だからお前が生まれたんだよ!」この映画の題名「チャンプ」はビリーが息子のT・Jにチャンプと呼ばれているからです。この映画を今観返すと、妻が言っていた。「お父さんは、子供にイジられるぐらいの方が懐かれるよ」という事が少し分かります。


2021年03月30日(火) 私が指導で心がけていること

これは私が子供達に空手を教えると言う事において、心がけている事です。私は、上手な子に見本を見せてもらう事はしますが、上手だから褒めると言う事はしません。上手になったら褒めるという事はします。逆に下手だから叱る事はありません。一生懸命やっていなければ叱ります。一生懸命稽古しないせいで進歩がないのならそれも叱ります。稽古に集中していなく同じ事を何度も間違ったら叱ります。元気な挨拶や返事をしたら褒めます。返事や挨拶が出来なかったら叱ります。後輩の面倒を見ていたら褒めます。後輩の面倒を見ていなかったら叱ります。結果ではあまり褒めたり叱ったりしないように心がけています。試合が終わって1番最初にかけてあげる言葉は「お疲れ様、怪我はない?」という言葉で、その次に「頑張ったね!」「また頑張ろうね!」「あの技良かったよ!」「あの技が出せてたらなー」「あの時、諦めただろう?諦めたら勝てないよ」程度のアドバイスをするだけです。それは何故か?結果でその人を評価したくないからです。勝負と言うのは残酷なものです。10人が試合に出場するとします。全員が自分の人生をかけて自分に負けず同じ時間を努力したとします。試合でも全員が一瞬も諦めず頑張ったとします。それでも1位から10位まで決まってしまうのが勝負の世界です。その順位で人の価値が決まるのなら勝負事など何の教育にもなりません。環境の良い家に生まれ、才能のある親の子供に生まれただけで自分の評価や人生が決まると言う世の中の残酷さを子供達に突き付けるだけです。私は努力もしないで取った1位より、努力をして最後まで頑張ったビリの方が価値がある学びがあると思っています。だから私は子供達の試合の結果の順位で子供達に順位をつける事はしたくありません。ここからは自分の子供の事に付いて書きたいと思います。自分の子供が運動会の駆けっこで1位になったら、それは嬉しいです。でもビリになったら、申し訳ないなと思います。私も運動会の駆けっこで1位になったりリレーの選手になる子供ではなかったからです。もし私の子供が私の子供ではなくオリンピックの100メートル走で金メダルを取る人の子供だったら?学校の運動会の駆けっこぐらいなんの努力もしなくても1位で普通にリレーの選手だった事でしょう。そのぐらい勝負は残酷なのです。でもだからこそ勝負から学ぶ事はたくさんあります。それを正しく学べるよう子供を導いてあげたいと思います。世の中や勝負の残酷さやその現実を目の当たりにして子供達が曲がってしまわないように指導して行きたいと思います。


2021年03月29日(月) 日記

長男が日記を書き始めた事で、次男も日記を書き始めました。日記を書く事はとても良いと思います。1日を振り返ったり、1日を総括したり、感じた事や思った事や忘れたくない事や、明日からやろうと思っている事を書く事で、自分との対話になったりします。また日記を書く事で毎日をどう生きたかを自分でしっかりと考える時間になり、今日の自分を明日に繋ぐコンテニューのような役割も果たしてくれます。1日を一生懸命に生きていたら書きたい事がたくさん出来ると思います。長男と次男には頑張って日記を書く事を続けて欲しいなと思います。


