まめごはんつうしん
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2006年02月24日(金) おわったよー、って、言えること。

少し間が空きましたが、抱えていた大きなイベントがようやく終わりました。
私自身はプレッシャーには決して強くない……どころか(苦笑)かなり弱いので、この仕事を始めて丸2年が経ちましたが、ひとつイベントをこなすたびにどっと疲労が押し寄せて、緊張の糸がぷつっと切れて号泣する……ということをこの間ずっと繰り返してきました_|\○_。ついでに熱出して寝込んだり(爆)。ホント、私が泣き崩れるのが恒例行事のような。って自分で言うなよ情けないな。

で、今回も、やっぱりしんどかったんでした。やっぱり大きな行事に弱いところを露呈してしまい(T^T)、先週末の腹痛から始まって、火曜日あたりから「ああ、これは風邪だ」という感じになってしまいました……のどがすごく痛かった。それでもいろいろなことは押し寄せてきて、イベント前日にはなんと、郡山へ会議に行く羽目に……しかも行きだけとはいえ、事務局長さんが同乗することに(;゜゜)。それなのに前夜は緊張して……ではなくて\(- -;)、のどの痛みがものすごくて、大量の寝汗までかいてしまい、3時間弱の睡眠時間で車を運転して、午前中だけでとんぼ返りで(しかもまめ子のオイリュトミーまであって、送り迎えまでしなくちゃならなかった……)、ひとりで準備をして。

振り返ると、かなり孤独だったことは事実だなぁって。私が中心になってやる、という事実はものすごく重くて、しんどくて、苦しくて……日々増してくる厳しさに、思わず涙してしまうことも一度や二度ではなかったです。このタイミングでフラワーレメディを本格的に始めてしまったのも重なって、ホントにここ1週間くらいは思い出してわんわん泣いてしまう、ということもたびたびでした。ホントにね、これが終わったら今度こそ本当に事務局の仕事は降りる……って、いつも言うから誰ももう本気にしないかもしれないけど(苦笑)、ホントにそう思ってました。


だけど。
非力なりに、足りないなりに、2年間やってきて積み重ねてきたことは、決して無駄ではなかったのかもしれない。長いことやってきて初めて、こんなコトを思えたのです。
私は割と、時間の読みとか先を見ることとか、苦手なことがかなりあるのだけど、「これが苦手」というのがおぼろげながら把握できるようになったかなぁ、と思うのです。どこをどう動かせばこうなる、ということを考えるのが苦手、でも、そのことをちゃんと受け止められるようになってきたのかもしれない。
昨年までだと、私ではしどろもどろになってしまって結局かなりの部分を事務局長さんにフォローさせてしまうなんてことはざらだったけど、このイベントではじめて……だと思うのだけど、「わからないところが、わからない」というところが少なくなってきて、会議を重ねるたびに私が提案しても「何それ」状態に陥ることがあまりなくなってきた、というか。ちゃんと討論になるっていう感じで。厳しい意見のぶつかり合いになっても、「私がダメなんだ」なんてぐらぐらすることも……無くなったとは言えないけど(苦笑)、引きずらなくなってきた。これを成功させて次に進むことが大事だってみんなわかってるから、真剣勝負になるが故によくあること。だから、ちょっとは苦しくなって泣いても、すぐ笑顔になれた。そんな気がする。



前日、大慌てで戻ってきた、ひとりぼっちの事務所で。
押し寄せてくる仕事の大波にめげそうになりながらも、言い聞かせた。

ここを乗り越えれば、ちょっとだけかもしれないけど、心の背丈がのびるから

そして、今日。
予定外に転がってしまったことも、うまくかみ合わないところも、あった。おまけに、風邪……というより、のどの調子はさらに悪くなり(泣)、ハンドマイクがあっても声が出なくて苦しんで。
でも、みんなで力を合わせて乗り越えられた……と、思う。それでも、ここまでの準備がホントに、苦しくて泣いてばっかりだったから、また終わってから緊張の糸が切れて泣くかもしれない、そう思っていた。



まめももさん!

