DiaryINDEX|過去の日記
5月も半ばを過ぎました。毎日をかけがえのない1度しかない大切な1日と思い過ごすようにしています。今日も朝8時にパシッと起きて身支度をし朝ごはんを食べて、道場に行きました。長男と次男は野球部の練習に行っていました。道場へ行き柔軟体操をし今日の個人レッスンで教える型を稽古しました。そのあと個人レッスンを1時間指導しました。そのあとジムに移動しら火曜日に用がありトレーニング出来ないので、その分をトレーニングしました。道場に戻りプロテインを飲み、外で昼食を摂り、また道場に戻り、妻にウエイトトレーニングを個人レッスンしました。次男がスクイーズが欲しいと言うのでイトーヨーカドーに行きました。スクイーズを買ってもらい喜ぶ中1男子って面白いなと思います。でもスクイーズが欲しくなる気持ちが私も少し分かります。そのあと雑色のOKで買物をして帰りました。と言う感じで休みの日もフル稼働で楽しんでいました。かけがえのない1度しかない大切な1日を家族との楽しい夕食を食べて締めくくりました。今日という1日に感謝、感謝です。
昨日と本日に嬉しい事がありました。いつか歳をとった時に自分の記憶からこぼれ落ちて欲しくない事を書いておくのも日記だと思うので、ここにそれを書いて残しておきたいと思います。先ずは昨日の出来事です。私が道場の掃除をしていると「すみません」と見覚えのある男性が道場に入って来ました。その方は15年ぐらい前に空手を辞めてしまった子のご父兄様でした。もう使わなくなったミットを是非、道場で使って下さいと持って来て下さいました。そのミットはその子が空手をやっていた当時にお父さんとその子が目標を達成するために家で自主トレをし熱い思いで使っていたのだと思います。その思いの詰まった物を本当にありがとうございます。その時のお父さんとその子の熱い思いを今、道場にいる子達が引き継いで、そのミットで一生懸命に稽古してくれると思っています。お父さんともいろいろ互いの近況をお話させて頂きました。その子ももう28歳になったそうです。いつか道場を訪ねて来てくれたらと思います。私も懐かしさや嬉しさで感極待って涙が出そうになりましたが我慢して道場前のエレベーターが閉まるまで見送らせて頂きました。またどこかでお会い出来たらと思っています。そして本日の出来事は私の1番の親友がテレビ電話をして来てくれました。その親友がテレビ電話を気軽に出来て良い時代になったと言っていました。私も本当にそう思います。私が東京に来た33年前にもしテレビ電話があったら、私はテレビ電話で電話して悩みを友達に話していたと思います。私が27歳で人生で1番苦しい事があった時に私はその親友に電話をしました。その日は忙しかったのか、なかなかその親友は電話に出る事が出来ず、私は3回か4回、その親友に電話しました。そして親友から電話が来て「何度も電話してくるなんて、どうしたの?今から東京に行くから話そう。」と言ってくれて、本当に新幹線で東京に来てくれました。とても嬉しかったです。本当に私の親友は凄い人です。そして今、その思い出は私の中でとても温かい思い出になっています。でももし今のようにテレビ電話があり、簡単に顔を合わせて話す事が出来ていたら、この思い出はなかったかもしれないと思います。だからあの時代にテレビ電話がなかった事を今は少し幸いに思っています。その親友と少しですがテレビ電話で話が出来てとても嬉しかったです。
松山千春さんの「いのち」と言う曲が大好きです。長男が生まれてから、この曲がとても胸に刺さるようになりました。それと同時に自分がこの曲の歌詞のように長男の事を思う気持ちで、私の両親も私を抱いてくれたのだろうと思い、両親に感謝する気持が強くなりました。この曲を聴くと、その時々に長男を抱っこしながら長男のほっぺを私のほっぺに付けて、今日のこの瞬間を自分の胸に焼き付けようと思いました。とは言いながら忘れている事もありますが、長男と初めて六郷土手で花火を見た時、次男と2人で上野動物園に行った時、東京ドームシティアトラクションズの観覧車前で長男と次男の2人を抱っこして写真を撮った時の事は今もはっきりと覚えています。その「いのち」の歌詞を載せておきたいと思います。YouTubeでも聴けるので、是非聴いて見て頂けたらと思います。
ゴールデンウィークの最中の出来事なのですが、体重が人生で最重量を記録しました。なんと105キロです。今までの人生の最重量は104キロでしたので1キロ更新した事になります。さすがに身体が重いですし柔軟体操でもお腹が邪魔になっています。そろそろダイエットをしないと健康に良くないので、体重を落とそうと思います。いきなり有酸素運動などをやるとせっかく頑張って付けた筋肉が落ちてしまうので、タンパク質をしっかり摂りながら食事を減らして行き、少しずつ有酸素運動をして行こうと思います。先ずは2ヶ月で5キロ落としたいと思います。頑張りたいと思います!
