ココロモヨウ
dokin



 命の期限


自分で死ぬ気はないけれど
命に期限がついてれば楽だと思う時がある

楽しいことを奪われる代わりに
苦しいことからも逃れられる

期限付きの命だと宣告されたら
sexに溺れてみたいと思う
moralistの仮面を脱ぎ捨てて
恋なんだか煩悩なんだかわからない
そんなことはどうでもいい次元で
裸で遊びまわりたいと思う

美味しいものを食べて
目に映ったものを選ぶ感覚で



2004年04月26日(月)



 底なし


孤独をうめたくて街に出たのに
孤独は倍になって返ってきた

山あり谷ありなことを
誰かに語る気分じゃない
上手く伝えられないし
上手くまとめられない
大したことじゃないけど
大したことじゃないことに縛られている

少し自重しよう そう思うのに
依存症の私はすぐに求めてしまう




2004年04月21日(水)



 尖ったヒト


その人はどこもかしこも
鋭角的なパーツで
目も眉もきりりとして
鼻は添え木をしたかのよに真っ直ぐで
手も拳の骨がシャープすぎるほど
はっきりときれいに見えた
服を着てても細すぎる線が
その人そのものを表しているようだった
駅で別れる時軽く手を握った
握手でもなく絡めるようでもなく
第2関節くらいを軽く
一瞬だったけど
夜気で少し冷たくなってる
尖った手がその人らしく思えた
顔はなぜかぼんやりとしか思い出せない
少し前にあるところに一緒に行こうと
話をしていた
その約束は果たせないまま
守ることも無理になったので
一緒に行くことができなくなったと告げた
ひどく頭が痛かった
胸の痛みが頭にがんがん響いてるようだった


2004年04月20日(火)



 最悪な自分


どうしようもなく自己嫌悪な気分だ

なんかもう自分が嫌

自分自身が果てしなく嫌

やらない後悔よりやった後悔の方が

良いと言うけれど

やった後でする後悔もキツイ

自分の取った行動を

自分が出した言葉を

一つ一つ辿って自己嫌悪はどこまでも続く

もう少し上手くやれよ自分



2004年04月19日(月)



 あちらとこちら


絶望的な気分で目覚めた
何が絶望なのか何に絶望なのか
わからない振りをして
目を閉じてまた目を開けた

足元に白線が引いてあり
あちらとこちらで分かれている
数センチの距離にいるのに
私はこちらで向こうはあちら
その隔たりを作っているのは
歪んだ私のココロ




2004年04月13日(火)



 私の在り方


ネットを通じてできた友人・知人がいる
PCや携帯でメールをする人
その枠を超えてリアルで会う人
物理的理由で会えないけれど
葉書や手紙をやり取りする人など
形態は様々だけど
ネット上で文字を発し続けていたから
出会えた人達
その出会いも付き合いも大切なこととして
これからも大事にしていく
けどそれによって
私を私と認識することによって
私自身に負荷がつき
自ずと制限されることを
少なからず不便に感じる
交流のある人の
悪口を書きたいわけではない
ただなんとなく閉塞を感じるだけ






2004年04月08日(木)



 結婚と就職


結婚と就職は似ている、とふと思った
特に女や女親側から見た場合に

自分(子供)の身を家から他に託すことで
得る安心感とでも言うのか
親という柱がなくなった時に
どういう状態でいるのか
お金を得る手段を持っているのかどうか
仕事があれば一人でもとりあえずは生きていける
仕事がなくても旦那がいればこちらも生きていける

じゃあ何も持たずどこにも属さない女は
どうするのかと考える

考えても虚しくなるだけなのでやめた



2004年04月07日(水)



 修行


年々強情になり
表面は強さを増していくように見えても
傷つくことへの免疫はどんどん衰えて
回復する時間が長くなる

失くす時はあれもこれも同時に
失くすしくみになってるのか

考えようによっては
癒えたそばから新たに傷つくより
一度にどんときたほうがいいのかもしれない
まだまだそれに耐えうる精神力は
持っているはず



2004年04月06日(火)



 嫌だ嫌だ


私はただ人を愛したいだけ 

愛した人から愛されたいだけ

でもどうしようもない時

心を曝け出せる人がいない

どうしようもない時

すぐに連絡を取りたい人がいない

ほんとはすごくすごく求めてるのに

プライドの塊がズシンと邪魔して一歩も動けない

こんな自分が嫌だ すごくすごく嫌だ



2004年04月05日(月)



 単色


雨を感じてベッドの中で憂鬱になる

一人ぼっちになった気がして

頭まですっぽり布団をかぶる

世界が鉛色にしか見えない雨の日は嫌いだ






2004年04月04日(日)



 時間は贈り物


私は書くことが好き
書くことでかなり救われている
これ以上ない本音を書いて
発散できることもあれば
どんどん内側へ入り込んでいく時もある
そういう時は人の手を借りて
楽しい時間を与えてもらったりもする

時間はプレゼントみたいだ

短くても長くても相手の時間に入り
一緒に過ごすわけだから
目には見えないプレゼントを
貰っているんじゃないかと思う
別にそこで100%自分を曝け出さなくてもいい
ただ笑って話したり食べたり
そういうことだけでいい

私を好きでいてくれる人と
時間を共有することに意味がある

これと同じくらい一人でいることにも
書くことにも意味があり
大好きで必要な時間なんだと再確認した






2004年04月03日(土)
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