2021年03月28日(日) 試合に出場した選手の皆さん、お疲れ様でした。

私の運営する道場の2021年春季フルコンタクト組手競技支部内交流試合が無事終了しました。スタッフをしてくれた、十川先輩、廣田さん、中村、平野さん、平澤、浜田さん、恵里花、珠希には本当に感謝しております。試合に出場した皆さん、お疲れ様でした。子供達を試合に参加させて頂いたご父兄様、ご協力ありがとうございました。子供達にとっては現学年最後の試合なので、その人それぞれに思いがあったと思います。特に小学校を卒業する巧と理音は思いの強い試合だったのではと思います。私は生徒達の先生として、勝った人にも負けた人にも公平にお疲れ様と言う言葉をかけてあげたいと思います。私の中では試合で勝ったからその生徒の価値や評価が上がる事はありません。逆に試合で負けたからその生徒の価値や評価が下がる事もありません。ただ試合に出場しなかった生徒に関しては、3ヶ月間一生懸命稽古したら試合で自分の力を試したくなるはずですし、目標をもって稽古に取り組んで欲しいと思います。空手を始めたと言う事は強くなりたいと思っだからだと思うので、その初心を忘れずに、恐い辛い痛い苦しい、負けたら恥ずかしいと思ってしまう自分の弱い心に打ち勝って、試合に挑戦して欲しいと思います。何故、生徒が試合で勝っても負けてもその生徒の価値や評価は、私の中で変わらないかというと、勝つ事は別に良い事をした事ではありませんし、同時に負けた事も悪い事をした訳ではないからです。だから本当は勝ったから褒める事も負けたから叱る事もおかしな事なのです。だって勝った人は自分のために努力をして自分の我儘を叶えただけですし、もしかしたらその人は、偶然人よりいろんな事に恵まれて生まれて来ただけの事かもしれません。負けた人も負けを望んで好きで負けた訳ではない訳ですし、ある意味で言えば自分より能力のある人間に挑んだ訳ですし、試合中に諦めたとしてもそれは諦めるだけの心や身体にダメージを受けるなど、今の自分には対処しきれない理由あったのですし、相手がもっと頑張ったのかもしれませんから負ける事は仕方がありません。負ける事は、別に嘘をついたとか物を盗んだとか弱い者を苛めたとか約束を破ったなどの悪い事をした訳ではないのです。負ける事がもし悪い事であるならば、負けない事は簡単です。試合に出なければ良い訳ですし空手を止めてしまえば、もう負ける事はありません。でもそれでは人間の成長はありません。自分以上の物に挑戦し乗り越えた時に成長があるのです。試合に出場した選手の皆さんには、挑戦したという事を先ずは誇りにして欲しいと思います。何故ならば空手の試合と言うものは負けただけで終わる事は出来ません。心にも身体にもダメージを負います。人と人が心と身体を全力でぶつけ合うことは本当に怖さがあります。そして対戦相手も自分で決める事は出来ません。なおかつ沢山の人が見てる前で戦うという事は自分のプライドをかけて戦うのですから大変な事です。試合に出場した人達は、その恐怖に打ち勝って試合をしたのだから、それだけで称賛にあたいします。ただ試合に参加した事に意義があるというのは、また別の話で、目標もなく試合に出てもそこにはそんなに意義はないと思います。毎回試合に出て目標を持って何かを乗り越えようと挑戦する姿勢に意味があり意義が生まれるのだと私は思います。私が試合に出場する人に望む事は相手には負けたとしても自分には負けないで欲しいという事です。自分に負けなかったら相手に勝つ事が出来るか?勝負はそんなに甘いものではありません。一瞬たりとも諦めていなくても、一瞬たりとも自分に負けていなくても、自分より才能や能力や体力や環境に恵まれた人に自分の夢を叩きのめされる事だってあります。でも負けたと言う事実に叩きのめされて欲しくない、負けたと言う事に負けて欲しくないと思います。世の中には受け入れがたい事実を受け入れなければならない事はたくさんあります。それを受け止めてまた立ち上がって前に進む強さを身に付けて欲しいと思います。なので負けてもメソメソしたりいつまでも落ち込んだ姿を人には見せないようにして欲しいと思います。自分の思い通りにならない事にいつまでもメソメソしたり落ち込んだ姿を人に見せる人は、私は人の事を思いやれない自分だけが良ければ良いという、自分勝手な人間だと思います。また勝ったからと言って過剰に喜んだりする人も勝ったと言う事実に自分が舞い上がらせられているという事ですし、負けた人を思いやれない、感謝の気持ちの足りない自分勝手な人間だと思います。勝った人は、人の夢や努力や情熱を踏み潰して勝利を得たのだから、負けた相手が「負けた事は辛い事だけど、負けた相手がこの人で良かった」と思ってもらえるような毅然とした態度であって欲しいと思います。出来るならば試合場や試合会場では負けた時も勝った時も毅然とした態度でいて欲しいと思います。それが本当の強さを持った人間だと思います。私はそんな生徒を育てたいです。最後にじゃあ私の中で何が生徒を褒める基準なのかと言えば、大きな声で挨拶や返事が出来、大きな気合を入れて一生懸命に稽古し、出来ない事を出来るようにしようと努力をし、挑戦する事を恐れず、後輩には優しく、時には厳しく面倒を見てあげ、人に対して思いやりがあり感謝と尊敬の気持ちを持って、自分の得た権利に対して責任と義務を果たし、人の役に立とうとする姿勢がある事です。このような事が出来ている人の事は結果はどうであれ、私は無条件に褒めてあげたいと思っています。


2021年03月27日(土) 長男の日記

長男が日記を付け始めたそうです。その日記に腕立ての記録も書いているそうです。私が「明日は試合だから、今日は腕立て、やらなくてもいいんじゃない」と言ったら、長男は「日記に腕立てしたのを書くから腕立てはやらないと」と言って腕立てをしていました。本当に良い習慣を身に付けたなと思います。頑張って続けてくれればと思います。


