馨絵詞〜かおるのえことば
楽しいことも、そうではないことも。

2003年04月23日(水) 稲葉の教習所ライフ・ファイナル

自動車教習所通いおよそ4ヶ月にして稲葉、めでたく免許証を手に入れました。

免許の交付は教習所ではなく、各管轄の運転免許試験場で行われます。
稲葉は二俣川。
横浜駅から相鉄線で約20分。

受付が午前8時から9時のあいだ。
早い。
なんでだ、ちくしょう。

試験場は静かな住宅街の丘の上にありました。
試験場のコースは教習所のそれと比べて格段に広くて立派でした。
日芸の所沢キャンパスのように開放感たっぷりでした。
さらに雲ひとつない快晴でとても気持ちが良かったです。

   ◆

受付を終えたら最後の学科試験です。
教習所でなんどか模擬試験をやってたので問題自体は慣れたものです。
試験後、落ちたとは思えなくても緊張はするもの。
周りの受験生達とみんなで密かにどきどき。
入試などもそうですが、こういう空気、嫌いではありません。

ホールの電光掲示板に合格者の番号が表示されます。
お友達同士の一団からは歓声が聞こえたりします。
稲葉も合格。
1人でしたから歓声は上げませんでしたけど、少しにんまりしたのは確か。
にしてもここに来て落ちる人もけっこういるんですね。

   ◆

この試験さえ受かってしまえばあとは少々の手続きだけです。
本当は初心者教習っていうのがあるらしいのですが、担当者がいなくて割愛されました。
良いのかしら。

続いて顔写真の撮影。
これのために前髪触覚を2本、久しぶりに立てました。
朝早かったのにこの辺はちゃんとやってるの。

写真撮影は流れ作業のような勢いで単調に手早く流れていきました。
そりゃあ多人数ですから仕方ないのかもしれません。
でもこっちは気合入れてるんですから、も少し凝ってほしかった。
たったの1枚、撮られたかどうだかも知らないうちに終了。
んもう。

   ◆

さてここからしばらく暇になります。
実際に免許ができるまで約2時間ヒマになります。
ちょうどお腹も空いてくるころ。
試験場内の食堂が混雑していたので、試験場を出てお散歩。
丘を下って駅のほうまで。
食事して古本屋さんのぞいて。

試験場に帰ってもまだしばらく時間がありました。
コースを一望できるでっっかいベランダのようなところで多くの人がゆっくりと時間を潰していました。
本当に気持ち良いの。
癒されます。

   ◆

適当に癒されたところでいよいよ免許とご対面。

普通自動車免許
免許の条件等/普通車はAT車に限る・眼鏡等
平成17年07月01日まで有効

「AT車(オートマチック車)に限る」の一文がちょっとかっこ悪いですね。
家の車がオートマだから良いかなって思ったのです。
マニュアルにしとけば良かったよ。
いまさら。

でも良いの。
乗り回しますよ。
ペーパードライバーにはなりたくない。

あ、写真、ちゃんと触覚写ってて、まあまあ満足です。

大人になった感覚。
いや、とっくに大人なはずなのにね。
大人の証明みたいなアイテム。
うむ。

   ◆◆◆

【関連記事リンク】
2002年11月27日『稲葉の教習所ライフ』
2002年12月4日『稲葉の教習所ライフ・2』
2003年1月18日『稲葉の教習所ライフ・3〜ひとつの正念場』
2003年1月23日『稲葉の教習所ライフ・4〜仮免学科試験』
2003年2月19日『稲葉の教習所ライフ・5〜路上教習』
2003年3月12日『稲葉の教習所ライフ・6〜大学生のいる学科風景』
2003年4月3日『稲葉の教習所ライフ・7〜技能終盤戦』
2003年4月22日『稲葉の教習所ライフ・8〜卒業検定』



2003年04月22日(火) 稲葉の教習所ライフ・8〜卒業検定

昨年の11月から自動車教習所へ空いてる時間を縫うようにして通っていました。
その最終日、卒業検定です。

卒業検定は他の教習生とペアになって行います。
前半戦は一般道路での走行、後半戦は教習所内コースでのいわゆる車庫入れ。

   ◆

稲葉とペアを組んだ生徒さん、集合時刻にいなくて初っ端から試験官さんご機嫌ナナメ。
怖え。
しかも規定のコースを外れにはずれて試験官さん、さらにご機嫌ナナメ。
恐え。
元のコースに戻るために試験官がしばらく運転をしたのですが、教習車とは思えないような荒っぽい運転でした。
怖え。

