2008年11月30日(日)
革命の、二人の、永遠の


 神奈川から帰ってきました。昨日の夜と今日の昼を観劇。その間に横浜山手方面近代建築ツアーもしてきたんですが、デジカメの充電池を忘れるという失態を……っ!携帯では撮ってきたのでそのうちまたチェキ日記にあげたいと思います。



 とりあえず全ツ感想。
 ほんと「いいベルばらだったね!」としか言いようがなくて!



[星組メモ:「いいベルばら」にする為の50のルール(のうちの一部)]

 今回のベルばらがよかった要因って色々あると思うのですが(色々じゃなくてシンディが脚本を書いていない(と思われる)からって要因だけじゃね?)、そのひとつに、悪しきベルばらの風習であった「いないひとのはなしをする」がなかったからもあるかなと。雪外伝の時にも思ったのですが、とにかくベルばらは原作のエピソードを消化する為か、無理矢理にもその時の本編に関係ないエピソードとか、その場にいない人の話とかを全部「説明台詞で」やってしまう事がほんと多かったんですが、今回はそれが(ほとんど)なかったかな、と。もちろんそういう説明台詞もいっぱいあったんですが、全部、物語が進むためのきっかけとか、物語を深くするための「必然の説明」になっていたというか。
 あと外伝前作2本と違って回想シーンがなかったのも物語がシンプルになってよかったんだと思う。

 しかしこれが出来るのなら、ほんと前作2本は、いっそ今までのベルばらってなんだったのかと頭を抱えてしまいます。いやだから今までのベルばらは「タカラヅカのベルばら」なんだよと言ってしまえばそれまでですし、実際さいたま観た時の感想ではそう書いているのですが。
 どこまで伝わっているかわからないのですが(笑)、私、今まで「タカラヅカのベルばら」に対して、好意的というか、ものすごくいろんな形で読み込んだり読み解いたりして、更には補完するSSまで漏らして、ほんといい客だと思うんですよね。もちろんそれには「タカラヅカのベルばらも嫌いじゃないぜ」っていう気持ち(そして何だかんだで演じている人たちが好きだからっていう気持ち)があるのですが、今回のこれ(「いいベルばら」)ができるのなら、今まで私が言ってきた事ってほんとなんだったんだろう、ってちょっと悲しくなってきた(笑)。まあそれはそれで当時自分が公演を楽しむ為に必要なものであったのですが……。けれどもそれってやっぱりかなり無理していたんじゃないかな。少なくとも原作ベルばらオタの私を完全に殺してたなぁと(笑)。
 とにかく今回は原作ベルばらオタの六実の部分がものすごく喜んで楽しんで満喫してきた感じです。その立ち位置から私が今まで感じてきた(そして感じた事を忘れようとつとめていた)(笑)ストレスをまったく感じない公演でした。いつものごとく釜もがんがん回してきたんですが、それが脚本のダメなところを埋める為じゃなくて、素直に今回の脚本を入れて、それに原作から読み取れるエピソードとか、あるいは舞台上の登場人物から言外に読み取れるものとか、そういうものを絡ませながら繋げながら釜をまわしていく作業がほっっっっっとに楽しかった!というか「脚本がダメならSSを書けばいいじゃない」って言わないで済むことが普通なんだよな……(その前にSS書くことが普通じゃないんだってば)(笑)。


[星組メモ:「いいベルばら」その他メモ]

・「寝室も一緒」て!ちょっと涼さんナニをさせたかったの!(涼さんじゃないから)(つうかナニて)。いびき、はぎしりはともかく、「寝相が悪い」と「寝言を言う」が実は我慢できなくなったベルナールがロザリーを襲って(覆いかぶさって)(!!)いるのに、それをロザリーが天然に「ああ、寝言だなぁ」「もう寝相が悪いなぁ」って思っているだけだったらどうしようかと思いました(考えすぎです)。

・ちーくんのマロングラッセが常にまっすぐ走れない感じで可愛かった。ジャルジェ将軍がものすごくコミカルで可愛かった。あの「雷が発生している場面」はなんだかんだでそれぞれのオスカルへの愛情が感じられて、ほっこりしつつものすごくいい場面だと思う。

・しかしアランの「ちびっこハウス」には初見の時に萌え死ぬかと思いました……っ!何その設定!そしてしぃちゃんのアランがいちいち素敵だった。「だめじゃないか」ってこつん、てしたり、子供に向かって「うむご苦労」とか!

・ところで「隻腕将軍」はナシなんですか?「片腕の将軍」なんて半端だなぁと。

・そしてここの麻尋がいい、すごくいい。子供たちに「しょうがないな」と思いつつ、アラン将軍への敬愛と、子供たちへの愛情が溢れていて……っ。やっぱり麻尋は上手いと思うよ。明石もすごくよかった。この二人、芝居の相性がいいかもしれない。

・「(それを伝えていくのは)私たち家族です」なんて設定ナパームスクエアさんが喰らいつかない訳がないんですが(笑)。
 で、外伝三部作の主人公、ジェローデル・アラン・ベルナールのうち、唯一生き残ったのがベルナールと言うのは、当たり前といえば当たり前なんですが、その隣に命を繋いでいく存在(ロザリー)がいたからなんだよな、と思うとぐっときます(ジェローデルとソフィアはそういう関係ではなかったし、アランとディアンヌは兄弟だったしそもそもディアンヌは幽霊だったし)(笑)。

・ラストの「虹」というのが、雪が降った後の虹(花組の隻腕将軍が倒れた時に雪が降ってたよね?確か)なんだな、と気付いたらそれもなんだかぐっと来てしまいました。

・麻尋のアントワネットはメンチ切り過ぎてておかしかったです。だってあれ私には「私を処刑した民衆どもへの恨みをはらさずにおくものか」って見えるんですけれど(笑)。

・三部作の主題歌(でいいのかな?)である「愛のかたち」。
 「虚空に無音の雪」「地上に無数の花」「宇宙に無限の星」
 雪組版では「雪」「花」「星」が全て出ていたと思うんですが、今回は「雪」「星」しかなかったような?(花組版はちょっと覚えていない)。なんでそんな事にこだわるかと言うとSS書くのに必要だからです(笑)。ついでにあの新曲の歌詞が知りたくて、プログラムを買おうと思ったんですが、多分プログラムは一部しか載っていないよね、だったらTCAで配信されるのを待てば同じぐらいの値段で買えるよね……ってそこまで真剣に考えている自分にちょっと引いた(そこまでして何が書きたいんだ君は)。



 涼オスカルと立樹アンドレの話は別掲で褒めちぎります(褒めちぎる?)。
 ちょっと書いてみたら上手く言語化できなかったので熟成中。
 ショーの話も別掲で。多分麻尋とマリーノの話しか出てこないような(笑)。




 中途半端ですみません。まぶたが重くなってきました。



2008年11月29日(土)
私の(金平糖)釜に墓標はない


(ないの?)(ないの!)


 あまりにもひさしぶりなので、こちらで周知させてください。
 エロ本、更新しました。


 (星組モードじゃなかったの?)
 (それはそれこれはこれ萌えは萌え)





 ポメラのおかげで私の中でいかに言語化待ちのテキストがあるのかということを思い知ってます。もう手放せません(笑)。




2008年11月28日(金)
見沼通船堀


 さいたま行ってきました。


 びっくりするぐらいいいベルばらだったべるばらなのに!


 っていう感想につきるかと。
 感動の前に驚きがきてしまうってどういうことなんだか(笑)。

 詳細は神奈川終わってからまとめたいと思いますが、今日ぼんやりと思ったのが、初演のベルばらを観た人の感激ってこんな感じなのかなぁと。今回、今までタカラヅカのベルばらに出てこなかった場面がたくさんあるわけですが、それがベルばらオタのわたくし六実(小五の時のアニメ再放送ではまってお小遣いで単行本(not愛蔵版)(not文庫版)を集めたレベル)から観て、ものすごく感動したんですよね。文字通り「わあまんががうごいてる!」的な。もっと言うと「まんがの台詞をしゃべっている」かなぁ。
 「好きになっていいか」キター!
 「私の春風」キター!
 ……的な(笑)。そう思うと、今までのベルばらって「タカラヅカのベルばら」をなぞっていただけなんだよなと改めて思った次第。これも補足すると「タカラヅカのベルばら台詞」を言わせていただけ。「恋の甘酒」とか「年貢の納め時」とか、ちょっと今うまくでてこないんですが、しゃべっている人物を変えてでもしゃべらせる「タカラヅカのベルばら台詞(必須履修科目)」。ちょ、おま!もっと他に言わせることあるじゃないか!的な。
 そしてあれだけバージョンを上演していながら、まだ原作に掘り起こす余地があったのかという驚きでもあります。まあだからやっぱり「タカラヅカのベルばらという様式」なんよね、と。(「タカラヅカのベルばらという様式」については雪全ツの時のテキストを参照してください)(また不親切な)。
 わあ、ぼんやりと思ったことといいつつ話長いな!それは私がベルばらオタだからです。
 しかし涼さんのオスカルが秀逸でした。2005年とは全く違うオスカルです。


[星組俺の立ち位置的メモ]

・麻尋がいい笑顔を見せるようになったなぁと思いました。今まで思いっきり笑うとどうしても、かわいいしゅんちゃんになっちゃってたんですが、ちゃんとそれが「麻尋しゅん」で笑えるようになった、みたいな?(最初に言いたいことがそれか)

・前言撤回。ロケットのマリーノ大丈夫だった!いいまりのゆいだった!俺、今ならおまえのファンだって言えるよ!(もう言っています)(うっとおしいぐらいな)

・あと「明石のおじさま」を辞書登録しました。このおじさまは「大真のおじさま」とはまったく違う文脈で「もうおじさまってば冗談ばかりおっしゃって」のおじさまです(意味がわからない!)(わっつだんでぃずむのやったらきらきらしていたジェントル明石から抽出)(笑)。




 初見時、芝居にもショーにも明らかに感情的な何かが決壊してました。
 ダメだ、やっぱり星組が好きすぎる。どうしてこんなに愛おしいものばかりなのか。ひとりで先にマイ初日を迎えておいてほんとよかったと思いました(笑)。
 気を確かに持って神奈川を乗り越えたいと思います。


2008年11月27日(木)
だってそれは星の形をしているもの


 納・品・完・了!

 夏からやっていた案件がようやく終わりました。今回の失敗は次回に生かすとして(イキナリ反省か)、明日のお休みをもぎとってきたのでさいたま乗り込んできます!休みが確定した瞬間にチケット探して昼夜確保したのは我ながらほんといいフットワークだったとほれぼれします。












 という訳で星組モードに切り替える前に、雪組モードの残課題を(課題言うな)。

 最後はもちろん、ネロ先輩の話です。



[マリポーサメモ:ネロの話]

 リナレス、セリア、エスコバルの話から引き続きまして「じゃあネロの主語はなんだろう?」と思ったんですが、結局最後まで答えが出ませんでした。ネロが余りにも自分を滅しすぎていて主語が見えない。サルディバルに向かって「俺は俺のやりたいように生きる」と言い放ちつつも、その実、ネロはどう見ても自分の為には(自分を主語として)生きていないなぁと思うのです。彼の行動は誰かの為、人の為。自分の為には決して生きていないなぁと思うのです。
 そしてこれまたやっかいな事に、ネロはそのことに気づいていないんですよね。「俺は命を粗末にするつもりはないよ」というその命は本当に自分の命なのかと。彼が守りたいのは常に自分以外の命であり、いっそ自分の命を認識していないんじゃないかと。「俺の命はそういう命なんだ」ネロの命は自分だけのものじゃないというよりは、ネロの命は自分のものですらないような。だいたい「俺の掟」って、「掟」って自分に課すものなのかなぁと。その言葉にすら、ネロが自分の命を客観視しすぎて、認識していないように見えるんです。

 戦場で多くの命を奪ってきたネロ。その過酷な状況で生き残る為に、自分の命を認識しないわけがない。けれどもその戦いが終わった後、ネロに「自分の命 < 他人の命」って思わせる何かがあったんじゃないか?(何かってなによ)(それがわかってたらSSにしてるって)あるいは「自分の命 < 殺してきた命」。そんな方程式が成り立って、ネロはあれほどまでに自分を滅してしまったんじゃないかと。
 じゃあそんな「自分の命」をもたないネロがどうして生きていたのかというと、エスコバルが「寄生」していたからという考えです。エスコバルが絶望から立ち直るために必要だった「寄生」は同時にネロを生かしていたんじゃないかと。エスコバルの命がそのままネロの命になった。けれども二人ともそれに気づいていない。
 けれども皮肉な事に「寄生」をやめて「今こそひとつの命に戻っ」たエスコバルは死んでしまった。そしてもうひとつ皮肉な事に「生きろ、俺の為に」とネロが言った時、それが唯一ネロが「自分の命」を認識した瞬間だったんじゃないかと。それまで「寄生」していたエスコバルが離れた事で、ネロにとって初めて「エスコバルの命」そして「自分の命」が見えて、そこだけが唯一「自分の為に」ネロが生きた瞬間だったんじゃないかなと。
 もし、エスコバルがネロに「寄生」したままだったら、ネロの命はエスコバルの命だったわけですから、ネロも死んでいたんじゃないのかなぁ。それが「寄生」を離れてそれぞれの命となったがゆえに「自分の命 < エスコバルの命(死)」となって。ますますネロにとって「俺の命はそういう命」となっていく。

 で、ネロを生かしていたエスコバルの「寄生」が離れても、ネロが生きていたのはセリアがその命を守っていたから、だと思っています。セリアにはそんな「自分の命」を持たないネロが見えていて、だから一生懸命手をさしのべて、守ろうとした。自分の命を持たないネロがまるで無防備に自分を晒して「おそろしいほど傷ついて叫んでいる」そしてその叫びに気付いたのはセリアだけだった(そこにはセリアの母性も繋がるなぁと思うのです。「子守唄を歌うのは私の役目だった」というセリアの母性)。
 そしてネロはこれからもその事に気づかない。気付いていないと思いました。
「エスコバルの為にも俺は生きよう」の「為にも」には「自分の為に生きる」は入っていないし、「いつの日か必ず君に会いに行く」も自分の為ではなくセリアの為。
 けれども結局、そうやって誰かの為に生きることが、ネロにとっての「生」であり、「命」なのだと思うんです。エスコバルの「死」が、セリアの「生」が、これからのネロを生かしていくのだなと思ったんです。
 ナツキさんがお茶会で、「悲しみは耐えられる、痛みにも慣れていく」がネロを一番表している言葉だ、って言っていたんですが、私はその前の「また生き残ってしまった、俺でなくてもよかったのに」だと思うんですよね。

 俺でなくてもよかった、だから俺以外の為に生きよう。





 ところでマイ楽に観劇していて、冒頭にネロ、セリア、エスコバル、リナレスで踊るところ。
 あそこが単に主要人物の登場じゃなくて
 「ネロの命を生かしたエスコバル」
 「ネロの命を守ろうとしたセリア」
 そして、
 「ネロの命を継いだリナレス」
 に見えてぐわっと泣けてきました(リナレスのくだりはリナレスの話を参照してください)(不親切な)。
 そうやってネロの命をめぐる人たちがあそこにいた訳です。
 ネロ自身が認識していない「自分の命」をめぐる人たちが。
 そんなネロは「白」い衣装をまとっている。
 それは死の象徴であり、そして生きる証(マリポーサの花)と同じ色であり。

 もうそんな風に最後にどんどん重なっていってぐわーっとなったんです。



 余談ながらネロは絶対に天寿をまっとうすると思っています(笑)。
 ネロ自身が言う「絶対に死なない」は「絶対に死ねない」なんじゃないかなと。そうして「自分の命」を認識していないにも関わらず「俺の命はそんな命」である以上、彼の命は生き残れば生き残るほど重くなっていく。




 うっとおしい解説ですみません。「そんな事わざわざ解説しなくてもみんなわかってるよ!」だったらどうしよう……(笑)。でもやっぱりこう読み解かないといけないほどに、今回の作品は難解だったと、私は思うんですけれどね。
 でもそんな風に読み解けば読み解くほど、ネロの生き方が、せつなくてしょうがなかった。わかりやすく今回のナツキさんはカッコよかったのですが(反論不要)、けれどもそれ以上に、どうしようもなくやさしかった。自分以外の命に注ぐまなざしがあまりにもやさしくて。
 力では世界は変わらない。
 世界を変えるのはそんな「やさしさ」だった。
 やっぱり、そう思いました。




 はい!(切り替えて切り替えて!)
 公演ベースの話はこれで終了です。あとはSSかな(まだやるのか)。




2008年11月26日(水)
わるあがき


 (この間から気になっていたことを調べました)(仕事中に!)