もうそこは他の人にお願いして、ごはん食べちゃいなよー




会場のあとかたづけもだいぶ済んだ頃、事務局長さんに呼ばれた。


あ、は、はいっ


慌てて調理室に行く私。
(*)今回のイベントの内容というのが、子育てサークルの活動発表と産直の農産物の試食を含んだ学習、というものでした。
主催側は各テーブルごとのコーディネーター役とか、私は一応全体をみて走り回る役になっていたので、ごはんをその場で食べることは難しかったわけですね。



ごくろうさま、ほら、ごはんよそってあげるから(^∇^)


ああそうか、終わったんだ。
その一言でゆるんだ……けど、不思議と感極まるようなことはなかった。
ほかの常任委員さんにも「ごくろうさま、疲れたでしょう」と声をかけてもらったけど、「あ、はい……」と言いつつも、あ、そんなに疲れてないなって。いろいろあって5時半まで仕事してったし(苦笑)。

イベント自体も盛況で、来てくれたひとがみんな喜んで帰っていってくれたというのもあるけれど、ホントの勝負はこれからのような気がする。ここがゴールとか「あがり」では決してなくて、ここがむしろ、何かのきっかけになる気がする。不完全でも強くなくても、今の私の精一杯で、ぶつかっていけた。時間がかかったとしても、今日まいた種が、いつか実を結べば。結ぶ気がする、一粒だけだったとしても。それが一番いい。
この一瞬がうまくいくことも大事かもしれないけど、それ以上に大事なこと。
上手にこなせること以上に大事なこと。伝えること。一緒にいたいと伝えること。手を繋ごうよと伝えること。大きな輪を作りたいんだって。やりようによっては、負ける人を出さないでみんなで生きていけるのかもしれない。こんなコトを言うと嗤う人は必ずいるし、そういうことほど、伝えていくのには時間がかかるけれど……時間がかかっても、少しずつ、思いはまわりのひとに伝わっている、そのことがわかるようになってきたから。

大事なことは、今この瞬間の勝ち負けなんかじゃないから。


終わってから笑いあえたことは、初めてだったかもしれない。
あの時よそってもらったごはんが、とってもおいしかった。
今は、それでいいかなと思っています。
イベントの分析やら反省やらは、これから。でも、今回、それをきちっとやろうという気になっている、それだけでも私にとっては大きな前進かなと思う。

貴重な経験でした。
少しだけだと思うけど、成長も、したのかな。
っていうか、これから緩んでくるのかな。のどの痛みがピークで眠れないのでこれ書いてるってこと自体が……(−−;)。





余談なんですが。
「緊張して震えが止まらない。」のも「牛乳に相談だ。」なんでしょうか? (^ ^;)
(私のPC、スクリーンセーバーが「牛乳に相談だ。」なので。)





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このところまた「ああ、つながってるなぁ」と思う出来事がいくつかあって。
4月。実現するといいなぁ。予定はあけて待ってますね。
そうだ、その前に「お茶会in東京」じゃん! あゆみさんに先に手紙もらってしまった……なんだかんだ言ってこれが終わるまでは手紙書こうという気にもならなかったわけだけど。もう3月になっちゃうし、お手紙書こう……今回珍しく(?)えびなさんとも連絡とれてるわけだし。
でも、部分転載とはいえ、あれを書いたのはもう9カ月近く前になるわけで……あらためてあんな形で目にした、そのことに対する照れももちろんあるんですが、実のところ、9カ月経っても考えてることがあまり変わってない自分に気がついたことが恥ずかしいという思いもあります。ある程度手の内が知れてきて、ちゃんと思っていることを言わないと伝わらないひとだということはよーくわかってしまったんですけどね。気がついてほしいなんて思うこと自体が難しいひとなんだけど、誰かさんは。それでも、気がついてほしいのに触れられないようにしてしまう自分が未だにいることが、なんだか笑えてしまいます……笑えて、でも、ちょっと切なくて。


2006年02月17日(金) 分岐点はどこに?