規定コースに戻った所で稲葉が運転する番です。
試験官のご機嫌と試験ということで慣れてるはずなのに緊張。
あたふたしました。
でも目立ったミスは無かったはず。
最後にエンジン止めるのを忘れたくらいで。
うん。

後半戦は左バックというのをやりました。
左バック・右バック・縦列駐車のどれかがランダムで試験種目になります。

これは完璧。
教習のときは苦手な項目だったのに試験では完璧。
試験官さんのご機嫌も少し良くなりました。

   ◆

車の中で合格を告げられました。
ちなみに稲葉とペアを組んだ男性も合格です。
一安心です。
他の試験官のところで合格した生徒達と一緒に卒業式みたいのがありました。

免許の交付に必要な書類一色と真新しい初心者マークをもらいました。

この春、2度目の卒業です。
さあ、明日はいよいよ免許証の交付です。

   ◆◆◆

【関連記事リンク】
2002年11月27日『稲葉の教習所ライフ』
2002年12月4日『稲葉の教習所ライフ・2』
2003年1月18日『稲葉の教習所ライフ・3〜ひとつの正念場』
2003年1月23日『稲葉の教習所ライフ・4〜仮免学科試験』
2003年2月19日『稲葉の教習所ライフ・5〜路上教習』
2003年3月12日『稲葉の教習所ライフ・6〜大学生のいる学科風景』
2003年4月3日『稲葉の教習所ライフ・7〜技能終盤戦』



2003年04月19日(土) 後輩への接し方を決定的に変えてくれた一言

いろんな所でいろんな人が新生活を送ってる春。
いかがお過ごしですか。
新生活ではなくても、後輩が入ってきたりして環境は少なからず変わっているはず。
いかがお過ごしですか。

3年前の今ごろ、大学で初めての後輩を迎えた頃を思い出してしまったので書きとめます。

   ◆

後輩ってさ、怖くないですか?
なんか。
なんとなく。
なにも、獲って喰われたりはしないのに。
向こうもこちらを怖がっているに違いないのに。
ねえ。

大学で所属していたべディックで後輩を迎えたとき、そりゃあ嫌でした。
当時のべディックは人が少なくて、他の学内の映画サークルに押され気味でね。
なんとかして1年生の心を放すまいと密かに必死でした。
その必死さを見抜かれるのがすんごく怖かった。
そう、後輩への恐怖の正体って、大抵これです。

   ◆

日芸の所沢校舎でその日も新入生の勧誘活動を終え、西武線の航空公園駅へ向かいます。
1年生を交えた学バス組と2年生のみの自転車組とに分かれて帰ります。
稲葉は自転車組で、1年生と別れて少しほっとした気持ちで、馴染みの同輩と駅へ向けて走っていました。
当時は自転車で通ってたんですね。
学バス代をケチるために。

自転車組の同輩の携帯に、学バス組の同輩から電話がきました。
後輩と盛り上がってしまったので一緒に食事行くけどどう? って。
電話をもらった同輩は快諾。
稲葉は一旦断りました。
おうちが遠いってのもありまして。

したらね、電話の向こうで1年生のひとりが
「ええ〜稲葉さん来ないんですかぁ」って言ったの。
稲葉に直接言った言葉じゃないんですけどね。
なんかね、もう行くしかなくなってました。
それくらい揺り動かされた一言でした。

   ◆

馬鹿だと思われるでしょうねえ。
自分でも思います。
なんて単純なんでしょう、稲葉は。
たぶんあの言葉だって1年生なりに気を使ってくれたに違いないんでしょうけどね。

でも当時の稲葉は純粋に単純に嬉しかったの。
後輩を怖がってたのが、電話の奥のたった一言によって可愛いと思えるようになりました。

あの電話の後、みんなで所沢プロぺ通りの道頓堀(お好み焼き・もんじゃ焼き屋)で仲良くお食事。
接待の感覚を抜きにして接したら、後輩の可愛いこと可愛いこと。

それからも毎年後輩を迎えるわけですが、
怖れのようなものは殆ど持たなくなりました。
そしたら、とても良い後輩が集まってくれました。
残ってくれました。
おかげで大学生活はとてもとても楽しいものになりました。