 ついに朝夏まなとが「本役:壮一帆」

 (今度の花組新公配役で真っ先に反応)(意外なことに初めてです)(あんなに(ドSの血が)そっくりなのに!)

 「こいつ大きくなったらいい攻になる」は基本青田買いをしないむっさんの若手男役への最大級の賛辞なのですが(ええー?)、「こいつ大きくなったらすごいドSになる」と思ったのは朝夏まなとさんと蓮城まこと君です(他にも言ってるかもしれないけれど)。




2008年11月25日(火)
スターダスト会津


(先週(?)のお絵かき掲示板の版権お題が鎧伝でした。まだそんなに下らずに見れるので同好のお姉さまがいたら)(懐かしかった)(そして今週から女神転生(やましたせんぱいのすきなやつ)です)

 それはさておき。

 何がどうなるのかさっぱりな来年の公演日程。
 自分用に作成しました。
 ※東宝、東京特別ユーザーベースです。
 ※大劇場の日程が雪組しか入っていないのはごめん俺仕様です(笑)。
 ※各公演の重なり具合も見たかったのですが、土日がどう配置されているかも見たかったんですよね……。
 ※エクセルベースなので、落として変換して使ってもらえれば(使えれば)。
 (でもすごく無駄にアホっぽい関数が入っています)
 (公演日程を入れるだけでカレンダー展開できるマクロを誰か作ってくれないかなぁと思う今日この頃)

 で、今更ながらきづいたこと
・東京で1ヶ月公演が始まるのは2009年3月の星組公演から。
 てっきり花組からだと思っていたので。
・公演順が入れ替わってた。月⇒星⇒雪⇒花⇒月⇒宙
 東宝ベースで見ると来年月組公演が3回で宙が1回。
・9月の連休がすごいことになっていた。
 9/22(火)が9/21(月祝)、9/23(水祝)にはさまれることによって国民の休日になるらしいです。つまりは9/19(土)からの5連休!知らなかった!
 これ、公演日程はどうなるんだろうね(ちなみに大劇場が花組、東宝が雪組です)。


[伝書鳩返し]

・>今までエスコバルのセリフの中で、
 >一番好きなのが「じゃあ行けよ」だったんですが、
 >その理由がわからなかったんです。
 >だってここの流れって、「友達だ」って言われて
 >丸め込まれてる(爆)みたいじゃないですか!
 >でも六実さんの「寄生」考察のおかげで、気持ちの繋がりが見えたっていうか、

 うわあ、あのうっとおしい長文に反応賛同ありがとうございますありがとうございます!
 私も「友達だ」の流れがちょっとひっかかったクチです(だからああだこうだ考えたのですが)。実は今回の正塚芝居はオギーショー並みに難解だったな、というのが正直な感想です。難解というか、色々な要素がまざりあって、本質が見えにくくなっているというか(でもわかりやすかったらドラマにはならないのかなぁと思いました)。
 という訳で反応ほんと嬉しかったです。
 っていうか晴海て!(ギリギリ一般参加で経験アリです)(笑)。


・>AKBが出てきたのでお尋ねしたいのですが、
 >メン☆ドルはご覧になってますか?
 >かなりツボなドラマなんですが・・・

 ごめんなさい、見てないのでぐぐりました。(笑)
 あらすじだけでおなかいっぱいなんですが!(爆笑)
 AKBに関しては正直「ジャリタレだなあ」以外の感想しかでなかったんですが(素)、でもオンナノコが集団でがんばっている姿にどうしてこんなに心ときめいてしまうのだろうと、ちょっと敗北感も感じています(笑)。


(SSSレス)
・>すげー超切ない…。
 >舞台の中ではあんなにこうるさい(いづるさんごめんなさい;;)
 >アリシアですが、六実さんの釜に入るとこうなるんですね。

 こうなってしまうんです……(笑)反応ありがとうございますー。個人的には東宝後半はそんなに「こうるさく」なかったなぁと思っています。なんかかわいくてね……。あ、「とてもステキな物」は現在活用中です。これでいつ漏れても安心、みたいな(って書くとなんか違う)(笑)。


・>フィナーレのダンスが、
 >アリシアの見た夢なのかもしれませんね…泣けてきました。

 私もそう思って書きました。現実ならばいいんですけれど、あのフィナーレがあったが為に「あれ、その後のアリシアは?」と思ってSSに繋がっちゃったんですよね…。ちなみに夢の中でアリシアはしなぼんともうきうき踊っているエスコバルを見て「よかったホモじゃなかった!」と安堵しているというオチもあります(オチつけなくていいから)。
 感想ありがとうございました。



[私信]

・わかった準備しておくね!(どうやって)(笑)。
 ちなみに現時点でのぐぐった結果による六実的「オグリ!」概要は以下の通りです。

 ・72人の妻を気に入らないと返した。
 ・けれども人外のもの(蛇)とヤッた。
 ・そのくせ照手姫には押しかけ婿。
 (どうしてそこを抽出する!)(だってネタだったんですもの!)

 余談ながら私はキムシンってずっと苦手だったんですが、この間の「君を愛している」で「キム神」と呼べるまでに克服しました(ええ?あの作品で!)。私的にあの作品はとなみずエポックメイキング作品です(これはそのうちちゃんと語りたい)。


・ポメラのキーボードが打ちにくい件は、縦横の比率の問題なんじゃないかなと思っています。普段、会社や家で使っているキーボード配列って、横幅はそれぞれでも縦横比率は一緒っぽくないですか?私、ポメラ使っていて圧倒的に上下のキーでのキータッチミスが多いんですが、それって「この幅だったら縦はこれぐらい」な距離感が無意識にあるんじゃないかと。で、ポメラは横比率に対して縦比率が短いので、いつもの「この幅だったら縦はこれぐらい」な距離感が通じないんじゃないかという勝手な分析。でも、それを差し引いても「全金平糖職人が震撼」です!です!







 なんとか全ツの回数を増やそうと悪あがきしています。なまじ仕事の調整がつきそうな時期だけに。でもそういう時に限って、自分の力の及ばないところで何かが起こるんだよね……。



2008年11月23日(日)
「あの人は、私を愛していたわけではないもの」


 「SHOW TUNE」にちゃらさん(生きてます)と行ってきました。
 マリコさんの女装が出落ちとは聞いていたのですが(笑)、まさか最初っから捨てに行っているとは思ってなくて!リアルに客席で二つ折れになりました。
 しかしマリコさん変わってなかった。やっぱり初恋の人なので、ものすごく感極まりました。あの横顔がかわらない、あの優しさもかわらない。デュエットダンスを踊った時のあの雰囲気、そして一人で舞台で踊った時のあの空気を動かしている感。剣幸さんの化粧前コント(違)のところで、マリコさんがピアノを弾きながら、何度と無く振り返ってはウタコさんを見る(もちろんピアノを弾くための段取りでもあるとは思うのですが)、そのマリコさんがものすごくやさしさに満ちていたのが印象に残っています。
 奇しくも今日はマリコさんが退団した日なんですよね。そういえばあの時も三連休で、その最終日も休出で、朝劇場の当日券抽選に行って当然外れて仕事にいって夜の出を見るためにまた劇場前に戻ったっけ……うわあ、やなこと思い出した!(ほんと私変わってない)(笑)。

 「娘役」ではない風花舞さんがべらぼうにカッコよかったです。啖呵切りつつでもその品が失われない。それがすごくカッコよかった。あと現役時代を覚えていないのですが、雪菜つぐみちゃんが、とってもキュートでした。ものすごいパンチ力で顔芸(笑)。


 はい、じゃあ本題です。


[帰ってきた大真当番日誌]

 細かいつっこみはなんかもうしきれない、ってぐらいいつもの大真くんでした。「大真みらん」再演か、ってイキオイで(笑)。変わらない、変わらないなぁ。ほんとあの後ろ毛(すごい伸びてたね)がなければ現役時代となんら変わらないような。
 でも変わってないのに変わったとも思いました。これは去年のだんしんくれーじーの時もまったく同じ事を思いました。あの時は「あ、新しい大真みらんが生まれた」って言ったんですが、それから一年して、その大真みらんが一年分、早めることも遅れることもなく、成長?というかリアルに時間が経過した、っていう感じでした。
 思うに現役時代、あんなに年齢の振り幅で我々を翻弄した大真みらんさんが、退団時には「年相応」というか、その振り幅がしゅるるるん、と収まって年齢の振り幅はなくなって。そこからスタートした退団後の新しい大真みらんさんは、男役というフィルターが外れて、本名のオオシロモモコさんと芸名である大真みらんのすり合わせを徐々にしていっているんじゃないかなぁと思いました。そしてそのすり合わせはまだ完全じゃないにせよ、かなりいい形でできているんじゃないかなあと私には思えました。
 もう少し言うと、現役時の時間軸と、退団後の時間軸って違うよね、って事です。現役時の時間軸は限られた時間である以上、ものすごく濃くて早いのだと思います。でも退団後の時間軸はこれから大真みらんさんが歩いていく時間そのもので、私たちが生きている時間軸と同じもので、もっというとそれはオオシロモモコさんの時間軸でもあるわけです。
 今回、大真くんは「男役」という形で出ていました。けれども私はそれを「男役」という感覚ではあまり見てなくて。「男役」に徹していなかったという訳じゃないです。むしろだんしんくれーじーの時に三木先生がやんちゃして私が混乱した(笑)「マニッシュなジェンダー感」は無かったので、ちゃんとわかりやすい「男役」という記号ではあったと思います。でも私にはあそこにいたのは「男役・大真みらん」じゃなくて「新しい大真みらん」だったなぁと思うのです。
 もちろんタカラヅカで大真くんをまだまだ見たかったという気持ちもあったのですが、ある意味退団したことによってその有限の時間軸(濃密で早すぎるぐらいに早い特殊な時間)から解放されているんじゃないかと思いました。そう考えたら今の時間軸で、今の大真みらんさんで見たいものがいっぱい出てきました(ちゃらさんとはずっと普通に女子として芝居をやればいいのに、って言い続けてました(笑))。

 タカラヅカでしか見れないものもある。
 けれども今だからこそ見れるものもある。
 「再演」と称したように、今日大真くんを観ていて、そこにはやっぱり懐かしい気持ちとか過去の記憶の再生とか、そんなタカラヅカで見てきたものを辿るという行為をしていたわけです。でもそれとは違う文脈で、今の大真みらんさんがやっぱり好きだと思いました。2008年11月現在、大真みらんさんが舞台でみせるもの全てが、私にとって大好きなものに他ならな(公開ラブレターはよそでやれ)

 わあうっとおしい!
 うっとおしいので客席で何度となく感極まったのは内緒です。



 また見たいな。また見せてくれるかなぁ。せめて年に1回ぐらいはこういう活動をしてくれないと、にっさんやちゃらさんの生存確認がしにくくなるんですが(笑)。大真担同窓会の為にも、若の次の活動を心待ちにしたいと思います。




 ちなみに今回の一番のネタはアドレスブックを手に女の子をナンパしまくる、みたいな歌を歌っていた大真くんに「退団後も千人斬り続けてたんだ!」です(笑)。


2008年11月22日(土)
「……何も、しないの?」


 ポメラが来ました。
 やばいこれちょう使える。
 若干キーボード使いに慣れないんですが、これは時間の問題だと思うので。とにかく小さい軽い起動が早い、ちょっとがんばれば電車の中でも打てます(打つな)。
 うわあほんといい買い物した!



 今日はゆなひこ君と一日デートをしてきました。ぬこカフェ行って、ゆなひこ君ちにおじゃまして、昼間から家飲みしてカラオケ行ってごはん。うわあ遊んだなぁ。
 ゆなひこ君ちはほんとかっちょいいデザイナーズマンションでした。コンクリ打ちっ放しでトイレのドアが赤い(シャア専用)(笑)。AKBのDVDとか見てきました。
 で、喜々としてゆなひこ君にポメラを自慢してきたんですが、ちょう食いついてた。目の前でSS打つイキオイで(笑)。だよな!やっぱり我々の為のツールだよな!



 という訳でゆなひこ君ちへの往復の間に漏れました。
 マリポサSS



2008年11月20日(木)
正直、生き急いでいるなと


『オグリ!〜オグリキャップ物語〜』
どんなレースでも常にオグリキャップ一点買いにかけた壮ひろしの物語(嘘です)

『小栗判官物語』をしらなかったのでさくっとぐぐってみたら、どこを切ってもネタ満載でどうしようかと…っ!