長男は高校に入学しギターを頑張っています。最近は椎名林檎の歌舞伎町の女王を練習しているようです。次男は中学校で野球部に入り、野球を頑張っています。守備はピッチャーとサードをやっているそうです。次男はなかなか体力があって、部活の後に空手の稽古にもちゃんと来ています。最近は長男は私とどこかに出掛ける事は無くなってしまいました。映画に誘ったのですが断られました。私は次男と名探偵コナンのハイウェイの堕天使を観に行きました。長男は妻とカラオケに行ったそうです。子供達は、本当にあっという間に親離れして行きます。後5年したら長男とも酒が飲めるので、その日を楽しみにしたいと思います。
失敗も怒られた事も少しぐらいなら悪い事もあとで人を笑わせる自分の持ちネタになったりします。最近、私が城南支部時代に数見先輩が第29回全日本空手道選手権大会で優勝した時にビールかけを皆でした時の事を家族に話したら、みんな大爆笑でした。まあここには書けない話ばかりなのですが、、、。書ける程度で書くと、大きな試合のあとは少しみんなリラックスしていて、朝に集まった時の雰囲気が少し和やかなのですが、掃除が終わると皆で丸くなり柔軟体操を始めます。そして誰となく話をし始めます。その時間に師範から電話が来て用事を頼まれると、師範は横須賀に住んでいたので、その日は師範は道場に来ません。なので、師範から電話が来るとみんな「ヨッシャー!」となります。その日もそうでした。そしたら誰かが「みんな怪我もあるしな!こんな日に稽古してよけい怪我が悪くなってもあれだしな!」と言うと、また誰かが日焼けの時にひくマットと日焼けのオイルを持っているので日焼けでもしませんかと言い、誰かがビールを買ってきて、道場の駐車場でビールを飲んでサンオイルを塗って日焼けをしながら、皆で楽しく話をしていました。だいたい朝練は9時90分集合10時稽古開始13時30分ぐらいに稽古終了です。みんなで楽しい時間を過ごし12時ぐらいになった時に駐車場に車が入ってくる音が聞こえました。全員が車の音で師範だと分かります。その瞬間にみんなの顔が恐怖で青くなります。ある先輩が瞬時の判断で「立禅をやれ!」と言ったので、みんなで日焼けシートの上で立禅をしました。師範は車から降りてくると「んーココナッツの匂いがするなー。誰が思いついたのか分からないけど、休む事も大事だから、ゆっくり休んで下さい。」と言い、またどこかに行ってしまいました。みんな恐怖から解放され「あー怖かったー!」「死ぬかと思ったー!」と口にし、みんなで顔を見合わせて大笑いしました。城南支部の内弟子は優しく面白く豪快な先輩達のおかげで、苦しい事や辛い事ばかりではなく、そんな楽しい時間もたくさんありました。本当に本当に良い思い出です。
母との思い出をもう少し書いて見ようかと思います。書いてみようかと思いますと言ってみたものの書ける事と書けない事があるので、そこを結婚考えて書かなくてはいけないのでけっこうネタに悩みます。書けない事が多いと言う事は、それだけ親不孝をしたという事なんだと思います。私は小さい頃から母とばかり話している子供だったとは思いますが、母と1番会話が多かった時期は、私が水泳をやっていた小学4年生から中学3年生までだったと思います。小学5年生の時に私がライバルに負けた時は、母に数を数えてもらい毎日、腕立て伏せをしていました。私が泳げるようになったのは母に川に落とされた事でした。大人が高い所から飛び込めるような深い所でしたが、怖がって飛び込めない私を見て、母が私を後から押して、私は河に落ち、向こう岸まで泳がなくては死ぬと思い、必死で向こう岸まで泳ぎました。