稲葉の心を絶妙のタイミングで揺さぶってくれた彼女も
今では現役を引退し、後輩を温かく見守る立場になっています。

まあ稲葉のケースは特殊かもしれません。
なんせ本当に単純なヤツだから、自分。
でも稲葉ほど単純でなくても、変わるきっかけはどこかにあるはず。
付き合い方を変えるきっかけを早めに掴み、
接待の感覚抜きにして、普通の先輩と後輩になれたら、楽しい生活が送れます。
そうするのが自分のためであり、また後輩のためでもあると思いますよ。

   ◆

以上、先輩として最初の年の春のおはなしでした。

上に出てくる道頓堀さん、とても良い雰囲気のお店でお薦め度高し。
日芸生ならいちどは行ってみてはどうすか?



2003年04月15日(火) 履歴書在中

何のテレビに影響されたか知りませんが
「ヨーグルトは花粉症に効く」と意気込んでいる稲葉の母。
やたらと、それはやたらとヨーグルトを買い込んで冷蔵庫の1段を埋め尽くしてしまいました。
極端なんだよなあ。
以前は高いからってんでたまにしか買ってくれなかったのに。
ヨーグルト好きな稲葉にはめでたい事態ですから良いんですけど。

ああ、どっかの学者さんが「肩凝りにはスイカが効く」なんて学説を発表してくれないかしら。
で、「おもいっきりテレビ」とか「あるある大辞典」で紹介してくれないかしら。
で、スイカをどこどこ買ってくれないかしら、おかあさん。
あ、ちなみに稲葉は肩はちっとも凝ってねえっす。

出て来い、奇特な家庭医学。

   ◆

さて。
最近、履歴書を書いています。
バイトのためだったりオーディションのためだったりします。

必ずあるのが趣味欄。
稲葉はここに「文章を書くこと」と書いています。

この日記だってそうだし
小説やシナリオ、詩、和歌など公開・非公開を問わず書いています。
手紙なんかもそうですねえ。
期限を定められて仕事のような感覚で書くよりは
書きたい時に書きたいことを書きたいだけ書くスタイルが好き。
だから趣味は「文章を書くこと」。

ただね、履歴書でこれはちょっとマズイかなってね、ちかごろ。

趣味欄の下にある「志望動機」「自己PR」がうそ臭く見えちゃうの。
なんかね、「合格するためだったら舌先三寸、あることないこと書きまくり〜」って印象を面接官が持つんじゃねえかと。
自分が狡くて小賢しいヤツに思われそうで。
「夢のために…」なんて一文がもう虚飾にしか見えなくて。
考えすぎかしら?

やっぱり「読書」とか「音楽鑑賞」とかにすべきかな。
さすがに「茶」じゃまずいでしょう。
「ヌイグルミ」もちょっとなあ。

いささかの迷いを残しつつ、結局は「文章を書くこと」と書かれた履歴書を、今日も封筒にねじ込むのです。



2003年04月13日(日) 稲葉、投票す

統一地方選挙ですよ。
第15回統一地方選挙の前半戦。

稲葉 馨、22歳10ヶ月にして初めて選挙の投票に行ってきました。
これまで選挙権をめでたく得てより何度か選挙は行われたんですが
すべて何らかの事情で棄権していました。
2回ね、お芝居の本番が重なってしまったのですね。

   ◆

今回稲葉は神奈川県知事・神奈川県議・横浜市議の3つに投票をしました。
にしても県議・市議クラスになると誰が誰だかわかりませんね。
知事はまあなんとか判断材料になるくらいの情報が得られますが
県議・市議だともうポスター見て決めるしかない。

こっちの方が写真うつりが良い、とか
こいつは笑顔が気にいらねえ、とか。

いや、まあポスターには最低限の情報は書いてあるんですけどね。
公約とかスローガンとか。
一番大きいのは政党でしょうかね。
政党の存在意義が問われていますが、しかし何にも分からないと政党の名前が気になりますね。
稲葉は今回、県議・市議選に関しては政党を選択基準の第一としました。