でもラストシーンまで繋げてくれるのなら、壮一帆さんのあのマナザシが最高に生きる作品になると思いました。


++++++++++

ますます私の為のツールとしか思えなくなってきました。
 早く届かないなぁ(もうどんだけ楽しみにしてるの)。
 ついでにMicroSDも注文したんですが、半年前ぐらいに買った時から更に安くなっていて(2Gで1200→399て)びっくりしました。

++++++++++

 昨日のテキストが冗長なのは、多分、私の中でまだまとまりきっていないせいなんだと思います。す、すみません……。まとまってない→伝わるか不安→言葉を重ねがち。考えながら話をするなとよく怒られます。でもあれ以上考えてもまとまらない予感もしたので。

 今日はちょっとマリポーサ話は小休止。


・グラフを立ち読みしてきました。「正直水先輩についていけなかった」に全俺が震撼です。すごいその気持ちわかる……っ(笑)。でも面とむかってユミコ氏にああいう事を言い放てるナツキさん、そしてそれに値するだけの事を体現しているナツキさん……(っていうかこのページユミコ氏のページなんですが)(このガチ担が)。

・シラユキの動画を見ました。何が素敵かって、右下のちっこい画面にうつるグラスを手にするユミコ氏が素晴らしくエロかったって事です(真顔)。そこだけ見たくて何度もリピートしてしまいました。

・組本特集をようやく見ました。チカさんそれひじかけじゃありません!(笑)
 シマウマユミコ氏は動画の方がアリでした。なんかアジア航路にああいう顔のスチュワーデスさんがいそう(笑)。
 それで組本なんですが、額縁と写っているとなみを見て「これはとなみも「美術品(売り物)」って事ですか!」じゃあその美術品収集家はどこにいるんだとナツキさんのページを見たらナツキさんも額縁と……ぎゃ!ナツキさんも「美術品(売り物)」か!それじゃあとユミコ氏のページを見たらユミコ氏も額縁……?むしろユミコ氏は「美術品搬入業者」、そしてキムがその「美術品を売る店主」で、その店に来る「美術品収集家」が輝彦さん。「この花に合う「花瓶」はないかね?」っていつもマニアックな要求をする美術品収集家……もちろん「美術品」はそういうメタファ(暗喩)です……。

 博士すごいね!こうやって妄想は駄々漏れるんだね!
(本当にこの流れで思考回路が繋がっていくのですよ何の脚色もなく)(病気です)。

・千秋楽映像を見ながら思い出したことなんですが、雪85期の皆さんが何年か前、おとめの趣味の欄に「同期と退団した神月茜の思い出話をすること」って書いていたときがあったんですよね。ああ、やっぱりフォーエバー85期だなぁと。余談ながら、初めてムラに言ったのが雪組のノバボサで、初めて見た初舞台生口上も85期だったので、個人的に85期には思い入れがあります。ちなみにその時はまだライトユーザーだったので、観劇は1回だけでその後クマコさんと一緒にファミリーランドで遊びまくってたこ焼き食べてビール飲んでました(何しにいったの)。


 




2008年11月19日(水)
本当の事を言わないのと嘘をつくの、どっちがいい?


 デジタルメモ「ポメラ」

 たった今、某さーやさんちで知ってちょう震撼。
 これだよ、私が求めていたのはこれだよ。これでいつでもどこでもSSが!

 この間の雪マイ楽の時も、終わってから携帯でSS打ってたらあっと言う間に電源きれそうになって。でヨドバシでミニノート物色していたら、その時ついてくれたにーさんがなかなか親切で詳しくて、よし、私もEeePC買おうと思ってた矢先だったので(説明が長い)。いやもうなんてタイムリー。
 という訳で早速楽天でぽちっとしてきちゃった……(笑)。だってどこも入荷未定12月中旬以降とかで、そんなの次の遠征に間に合わないし!(そこか)。
 うわー、すごい楽しみー。ちなみに白を買いました。今度並べて撮りましょう(私信)。


 ちょっとこうふんしすぎだむっさん(笑)。


 また後できます。


++++++++++

 こういうことで興奮しているむっさんて、なんなんだろうね(セリア口調)

 そういえばこの間、ゆなひこ君と茶会のドレスコード話から転じて「女子はおようふくを買うとテンションあがる生き物だよ!」と言われて本気で「え?そうなの?」と思った自分を思い出して……っ!ほんと、↑の方がよっぽどテンションあがります(ダメ女子ですね)。


[伝書鳩返し]

・>えええー!犯罪なんですかっ?

 ええっと、実際あの時代であの国ではどうだったんですかね(そこ本気で考えない)(笑)。
 ちなみにあのあと「じゃ、俺達はなんだ」「友達だよ」となって一気にクライマックスになって(しかも台詞が逆転してます)一気に終了してしまうというオチもありました。
 つうか皆さん考えること一緒ですね……。もとい、昔ならそういう発想をするのは私たち(笑)みたいなオタクだけかと思っていたんですが、世間の敷居が低くなったのか、世間のヨゴレが増えたのか(笑)。たまに劇場で耳にする普通の人たちの自分よりもひどい会話に(自分の事を棚にあげて)びっくりしたりします。


・>かつてエスコバルはネロに
 >「おまえはもっと急速に成長した方が良いし、できると思う」
 >って言われたらしいです。
 >背中を見て過ごしていたんだけど・・(byGRAPH)
 >って、ごく自然に変換されてしまいました。

 これ、明日発売の今月のグラフの話なんですね?(最初気付かなくて「何その設定!」と本気で萌えてでも知らないと本気で焦りました)(笑)。明日立ち読みしてきます。
 あんな俺的SSですが、観劇の助けになったようで何よりです。深読みとか妄想はダメな作品の時にすることが多いのですが、今回は金脈でも探ししてる気分で、色々釜を回していました。



 本題。
 観劇感想とSSを書き終わらない限りは、私の雪組公演は千秋楽にならないと思いました(うちに帰るまでが遠足ですと同じ文脈で)(ええー?)




[マリポーサメモ:エスコバルの話]

 ※多分、私のエスコバル観は相当世間と乖離しているかと思うのですが、まあそれはいつもの話です。

 散々言ってきましたが、私の中でエスコバルは「ダメなおっさんででもホモじゃありません!」です(笑)。
 このダメなおっさんドリームは平たく言うと「見た目はOKなのに社会適応力がゼロだったら萌える!」って事なのですが、でも実は萌え以前にこの人は壊滅的に社会適応力がないんだろうなぁと心底思いました。何故なら、彼はネロしか見えていないから、ネロを通してしか社会(そして世界)と関わっていないから。
 これはエロ本企画の方でもらったコメントなのですが(勝手拝借いたします)
「エスコバルの視界はネロの形にしか開いてないのに。」
 ……(キタ)。
 この言葉が正にそうだなぁと。でもそこから私が「じゃ二人はホモなのね(ウキウキ)」という方向にいかなかったのは(笑)、その「ネロの形にしか開いていない」っぷりが半端なさすぎると思ったからなんですね。二人の共存、共生っぷりは友情でも恋愛感情でも語れるものじゃない。ぶっちゃけ、エスコバルはネロに「寄生」していたんじゃないかなと。
 サルディバルに裏切られ、戦いの結果が「ろくでもない」事になった事に、二人ともどれだけ絶望したんだろうか、ということは二人の会話の端々から伺えて。きっとそれは立ち直ることのできない絶望だったんじゃないだろうか。きっと一人では立ち直れなかった。ネロがそこからどうやって立ち上がったのかはもうちょっと後で検証しますが、エスコバルはその立ち上がったネロに「寄生」することでようやく立ち上がることが出来た。けれどもネロもまたエスコバルに「寄生」されていたからこそ、立ち上がれた。そうやってお互いに共存しなければ、立ち上がることはできなかった。それぐらい二人の絶望は深かったのではないかと。
 それで立ち上がった二人の大きな違いは、これも前に言った通り「生きているネロ」「生き残っただけのエスコバル」かなぁと。「寄生」しているエスコバルは決して能動的には動いていない。彼が動くのはネロのため。そりゃそうです、ネロは大事な「宿木」にしてそれはもう「自分自身」に他ならないのですよ。
 だからエスコバルは常にネロに警鐘を鳴らしているんです。自分の「宿木」そして「自分自身」を守る為に。再び絶望に向かうことに怯えて、恐れて。「何のために生き残ったんだ、俺も、あんたも」けれどもそういうエスコバルに「何のため」は実際存在しないわけですよね?彼はただ生き残っただけなんだもの。
 更にそれでやっかいなのは、その関係にネロもエスコバルも気付いていないって事なんです。「共存」「共生」「寄生」言葉は色々あるのですが、とにかくこの二人は立ち上がる時に互いに依存しあったがゆえに、そのつながりを絶つことが出来ないんです。けれどもネロもエスコバルもそれに気付いてはない。あまつさえエスコバルは「ネロを立ち直らせたのは俺でそんなネロを心配で見守っている」と思っているだろうし、ネロもまた逆視点で同じ事を思っていると思うし。けれども実は二人とも、あの絶望からひとりでは立ち上がれなかったし、立つことができないんです。まさに「(萩尾望都的な)半神」。
 エスコバルの「生きて何を」は、その「寄生」していた事実に気付いた、あるいは気付いていなかったとしても、自分の視界が、自分の世界がぱん!と開けた瞬間だったんじゃないかなと。ネロに「寄生」ではなく、ネロと対等に向かい合った瞬間。「じゃあ行けよ」はネロに「寄生」しているエスコバルには絶対に言えなかった言葉かと。だってネロは「宿木」であり「自分自身」なのだから、自分自身を危険にさらすことは本能的にしなかったかと。
 倉庫の場面で、机に腰掛けてじっとネロをみつめるエスコバルをずっと見ていました。そこには「宿木」でも「寄生」でもなく、確乎としたエスコバル自身がいて、それぞれの視界・それぞれの世界を持つ対等な関係として存在していなぁと。それまでのエスコバルはネロを心配してネロをたしなめてネロに警鐘を鳴らす存在だったんですが、この場面はもうネロが何をしようとどう生きようと俺はお前を認めているから、お前を見届けてやる。そんな風に見えたんですね。
 最後に港で死に行くエスコバル、というかユミコ氏が毎回毎回いろんな風にとれる表情をしていて(実際その都度感じることが違っている、みたいな事をムラの茶会報告で読みました)、ほんとうにぐうっと胸にくるのですが。私はあそこは「ネロを助けられてよかった」も「チャモロを逃がせてよかった」という文脈もあると思うのですが、一番は「限りある命が終わるその時までに、俺は俺の為に生きられた」なんじゃないかなぁと。「生きて何を」からずっと感じていた、エスコバルの周囲の空気の密度が、あの場面で更にぎゅっと濃密になって、本当にこれが「エスコバルの世界」なんだなぁと。(だからぐっとはきたけれど、死に行くことに不思議と悲しみはなくて、むしろ「よかったねえええ!」って気分でした)。
 リナレスとセリアの話のところに戻すと、「寄生」していたエスコバルの主語は「俺たち」だった。けれども最後に「俺」となった。そういうとらえ方をしていました。

 まあ世間と違うのは(以下略)。
 「寄生」って言葉は悪いのですが、どうしてもそれしか思いつきませんでした。それほどに、二人は深く繋がっていたと思います。そしてエスコバルが寄生しなかったらネロは「生きる」事ができなかった。っていう話はまた後日。


 ところでエスコバルは、あの店の共同経営者でもダンサーでもないと私は思っています。肩書きはただひとつ「ネロさんの知り合い」。お店のごたごたを片付けてくれたり、たまに気まぐれで(多分そうだと思う)踊ったりもするけれど、あの人なんなんだろうね、ネロさんの知り合いだから多分大丈夫だとは思うけれど、と皆に思われているかと(笑)。「多分大丈夫」と思われるほどに、なんだか疑わしいいかがわしい人物なんじゃないかと(笑)。アリシアの名前を覚えていなかった事に、アリシアは流しているじゃないですか。あれは「このひとそういうひとだから(店員の共通認識)」って事なんじゃないかなと。
 それじゃあなんで日雇いのボーイのミゲルの名前は覚えているんだ!つうか男とばかり絡んで!やっぱりお前ホモなんだな!っていう世論(笑)に私も大いに同意するのですが(笑)、多分こういう不審人物に警戒するのは異性である女子の方が、その傾向がつよい、そんな感じかなぁと無理矢理解釈しています。




 ほんと、こんなことばかり考えて観劇していたのか(うん)。



2008年11月17日(月)
「たまたまだよ」「男同士は犯罪だぞ」


 け、けしたい……(いっそ消えたい)。




 雪組終わってひとだんらくかなぁと思ってたんですが、年内は最終週を除いて毎週観劇という事についこの間気付いてびっくりしました(だから自分でびっくりしない)。毎週違う劇場で違う作品を観ることになります。この一ヶ月余りは同じ劇場で同じ作品を観ていたのにね(……)(……)。








2008年11月16日(日)
明日になっても消さないようにがんばります


 雪組さん千秋楽おめでとうございます。
 退団した二人に幸多からんことを。





 本日昼公演がマイ楽でした。
 観た日はなんらかのメモを必ず残しているので、数えてもらえれば明白なのですが、敢えて言いましょう、12回。か、かよったなぁ!もちろん作品に惹かれたってのもあるのですが、一番はやっぱり「ミズナツキさんが好きだから通った」……ほんともうどこのガチ担ですかって感じです(ex:パレードで感極まって涙ぐむ)(言わなくていい)。
 なんというか、萌えは理屈で語れるけれど、好きは理屈じゃ語れないないんですよね。ナツキさんに関してはまさに後者で。ほんとうに、好きという以外の言葉とか萌えとか金平糖とかが、すべてむなしくなるほどに、一言で言ってしまえば「好き」、それだけなんです。弁解もなく開き直りもなく照れ隠しでもなく、ただ、それだけなんです、よ、ね。



 まあ、いつもの文脈で萌えるのも忘れていないんですけれどね(笑)
 ネロとセリア、というかセリア(SSSリンク)



 ひでえやつだ(私が)。




2008年11月15日(土)
子犬よごめんね、お先に行くよ


 明日で終わりなんだねー。うわ凄く寂しい……。



 明日のマイ楽(残念ながら楽ではないんですが)を「気を確かにもって(@ナツキ茶)」迎えるために、この間からずっと気になっていたことをつい先ほど確認しました……シズルもハルキもバウなのか!(気になってたの?)(うんものすごく)


[伝書鳩返し]

・>今回ショーの時間(30分)は、=皆既日食の時間なんですよね。
 >ショーの初めから終わりまでで、皆既日食が始まって終わるという…
 >その日食の輪と、指輪を重ねているそうです。

 30分てそういう意味もあったのか!割と細かい情報を追いきれていないので全然知りませんでしたありがとうございます。
 「祝祭が夜」はあの後みて「あ、でも指輪が(ガスパールが)眠りにつくから夜なのか」と自分で思っていました。……まだまだ咀嚼できるなぁ(真顔)。


(SSSレス)
・>星空しか安らぎに・・からの最後の一文がきいてます。
 >ネロとエスコバルいいですよね。

 正にそこが自分的キモだったのですが(まんまとあの一文が観劇中に浮かんだので)、SS内に書ききれなかったという(笑)。なので、ちゃんと反応していただけてうれしいですありがとうございます。つうか唯一の反応で嬉しいですありが(以下略)(ウザい)。
 ほんとあの二人はそれぞれに今回当たり役だったけれど、ナツキさんのユミコ氏の関係性的にも「当たり役(としての関係)」だったんじゃないかなぁと思っています。




 マイ楽前に、ちょっと整理しておきます。


[マリポーサメモ:リナレスの話]

 いきなりですが、リナレスの主語は常に「僕ら(=我々)」なのがものすごく気になっています。気になっているというか、納得しているというか。
 確かに革命は「我々」が起こすものだよなぁと。
 「我々」という集団心理というか、集団のイキオイというか。

