ココロモヨウ
dokin



 私だけのために


私は私のために私のやりたいことをやる

こんな当たり前で基本的なことを

ついつい忘れてしまいそうになる

誰かのためにやってるなんて思ってないけど

根本的な気持ちが無意識の内に消えてしまい

はっと我を振り返り確認しないと

流されてそのまま所在をなくしそうだ

私は私のためだけに好きなことをやる



2004年05月28日(金)



 ひたひたにする


そろそろまた動き出さなきゃ

からっぽの箱には空虚しかない

このままでは底をつくだけではなく

そこに穴が開いてなにもかもが

流れ出てしまいそうだ

なんでも、どんなことでもいいから

内側から自分をひたひたにしなければ

ふっくらと肌理の整った水瓶を作らなければ



2004年05月23日(日)



 これも殺意?


人を殺したいと思ったことがありますか?

私は殺したいとは思わなかったけど
死んでこの世から消えろ、と
心の底から念じたことはある
その人間が生きてる限り
私は幸せになれないと真剣に思っていた

ん、これも殺意なのか?

その当時私は右も左もわかるよな大人だったが
感情に大人も子供もない
感情は生き物だ 常に生きて熱を持っている
だからとてもやっかいだ

後にも先にもそう思ったのはただ一人だけど
恐ろしいくらいマジでシネと思っていた



2004年05月09日(日)



 叶う確立


こうしたいとかこうなりたいとか
願ったり望んだり夢を抱いた時
人はどれくらいの確立で
叶うと思っているのだろう

思ってるだけじゃなく
それに近づくための行動を起こした時
90%以上はダメだと思いながらも
残りの数パーセントは信じたいし
それが上手くいかなくても
それとは違う手段で手に入れる方法を考えて
動いてみようと私は画策する

手に入ればラッキーてな感じだけど
それに至るまでの
何かをしたい、しなければ、という思いが
人を前向きにさせるのかもしれない

手に入れたいものが本物かどうかは
実のところ二の次で暇つぶしが一番の
目玉なのかもしれない






2004年05月02日(日)



 最後の答え


私はいつも本音を言っている
私を解って欲しいから自分の言葉で伝える
でも私は照れ屋で不器用だから
ほんとなんだか嘘なんだかのぎりぎりのラインで
真偽をはぐらかしている

自分が傷つかないラインに立ち
傷ついても直ぐに立ち直れるラインを保っている

それを受け取った人が
どこまで私を解っているか解ろうとしているか
肝心なところは相手任せにしているんじゃないか
というのをなんとなくさっき思った
思ったら書かずにいられなくなった

それは委ねるのではなく無責任に任せるだけだ
任せた人が私の思うような答えを出さなければ
その人に用はなく思い通りの答えを出す人を探す

これの繰り返しばかりのような気がする



2004年05月01日(土)
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