我が神奈川県、知事は松沢さんに決まりました。
宝田さん、飛鳥田さんは惜しくも落選。
注目度の高かった田嶋陽子さんもダメでした。

選挙期間中、川崎駅でド派手なオバサンとすれ違って
あまりの派手さに気になって振り返ったらそれが田嶋さんだったことがあります。
演説場所への移動中だったんですね。


   ◆

神奈川県民でありながら神奈川県知事選よりも東京都知事選の方が気になります。
石原さんが勝つことは分かっているのに気になります。
都知事選にも投票したかったなあ。
絶対に無理なんすけどね。

その石原さん、過去最高の得票率で再選。
308万票です。
すごいです。
3080000ですよ。
3,080,000ってカンマが2つも入っちゃう。

1日のうちに3080000人が「石原慎太郎」って書いたわけですよね。
あのちっこい紙切れに。
政治家になるつもりは今はありませんけど、何百万って人に前向きな気持ちで自分の名前を書かれるっていう体験はしてみたいです。
いちど、300万人に「任せた!」「頑張れ!」って言われてみたいです。
そりゃあ頑張っちゃいますよ。
わっしょい。

300万人が「石原慎太郎」って書いてる裏で
1万人くらいは「石原裕次郎」って書いてるはずなんです。
絶対に表には出てこないけど、絶対にいるはずなんです。
で、千人くらいが「渡哲也」。
渡さんは出馬じゃなくて応援してたんですからね。



2003年04月11日(金) 迷惑メール四苦八苦

おはようございます。
携帯への迷惑メールに激しく迷惑し当惑している稲葉 馨です。

なんなんでしょう、迷惑メール。
携帯がぷるぷる震えるたびに
「どーせ迷惑メールじゃねえのぉ?」
ってな気分になります。
そして大抵当たりなんです。

携帯メールを始めた頃はぷるぷる来るたびに心もぷるぷるしたものですが
いまではぷるぷるが少し鬱陶しく感じられます。

返信で「うるせえ」って言ってやりたいのですが
あれってどうせコンピューターか何かで送ってるわけでしょ。
送信代損こくだけなんでしょ。
もう。

   ◆

機械的に送られてくる迷惑メールは鬱陶しい以外のナニモノでもありませんが
それらに混じってやってくる個人的な出会いを求めたメールは少し可愛さを感じます。

機械的じゃない普通のアドレスで
「ぼくとお友達になりませんか?」みたいなの。
即座に削除しちゃうのは同じなんですが、わざわざ携帯のボタンをピコピコ押している姿を想像すると、まあ苦笑まじりに許してやるか…みたいな。
とりあえず「うるせえ」返信を受ける覚悟ができている点のみは認められます。

その手のメールはすべて男からですね。
お友達ではなく恋人を求めています。
でも残念ながら稲葉は男の子なのです。

にしてもやたらと来る。
男から来る。
メルアド知ってるくせに稲葉が男かどうか分かってない。
奴らの情報源はなんなんだろう。

   ◆

うん、すこし分かりました。
きっと稲葉のメルアドに原因がある。

稲葉のメルアドは携帯もPCも下の名前の「馨」から始まります。
この「かおる」っていうのが女の子っぽい。
んー、たしかにそうかもしんない。
でも「かおる」っていう男もいっぱいいるはずなんですけどね。
小山内薫とか井上馨とか与謝野馨さん。
『源氏物語』の薫も男性ですね。

とにかく全国のメールで出会いを求めておられる男性諸兄は
男だか女だか分からないようなアドレスにやたらと送らないでいただきたい。
気持ち悪いんですよ、文面が。
そりゃあ稲葉だってたまには女の子に下心を匂わせるときはありますが
男にやられるとめぇちゃくちゃ気持ち悪い。
だから「かおるさん」に期待するのはやめた方が良いですね。

同じ理由で「ひろみさん」「ゆうきさん」にもやめてあげてください。

   ◆◆◆

【リンク・関連記事】
2002年12月14日『Re:無題』



2003年04月09日(水) あの頃の新入生はいま

4月7日付けの日記で「春は別れの季節」みたいなことをちろっと書きました。
でも別れの季節ということは出会いの季節とイコールなんですね。
稲葉が日本大学芸術学部を卒業したら
今度は沢山の沢山の新入生が日芸にやってきました。
わんさか。