私が最近、「うんうん、そうだそうだ」と思いながら読んでいるサイトのひとつが、「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎週水曜日に更新されている(みたい。最近気がつきました)「おとなの小論文教室」というページ。本まで買っちゃったし(^ ^;)ゞ。最近、私の仕事が「表現すること」抜きでは成り立たない……ということに気がついた所為もあるのか、毎週の文章のひとつひとつが、ホントにいちいち胸におちるんでした。
で、ですね。
今日はそこの、ここのページのことを不意に思い出して、話が進みます。


私はよく、ここで「あの8月が私の分岐点だった、って後々まで思い出すんだろうと思う」というようなことを書きますが、このページを読んだときに「ん?」と思ったんです。
そういう、目に見えることは、分岐点としてはもうちょっと違う、のかなぁ? たしかに、あのとき、彼女に思いっきり叱られて、そのことがきっかけで変わっていったものがあって、それで今もここにいることを選んだ、とは、言えなくもないのだけど……そうか、それだけでは弱いかもしれないなぁ、って。自分が自分を越えていくことをあらためて見つめ直すきっかけにはなったけど、それだったら、ほかのことを選んだって別に、よかったのかもしれない。

あれ以来、多少厳しいことを言われたりしながらも、そこを乗り越えてほしい……という思いを受け止めながら、いろいろなことに取り組んでいます。専従者として会議や学習会に出てほしい、というようなことを言われることも、増えました。
で、はたと思い出したことが、あったんです。

ちょっとそれるんですが、mixiで私の出身高校のコミュニティを覗いていて、自分が通っていた頃の先生の話題、というのがあったんです。私自身は……実を言うと、高校は「不登校になってもおかしくなかった」状態だった(けど、毎日ちゃんと通っていた。親に心配かけたくなかったし……)んです。だから、ほとんど思い出もない……と思っていたけれど、そんな中でも今の私にかなり影響を与えた……と思われる出来事があったことを、思い出しました。


うーん、私の10年くらい下の子も、この先生の授業を受けていたのか……
しかも、私が受けた授業と大差のない状態で(^ ^;)



1年生の時の担任が、現代社会の先生だったんでした。現代社会って、今、科目であるところって、ありますか? うちの高校は進学校のような位置づけの割には、某大学の付属高校でもある一面があったからか、1年生は全員現代社会が必修だったんですね。2年下の実弟の高校は現代社会なんて科目そのものがなかった……
でも、この授業が今思い出してもものすごくおもしろかったの! 教科書も一応あった気がするんだけど、教科書ってほとんど使わなかったんじゃないかなぁ。「この曲を聴いて思ったことを書け」って、吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」とか、日本国憲法前文の歌とか……この憲法前文の歌は聴かされたひとが100人いたら99人は吃驚、というリアクションだったらしい(笑)。そりゃそうだよなぁ。私だってなんかのギャグかと思ったもの。ベルリンの壁が崩壊した年に高校1年生だったひとは、この先生の現社だったばっかりにかなり世界の生々しい場面を教わったようでもありました(^ ^;)ゞ 。ちなみにその年私は大学1年生だった。

でもね。
今日、学習会に出る羽目になって、その学習会に出て。
途中から話なんか頭に入らなかった(こら!)。
不意にその先生のことを思いだしたんですよ。

私自身、高校生の頃は今以上に引っ込み思案で殻に閉じこもってばかりいる生徒でした。別の先生に「キミは、本当におとなしいんだねぇ」って驚愕されたこともあった(苦笑)。でも、私がボランティアに興味がある……らしい、と思った当時のその担任は、こんなのがあるよ、と、いろいろなものを紹介してくれたのを思い出しました。結局、私が自分の殻を破ることはなかったんだけど。