2021年03月26日(金) 人間のドラマ

私の仕事の1番素晴らしい言は、たくさんの人の人間のドラマを眼の前で見る事が出来ることです。そしてその人のドラマの中に登場する事が出来ます。明後日の日曜日に私の運営する道場の支部内試合が行われます。小学校六年生や中学三年生は、節目の試合となります。その子達にして見れば、ある意味卒業式みたいなものだと思います。だから三月の試合では私は涙を流してしまう事が多々あります。その子達の戦っている姿を見ながら、その子達が入門して来た時のことや、その子達の生きて来たドラマのあれこれが頭に浮かぶからです。私は本当は人の前で泣くのは好きではありません。なおかつ普段は生徒達の前では厳しい顔をしている人間なので、泣いている姿など見せたくはありません。苦しい悲しい時の涙は我慢出来るのですが、でも感動の涙は我慢しても自然に涙が止まらなくなってしまいます。今年はどんなドラマが生まれることやらです。


2021年03月25日(木) 子供達とのこと

長男と次男がだんだん私をウザがるようになって来ました。次男から「パパは空手の話ばっかりするから嫌だ!」と言われ、長男からは「そうだパパは、違う話でも全部、空手の話にしちゃうからな!」と言われました。まあ最近は、私が小煩い話をし始めると、長男も次男も「また空手の話?また説教!」って顔をされます。もう少し子供達とは仲良くしていたいので、あまり煩い事ばかり言わないように気を付けたいと思います。妻にも「子供達に懐かれたいなら、子供達にちょっとイジられるぐらいにならないとダメだよ。」と言われます。私の夢は子供達に「親父、一緒に飲みに行こうよ!」と言われる事なので、少し自分改革をしていこうかな?と思っています。


2021年03月24日(水) 花見

東京も場所によっては桜が満開になって来ました。桜は一年に一度しか咲かないからこそ価値があると思います。一年中咲いている花ならば、わざわざ花見などしないと思います。一年に一度しか見る事が出来ないからこそ、わざわざ花見に行こうと思うのだと思います。桜と写る子供達の写真を見ると、本当に一年が過ぎて行く早さを感じさせられます。私は毎年、花見をする事を大切にしています。自分が生きている時間の中で、とても大切な時間だと思っています。


2021年03月23日(火) そんなふうに

中村文則の「王国」を読み終わりました。とても感動した言葉があったので書いておきたいと思います。(今思えば、わたしがそれから口にした言葉は、わたしがいままで、誰からも言われたことのない言葉だった。「あなたが、必要なの。・・・・・わたしはあなたが必要で、だから、わたしはあなたのために何でもやるの。・・・・・この世界は、あなたの誕生を歓迎したの。少なくとも、わたしはそう。ようこそって。・・・・・あなた無愛想だし可愛げもないけど、別にいいじゃない。誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」)この世に生まれて来て、こんなふうに誰かに思ってもらえたとしたら、もうそれだけで自分がこの世に存在していることに価値があったと思えると思います。「誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」誰かにそんなふうに言われたら、それだけで幸せだと思う事が出来ると思います。


2021年03月22日(月) 興味のある事をやれば

今は、こんなに本を読むのに、学生時代は何故あんなに勉強が嫌いだったのか?それこそ今は歴史の本なんて、こんなに読み漁っているのに、歴史の授業は嫌いで、歴史の教科書はあんなにつまらなかったのか?とても不思議です。歴史で私が興味があるのは、何故その人はその決断をしたのか?などの人間のドラマです。でも歴史の教科書は〜年に誰が何をしたなどしか書かれていませんでした。私は京都を観光するのが好きなので旅行の本もとても熱心に読むようになりました。戦国時代の誰がこの領地でここに川があったためにみたいな事を読む事から地理にも詳しくなりました。ですが学校での地理は全然興味が湧きませんでした。こうして考えてみると学校の勉強の中には私が人生の中で必要になりそうな事や、その時に求めていた事を学べる事が一つも無かったからだったように思います。もしあの時に極真空手の稽古方法や歴史を学べたら、言われなくても自分から勉強し全て暗記してテストでは100点をとっていたのでないかと思います。例えばゲームの好きな子が今やっているゲームを攻略する授業があったとしたら一生懸命に授業を受けるのではないかな?と思います。私の考えとしては一般社会で普通の会社に入って生きて行くのなら、中学校の勉強で充分生きて行くには困らないと思います。なのでそこからは、自分の生きて行きたい事やそれをやるために身に付けるべきの事を学んで行けば良いのではないか?と思います。そうしたら学ぶ事に目的が出来て、学ぶ事が楽しくなるのではないかな?と思います。私も空手の本なら分厚い難しい事が書いてある本でも集中して読む事が出来ます。そして空手の本には難しい漢字や読み方がたくさん出てくるのでそれを調べながら読むうちに漢字もたくさん覚える事が出来ました。おそらく学校で勉強しなかった分は取り戻したのではないかと思います。


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