新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。
稲葉と君らは入れかわりなので、直接の付き合いはあまり無いと思います。
それでもたまの飲み会とかには遊びに行くのでよろしく。

   ◆

新入生が入ってくると部活・サークルの勧誘活動が始まります。
1年生は今後の活動の原動力ですからどこの部会も一所懸命です。

稲葉は卒業生ですが、新歓の机出しに何度か遊びに行きました。

部会と新入生、としてもそうですが
1人の先輩と後輩としても今後付き合いが発展していくのですね。
今はお互いに探り探りな会話なのが、次第に打ち解けていくのね。
打ち解けたら一緒に映画を創ってたり、同じ舞台に立ってたりするのね。
同じ酒でひと晩を過ごしたり、涙を見せたり受けたりするのね。
今は絶対にできないであろう喧嘩とかもするのね。
良いなあ。
出会いって良いなあ。

とても可愛く思っている後輩たちとの出会いも、ほとんどが新歓の机出しから始まりました。
机出ししといて良かったです。
新歓の活動は基本的に1年生のためのものですが、結果的に2年生以上の人のためにもなるのね。

   ◆

稲葉が部会の会長を務めていたときに入部してきた1年生が
今は会長として執行部として先輩として部をまとめています。
たった1年前、机出しで小さくなってた1年生が
今は先輩として机出しの中心になっています。

1年生が入部を決めると、その場で他の部会の人を大勢集めて新入部員のお披露目
をします。
学科と名前を呼び上げて賑々しく3本締め。
昨年、稲葉は1人の女の子のお披露目をしました。
彼女は照れて小さくなってました。
その彼女が、今は新歓隊長として3本締めを仕切っています。
分からないものですね。
稲葉が3本締めの音頭をとっていたときは想像もしていませんでした。
卒業して学生の枠から外れたは寂しいけれど
自分の入れた後輩達が頑張っているのは嬉しいですね。

たった1年前、机出しで小さくなってた1年生が
今は新歓プロ(=新歓活動のスタッフ)として部会の枠を超えて動いています。
稲葉が部会の会長を務めていたときに入部してきた1年生が
今は新歓プロの重鎮として新歓活動を支えています。
嬉しいですよ。
ちょっと、ほんのちょっと寂しいけれど
でも嬉しいですよ。

   ◆

もっともっと出会いましょう。
この先がもっともっと楽しくなるから。



2003年04月07日(月) 春のプチ・イヤなもの

稲葉は春が大好きです。

暖かくなってくるし、何より桜!
さくら、良いですね。
あと道端に咲いてたりするツツジも良いですね。
だから稲葉は春が大好きです。

夏も好きです。
開放的になれるから。
はしゃげるから。
秋も良いね。
すごしやすいし。
モミジとマツタケ。
冬は雪が積もりさえすれば好き。
以外はイヤ。
ごめんね冬。
判断基準がお子様並ですね。

ま、とりあえず春は良いです。

ただ、ちょっと嫌いな要素があります。
別れの季節ってことね。
卒業とか引越しとか。
それがね、ちょっと辛い。

そして今年からプチイヤがまた1つ。
稲葉、花粉症が始まった模様です。
昨年の春、もしかして花粉症? 程度でしたが
今年、ついに確信に至りました。
鼻水が大変。
さらに風邪っぽさも加わってまた大変。
どちくしょう。

それでもそれでも
花粉症が加わっても
稲葉はまだまだ春が好き。

さくらさくら、もう少しふんばってくんろ。

今日は1文1文が短いですね。
右側に余白がいっぱい。



2003年04月05日(土) アメリカよりも報道関係者に憤る

アメリカ・イラク戦争もいよいよバクダッドの攻防に至りました。
そんななか、「反戦」をテーマにしたお芝居を観てきました。

「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」による
反戦リーディング第2弾・「あきらめない」演劇は非戦の力 です。
友人に紹介され、無料だというので(♪ …最低…)行って参りました。