 ものすごく話がそれるのですが、私が新選組と幕末を好きなのは土方さんが男前だからだけじゃなくて(笑)、あの時代特有の、そういう集団心理にものすごく興味があるんですよね。一個一個の個人だけではなしえない、歴史の改革。それはものすごいエネルギーだけれど、ものすごく危ういものだとも思うし(同じ文脈で太平洋戦争にも興味を持っています)(興味というとアレなんですが、「竹槍で鬼畜英米倒せる」と本気で信じていた集団心理)(宗教から生まれる集団心理はわかりやすく「教祖」がいるけれど、歴史の集団心理は「思想」とか「時代」とかものすごく曖昧なものから生まれているなぁと)(むっさん脱線しすぎ)

 そういう「我々」。「我々」というエネルギーをそのまま放っているリナレス、「我々」と言う大義名分を振りかざしているようにも見える。そしてそれは確かに革命には必要な事なんだけれど。
 その「我々」に対して「誰にだって何か大事なものがある」と「個人」を見ていたネロ、「人々にとっては日常の脅威の方がずっと大事だ」というネロ。そりゃあ説得はできないよなぁと、なんかその対比がすごくリアルだなぁと思ったのです。
 多分、ネロもかつては革命を起こした側な訳ですから「我々」が主語だったのだと思う。けれども彼は「力では世界は変えられない」とその「我々」が主語であることで見失った色々なものを見出して、今に至っているんじゃないかなぁと。
 そしてリナレスは、のちにそれを悟るんじゃないかなと。リナレスがネロの「説得」を理解するのは後の事で。拷問を受けて傷ついて、チャモロを迎える戦闘にも参加できずに、「僕たちが盾になって守る」事もできずに、悶々としているときに、その傍には献身的に看病をするブランカがいて。その時気付くんじゃないかなと。だってブランカが見ているのは、「僕ら」でも「我々」でもなくリナレスという「個人」。

 「僕ら」は誰だ。
 「我々」は誰だ。
 「僕ら」も「我々」も「僕」でしかない。

 多分、それはかつてネロがたどった道。


 っていうSSが書きたかったの!(ええー?これSSのネタ振り?)(笑)
 (余談ながらこの「我々」に対する私なりの想いがかけざんの日の麻樹×舞咲SSです)

 全然リナレスの話じゃない(笑)。
 今回の音月桂ちゃんのリナレスはかなり好きです。何かのインタビューで読んだのですが、今回相当普段の自分のテンションを抑えてやるのが大変みたいなこと言ってました。が、実はそのテンションを抑えているときが彼の真骨頂な気がします。ちなみに同じカテゴリにセバスチャン(@堕天使)がいます。


[マリポーサメモ:セリアの話]

 やっぱり芝居二時間がきびしくって、結局うとうとしちゃうことも何度かあったのですが、それがたいてい、ネロとセリアの場面なんですよね……っていうことに楽一週間前に気付きました。
 で、なんでそこで寝ちゃうのかと考えたんですが、どうしてもあの物語のなかで、「セリアの出来事」が他の出来事に対して、個人の問題というか、あのマフィアだ暗殺だ密輸だゆっている中だと、すごく些少な事に思えてしまうんですよね……(いや、ほんと申し訳ないと思うのですが)。けれどもその些少な事、それこそ「自分にとっちゃたいした事だよ」であり、ネロが守りたいと思ったものなんだよなぁと思い直して、一度、セリア視点で丁寧に追ってみたんですよね……し、しんどいぐらいにせつなかった……っ!!!本当に、あの物語の中での「セリアの視点」てものすごく埋没しがちだけれど、ものすごく大事なんだと思う(そしてそれが埋もれてしまうのは正塚ハードボイルド故なんじゃないかと)。セリアはセリアで、戦ってるんだよなぁと思ったらぐうっときてしまいました。リナレスの大統領暗殺未遂から始まった、セリアの日常に突然に入り込んできた「革命(言うなれば我々という視点)」。そこから始まる彼女の戦いは、愛する弟(家族)を守る戦いであり、そして愛するネロを守る戦いだったんだよな、と。
 ムラで見た時、ネロとセリアの別れの場面を「やっぱり女は愛に生きる生き物なのね」的な感想で見ていたんですね。国よりも、世界よりも、愛に生きる。主語は「私とあなた」、あるいは「私」。だから余計に「セリアの出来事」がごく個人的な視点で、「些少な事」に思えていたし、もっというとあそこでそれこそ「いかないで」と駄々をこねるセリアは、ちょっと穿った見方をすると「自分の愛にしか生きられない」身勝手な女にも見えてきちゃう。
 でも「セリアの視点」で見直したら、あの場面の主語は「私とあなた」でも「私」でもなく、まさに言葉通り「あなたが死んでしまう」の「あなた」なんじゃないかなぁと。あのセリアは「私が愛するネロが死んでしまう」の前に「ネロが死んでしまう」という事に対して、駄々をこねているんだと思っています。いや、本能的に「ネロが死んでしまう」と感じていて、それがその後のソロに繋がる、かな。「見つめていられるだけでいいのに(=あなたさえ生きていればいいのに)」。そうやってネロの命を守ろうとするセリア。だってセリアは見えていたんだもの「恐ろしいほどに傷ついて叫んでいる」ネロに。そのネロを守ろうと必死になっているのがセリア、そしてその「傷ついて叫んでいるネロ」にネロ自身は気付いていないし守ろうとしていない(これは後述します)。そんなネロに対して、セリアが必死に手を差し伸べている、そう見えてきたんですね。
 どうしても今回は「ネロとセリアの恋愛物語」としては薄いんですよね。「本能的に惹かれる」とか「運命」とか、それもうちょっと説明してくんないとすごく不親切なんですけれど正塚先生!(笑)。ネロ自身は恋愛に関して自己完結しているしね……(遠い目)。ただ、その「傷ついて叫んでいる」ネロがセリアに見えた、っていう事が実は一番のネロの愛情表現なんじゃないかなと。それが見えた(見せている)って事が、ネロがセリアを愛している、もっというと彼女を自分の世界(誰にも踏み入れさせていない)(パーソナルスペース?)に入れた事になるんじゃないかなと。愛しているという言葉はなくても、それがネロにとっての「愛している」。
 でもこれセリア視点から見ると本当に「たまらない」と思う。だって近づけば近づくほど、彼が遠い事に気付くんだもの、何もできない事に気付くんだもの。けれどもセリアは戦う、「恐ろしいほどに」傷ついて叫んでいるネロを守る為に。多分、セリアはそれを本能的(もっと言うと母性かな)にしようとするんだけれど、結果としてそれ(守る)もまたセリアにとって唯一の愛情表現になってしまったと。

 愛だの恋だの、そんな甘いものではないけれど。
 けれども確かに二人はその命を近づけるようにして、愛し合っていたのだと。それは生きている証であり、それが唯一の「愛している」証。
 数日前にそれはネロにあてた文章だったんですが、セリアにとってもまた、「生きていることが愛している証」になったんだろうなぁと。
 最後にマリポーサを前に踊るセリアの命の力強さに、いつも目を奪われて、そしてぐっときています。

 っていうのがネロとエスコバルのアレで完全に隠れている(そしてみんなもそう思っている)ような気がしてならないんですが正塚先生!


 ネロとセリアのその後は後でSS書きたいと思っています。
 が、考えれば考えるほどせつなくなるなぁ。だって「懐かしい名を呼んで目を覚ます夜更け」だなんて、ほんと「たまらない」じゃないですか。そうしている間もまた、セリアにとっての戦いんなんじゃないかと思ったり。

 と、あの主題歌を私はセリア視点だと思っていたのですが、お茶会でかかっていた主題歌CDを聞いていたら、「懐かしい名を呼んで目を覚ます夜更け」ってあれ、ナツキさんで歌ってるんだね……、ちょ、ネロ先輩どんだけ乙女なの!と思ったのは内緒です(笑)。



 だいぶとっちらかっていますが(笑)。

 で何度か出したこの「主語」という話をすると、エスコバルの主語は「俺たち」です。で、ネロの主語は……実はこれがまだ自分の中で定まっていないのですよね。という訳で、その辺の話はマイ楽後にでもしたいと思っています。




 じゃ、ぼちぼち寝ます。



2008年11月14日(金)
愛ですがそれが何か


 ふたたびネロとエスコバル

 SSというかものすごく断片的なんですが、今日の釜の成果です。
 ほんとうはもっとガッツリ書きたいテーマがあるんですが、それに全然おいつかない……せめて断章だけでも断面だけでも断層だけでも出していこうかと……っ。


2008年11月13日(木)
「まさか奥さん?」「違う。俺が奥さんだ」


 ゆなひこ君と恒例のキモ(い人同士が隣に気兼ねなく思いっきり見る)(ちょっとまって反対側の人の事も考えて!)総見でした……っていうかあたし、先週の木曜の夜から夜公演全部見てるんだけど!……いや前2回は突発ですが今回は当初の予定通りです(だからその2回分の突発がどうなのよと、)。

 夏休みを挟んだものの、今回の案件の開始終了が雪組大劇場初日〜雪組東宝楽だったんですよね(実際には一週間延びだけれどね)。だから通えるかどうかなと心配もしていたんですが、最後にきて回数増やせてよかったなぁと。週末にあと1回観ます。うっすら増やしたい気持ちもなくはないんですが(まだ観るのか)、そろそろ観るより書くほうに力いれたいなぁと言うのが正直な気持ちです。マシンガンにしてもSSにしても、そろそろ形にしないほうがしんどい、という私はやっぱり書く人なんだなぁと思っています(方向性はなんかいろいろ間違っているけどな)(笑)。


 最近はほんと息をつめるようにして観ています。つうか本気で息を止めていたことが何度かあります(笑)。割と酸欠気味。それぐらい芝居も、私の感じ方も、感情移入もつまってきているなぁという感じです。
 あと最近はユミコ氏のかっこよさにかなり夢中です。「カッコいいわ〜、あの人犬みたい、豆柴よ、豆柴!」とアリシアコスで絡んだらゆなひこ君に嫌がられました(笑)



[伝書鳩返し]

・>握手がないと思う存分話せるな〜とか思ってそう。
 >カラマーゾフも握手無かったりして…
 >(それはそれで寂しい。あの濃いメイクを見るのが楽しみなのに)

 ほんとびっくりしますよね、アレ間近で見ると(笑)。と言いつつもうっかりすっかりマジ担なので、握手がないとそれはそれで寂しいなと、思っています。今回あったら「ネロ先輩、卒業式に第二ボタンください」て言うつもりだったのに(言うなバカ)(笑)。
 お互いに情報共有できたようで何よりです。ほんとお世話になりました。これからもよろしくお願いしますー。


・>オタクにとってのお茶会はオンリーイベント(キャラの)(!)だから
 >いいんだ! と思っています、いや多分よくはないんですけれども……。

 「!」
 いますごくいい事言ったそれ採用!(いやだからそれが多分よくないんだよね)(笑)

 マリーノのロケットはほんと「全員後ろをむけー!」(チェーザレか)的なものに近いので、ほんとびっくりしないでくださいとしかいえないです……(でもそこがまた好きだったりするんですけれど……っ!)。
 色々反応ありがとうございます。







2008年11月12日(水)
いつかはあえなくなると、知っていても


 今日は大真くんが退団した日です。
 もう二年たつのだからここで触れるのもどうかなと思ったんですが、最近はとみに思い出すことが多くて。
 最近急に寒くなってきたことに、そういえばあの日は木枯らし一号が吹いたんだっけとか。その寒さに負けて当日買ったマフラー(ちゃらさんとおそろい)(笑)をそろそろ出したいな、とか。あの日の朝、駅のホームから綺麗にみえていた富士山が、今はマンション立っちゃって見えなくなっていたこととか。ちょうあの時も今みたいに仕事がすとんと落ち着いた時期だったな、とか。つうかあの時と同じように東宝にいるよ私、とか(笑)。
 あの日の感覚が季節と共によみがえるなぁと。

 大真くんがヅカオタとしての私に残してくれたものはほんと大きかったと思うのですが(妄想とかかけざんとか)(笑)、最近はヅカファンとしての私に残してくれたものが、すごく、大きいなと感じています。


 という訳でしょーちゅーん行くからねー!



 ところで11月は何故か仕事がおちつく時期みたいで。去年もそうだったな、とマシンガンを紐解いてみたら「ご贔屓のいないタカラヅカってつまんないなぁ」ってゆってたよ(笑)。
(ちょっと反省したのはあの頃昇格試験に向けて資格試験とるのに一生懸命勉強していたのに、今何もしてないって事です)(こういう時期をどう過ごすかが大事なんだと思うし)
 どうやったって、何をしていたって、何に萌えていたって(笑)、時は流れるものだから(年寄りくさい)。



[伝書鳩返し]

・>ナツキさんお茶会レポ、ありがとうございまーす!!
 >私も行って、ナツキさんのトークが聞きたかったよう!
 >と激しくシットにもだえております(笑)

 反応あざっす。というかその前に需要提示(笑)ありがとうございます。がんばりました。
 ほんと、トップさんの茶会なので、他所でもたくさん報告読めると思うんですが(笑)、楽しんでもらえたようで何よりです。




[スカステメモ]

・月組さん初日ショー映像を見て、ことごとく「瀬奈じゅん(男ヤモメ)」っていうテロップが見えてしかたなかったです。そしてうっかり萌えかけた自分がほんとひどいと思いますが、一番ひどいのは歌劇団です、よ、ね?(真顔)

・余談ながら、テロップと言えば「What's up 宝塚」で流れるスカステニュースって、民放ばりにテロップはいっているんですよね(ってこの話題前にだしたっけ?)。この間の星全ツ稽古場レポが妙に面白かったです(トウコさんのツッコみにはテロップがよく似合う)(笑)。

・星組全ツ映像に無駄に燃え滾りました。すごい楽しみ。涼さんのオスカルがタカラヅカのオスカルじゃなくて、原作のオスカルになっているような気がしました。脚本が前作2作に比べてまともそうなのは、さすがに理代子女史から苦情が来たんじゃないかという疑惑が。
 ショーはとりあえずハンカチ持ってけって感じですね……(いや持ってるから)。うっかり忘れていたんですが、ロケットにマリーノが出ているのをみて「あの(博多で見た)ダメなまりのゆいが全国行脚!」と震えております……。

・更にそこから転じて、この間考えていたのですが、宙組中日のベルばら外伝、この三部作の集大成としてもってくるんだったら、「ナポレオン編」にすべきだったんじゃないかなぁと(つうかそれじゃ「エロイカ」だから、ベルばらじゃないから)。タニオカ君のナポレオン、ハマると思うんだけれど(いやだからもうアンドレ編なんだって)。

・今朝のニュースでもちつきまつりを見ました。……で(何その間)、映像とは関係ないのですが、どこかのニュースサイトでナツキさんが「もちつきまつりは三回目だけど制服を着るのは初めて」と言っていたのがやけに印象に残っています。それもまた「トップにならないとできないこと」かと。