それがきっかけで私は泳げるようになり、そこからどんどん泳ぐのが上手くなり、気づいた時には人より速く泳げるようになっていました。母は東京の中野で生まれ東京の中野で育った人なので、周りのお母さん達より、チャキチャキして人にハッキリと物を言う人だったと思います。私が悪い事ばかりしているから私が悪いのですが、いつも私を怒ってばかりいる先生達が家庭訪問の時に母の勢いに押されて私の悪い所の三分の一も話せずに帰って行くのを見て痛快に思っていました。私が先生に呼び出されたり、私を警察に引き取りに来た時も、先生や警察の方が「お母さん、落ち着いて下さい。」と言うぐらい怒って泣いていました。本当に申し訳ない事をしたと思っています。私が極真空手の全日本空手道選手権大会に出場するようになってからは、私を応援しに東京体育館や大阪府立体育館まで来てくれました。母は私が出場した試合のパンフレットや私が載った雑誌は全部持っていて保管してくれています。本当に親というものはありがたいものです。感謝しています。
今日は母の日です。もちろん母にも妻にも贈り物をしました。母とのおそらく1番古いだろうと思う記憶が2つあります。1つは私が3歳か4歳の時に夜中に具合が悪くなった時に母に抱っこされてタクシーで病院に行った記憶です。私はタクシーのなかでも吐いてしまい、母のコートを汚してしまいましたが、母は怒りもせず、とても優しく私に「大丈夫?」と言いました。もう1つは私が悪い事をして家の外に出されてしまった時の事です。とても寒い日でした。どのぐらいの時間外にいたのかは分かりませんが、私は寒くて寒くて震えていました。少し時間が経った頃、母が外に出てきたので、怒られるのかな?と思ったら、母が優しくジャンバーを着せてくれて、そのまま2人で近くのスーパーに買物に行った事です。その時のジャンバーが薄い紫のフワフワな感触だった事も覚えています。それは母がそのジャンバーを着せてくれたあと私を優しく抱いてくれたからです。とても温かく感じました。本当に大切に育ててもらったのに、私は道を踏み外してしまった時期がありました。私が中学校で問題を起こして母は学校に呼び出されたり、私が怪我をさせてしまった人の家に一緒に謝りに行ってくれたり、私が高校を退学になった時も先生にもう1度チャンスをあげて欲しいと言ってくれました。警察に私を引き取りに来たり、母と一緒に裁判所に行ったりもしました。母は裁判所からの帰りにとても落ち込んでいて、スーパーによった時に車にサイドブレーキをかけるのを忘れて、車のなかで待っていた私は車と共に坂を下り国道の真ん中で止まってしまいました。もしかしたら母は私をサジ投げて殺そうとしたのではないか?と思い、母に聞いたら、母は笑って「そうかもね!」と言っていました。私が友達と遊んで朝方に帰ると母は家の電気を付けて起きて私を待っていました。私が悪い事をすると先生や友達の親や警察の前では母はいつも私をこっぴどく叱りましたが、同時に少し庇ってもくれました。私を守るために怒ってくれていたのだろうと今は思っています。東京に来てからも、私はお金を使いすぎて、たびたびお金がなくなってしまい、母に電話してお金を何度も送ってもらったりしました。お金も食べる物も無くなった時のために、固形燃料で作れる釜飯を母が大量に送ってくれました。お金も食べる物も無くなった時はその釜飯を食べていました。母には本当に迷惑をかけたと思います。私が水泳や空手の試合に出ていた時も大きな声で応援してくれました。極真空手の全日本のビデオにも判定の時に「赤ー!」とハッキリと母の声が入っているぐらいです。私の人生はいろいろあり、本当に人に迷惑をかけました。これは一生許される事ではないと思っています。ですが立ち止まって、また頑張って生きて行く事が出来たのは母が私を見捨てないでいてくれたからだと思っています。子供3人分ぐらいの苦労を母にはかけたと思います。私がラッキーだった事は母の子供に生まれた事だと思っています。母には本当に感謝しています。母はまだクルマを運転して東京に来たりもするので、まだまだ元気です。私ももう53歳ですが、何歳になっても母には長生きして欲しいと思っています。