新宿の紀伊国屋サザンシアター前には開演前から長蛇の列。
マスコミもたぁくさん来てました。
無料に喜んでた自分が恥ずかしくなりました。
ああ。

劇場のキャパシティ(468席)を遥かに超える客の数。
したがって立ち見客もいっぱい。
稲葉たちのグループも空いてる席をやっとこ見つけてって感じでみんな離れ離れ。
稲葉は要領悪く席見つからず、立ち見かな…って。
したらマスコミの人が「ここ空いてるよ」って言ってくれて
報道関係者席の真ん中に座らされました。
いいのかなあ。
NHKのカメラが「マスコミの注目度も高い」って風に、報道陣をなめるように撮影してました。
しかしその中央にいる稲葉は残念ながら無職です。
いいのかなあ。

   ◆

お芝居というよりは朗読会といった感じでした。
9.11テロとイラク攻撃の関係者の声明や心情の朗読があり
時おり、それにまつわる歌を歌う。
さらにブッシュ大統領へのメッセージとジャーナリストによる講演。
以上が第1部。

第2部は戦争に巻き込まれた子供達の視点による朗読。
第3部は主催者から小泉首相や世界の演劇人への呼びかけ。
といった内容でした。

主張自体にはいくらか反論が無いわけではないのですが、ここでは触れません。
時宜にかなったものではあるし、やる意義のようなものは確実にあったと思います。

   ◆

それよりも気になったのは報道関係者の存在です。
一言で言っちゃうと、すんごく邪魔。
上演中でも容赦なくフラッシュばっしゃばっしややってきます。
実行委員で総合演出の渡辺えり子さんはじめ、
宇梶剛士さん、ラサール石井さん、中村獅童さんといった名のある人が喋り始めるとフラッシュはさらに勢いづきます。

開演前に、写真撮影はダメなどといういわゆる「前説」はありませんでした。
ですからマスコミには写真撮影の許可を出していたのかもしれません。
にしてもどうかと思うのです。
明かに静かにしたいところでフラッシュが入ると醒めます。
内容はどうでもよくて、「中村獅童が反戦を言ってるぞ」ってことが重要なんでしょうか。

これは稲葉がマスコミ席にいたから感じたことではないようで、
他の席に座っていた友人も似たようなこと言ってました。

とはいえ、彼らは仕事としてここにいるわけですから理解できなくもない。
稲葉のようなお気楽なお客さんとは違いますからね。
でも電話はいただけないよ。
チャクメロ鳴らしちゃダメよ。
こっちからかけるのはもっとダメよ。

あと、稲葉の隣のオジサンは携帯のカメラで何枚も撮ってたけど、それも仕事?
静かな劇場に携帯カメラの撮影音は響くのよ。

   ◆

肝心の内容よりも報道関係者のあり方が気になった2時間30分でした。
無料なのに、なんか損した気分。
むーむー。
映画の試写会のように、マスコミに堂々と仕事してもらう時間を設け、
以外はただ黙って観てもらうって構成にすれば良いのに。

終演後、TBS(『NEWS23』っぽい…)のカメラが観た人のインタビュー撮ってました。
つかまるとあらぬことを口走りそうだったので逃げました。
へへ。
そうそう掴まらないって。

朗読の中で「強者の論理がまかり通る世の中で良いのか」みたいな主張がありました。
まったくだと思いました。

稲葉の同輩・後輩にもマスコミに進む人は少なくないと思います。
彼らには無礼な報道人にはなってもらいたくないものです。



2003年04月03日(木) 稲葉の教習所ライフ・7〜技能終盤戦

稲葉 馨、22歳、免許取得を頑張っています。

今まではのんびりやってりゃいいやと思ってましたが
学生証を無くしたら身分証明書がなくなりました。
急いで取りたいものですね。
身分証明の無いものがかくも不安だとは…。
しっかり社会に組み込まれてるなあ、自分。

   ◆

教習所も終盤戦突入です。
終盤技能のヤマであるシミュレーター教習と高速教習をやってきました。

シミュレーターはコンピューターによる教習です。
街のゲームセンターにあるレーシングゲームの飾りっ気のまったく無い機械です。
危険予測がこの教習の目的です。
ガキの飛び出しだとかバイクの突っ込みだとかね。

2人1組で行われる教習で女の子と組みました。
トップバッターは稲葉。
シミュレーターだから実際の車と似た感覚かと思っていたら、これが全然違う。
速度の高低にメリハリが無い。
カーブしても遠心力等がかからない……などなど戸惑い激しいものがありました。