 以下余談。

 かおりちゃんから茶会のドレスコードについて教育的指導が入りました(笑)。
 曰く

「本命男役さん時はガチファンはお洋服新調します。アクセサリーとか服に合うか事前チェック。気分は結婚式に呼ばれた感じよりは大人しめですけどね」

 マジで!!!Σ(゚Д゚;(思わず顔文字)


 いやでもどう考えてもそういう気合が入らないのは私の中に「ナツキさんと私」っていう視点が全くないのも一因かと(真顔)。ナツキさんとしぃちゃんとかナツキさんとユミコ氏とかそういう視点ならやまほどこんもりあるのに!(笑)(この辺の切り分けは前に彩の国の人がしていたのがものすごく賛同)。

 とはいえ確かに結婚式に呼ばれるたびに途方にくれているわたくしなので(本気でどこまで着飾っていいかわからない)(そういえば数年前、大学の同期の結婚式にかおりちゃんと行ったときもダメだしくらいながら電車にのってた記憶が)……じゃあ次のお茶会はがんばります(でも誰にも会わないから結果は永遠の謎なんだけどねー)(わあ逃げた)




 ダメ女子ぶりを晒しすぎた。



2008年11月11日(火)
はっきりいいなよ、好きだって


 みなみってTCA所属になったんだね
 そろそろカラマーゾフの手配を本腰あげなくちゃなぁと、梅芸サイトに行ったらみつけました(つうかカラマーゾフ行くの?)(うん)。
 エリザベートは1回ぐらい観たいんだけどな……意外に雪組終わってからも観劇つまってるんだよね。

 とりあえず貼っておきます。ぺた。


++++++++++

 じゃ、次のお茶会はスカートはいていこうかな!(華琳さんに私信返し)(つうかその発想自体が貧困でもうダメだと思うー)(そう思うー)。


[伝書鳩返し]

・>>エスコバルダメなおっさん化
 >>そんなネロ先輩はソーイングセットも持ち歩いています「生き残るために!」
 >に点火されますた。(ブルブル)
 >全ツさえなければブエノスより雪組に通っていたかもしれないと

 点火されちゃってください!(笑)。私は逆に星全ツが固定会場だったら、雪組終わってそくまたやんちゃするハメになっていただろうなぁと、初日映像みて思いました。ある意味良かった全ツで(笑)。
 また会合しましょう是非(私信か)


・>ネロとエスコバルについては、
 >もうずーっと自分の中でも、観るたびに
 >ああでもないこうでもないと考えているので
 >(なんとなく着地点は見えるのですが、
 >常に揺れていて回答は出ない気がする)

 ああ、それわかります。私もまだああでもないこうでもないとぐるぐるしています。ぐるぐるしているので、毎回毎回感じた事を無駄に書き散らして更に混乱してる気も(笑)。でもだからハマるんですよね……。


・>ヤンスタの87期トリオ写真ですが、87好きとしては、
 >ちぎとまさきでコマを奪い合ってる感じがしてます。
 >ただし、3人とも健康的すぎるので、 
 >かけざんというよりは、たしざんに毛がはえたレベルでしょうか。

 た、たしざんに毛がはえたレベル!妙にウケました。今度からかけざん未満のものをそう呼ぼうと思います。
 確かにあのメンツだと、奪われる対象はコマであっているとおもいます。但し、ちぎ太とマサキはまたコドモの独占欲レベルですが、コマだけは一歩先に行っているんじゃないかなぁと(何その具体的なの)。


・>マシンガンやSSを読んで、
 >こっそり観劇回数を増やしています。
 >マリポーサは、軽く、引いた感じで
 >観られる芝居ではないというか…
 >思い切り入り込んで、疲れてなんぼなのかもしれませんね。

 本当に、回数見ている割には寝ないで済んだ回って少なくて(正直すぎる)、でも集中できた時はいっそ心地よい疲労感に襲われます(笑)。ほんと中途半端な解釈とか妄想ばかりもらしているのですが、お役に立てているなら嬉しいです。


・>しぃちゃんさんは全ツ番長!?
 >大劇場だと兎角空回り気味と言うか、
 >大柄すぎな芝居・歌・笑顔が地方の箱になると
 >なぜかその枠にぴったりで、
 >絶対的に輝いて見えるのです
 >(物理的に矛盾あり困ってます)

 これ、ちょっと長い返信になるのですが。
 しぃちゃんは箱(劇場)に合わせて出られる(出ちゃう)役者なんだと思っています。もっというと、箱に合わせて埋めることができるひとなんですよね(フェットの時の「場内専有力」の話題を参照していただければ)(あと前回の全ツの時の北海道厚生年金会館を埋めていた件とか)。でも箱に合わせて出た場合と、その公演のしぃちゃんの立ち位置が合わないと(ごにょ)、過剰になっている(大劇場公演ではその傾向にある)んじゃないかなあという「仮説」です。
 ちょっと検証してきますね。とりあえずかろうじて神奈川参戦です。


・>ミス夏希茶うっかり参加したくなっちゃうくらい
 >おもしろすぎる(前のめり)

 いやもう機会があればとオススメしておきます。参加すれば私がナツキさんの事をカワイイカワイイ言うのがわかって、もらえる、か、と(多分)(笑)。




 今日は夕方からのレビュー(not宝塚歌劇)が急になくなって、定時で会社あがれたんですよね……み、皆まで言わせないで!(つうかもう言うな)


[雪組メモ:サバキはほとんど一階席でした(メモ)]

・本当にとっさに思いついて劇場行ったので、オペラも持ってないし、コンタクトもしてないし、って状態だったんですね。でもだったらいっそ、オペラなしで観よう、と思ってソロモンを観てました。いやあ、ものすごく色々発見があった!オペラなしでも全然問題なくて、もう一回ぐらいオペラなしで観たいなぁと思ったぐらいです(あんたどんだけピン撮ってるの)。

・一番びっくりしたのは、祝祭が「夜」だったことです。あれ、二階から観ると真昼の饗宴にしか見えないのに……(震)。あと、海のあとの場面で、ガスパールが砂をすくって投げるのと同時に、セラフィムとケルビムが出てくるのだな、とか。青年にはガスパールとミストレスが同一のものに見えているんじゃないかな、とか。うわああ、まだまだ全然見足りない(真顔)

・でもさすがに芝居はと思って、幕間にオペラを借りました。今日は久しぶりに1階に降りて(笑)きたんですが、久しぶりに正面から観たネロ先輩が男前でちょうびびった!(あんた普段何見ているんだ!)……いや、三角食べ(違)て大事だなぁと思った次第です。


【本日のまとめ】

・やっぱりガスパールは「世界をまわすもの」そして「世界にまわされるもの」に見える(後でちゃんとまとめたい)。

・ネロの命を「生かした」のがエスコバルで、「守った」のがセリアなんだと思った(後でちゃんとまとめたい)。

・シズルとハルキは「ハルキ×シズル」だと今日ようやく確信した(後でちゃんと広めたい)(どうやって)。



 いやしかし、雪組公演始まった当初、しごとまつりでいっそよかったと思いました。これで今みたいに落ち着いた状況だったら、もっと通っていた気がする……。




2008年11月10日(月)
そしてすぎることで見失わない


 職場で日本シリーズトトカルチョ(笑)をやっていまして。野球そのものは興味ないんですが、こういうのは大勢参加したほうが面白いよね、と適当なところに一口かけたら、なんと私のひとりがちでした。うわあむっさん感じ悪い!(笑)。もらった配当金がジャストB席値段だったので、今回の収支に謹んで充てさせていただきます。あざっす!(笑)


 ウオーミングアップ終了(必要なの?)(さあ)
 色々反応したいところがあるんですが、これを先に片付けます。



[続・ナツキ茶メモ]

 確かに昨日の茶会はものすごいトークと情報量だったんですが、そもそも私がそれを書くと余計な妄想とか脱線とかしすぎるからあんな文章量になるんだと、今朝読み返して自分でもちょっと唖然としました(いやいつもの事だし)。それであんなウザいしめられかたされたら「たまらない」ですよね……すみません。でも反省はしますが取り消しません(……)。


 はい、じゃあ残りの話題はさくさくいきたいと思います。


・組本話。あの表紙はナツキさん案だそうで。他の組の並んでいるだけなのを見て「合成なの?合成じゃないの?じゃあ何でもあり?じゃあそこのソファー持ってきて!」てな感じだったそうな。仕切る仕切る(笑)。

・「ホストクラブとその客」(ナツキさん談)なページは自信作。「自画自賛」してました。元々あそこはナツキさんが好きにしていい2ページ(他の組もそうですよね)で、それで最初は輝彦さんがナツキさんをメイクして、ユミコ氏がナツキさんを撮る、っていう企画もあったそうなんですが(それはそれで萌えるんですが)。「いつも出ているひとばかりじゃね」と、組子全員大集合にしたんだそう。うん、多分そうだろうと思ってたよ(何様?)。しかしホストクラブと客なのか?ホストクラブとクラブじゃないのか?どっちも商売人じゃないのか……ああ、文字通り「水商売」だ(今気付いて一人二つ折れ)(折れてなさい)。撮影の時も皆乗り気で、相当面白かったそうです。「先に男子を撮ってから女子だったんだけど、ほんともう空気が違って!」(ここで「男子」ゆうてたのに、会場中が「男子て」「男子て」てざわざわツッコんでたのが面白かったです)。娘役ちゃんたちは皆、撮影が終わると、「御見合い写真を撮る〜」と、劇場ロビーのあちこちで撮影会が始まってたとか。

・で、恒例の女装なんですが、ナツキさんのミストレスは、本当に衣装が入っていないそうで「後ろは布でつないでます」だそうな。胴回りはともかく、とにかく肩が入らない(ユミコとかは肩が出ている衣装だから入るだろうけれど、とも)。服を着たら腕が曲げられなくて「あ、あれ、イヤリングもできない!」な状態だったとか。ま、私個人のコメントはのちほど(大笑)。

・そんな雪組主演男役は、お茶会の前日、夜の十二時半まで組本を読みふけっていたそうな「へえー大福が好きなんだー」と、下級生の意外な面をチェックしまくり。あ、明日も11時公演だ!と慌てて寝たとか。「後で熟読します」と。

・あくあらいぶ六本木の話。とにかく雨がすごくて、朝からリハーサルだったけれど、会場に思いっきり雨が吹き込んでて。「……また雨女ってゆわれるよ」(うんもうゆったよ)(笑)。リハーサル中に六本木ヒルズを見学していた男子学生がいて(修学旅行なのかな)、こちらを見ていたから「絶対男だって思われているよ」と。ライブはとにかくあの開放感が気持ちよかったと。のすっこやひろみちゃんはいつものように緊張していて、始まる前から「おなかいたいー」と言っていたけれど、ナツキさんは全然緊張しなかった、と。「まあ、だから歌詞を間違えるんですけれどね」(自ら落とします)。あの曲は繰り返しも多い、歌もほとんどナツキさんが歌ってるし、練習しなくて大丈夫だよね、という話になって練習ナシだったんだとか。ちょっと不安だなーと思っていたら、案の定、という話。でも私が聞き逃さなかったのは、この話をはじめる前に、「だって皆が練習しなくていいってゆったんだもん」……だもんて言わない!だっても言わない!(笑)

・ちなみにライブのトークでいきなり仕切りだしたときは「自分でもおかしかった」とゆってました(だな)。

・ソロモン映画はまだちゃんと見ていないとのこと。ライブの時のダイジェストとスカステでかかっていた宣伝映像だけ、と(よく見てるな)。いつかちゃんと見たい、宝塚の映画館でやればいいのに、と。その中で「でも観たいところが観れないからストレスになるんですかね。舞台のいいところはそこ(好きなところを見れる)ですからね。下級生のファンの人にとってはその人が0番(中心で観ている)じゃないですか」と。いい事いうなあ。

・オフの話で「インサイドアイラインの落とし方を教えてください。消せなくなりました(爆)」に「えええ?じゃあまだ書いてあるって事?」と。とりあえず綿棒で落とせと言ってました。その後も、メイクにどれぐらい時間がかかるかとか、延々と「マイブーム・普段メイク(組本参照)」な話題が続きまして、詳細はさておき、主演男役を囲んでメイクの話で盛り上がる茶会、っていう構図がもうどうにもこうにもおかしくて今思い出すだけでも半笑いです(笑)。

・「「計り知れない水夏希」「彩り豊かな彩吹真央」などキャッチフレーズをつけるのが得意な水さんですが、最近なにかキャッチフレーズつけましたか?」……すごい質問だなぁ。でも「彩り〜」に「え?あたしそんなことゆったっけ?」完璧忘れてますナツキさん(笑)(確か小部屋トークでの話だよね?)豆柴が鳴きますよ?(そっちの鳴くなのか)。

・ハマっているものは、ハマコのお茶会でもユミコのお茶会でも話題に出たと思うけれど、と前置いて「ペニンシュランのマンゴープリン」。今、幹部部屋に空きガラス(の器)が二ダースぐらいあるとか。ありがたいことに差し入れていただいて、その度に皆で「わーい」て食べていると(この「わーい」なナツキさんがかわいかったよ……)。

・リラックス方法はと聞かれて、「いい匂いのあわ立ちのいいボディーソープをつかうこと」。シャネルとかのソープは匂いはいいんだけど、「残念ながら」泡立ちが悪い、と(笑)

・今後の予定でカラマーゾフの話に。先日トークショーで一緒になる齋藤孝先生が観にこられてて、かなり興奮状態だったとか(笑)。で、齋藤先生の本を読んでいたナツキさん。その中に過剰と過剰が重なると祝祭になる(確かこんな文脈だったはず)、というのがあったので、今回のソロモンの祝祭の場面にかけてそう言ったら、「そうです、それ僕の本でも書いてます!」「いやだから先生のご本を読んだんですけれど」「これこれ、この本です(と、本を差し出される)」「だから読んだんですけれど」……うわー、なんかその先生すごくキムシンっぽい(笑)。おもしろそうだなぁ、トークショー。だって近代建築×水夏希だよ?(そっちか)(ええもう心底行く人がうらやましいです)。

・ちなみに齋藤先生曰く「過剰なタカラヅカと過剰なドフトエスキーでいいものができますよ!」と太鼓判だったそう。

・カラマーゾフは1巻まで読了。……がんばれナツキさん。

・ユミコ氏と、今回は初日を一週間前倒し設定でやらね?そしたら残り一週間で深めて初日にのせられるんじゃね?という事になったそうで。「一週間前……って時間なくない?」……がんばれナツキさん。

・らふぇすたの1回限り参加は、まだどう出るかわからないとの事。他の組の出演者との絡みがあるかもわからないし……。でもトウコさんが最後なんで何かしたい「歴史に残る一ページを」とゆってました。ほんと、あんな日程でどこまでやるんだろうねぇ(素)。

・ナツキさんへのプレゼントは「マンダリンオリエンタルホテルの天空のスパ」。またしてもホテルの写真(パネル)が出てきたもんだから焦ったよ(君愛東宝茶会参照)(笑)。寝そべったまま、夜景を見ながらスパができると、その魅力を語り、「あ、でも皆さん狙ってこないでくださいね」大丈夫、みんなそのお金があったらヅカに投資してるから(笑)。
 しかしナツキさんへのプレゼントはいつも実用的でいいなぁ(枕とシーツ、掃除機、スパ)。思いっきり自分に還元してるよね。還元しまくってください(笑)。