そうだ!
私、なんかの話になったときに、この授業の話を、私の前任者だったひとにしたことがあった。きっと、そういう話をしたら、その話は事務局長さんだけでなく、ここに関わるいろいろなひとに伝わる……ということは、充分考えられることで。


導かれていた。


でも。それだけではなくて。
高校1年生だった私が、受け取ったメッセージ。それが明らかにあって、私はここにいるのではないか、そんなふうに思える。言葉にはうまくできないけれど、私の「芯」になる部分のひとつを作ったのが、この時期だったんじゃないかな。そんな気がする。
私は、その流れに乗っかった、そういうことなのかな。だとしたら、戻れない。それが、使命だから。

来月、帰省したら、まだ実家に残っている荷物を探してみよう。
もしかしたら、まだ取っておいてあるかもしれない。現代社会のノートとか、プリント類。受験には実際役に立たなかったけど(苦笑)、好きで読み返してたんだよねー、長いこと。

この先生は、もう母校にはいないんだろうか。
もう私のことなんぞ覚えてないと思うけど、会って話をしてみたい気がする。
彼は、どんな思いで、あのような授業を展開したんだろうか。
彼の伝えたいことは、なんだったんだろう。聞いてみたい気がするな。
今更意味がない? でも、私が今手がけている仕事は、あの時なんかのギャグだと思ったあの授業が、ベースになっているなと、今思うのです。
そう、あの時習ったことの意味を、今になって知るような。




生きていて意味のない時間なんて、ないのかもしれない。
いちばん「どうでもいい」と思っていた頃の私が、今の私を形作っていたなんて。
そのために私は、傷だらけの私を、乗り越えていくの。きっと。


2006年02月15日(水) 考えすぎてっから、この子。

うん、自分でもそうだと思う。
あまりにも常にそうなので、ホントに、どうして見限らないのかと思ってしまう。
「だから、それはいいから」
とか
「そうじゃないでしょ」
とか、考えすぎだとか……自分ででも、これじゃいい加減普通はいやになるよなぁ、とは思うのだ。

それでも「何度も言うようだけど」と言いながら、背中をぽんと押されて、引き戻される。
それがまた、しんどい。しんどいというよりは、申し訳なくていたたまれない。

だから、わかってるの。
最後には自分で乗り越えていくしかないということ。
ただ、それをやるには、自分に向き合えば向き合うほど、容易くはないことにも気がつくから。乗り越えなくてはいけない傷の、大きさや深さ。説明しろと言われても、きっと伝わらない。ううん、説明することにはそんなに意味がないんだと思う、おそらく。
諦めなければ乗り越えられる、そう思わなければやっていけない。とても。



思い立ったら吉日、みたいに、小学校の制服の注文をしたり(電話で問い合わせまでして! すごく応対のいいところで、よかった……)、あゆみさんと電話会談したり。
お茶会を、3月10日にすることにしました。時には、仕事よりもこっちを優先! と思えることが、あってもいいかなと、思います。4月になればホントに、長期休暇にしか上京しないんだし……


2006年02月14日(火) こーいをしーちゃいましーたー♪……なの?

今日はバレンタインデーです。
先月にもう、ピープルツリーさんだったり生協でロイズのチョコレートだったり……という感じでのんびり準備はしていました。最近は女の子同士でチョコを交換することもあるんだそうですね。チョコレート、好きだって子多いもんなぁ……まめ子だって自分がほしいくらいかも。ってわけでまめ子の分もちゃんとあるんでした。私って(笑)。あと、実家とかあゆみさんとかもちろん愛しのまめだぁとか……って、キーボードたたく指がもつれるじゃん__(_ _;)。
なんてことを言っていたら、ある指摘が……


ねぇねぇ、あゆみさんもそうだけど、あの人はいいの?


だから、違うって! そんなあからさまなことできないって!