内弟子の頃にとてもお世話になっていたのは、現千葉県中央支部の支部長竹石修先輩です。竹石先輩は本当に後輩の面倒見が良い先輩で、城南支部で1番常識があり優しい先輩でした。竹石先輩が誰かをイジメたり悪口を言っていたりしたのを見た事がないぐらいですし、竹石先輩を嫌いだと言っている後輩を見た事がありません。私は竹石先輩を天才だと思っています。たぶんウエイトトレーニング、走る、柔軟性、身体の使い方の上手さ、技の当てる感覚、受けの上手さ、トータルで見たら城南支部の先輩の中で1番だったのではないかなと思います。出会った時から現在まで30年以上、竹石先輩とお付き合いさせて頂いていて、先輩の悪い所を見つけた事がありません。そして竹石先輩は指導がとても上手です。理論的で丁寧で優しく教えてくれます。そして研究熱心なので、自分が今稽古している事の最先端を指導してくれます。竹石先輩は気遣いも良く出来るので、たぶん先輩にも好かれると思います。竹石先輩の背中の力と技のキレは本当に凄かったと思います。全関西大会の1回戦での竹石先輩のミドルキックのキレと相手に当たった時のパチーン!と言う音は本当に凄かったです。もちろんそのミドルキック1発で相手が倒れて一本勝ちでした。相手の方には本当に申し訳ないのですが、その映像を何度も見返して、竹石先輩のミドルキックのあまりの凄さに笑ってしまいました。その日の夜に兵庫県神戸市にある鈴木先輩の実家に泊めて頂いたのも凄く良い思い出です。
私が今でも「まだ強くなりたいの?!」と聞かれる事があります。本当は「当たり前じゃー!」と言いたいところですが、ちゃんと何故まだ強くなりたいあという理由を説明しています。まだ強くなりたい?の「まだ」の意味が私には分かりません。私は自分が求めた強さをまだ手にしていません。誰かと比べたら、そりゃ少しは私も強いのかもしれませんが、それは私の求めている強さとは程遠いものです。「じゃあ求めている強さって何なの?」と聞かれたら、それは形として人には見せられない物もあります。その1つを言えば、それは人にやれと言われてやるわけでもなく、お金のためにやるわけでもなく、仕方なくやるわけでもなく、自分で決めたから毎日やり続けているという強さも、私にとっての1つの強さです。なので私は国際親善大会の日も大会後にトレーニングをしていました。休み中だって私はトレーニングしています。それが出来る事も強さです。私は精神的な強さを求めています。でも精神的な強さは、肉体的な強さの後に来る物だと思っています。肉体を鍛えるためには辛さや苦しさや痛さを経験します。その辛さや苦しさや痛さから精神が強くなり、毎日何かを頑張っている自信から気が充満して、自分から強さが出てくる物だと思っています。自分を毎日、鍛えていない人に強さを語る資格はありません。昔の経験だけではネタはいつか尽きてしまいます。世界チャンピオンになった方や達人の方は別ですが、私は世界チャンピオンにもなっていませんし、達人でもありません。だから毎日、自分を鍛えて、自分が強くなるように努めているのです。