 最後に、今の公演への想いというかオギーと正塚先生への公開ラブレターを語っていたのですが、これは昨日の公演話に入れ込んじゃったので割愛しておきます。




 以上、うちの立ち位置からはこんな感じです。書くべきところは書いた、ツッコむべきところはツッコんだ(笑)。
 後はちゃんとしたところで補完して脳内正誤表作ってください(笑)。




 ほんと楽しかった!かわいかった!(まだ言うか)。



2008年11月09日(日)
けれどもすぎることを否定はしない


 ナツキ茶いってきました!いってきました!(二回も言わなくていい)(どうやら楽しかったらしい)


 その前に本日観劇メモとして、クラブのショー場面でアズサハルキがしなぼんにちゅー(華琳さんちのムラシナ茶録で知って愕然とした)しているところを目撃しました(しかも耳元にキス、に見えた)。しなぼん、「きゃー、キスされちゃったー」なちょうかわいいリアクション返してましたが、どうみても、いやがってたと思う(爆笑)。あと観劇とは関係ないんですが、劇場でかおりちゃんに会ったときに「この後着替えるの?(大意:その格好で茶会なの?)」ってゆわれたのが今になって気になって気になってしかたありません。え?私普段どおりの格好だったんだけど?な、何がいけなかったの?(真剣)……やっぱり色々ダメなんだろうか、私(後学の為に後で聞いておこう)(つうかその場で聞け)(笑)。


 ウォーミングアップ終了(笑)


[ナツキ茶メモ]

 いつも通り私の脳内記憶媒体再生行為です。「正式な報告はよそ様で」「ゆってる事はニュアンスでとらえて」「テレビを見るときは離れて見よう」(最後の関係ない)を合言葉に、がりがりメモっていきます。
 以下、茶会の進行とは異なります。なんか隙あらばトーク!って感じで、いろんな話があちこちにちらばってたのよ(笑)。


・いでたちは黒の上下スーツ。前立てひらひらなブラウス。パーマあてなおしたのかなぁ。前より細かくちりちりなっててそれをちらしていてすごいかわいかったです。ムラん時みたいにワカメになってなかった!(笑)
 (相変わらずこういう描写が貧困ですみません)

・どうしても乾杯の時の我々にツッコまずにはいられないナツキさん(壇上から見て、乾杯の段で皆がペットボトル出すのが相当おかしく見えている模様)。なんか毎回ツッコまれている気が。

・ショーの話。30分ショーにはもう慣れて、かえって新鮮というか。ショーも踊りまくっている訳じゃないので、いいウォーミングアップになる(笑)と。芝居が始まるときも、この後にショーがあるわけじゃないから思いっきりやれるんだ、という開放感が(笑)と。あ、でもだからといって普段の芝居の時に加減しているわけじゃないですよとフォローつき。そりゃそうだ。

・30分ショーの反応のさまざま。で、この間、コムさんとマコさんが観に来てくれたとき、終わった瞬間マコさんが「え、もう終わり!」な周囲にも聞こえるような反応していたとか。プロローグかと思っていたら終わっていたとか。海の場面が中詰かと思ってたら終わってたとか。ナツキさんが最後にセリ下がって、緞帳がおりたけど、またあがると思っていたとか「緞帳下りたのにそんな訳ない!」
 ファンはもう何度も見るからなれちゃっているけれど(笑)、お客さんとか卒業生とか、そういうヘビーリピートしない人から見ればやっぱりびっくりすることなんだろうなぁと、改めて思った次第です。

・やっぱり指輪の精(人外)なので「特殊メイク」にしたいなぁと、いつものように「ヴィジュアル系」バンド雑誌(今回はヘヴィメタ言わなかったよ)(笑)を見て考えていたナツキさん。本屋に行っても立ち読みして(って立ち読みなんかしているのか)(笑)。それで今回の、下睫につけ睫を思いつき、そしたら上睫が負けたのでトートの時につかった「ぱーとひろがってるやつ」と、TAKAKOさんのところから出ている睫を半分にしたものを使用で舞台稽古にのぞんだナツキさん。一応オギーに「特殊メイクっぽいことしますけれどナシだったら言ってくださいね」と断って舞台稽古を終えたあと聞くと「いつもと変わらなかったよ」と。ナツキさんガクーン(てな感じにほんとにずっこけてたよあのひと)(笑)。まあ、オギちゃん的には衣装にこだわりがあってもメイクはさほどって事かなぁ(笑)。

・ソロモンの指輪を手に入れたら、どんな動物と話したいですか?と聞かれて「別に……ペットも飼っていないしね」と。で、出た答えが「旭山動物園のみなさん」と(「みなさん」て!)。で、あそこは自然のままに飼育されているっていうけれど、まるきり自然のままじゃないよね、と。そこんとこどうなのと聞きたい、と(聞いてどうするんだ)(爆笑)。

・今回のショーは30分というだけでなく、出方居方も独特のようで。いつもなら「この場面はこういう風でこういう設定で」と決めているのだけど、今回は「音楽と振り付けと空気に導かれるまま」に演じている(それを許してもらっている)と。だから日によってものすごく悲しくなったり、怒りが表れたり……と。確かこんなニュアンスで言っていたのですがこれがものすごく印象的でした(と、同時に解釈するのもやっぱり無駄だなぁと)(笑)。
 ショー30分でしかもそれがオギー作品だからこそ、そういう出方居方が出来て、それで今の「ソロモンの指輪」が出来ているのだなぁと。ものすごく得がたいものを今、この時、観ているんじゃないかと感じました。

・「荻田先生の作品が大好きで、螺旋のオルフェとかも意味がわからなかったけれど大好きで」今までの作品が皆好きでと、とオギーへの愛を語るナツキさん。「荻田先生の作品が、あ!別に荻田先生がっていう訳じゃ」的な笑わせも挟みつつ(笑)、トウコさんが荻田作品に自分が主演の時に出たかったって事を言っていた話から、今、自分が主演という立場で、しかも最後の作品に出させてもらえること、それが主演三作目にあたったこと。そういう事に感謝をしている、と。


・芝居の話。今回のネロを作りあげる上での苦労点はと聞かれて「台詞が覚えても覚えきれない」と。「自慢じゃないですが(笑)台詞覚えはいいほうなのに」と。とにかく稽古が大変で、ユミコ氏とも「無駄な時間を過ごしているわけじゃないのに、なんでこんなにギリギリなんだろう」と首をかしげる(笑)。

・稽古はやたら五場のカフェの場面をやっていたとか。「正塚先生五場好きだよね」と。でもそこは正塚先生のこだわりで、あの場面をあえて二人の会話劇でやりたい。歌をいれたりダンスを入れたりして盛り上げる事は可能だけれど、あえてあそこは何もない状態でやりたい。そこがぎゅ、と締まると後半に繋がっていくから、と。

・それで五場の(自主?)稽古をしていると必ず輝が「やあ、」で入ってくる(しかも入るタイミングを狙っている)ので、なかなか稽古が終われない(エンドレスになっていく)(笑)。でも今回ナツキさんがでずっばりで、なかなか自主稽古もできずに、一緒に出ている人は常に「合わせ待ち」で、ナツキさんが空くタイミングを狙っていた風だったとか。た、大変だなぁ。

・先日の農協貸切の話。貸切だから冒険(笑)しようと、ほんとうに台詞を忘れて出たら、「元凶はサルディバル」で、3回も「軍人上がりの無能な男」の歌詞が出てしまったと(詳しくはよそ様参照してください)。「でも百歩譲って(最初に間違えた)私が悪いけれど、ユミコまで間違えることないよね!」と(笑)。で、ここでその歌詞を再現しようとしてくれるのですが、「どうしても最後まで歌えない(途中で笑っちゃって)」とテーブルにつっぷすナツキさん。多分、いろんな人にこの話をしようとしていて、その為に歌えなくて崩れているんだろうなぁと(笑)。

(ところでものすごく余談なのですが、正塚先生が言うところの「台詞を忘れろ」は古くは歌舞伎の教本にも載っている話です。演じるときに台詞を覚えてから、一旦忘れると、実際に台詞をいう時が、覚えたものの再生ではなくて、本当にリアルでしゃべっているようになる、的な話として。出典なんなんだったかかおりちゃん覚えてる?)(直接聞け)

・大統領繋がりで。この間のオバマさん当選の話。テレビで支持者の女性が「初の黒人大統領なんて素晴らしい!」とものすごく希望と期待に満ちた顔で話していて、でもそんな風に国民の期待を担ったひとがサルディバルみたいになっちゃったら、それこそ「ああ!」って感じですよねと(ここで片手でちゃぶ台ひっくりかえしてた)(笑)正に「裏切ったのはお前だ!」だよね、と。
 でもこれ聞いて私、はっとしたのですが、てことはサルディバルにも選挙があったって事かなぁ。それともアメリカ主導の無投票選挙をやった、って事になるのかなぁ……歴史は好きですが、日本史限定なので、こういうところが割と貧困です(SS書くときに困る)(ええ?そこ?)

・ネロの過去話を聞かれて、ネロのお父さんも革命家で、ネロが小さい頃に政府に連れて行かれて殺されてしまった。ネロは貧しい中で育った。そこがネロのその後の生き方に反映されている、と。「で、どこまで?(話せばいいの?)」的な切り返しでそんなに話はでなかったんですね。つうか終始ナツキさんから「今更話すの?」的な空気が読めて、それがもう「ネロ=ナツキさんとして自分の事になっているから今更話すことではない」な風に見えて、ほんとネロだったらそういう反応だろうな、って感じで、なんだか非常にどかんどかんときました。ものすごくナツキさんの中にネロが息づいている感じ。

・続けてセリアとのその後も聞かれて「今やっているところまでの物語を演じているのだから、そこから先を考える必要はないよね?」とバッサリ(でも正論だと思う)(そしてそれはこちらの仕事だとも思った)(笑)。でもちょっとバッサリやりすぎたと思ったのか(笑)フォロー的に、「ハッピーエンドではない気がする。セリアが他の誰かと結婚しちゃう、とか」。いつかは戻るかもしれないけれど、それがいつかはわからない。ちなみにお手紙であったファンと連れ(男性)との会話で「ネロは戻ってこれるかしら」「ネロは(男は)戻らないよ、男は戻れないよ」的な話に、その男性視点になるほどと唸るナツキさん。……うん、大丈夫、わたしそこ書く予定だからナツキさん心配しないで!(言われても)

・そこから転じて(かな?)、結局ネロは孤独な生き方しかできないひとだ、と。大事なものを手に入ると、失った時立っていられなくなる(!!)。そういう自分をわかっているから、だからセリアに直感的に惹かれても、どこか避けてしまうところもある。と。

・そんなネロの生き様はまさに最初の「悲しみは耐えられる、痛みにも慣れていく」だと。本当はネロだって「悲しいのよ!痛いのよう!」(ちょうオネエ言葉)(爆笑)、けれどもそれを乗り越えていってしまうのがネロなんだと(この台詞がネロの中で一番好きだともゆってました)。

・そんなネロを「別れがたい役」だというナツキさん。こんなに別れがたい役はなかった、と。
 でそこからその昔、タンゴアルゼンチーノの時もすごく好きな役で、千秋楽に役との別れに感極まって動転して失敗した話を。なのでネロ楽には「気をしっかりもって」(これは本当にこう言ってたはず)(笑)挑みたいと。

・正塚先生ともこうやって「主演として」ガッツリ絡めるのが嬉しいと。で、昔から正塚先生の作品に出る度に「お前はお前のままで出ればいいんだ」と言われると「でも先生(ここで挙手してた)私たちは女性なのでそのままでは出られません」と。その応酬は正塚先生とナツキさんとの間でずっと続いているものらしいのですが(今回の座談会でも言っていたね)、それが今回の東宝前の稽古で「あれ、(正塚先生の言うところが)わかってきたかな」と。それで歌劇でれおんが正塚先生との対談で「正塚先生の作品に出ると男役として「むこう側」に行く気がする」と言っていたのがすごくよくわかる!と。今回まさに「むこう側にいったかな!」(とここで手をむこう側(テーブルの花のむこう側)に差し出すナツキさん)(ほんといちいちリアクションが面白いなぁ)。
 しかしものすごく興味深いなぁ、この話。

・ちょっと話の文脈を忘れたのですが、その昔、正塚先生と組むたびに「先生!わたしもっとお芝居が上手くなりたいんですー」と訴えたところ「できているじゃないか」と(正塚先生は気を遣ってくれているんです、的な話の流れだったかなぁ)(うろおぼえ)。
 話をそらしますが、確か2006年ぐらいのレビュー本で、正塚先生が「演じるための筋肉がついてきた」ってナツキさんを評していたのが凄く印象に残っています。で、ナツキさんは私が普段言うところの(そして私が大好きなところの)「やくしゃ」ではないと思っています。でもナツキさんの演じるものが、演じ方が、私がすごく好きなんですね(ナツキさんがすきと言うことも抜いても)。それが正塚先生の言うところの「筋肉」であり「できているじゃないか」なのかなぁと。ごめんほんと話がそれた。
 しかし上記の「先生!〜」を言っている(当時の自分を再現している)ナツキさんがほんとオネエでかわいいです。私の文章じゃつたわらないから、ほんと皆一回は行くといい。



 公演話だけですごい情報量だなぁ(笑)。なので一旦ここで切ります。

 で、公演話の総括として。「主演にならないとできないこと」っていうのが、当たり前だけどあるのだなぁと。それを手に入れたナツキさんが、芝居にもショーにも「主演三作目にこの作品があたって本当によかった(確かムラでは芝居の方でそう発言していたはず)」と言い、実際充実の舞台を見せてくれている。そこまでくる道のりとか、そして今、ナツキさんがこうして雪組主演男役としている姿とか……そのストイックさというか、誠実さというか、まっすぐさというか、そういうものをものすごく感じ入ってしまいました。これは私がヅカオタ10余年にして、いまさらトップスターという存在にハマったから、余計に思うのかもしれませんが、やっぱり主演って重いものなんだなぁと(何を今更)。
 私、ナツキさんが主演男役になってからハマった、というよりは、ナツキさんが主演男役だからハマった、なんじゃないかと思っているんですね(例えば今時間を戻して、雪組二番手時代とか宙組時代を見たとしても、やっぱりそこではハマらないんじゃないかと)。なんかそんな自分の感傷も含めて、ものすごくぐっときてしまいました。その重さを背負っているところも含めて好きになったんじゃないかと。


 ともすれば自分の感情をもてあましているのですが(自虐的に)(笑)。
 雪組主演男役・水夏希さんを「今」、好きでいることが、ものすごく幸せだと思いました。




 わあ!なにこの夜中のラブレター!


[メモ]

・ご贔屓が0番
・豊かな彩り
・組本の表紙の話、ホストクラブの話






2008年11月08日(土)
すぎることがむなしくもあり


 組本のナツキさんのかわいさに文字通りもんどりうってます(文字通り?)。か、カワイイなぁ!