だからさ、みんなに同じように分けるんだけど、ひとつだけ心のこもったお茶菓子とかって

…………だーかーらーーー(−−;)。


とはいうものの。
結局、買ってしまいました。
午前中、市職員との懇談だったんですが、その帰りにケーキを買って事務所に戻りました。チョコレートクリームのロールケーキ。今日は役員会だったので、4等分の予定が、役員会の時間にちょうど来訪のかたがあって、5等分しました。お客様に「○○さんラッキーですよー、ケーキがあります(*´▽`*) 」とか言って。




……あんなこと言うから。
やっちゃったじゃないよ。
いちばんきれいに切れたところ……は流石にお客様に出しましたけど、その次にちゃんと切れたのを選んで

口には出せないんですけど、大好きなんです

って……実際にそんなこと言いませんでしたが。あやしいでしょって。でも、そういうのって伝わるんだよなぁ……おそらく。ああああああああ。がっくし。
でもいいんだ、他の人も喜んでくれたから。

あたしさぁ。何歳だいったい(x_x;)。どうしたいんだいったい。
でも一方で、そういう自分を冷静に見てる私もいるわけで……困ったな。
好きなの。ホントに好きなの。白状すると、この人の話をするとついほころんじゃう自分にも気がついてるし、うっかり触れるなんてことがあろうものならホントに緊張する。
でも、だからどうだって言われるとすごく返答に困る……どうしたらいいかなんてわからないもの。

それであまのじゃくになるしかなくなるんだけど。


2006年02月10日(金) それでも。

泣けてくることがあるのはしょうがないです。開き直るなって? \(- -;) 
自分でも「これは心の病気だ」と思うことが、ある。しょうがない、引っぱりすぎたかなって自分でも思うから。
でも、そのことの所為にして歩みを止めるのは、もういやだなって思う。

笑顔は、忘れない。ちょっと泣くことがあっても、ちゃんと笑える私のほうが、いい。
そう、思えた。


2006年02月08日(水) 表現するひと

昨日、ここも書きながら、いろいろ考えた。
結局、どうしたらいいのか。


表現することを、あきらめないこと、なのかな。


たとえば子どもの頃、たくさんいじめられた。あのとき、諦めないで自己表現をつづければ何か変わったのかもしれない。でも、閉ざしてしまった。それが、30を半ばも過ぎてなお、いろいろなことを引きずる原因になったのかもしれない。
はっきり言ってしまえば、私は長いこと、根の深いトラウマを抱えっぱなしだった。今のそれに比べれば私が体験したことなんか大したことではなかったかもしれないけれど、それでも長い間曝されていれば少しずつ、でも確実に大きな歪みになる。
そんな状況で自己肯定感、なんて、持てるわけもなく。だからといって、不足感の埋め合わせを自分の外に求めているうちは、何も解決しないということだったんだな、って思う。

変わる決心は、最初の一歩は、自分の中にあった。

そのことに気が付いて、踏み出す決心をしただけでも、大きな進歩だよね。
昨日も書いたけど、伝えるひとになりたい。諦めないで伝えることで、繋ぐひとになる。きっと。



















訊けなかったけど。
歯がゆかっただろうな、って思う。
閉ざしてしまって、おどおどしていた私。

この2年間は、私を生き直す、長い長い陣痛の時期だったのかな、と思う。
これで終わりでなかったとしても。再び痛みにおそわれても。
少しずつ、上手に乗りこなせるようになる。

遅くない。ちゃんと生き直せる。


前向きに、一歩を踏み出していくことだと思うのよ


その笑顔を思い出すだけで、気持ちがあったかくなる。
たしかに、私が、ここにいる。
つぶされそうになっても、そのまなざしに励まされて、受け止めた気持ちを胸に抱いて、壁を乗り越える決意をする。
(↑大げさっぽいけどこんなこと言うから誤解されるんだけど、ホントにそうだったんだものしょうがない。)
まだまだ青いな、って、笑われるかもしれないけれど。
誰かの所為にして生きるやり方に、今度こそ、さよならしようと思う。