2026年国際親善大会が終わりました。この大会で2つ嬉しい事がありました。1つ目は小学生の頃から頑張って試合に出て頑張っていた、長恵里花が成人し一般部の試合に出場した事でした。ここ何年かは試合に出ていませんでしたが、何か思う所があったのか?頑張って国際親善大会の一般部に出場しました。私は副審をしていましたが、試合場に上がって来た恵里花の姿を見て、恵里花が子供の頃に頑張って試合に出ていた姿を思い出しました。恵里花が一生懸命に戦っている姿を見て危うく泣きそうになりました。審判なので頑張って冷静に試合を見るよう務めましたが、審判じゃなかったら泣いていたと思います。恵里花が頑張っている姿から感動をもらいました。2つ目は以前東京城南京浜支部に所属していた下村涼太郎が一般部の試合に出場して入賞していた事でした。涼太郎もここ数年は試合で見ていなかったのですが、一般部まで空手を続けてくれていて、とても嬉しかったです。涼太郎のセコンドが高校生まで東京城南京浜支部に所属していた寺澤裕樹だったのを見て、「2人とも元東京城南京浜支部じゃねーかーっ!」と笑ってしまいました。涼太郎は引っ越しで移籍をし、裕樹は就職で1度は空手を辞めてしまいましたが、自分の子供と一緒に空手を始めました。その2人が違う道場で一緒に稽古する事になっていたとは本当に面白いものだと思います。これが極真空手の良さだと思います。この極真空手の世界に長くいるから起こる感動だと思います。
2026年国際親善大会最終日が終わりました。試合に出場した皆さんは本当にお疲れ様でした。怪我があれば怪我を治し、疲れがあれば癒し、心と身体を1度解してから、またこの結果を元に空手の強さだけではなく、素晴らしい人間に成長出来るよう精進して、また明日から生きて行きましょう。ご父兄様には、子供達を試合に出場させて頂いた事、いつも道場にご協力頂いている事、本日も長丁場のなかご協力頂いた事を心から感謝を申し上げます。私も子供達が良い成長をして素晴らしい人間になれるよう指導して行きます。今後とも変わらぬご協力のほどよろしくお願い致します。本日は本当にお疲れ様でした。1日スタッフをして頂きました深野さんと中山には心から感謝しております。
5月5日は子どもの日ですが、本日は2026年国際親善大会初日でした。型の審判から始まり、組手の審判となかなか大変でした。なおかつ本日の最後の試合の主審でした。もうヘトヘトですが、選手達の頑張りを見て、私も刺激を受け大森で電車を降りてトレーニングをしてから帰りました。本当にみんな良く頑張りました。ご父兄様も本当にお疲れ様でした。スタッフをしてくれた廣田さん、本当にありがとうございました。
今日は、朝起きて朝ごはんをしっかり食べて、大森道場へ行き、神棚の榊の水を替え、礼をし、生徒達が国際親善大会で自分の力を発揮出来るように祈願して、柔軟体操をし、ジムへ移動しトレーニングをしてから、2026国際親善大会の審判講習会と全世界支部長会議のため東京体育館に行きました。世間はゴールデンウィーク真っ只中ですが、私は国際親善大会がある事もあり、ゴールデンウィークの実感がないぐらい自分のトレーニングに仕事に追われています。「俺に休みなんかねー!」と言う「ヒーローに休みなんかねー!」みたいな嬉しい悲鳴をあげています。とカッコイイことを言いましたが、自分が好きな事をやっているので、毎日が休みといえば休みです。明日からバシバシに審判に入っているので選手のためにもよいジャッジをしたいと思います