 稲葉君のSSに赤面しつつうっかり萌えてしまいました。
 次回からは是非公募にしてください。そしたら私絶対応募するから(笑)。



[雪組メモ:観劇周りいろいろ]

 今日は休観日の予定だったのですが、急遽ゆなひこ君と総見(笑)。終演後、ゆなひこ君が泣いていたので聞いたら「自分が書いたSSとリンクさせちゃって……」(バラすな)。あーそれわかるーよくあるよねー(注:よくあることではありません)。

・今日は上手席だったのですが、ソロモンの海の場面の、道がひらけるところ(ユミコ氏退場、のすっこがずしゃああ!と現れるところ)がちょうど自分の前に正対する感じで見えたので、ぞくっとしました。それでなくてもあの場面の人海戦術的な動きにぞくっとします。やっぱり二階がいいです。

・ネロの事を考えれば考えるほど、その生き様の重さに押しつぶされそうになります。今日また色々おもうところがあったので、後で明文化したいなぁ。

・あまりにも重いのでついくだらないネタを考えがちです。今日はネロのお店のHPというネタを延々と話していました。「『店長のブログです』とか」「ショーもいい!フェルッティさんも絶賛とか」「つうか大統領御用達とか」「ぐるなびクーポンはこちら!とか」……セリアが「本名ですか?」「へえ〜」は「コテハンが本名なんだ、へえ〜」って意味なんだと思います(笑)。






 まだまだ観るたびに色々発見があります。意外にもショーではなくて芝居の方で(まあショーの方は感じるままに観ることに専念しちゃっているからなぁ)。それだけベースが書き込まれているんだなぁと感じるのですが、それでもやっぱり、この私でも(どの私だ)、実は毎回毎回二時間集中できている訳じゃないんですよね(……)。本気で集中しようとしたら全滅を覚悟して戦わなくちゃいけないんじゃないか、って思うのは私だけか(笑)。で、本気で集中すると二公演こなしたんじゃないかっていうぐらい疲れます(ものすごく充実するんですけれど)。そんなにまでして観たいのかと言われると観たいとしかいいようがないのですが……が、が。
 残りの観劇予定を無事こなして、SS書くところまでこぎつけたいなぁと思っています(そこか)。


 じゃ、明日に備えて寝ます。


2008年11月06日(木)
世界を蹂躙して世界に蹂躙されている


 男・真飛聖、歌います

 たった今、鼠さんちで知ったんですが、なんでリンク貼るほど反応したかというと、収録曲にある真飛さん作詞曲が「One」て!やっぱりひとりって事?やっぱり孤独って事?コドク!(スカパン口調)(あら懐かしい)



 うん、それだけなんだけどね(いいからもう寝ろ)。


 異邦人て(激震)


 瀬奈×夢輝て(更に激震)


 なんか、すごい事になってきたね(素)。


++++++++++

 秋のフェスティバルを秋のエスコバルと読み違えました(重症)。
 いやでも今回のエスコバルってほんといい役だと思うので、ユミコ担の人は祭るといいと思います。エスコバルフェスティバルでもエスコバルカーニバルでもエスコバルインターバルでも(間隔あけてどうする)エスコバルアライバルでも(到着してどうする)。
 サルディバルカーニバルだと一気に暑苦しくなるのは何故だろう(笑)。





 結局、二日続けて(土日とかにつめて)観るからしんどいんじゃね?回数重ねたいなら平日夜行けばいいんじゃね?と昨日思いついて、今日の夜公演を見てきました。一人頂上会再び。やっぱり芝居を観るなら上手かなぁと再認識。ネロもそうなのですがエスコバルがよく見える気がする。唯一の不満はパレードでのシズルとハルキの微笑みあいが見れないことぐらい、かなぁ(笑)。


[雪組メモ:今日はマリポーサ集中で]

・公演も残りわずかになってきたせいか、はたまた私が集中していたからなのか、今日の芝居の「つまりかた」がすごく良かった、と、思いました。

・それでいきなりフィナーレの話なのですが、白デュエットの場面が「ネロとセリア」と置き換えられるなら、ユミコ氏が娘役率いて踊る場面でのアマセとの絡みも「エスコバルとアリシア」て置き換えられるんじゃね?と唐突に思いついて、ぐっと来ました。だってあの背中合わせになるところとか、なんか「待ち合わせできてよかったねー」って気分になるじゃないですかー。考えすぎだといわれても、こう変換したほうが絶対たのしい(笑)。

・そのアリシアの芝居が今日はいつもと変わっていて、よかったなぁ。いつもの爆裂娘っぽくなくて、エスコバルが好きで好きでたまならい光線だしてた。ぐっと押さえた感じで、でもそれがすごく可愛くて、でも盛り上げるところは盛り上げていて。いいなぁ、アマセいいよ。

・ところで前回「不器用な恋愛をするネロ(キスぐらいもっとしてやれよ)」(笑)と言ったのですが、でも逆に、あの状況でネロは結局「生きることでしか愛情表現をできなかった」のだと思ったら、なんだかぐっとキテしまいました。それは生きている証であり、愛しているという証であり。
 本当はネロだってセリアにキスして抱きしめていちゃいちゃしたかったんだと思うよ?(いちゃいちゃ?)クレープ持って動物園とかデートしたかったんだと思うよ?(それ前回の公演)。だってネロ先輩どうみたって乙女だもの!そんな「毎月同じに日にこの花を贈る」だなんて乙女回路じゃないと生まれない発想だもの!そんな妄想しているに決まっているもの!チカ、ハンカチ持ってきたもの!(話が違う)

・そこから転じて(転じないで)、ネロはちゃんとハンカチをもっている人で、エスコバルは平気で忘れる人です(ダメなおっさんドリームとまだ言うらしい)。トイレでいつもネロにハンカチ借りてるといい。

・そんなネロ先輩はソーイングセットも持ち歩いています「生き残るために!」(多分必要ない)

・何がいいたいかというと、ちゃんとしたネロとちゃんとしてないエスコバルって事なんですが。で、今日戦闘シーンを見ていて思ったのですが、ネロの方が軍人としての立ち方がきれいで、エスコバルは汚いなと思ったのです(汚いは語弊かもしれませんがニュアンス汲んでくださいな)。自分のSS妄想を重ねているだけかもしれないのですが(笑)、正規の訓練を受けてきた「軍人」ネロと、「傭兵」エスコバルっていう風に見えました。

・で、なんでそう見えるのかなと考えたんですが、そもそもナツキさんとユミコ氏って、男役としての「外し方」が違うんじゃないかな、と。男役として作りこんだ後に、ちょっと外すというかずらすというか崩す?って事をすると、そこでぐっとまたカッコよくなるじゃないですか?(伝わるかなぁ)。この外し方が、ナツキさんは男役としての範疇(つくりに作りこんだ男役としての範疇)の中なんだけど、ユミコ氏の外し方が意外にリアルというか。ああ、だから私、ユミコ氏に「ガラッパチ」なイメージ抱いているんだと一人で納得。伝わらなくても一人で納得(笑)。

・輝が日に日に鬼畜度を増していて、末恐ろしいばかりです(真顔)。おっくんに猿轡プレイをしているのもアレですが、「もう歌わないのか、ゴメス」が最強に鬼畜だと思います。おうきの「き」は鬼畜の「き」。

・上手から観ていたら、ネロと対峙する時のリナレスがやたら良く見えて。それでリナレスから見たネロって一体どんな感じなんだろうなぁと。「きらいなにんげんじゃないよ」ってものすごく気になる。そんなリナレスにこそ「やさしい悪魔」と(ネロに)言わせてみたいと唐突に思いつく(SS?)

・ラストでマリポーサの花を前に踊るとなみに泣けてきます。というか踊り始めの頃はほんとぐちゃーて本人もきったない顔してて(褒め言葉)それが次第に「絶望に染まらずに」笑顔を取り戻していく様が。

・力で世の中は変わらない、と言うネロ。そんなネロは何で世界を変えようとしたのか。それは「やさしさ」なんじゃないかなぁと……(赤面)(するなら言うな)。




 さっき自分で数えてびっくりしたのですが、今回二桁いくみたいです(……)(自分でびっくりしてる場合じゃないって)。






2008年11月05日(水)
わたわた


 公演も残り2週間をきったので「俺的ネロとエスコバル」脳内生成に余念のない日々なのですが(俺的マリポーサじゃないのか)、現時点での懸案事項は週末の茶会で当人からこちらの設定資料集を覆すような発言がでたらどうしよう!です(むっさん何しに茶会に行くんだ)。これだから公演終盤の茶会は!(だからむっさん)(略)。
 そう思うとムラの茶会で公式設定を披露してくれた(ネットで拾った茶会録より)ユミコ氏は偉かっ……そ、そういえばユミコ氏、「エスコバルはさんじゅっさい」ってゆってなかったか?ああ!(今思い出した)(そして俺的設定と思いっきりかけ離れていた!)(しゅーりょー!)

 ちなみに俺的設定だと、エスコバル(34、5)、ネロ(32、3)、セリア(24)、リナレス(19)という設定でした(どうしてもエスコバルおっさんドリームから抜け出せないらしい)。ラファエロは多分留年してる(笑)。ロジャーは28ぐらい(一番鬼畜がさかんな御年頃)(何それ)。




[伝書鳩返し]

・>マトブとカノチカがいる内にらんま1/2やっちゃえばよかったのにっ
 >て今でも思います。
 >因みにカノチカはシャンプーで。久能小太刀をエレナ様で。

 久能小太刀がエレナ様て!(震撼)。実は具体的な配役は考えていなかったのですが、なんか絵柄とイキオイが(笑)星娘みたいだとずっと思っていたので、伝わって嬉しいです。
 あ、でもかのちかでラムちゃんが見たかったです(着せたかったの間違いじゃ?)(笑)




2008年11月04日(火)
ちくたくちくたく、君と一緒に


 今更ながら。せしるが新公インタで「正塚先生がネロを『やさしい悪魔』と称していた」と言ったという話を聞いて、どっかんきました。


 そうか、「やさしい悪魔」と「野獣」……か。


 (ぎゃ!)


++++++++++

 またしても昼間っからこんな更新した時に限って・・・・・・っ(トウコさんの時もそうだったよ)。



 個々の退団を惜しむ気持ちと同時に「とうあす」を惜しむ気持ちがとまりません。伝わっているかどうかわかりませんが、ほんと迂闊にイジれないレベルで好きなんです(いや、イジって、た、か?)(笑)。

 しあわせなしあわせなとうあす。
 どうか最後の日までしあわせにしあわせにしあわせに。




2008年11月03日(月)
ふきだまり


[伝書鳩返し]

 SSSレスも兼ねてます。

・>すごいです!二人の生きざまがもっと読みたいです。

 最初の反応ありがとうございます。もうほんといつもあげてから拍手見たりコメントチェックしたりですごいびくびくしているので(笑)。
 ネロとエスコバルに関しては色々考えていることがあるので、SSなりマシンガンなりにしたためて(笑)いきたいなぁと思っています。


・>同じ感性・感度だったんでしょうね、ネロとエスコは。。

 あ、それは私も感じます。同じというか同じになってしまった、かな?(というのが私の現時点での解釈で今後書きたいところです)。
 拍手ありがとうございましたー。


・>すずやつはいつ下げてたんでしょうか・・・
 >月末を乗り越えすっごい疲れて
 >甘いもの〜〜と思って久々に訪れたらなくて
 >打ちのめされました・・・

 わ!そんな需要があったなんて!(もう五年もたっているのに)、びっくりしましたがこういうのは嬉しいです。ありがとうございますー。
 実は下げたのではなくて、今回のURL変更でルートが変わっているだけなんです。すみません。
 リンクを貼りなおしてもいいのですが、一応裏扱いだったので
 http://rose.zero.ad.jp/~zaf61734/
 を
 http://orange.zero.jp/mutsumi623.rose/
 に置き換えてもらえれば見られます。
 (同じ方法で過去の裏扱いコンテンツはほぼ見られるはずです。フォルダ構成はそのままなので)





 で、三連休の最終日は青年館行ってきました。三日連続正塚プレイー(プレイ?)。
 よかった!というのが感想なのですが、でもそれを書こうとするとものすごく誤解を生む表現しか生まれてこないのは何故?何故なの?(うなだれ)
 自重しようかと思ったのですが、やっぱり書いておきます。

 以下、全て好意ベースです。


[星組メモ:ブエノス総括]

 実にいい「星組公演」でした。


 が、「ブエノスアイレスの風」という作品、ひいては初演(ビデオで見ました)との比較で考えると「こんなにやすい話だったのか!」と愕然としました……(ってこの時点ですごく誤解を生むと思うのですが続けさせてください)。そのやすさは今回のメンバーの若さとも言えるし、拙さとも、未熟さとも言えるとは思うのですが……。だってやすいじゃないですかー、リカルドは反政府活動でしか高揚感を得られらなかったチンピラに過ぎなかったし、ビセンテは大人の男の苦慮じゃなくて嫉妬に振り回されるお子様だったじゃないですかー……。
 でもそのやすさがたまらなく切なかったんです。ほんとうに日常のちょっとしたすれ違いとか思い違いとか、なんでもないところで、物事は起こって終わって、そして過ぎ去っていってしまう。そういう切なさ。ドラマとしての盛り上がりには少し欠けているかもしれない。でもそれが今回の「ブエノスアイレスの風」だったんじゃないかと。
 戦争でも革命でもなくリカルドが死んでいった事に、どうしようもないぐらいに苦しく切なくなります。ほんとうにささやかな、ちょっとした、間違い。あるいは自業自得とも言えるかもしれない。
 けれども人生ってそんなもんだよ、とそんな風に淡々とした舞台。
 生きていることの全てが正しいことばかりじゃなくて。
 みんな少しずつ間違っていて。
 それでもそれがたまらなく愛おしい。


 いい「星組公演」と称したのは、そういう若さが出てしまった公演ではあったけれど、それでも彼らなりの「ブエノスアイレスの風」をみせてくれたな、と思ったからです。個々のメンバーを見るとそれぞれにものすごく(私的に)収穫があったな、と思うので。安い物語でした。でもそれゆえに切なくてたまらなく愛おしかった……っ!


(ヘルメット装着)(遅い!)



[星組メモ:ブエノス個別メモ]

・そして更に誤解を生む発言をするのですが……和君のリカルドがすごくよかった!和君の持っている「あほのこ」性質が遺憾なく発揮された役だった!

 (防空壕に避難)(だから遅い)

 でもほんとそれがよかった、私の中での和君史上ベストアクトでした。
 一言で言えば愚かな男だったと思います。先にも言いましたが、反政府活動にしか高揚感を、生きる意味を見出せない男。けれどもその狂気にも近い想いの強さがあまりにも純粋で、純正で(言うなれば何もわかっていないわかろうとしてない理解できないという文脈)。よかったよ……うまく伝わってないと思うのですけれど、私的には(対和君としての)最上級の褒め言葉です。

・それで色々考えた結果、和君のキャラ立ては「ギャグ漫画の王子様枠」なんじゃ?と気付いたらいろんなものがすとんと落ちました。
 という訳で今一番観たいのは和君の面倒終太郎です(ええー?)(ついでにるーみっくワールドの女子は星娘的だと思う)(更にええー?)