それでも次第に慣れて、お子様の飛び出しをクリアしたり快調に走っていました。
ただ、最後のカーブで「隠れキャラ」を轢いてしまいゲームオーバー。
ん? ゲームじゃないぞ。

女の子と交代です。
彼女は中盤の直線、事故を避けようとした急ブレーキでトラックに追突されてゲームオーバー。
…だからゲームじゃねっつの。

彼女が事故ったとき、正直ほっとしました。
だって稲葉だけ事故ってカッコ悪いもの。
事故を想定した教習だから良いの。
だからシミュレーターでやるんだね。

でも、どーせシミュレーターなら、ここでしか出来ないようなことしたかったな。
逆走してみるとか
バックでゴール目指すとか
歩道走るとか
スピードメーター振り切るとか
そんでカーブでドリフトかますとか
コースにない所の道に入ってみるとか(ちゃんと道は用意されてるのかな?)

ワイパーのスイッチあったけど、押したらワイパーの絵が出るのかな、とか。
そんなことばっかり考えてました。
だから事故起こすんだね。

   ◆

高速教習もペアを組んでの教習です。
ただ、稲葉は受講者の都合上、1人でやりました。

教習所のある川崎から高速湾岸線に乗ります。
高速湾岸線は川崎市から横浜市へかけて、東京湾の埋立地を走る道路です。
コースのほとんどが海か、海に浮かぶ埋立地。
途中、横浜ベイブリッジも往復します。
港町ならではの絶景コースです。
ただ、ちょっと間違えると東京湾アクアラインに入って木更津に行っちゃうの。
あぶね。

この日は雨。
怖い上にせっかくの景色も灰色でなんにも見えやしなかったです。
ちくしょう。

初めて高速本線車道に合流するときはどきどきです。
最初に一般道路へ出たときの緊張を思い出しました。
とはいえ一本道だし、信号無いし、歩行者いないし、車自体に慣れてるし…ですぐに高速には馴染めました。
気持ち良いですね80キロ、100キロ。

大黒ふ頭のパーキングで休憩。
車を止めてトイレに行きながら、少し大人を実感しました。

一般車道に戻るとしばらく速度感覚がおかしくなります。
制限速度ギリギリなんだけど遅く感じてしまうのですね。

教習所の近くのコースに桜並木があります。
それが綺麗で綺麗でみとれて事故起こしそうで怖い。

【関連記事】
2002年11月27日『稲葉の教習所ライフ』
2002年12月4日『稲葉の教習所ライフ・2』
2003年1月18日『稲葉の教習所ライフ・3〜ひとつの正念場』
2003年1月23日『稲葉の教習所ライフ・4〜仮免学科試験』
2003年2月19日『稲葉の教習所ライフ・5〜路上教習』
2003年3月12日『稲葉の教習所ライフ・6〜大学生のいる学科風景』



2003年04月01日(火) ★★仕切りなおし〜初めてのお客様へ★★

おはようございます。
当日記『馨絵詞』へ足をお運びくださいましてありがとうございます。
わたくし、作者の稲葉 馨と申します。
あ、男の子です。

この日記は
日本大学芸術学部文化部連盟B.D.C.演劇映画放送研究会
の公式ホームページの1コーナー『会長音頭』として始まりました。

B.D.C.…通称「べディック」は映画・演劇製作を活動のメインとする
日本大学の公認部会であります。
わたくし稲葉はべディックのOB、32代目の会長であります。
べディックに関しては、公式ホームページを参照ください。

   ◆

稲葉は今年の春、めでたく大学を卒業しました。
晴れての無職であります。
いずれは役者さんとして喰っていきたいという大望を抱いております。
が、「今は」まだ何者でもありません。
ヒヨッコにすらなれていません。
今は…ね。

この日記はそんな稲葉が観たり、聴いたり、感じたり、やったりしたことを書いてまいります。
今はまだ何者でもない稲葉が、少しずつ、時間をかけてゆっくりと何者かになっていく様を描いてまいります。
これまでの読者様には変わらぬご愛顧を賜りますようお願いを申し上げます。

そして、新たにお越しくださいました方には
末永いお付き合いをいただけますようお願いを申し上げます。

【リンク】
B.D.C.演劇映画放送研究会公式ホームページ☆こちら☆


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