私の親友に紹介を受けて、ある方と一緒に飲みました。その方はもともと東京の大森生まれで大森育ちなのですが、10年ほど福島に転勤になり、その時に私の親友と知り合ったそうです。その後、いろいろな所で仕事をされているそうですが、ゴールデンウィークで東京に帰って来られたとの事で、一緒に飲む事となりました。その話を事前に家族に話したら、長男と次男から「女の人じゃねーだろーなー!」と言われました。私も「そんなわけねーだろー!バカヤロー!」と返しました。と言うわけで、はじめましてから始まり、お互いの年齢や仕事の話や共通の友達である私の親友の話などでお互いの距離を測り、少しずつお互いの趣味の話などに入って行って、この話題で話が広がると感じたもので話を進めて、だんだんとお互いの距離を縮めて行きました。とても礼儀が正しく相手に気遣いができる方で、とても気持ち良く一緒に飲む事が出来ました。2014年まで東京の大森にいたという事なので、とても近いところにお互いがいたという事になります。面白いもので福島の友達を介して出会う事となりました。この日は私も大森道場で個人レッスンをしていたのですが、その方が大森に住んでいるとは知らなかったので、蒲田で待ち合わせにしてしまいました。でも「あー大森で飲めば良かったですねー!」と1つ笑いが出来たので良かったのかもしれません。因みにお互いの共通の趣味はトレーニングでした。トレーニングの話でかなり盛り上がりました。その方も気を使って、いろいろ話題を広げてくれたので、とても楽しい時間を過ごせました。その方に大森で福島出身の方がやっている中華料理屋を教えて頂いたので、今度行ってみたいと思います。出会いって本当に面白いなと思います。
「〜になりたい!」そう思った時に自分の中で何かが生まれた、あの時のあの感じっていったい何だったのだろうと、あれから39年経った今もそれを考えます。その感覚はそれまでにも無く、それからも無いからです。自分の中で何かが爆発したような、自分の中にある火山が噴火したような湧き上がる熱い感情はいったい何だったのだろう?あの時に起きた爆発で自分の中に湧き上がった熱い感情は、今までの私を動かして来ました。そしてその熱い感情は今もなお私の中で消えずに私を突き動かします。たぶん私はそれを情熱と言う物なのではないか?と思っています。その時に見たものは極真空手の第4回全世界空手道選手権大会でした。松井章圭館長、アンディ・フグ選手、増田章選手、マイケル・トンプソン選手、黒澤浩樹選手、ニコラス・ダ・コスタ選手、アデミール・コスタ選手、七戸康博選手、緑健児選手、ピーター・スミット選手、ミッシェル・ヴェーデル選手、ジェームス北村選手、ジェラルド・ゴルドー選手、アデリーノ・シルバ選手、橋爪秀彦選手、三明広幸選手、ジェフリー・セベクル選手、桑島保浩選手、たくさんの試合が頭にハッキリと残っています。あんなふうになりたい、世界大会に出たい、あんな観客がたくさんいる会場で戦ってみたい、強くなりたい!極真空手をやりたい!そう思ったのです。その夢は半分は叶い、半分は叶いませんでした。夢を半分叶えた私だから言える言葉があります。夢を半分叶えられなかった私だから言える言葉があります。この情熱は私だけの物ではあるのですが、その情熱で道場生達に指導して行きたいと思います。
5月がはじまりました。考え方によっては毎日が違う日とも言えますし、また同じように考え方によっては毎日が同じ日と感じてしまう事もあるのだと思います。生まれてから死ぬまで同じ1年、同じ1ヶ月、同じ1週間、同じ1日なのかもしれませんが、そこに区切りをつける事で違う1年、違う1ヶ月、違う1週間、違う1日を過ごす事が出来ると思います。そうする事で毎日に変化や緩急が生まれて、毎日を楽しんで一生懸命に生きる事が出来るのだと思います。だから私は1日を1週間を1ヶ月を3ヶ月を1年をと区切る事で、自分の人生に緩急や起承転結を作って行くようにしています。
kanno
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