・そんなリカルドは本日、隠れ家にニコラスが入ってくるところで、なかなかロウソクが消えずに(4〜5回ふっふしてた)相当笑いを取ってました(ツッコむな)。それでまた「つけろ」いうものだから場内爆笑でした(だからイジるな)(どうやらイジるコツを完全に掴んだ模様です)(笑)。

・でもMVPはどいちゃんにささげます。ようやく、ようやく私の観たいどいまゆうが観れた……っ!と第一声を発した瞬間から震えました。かわいいどいちゃんもいい、ダンサーでがんがん踊っているどいちゃんもいい、けれども私、やっぱり彼を芝居の人として観たがっていたんだなぁと痛感しました。どいちゃん上手かった。ほんと震えるほどに嬉しかった……っ(六実さんが世間とは違う何かを見出そうとするのはいつもの事なので気にしないでください)

・たまたま近くの人が、オトハナの歌を聞いて「やっぱりシビさんみたいに深みがないと」的な事を言っていたのですが、私は今回のオトハナはこれで正解だと思います。今回の若くて安いブエノスアイレスの風には、オトハナのどこか少しさらりとした感じの歌い方でいいと思う。冒頭のあの歌を聞いて私も「少し浅いかなぁ」と思ったのですが、物語本編がその浅さの上をスムーズに流れていった、というか。逆に今回のブエノスにシビさんの歌をのせたら多分、歌だけひとり歩きするような気がする。その文脈で見ていたので、逆にラストでオトハナだけがひとり残って歌うのは少し違和感だった、かな(あの演出はシビさん仕様だと思う)。私だったらあの場面で後ろに正塚特有のモブを流すのになぁと思った次第です。

・ラスト、というかカーテンコール?のれおんの笑顔がいやに心に響きました。
 主題歌に歌われる「おまえ」という二人称は、初演の時は、ニコラスからリカルドへ、リカルドからリリアナへ、みたいなそれぞれからそれぞれへ、という風に聞こえていたのですが、今回は「ニコラスからすべての人へ」に聞こえて仕方なかったです。そういう包容力を持った男に育ったのだなぁと。このやすいブエノスアイレスの風をすべて受け止めているなぁと。そういえば彼は愛の広場に後宮三千人の美女が乗っても大丈夫イナバ物置なワタさんの息子だったなぁと……確実に、血は、受け継がれていると、ちょっと胸が熱くなりました。

・というかれおんの声ってこんなにいい声してたっけ……(今までむっさん何見てたの)。ちょっとうっとりとした……(うつむき)。

・フィナーレの男役群舞(美城君センター)に震えました。ちょう渋い。みやるりですらすでにその枠に入っているところが。なんというか星組男役ってこうだよな、と顎鬚撫でる感じです。

・余談ながら、リリアナが店を訪ねてくる場面のまりぃが気になって仕方なかったです。なんかノートに書き付けているんですが、それなんてデスノート?(爆笑)。しかも筆記用具を普通のカンペンケースから出したんだよね……(笑)


(その話題で〆るのか!)




 言いすぎな面があったらすみません。何度も言いますがすべて好意ベースです。


2008年11月02日(日)
まわれまわれよ


 ネロとエスコバル(SSSリンク)

 本日の釜が回った成果。
 だってこれ書かないと眠れなかったんだもん(ほんと重症だね)。


++++++++++

 SSのフォローはちょっと置いておきまして、今日も観てきたのでそこらへんの話を。


[雪組メモ:ソロモンらへん]

 ソロモンに関してはもう解釈とかSSとかしなくていいや、ってスタンスでいます。感じたものを感じたままに……ってそれが普通か!(しまった!)
 それでもああだこうだ考えてしまうのは、もう私とオギーとの間になんらかの因縁があったんだから仕方ないって事にしています(巻き込むな)。


・割と、というかかなりソロモンの指輪におけるユミコ氏の「毒」にむちゅうです(「毒」?)(私にはそう見える)。うまく表現できないのですが、ものすごく圧倒されています。

・映画を見た時のエンディングテロップの感想で(って書くとなんかおかしいなぁ)(笑)、
「指輪はどこにあるの?指輪は指にあるもの。でもどの指輪も指に戻っていない」
と言ったのですが、あれ、ガスパールの事だけに適応される文脈かなぁと。
 ガスパールは「一度もはめられたことのない指輪」なんじゃないかと思います。一度も指を通されていない「指輪」。大劇場のナウオンかなんかで「指輪は自分を嵌めてくれる人を求めている」みたいな話があったかと思うのですが、それを聞いたときは指輪が自分の意思で指輪をはめてくれるひとを求めている、王を求めているっていう事かと思っていたのですが(指輪に選択権がある)、ガスパールの場合は自分の意思というより、もうどうやっても指にはめられることはない、っていう孤独を感じるんですよね(昨日言った「混じれない感」と同義)。

・その反面、ガスパールは実は指輪ではない気もしています。彼こそが、この世界をまわす「環」。あるいはこの世界をまわすために「まわされている」「環」。

・まあそんな難しいことばかり考えているわけでもなく、最近気になっているのは、しなぼんがキリンから人になった時に「なに?あんた好きなんでしょ?好きならいっちゃいなさいよ!」って同級生の片思いを応援する親友キャラでらぎらぎの背中をどーんとやっている麻樹ゆめみおねえさまです。それどういう設定?おしえてゆめみおねえさま!(笑)


[雪組メモ:マリポーサらへん]

 SS書いた後の観劇って、割と答え合わせしちゃうんですが(笑)、あー、やっぱり基本設定が出てないところに自分が突貫で立てているから、ちょっと誤差があったかな……ってだからむっさん何しに劇場に!(一応つっこんでおこう)。

・エスコバルの「生きて何を」が繋がったところで改めてみると、あそこから戦闘シーン、死ぬ場面までがものすごくうわああん、ときます(担の人から見れば今更何をって感じかもしれませんが)。「今こそひとつの命に戻って」生きようとするエスコバル、なんだなぁと。

・しかしネロは不器用な男だなと思います。好きな女が出来ても、素直に「愛している」とも言わずやさしくキスすることもなく。その女と「素晴らしい世界で愛し合うために」世界を変えようとする。そのネロの生き様があまりにも重すぎる。そうやって「素晴らしい世界で愛し合うために」としか動けないネロ。背負ってきた命の重さ故に「できることがあるなら躊躇したくない」「絶望に陥るのをみすみす見過ごせない」「俺の命はそういう命なんだ」っていう生き方しかできない。本当は不器用だなんて言葉ではかたづけられないその重さに素で、本気で「ううう」ってなります。
 マリポーサでの登場人物の想いをおしかはると本当に切ないぐらいに悲しくて重くて客席で「ううう」ってなってしまうことがしばしばです(だから観ていてものすごく消耗する)。

・そんな時はフィナーレのアズサハルキのサルダンスをみてちょう元気になっています(笑)。

・それはそうと、今日初めてリアルに観劇中にメモをとるおねさんを観ました(ものすごい高度なオペラとの両刀遣い)。何かいていたのかすごくきになるよ……。




 ダブルどころか二日続けて観るのも実は厳しいのかもしれません(二日目に感想書く頃には力尽きてる)(明らかに感想薄くなるもん)(笑)。まだまだ観たい気持ちは強いんですけれどね。でも観足りない、っていう気持ちではない。それだけ充実しているって事なんだと思います。



2008年11月01日(土)
かわいそくない


 当日券頂上席で観劇してきました。
 二週間ぶりなのもあり、ソロモン映画で見たあれこれもあり、ものすごくいろいろ心にきました。ものすごく充実、ものすごく満足、でもものすごく消耗(笑)。
 消耗するぐらいに大好きだなぁと、心底思いました。



[雪組メモ:ソロモンアトランダム]

・今回初の頂上席。あ、もう全然ここでいいと思いました。ショーが2階からがいいのはもう定説だと思うし、やっぱり音響かな……。2階客席後方だからこそのサラウンド感?

・上からだと天使が見えないかと思っていたんですが、むしろセットの上に座っている天使を上から俯瞰するという構図がたまらなかったです。なんだろうあの座っているだけなのにあの空気感。

・これで劇場の縦方向にはだいたい座ったので(笑)、今度は横方向をもうちょっと試してみたいです。実はショーの指輪の上のナツキさんがハケるところまでガッツリくらいつきたいという理由で、東宝では常に下手狙いでした。でもこれだと芝居の方でいいところを見逃しているな、と今日ようやく気付きました(今更)。

・しかしショーのガスパールのあの混じりあえなさ感はなんだろうなぁと思っています。なんというか、ものすごく異質、いっそ異物だと思うんですよね。

・映画で色々気付いたジャングルの場面が正に「人とけだものの饗宴だなぁ(ぼかし)」と。その中に唯一、人でもけだものでもないのがガスパールとミストレス、かな、と。

・それでなんでバルタザールが残酷に見えるのかと言うと(まだその話なのか)、やっぱり「ミストレスをはめている」からかなぁと。劇場でそこはかとなくエロいと思い映画でやっぱりエロいと思った西風の前のゆみとなデュエットが今日はあからさまにエロいと思いました。だってあのミストレスさんもうバルタザールさんなしでは生きてイケないって(……かなしい事に一発変換だった……っ)て顔しているじゃない、です、か(どもるな)。終始、ミストレスを翻弄しているのはバルタザールで。そういう「対象」(弄る対象)があるからこそ、残酷さが見える。かたやガスパールは↑でも言ったように、どこか混じりあえていない。ミストレスと唯一踊る場面も、あれはどちらかというと「おなじものどうし」って気がする。「対象」があるバルタザールと、「対象」がないガスパール。まあひらたく言うとこんなにトップ娘役と二番手が組むショーもめずらしいよね。それがオギーの意図なのか(わざとガスパールを孤立させている)……って考える事すらもうおいつかないから無意味な気がしてきたよオギー……。

・そんな風に「対象」のないガスパール自身はどこへ向かっているのか、というかガスパールがこのショーの色々なものを受け止めているのだと思います(能動ではなく受動というか)。やっぱり祝祭は贖罪で生贄だと思う……。ガスパールがみんなに囲まれて踊る場面、あの皆との間にそれこそ環のように生まれる空間がたまらないです。いや、トップさんを目立たせるためにそうやってるってわかっているよ?けれどもあそこでひとり踊るガスパールが、ほんとうにもう「たまらない(やべーの方じゃなくてセリア口調のほう)」って思います。これもひらたく言うと「やっぱりミズナツキさんは受」って事?(聞くな)。

・しかしそんな血染めで受なナツキさんを思うと、割とトップ就任からそんなのばっかりだよね…血吐いたり(沖田さん)、青い血流しちゃったり(閣下)、洗面器でなぐられたり(ジョルジュ)、血まみれで修道院で死んだり(ジェローデル)……いたぶられてナンボって事でいいんですか(笑)
(ちなみに閣下はいたぶられている(受)というよりは自傷行為というカウントです)

・そういえば来年の正月スカステ、雪エリザやるね!買わないで良かった!(笑)今から自分の当時の感想とどれだけ変わるのか楽しみです。ちなみに当時のナツキトート第一印象は「ソリストのおねえさま」です(ええ?)

・話を戻して、ショーの輝のヅラが変わってた!とか、西風のシズルのヅラがしぼんでた!とかゆう話はまったく需要がないかと思うのですが、自分用メモに書いておきます。



[雪組メモ:マリポサアラカルト]

・今日は途中で釜がすごい高速回転して死にそうになりました。しかも高速回転した結果が、その後の舞台での台詞とかにどんどんリンクして「!!!!!!」……ってさあ、むっさん、君、何しに劇場行っているの?(自分でもわからなくなってきた)。公演終わってから落ち着いてマリポサSS(ネロとエスコバルのあれこれ)を書きたいなぁと思っていたのですが、これは今から手をつけないと間に合わないというか(だからさあむっさん)(略)。
 そんな気分になるのは私が今回の芝居にものすごくゆさぶられているからです。ゆさぶられすぎてこの感覚をマシンガンにすればいいのかSSにすればいいのかわからないぐらい……。うわーん、ほんと私何してんだろう、ね(でも本人はすっごくたのしいです!です!)

・今日一番「ぐわん」と来たのは「生き残る」という言葉の重さです。多分、この平和な日本に暮らす私たちの「生き残る」と、彼らの「生き残る」って全然重さが違うなと。本当に命がさらされている環境で、それを乗り越えて「生き残る」。「生きる」「生きている」なら私たちと同じ文脈だけれど、「生き残る」って……その重さにぐわんとなったのです。

・それで思ったのは、この芝居の時間軸でエスコバルは「生き残っている」で、ネロは「生きている」、その違いがあの「生きて何を」をに繋がっていくんじゃないかなぁと。この辺は後でマシンガンかSSにしたいところなんですが、多分、エスコバルは「生き残っただけ」で。それがあの瞬間に初めて「生きている」という実感を手にいれてるんじゃないかなぁと(もっと言うと取り戻す)。
 エスコバルの「生きている証」。それを手に入れる為の「生きて何を」。

・まあ言ってしまえばネロがエスコバルの「生きている証」なんだろうけれど……しかし私は声を大にしていいたい、あの二人ホモじゃないですから!絶対ふたりとも女にしか(略)。

・それなのにアレ、っていうのがネロとエスコバルの最大のキモ、というかきもちわるいところなんだとおもいます(きもちわるい?)(ええもうこの辺は後で弁解させてください)

・ちなみに私の中でエスコバルはカフェの店員、さゆちゅわんとできているという設定です(恋愛感情抜きの方で)……ね?今日の釜のまわりっぷりがわかるでしょ?(聞かれても困る)


(ちょっと間あける)


・セリアの「償いなの?」に対するネロの「違う!」が今日は全然別物に聞こえました。今までは「償いなんかじゃない(償いと思っていない)」だったのが「償いなんかじゃない(償えるものではない)」に。

・ラストのイスマヨール邸での場面、あの日常感が「ネロの守りたかったもの」なのだと思うと無性に泣けてきます。2階のてっぺんからだと舞台がすっぽりと視界に収まるので、それが更に「ネロの守りたかった世界」に思えてなんだか、無性に。

・ネロにとって戦うことは手段だけれど、エスコバルにとっての戦うことは目的だった。それが最後の戦いでは「生き残るために」と言う手段になったんだなぁと思ったら、これもなんだか無性に泣けてきます。



(だんだんSS用のメモに思えてきた)(……)。






 手放しで絶賛できる作品か、と問われると即答はできません。実際私も、最初2週をつめこみすぎて、その時の自分の状況(しごとまつり)もあって、疲れる作品だなぁと思ってて(それで間をあけたのもあるんですが)。
 でもやっぱりこの作品につまっている「生きる」という事に、どうしようもなくゆさぶられます。


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