理由なんてわからないけれど。
私を選んで、引き寄せてくれて、ありがとう。











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っていうかさぁ。
昨日、結婚記念日だったんですけど。
すっかりすっ飛んじゃったじゃん! (゜゜;)\(--;)
まめだぁがちゃんと覚えていてくたくたガスパール(ぬいぐるみ……)をくれたのに申し訳なくて、ケーキを買ってきましたが。あと、まめ子が結婚記念日というものを知って、保育所で吹聴していたので、今日保育士さんに

結婚記念日だったそうですね、おめでとうございます

って言われました……うむむ。


縁あって舞い降りたこの土地で、あたたかい人生をちゃんと歩んでいます。
みんな、ありがとう。


2006年02月07日(火) 叱ってほしかったんだ

すべてを語ることが能ではないと思うので、実際にあったことに関しては胸の内にとどめさせてください、なのですが。






私自身、傷つくことばかりを覚えてしまっていたから、そこから逃げる手段としてコミュニケーションを閉じてしまう癖があって、それをずっと乗り越えられないでいました。どうせわかってもらえない、って。コミュニケーションって、ぶつかることも落ち込むこともあって当たり前で、でも私はその壁を一度も乗り越えられずにいたのでした。だから、拒絶される記憶ばかりがおおきくなって、誰が手を差しのべても、無意識のうちにそれをはねのけ続けてしまっていたんだろうな、って。


この壁を、乗り越えようよ、逃げないで、ね


私が何度殻にこもっても、そうやって殻をたたきつづけてくれるひと。
乗り越えたいよ。でも。自分を信じることが、私にはいちばん難しい。
自分さえも信じられない私に、どうしてそんなにぶつかってこられるの。
どうして。まっすぐに私を見つめてくれる。身動きがとれなくなるくらい。



あのときのように、たくさん泣いた。でも、乗り越えたい。
乗り越えられない原因は、ほかでもない私自身だって実は気が付いてる。ただ、認めるのが怖いだけ。ホントは私、誰かの所為で、何かの所為で、こんなふうになってしまった被害者なんかじゃない、それを突きつけられるのが怖かった。

今なら、できるかもしれない。弱いところもみっともないところも全部ぶちまけて晒してしまっても、逃げないで走り出さなくちゃいけない。不器用だって行き違ったって、わかってもらいたい。弱虫で、何もできなくてかっこわるくても、退いてしまうひとがいても、すぐにはわかってもらえなくても、挫けて泣いてしまうことがあっても、またここに戻ってきて、伝えたい。私はここにいる、その存在そのものを。



「きっと人は、生きるのがつらいときほど、
 ただ、生きてるだけで、輝いている。」




不意に目にした、この言葉に胸を突かれる。
いつしか誰にも心を閉ざして、まともに少女期と思春期を乗り越えることも諦めて、時を止めたまま年齢だけはおとなになってしまった周回遅れの自分を、ずっと恥じていた。それこそ、被害者だって思っていたのだと思う。そんなことない、ってふりをしながら。
でも、こんな私なのに必要だって言ってもらって、役に立たないなんて言葉は聞かないって叱られて、今でもここで生かしてもらっている。こんな私のこと、わかって言ってるのかなって思ってた。私なんか相応しくないってずっと思ってた。でも、私がここに立っていることは決して、申し訳ないことなんかじゃないって、思っていいのかもしれない。
私だからできることがあるのかもしれない。私だから与えられた役割があるのかもしれない。意味のないことなんて、きっと、ない。



……私、ホントは乗り越えたいんだ。
でも、もうこれ以上傷つく自分を見るのがつらいから……


私も聞かない振りしていたつぶやきを、もしかしたらだけど彼女は聞き逃さなかったのかもしれない。だから、見放さないで、あえて叱ってくれたのかもしれない。そんな気がする。
こういう人に出会ったのは、おそらく初めてではない。でも、みっともない私を甘やかすのではなく受け止めて、わかる形ではっきりと背中を押してくれた。その言葉にすがるのではなく、今度はきっと、自分の足で立てる。びっくりされても、たどたどしくても、ダメを出されても、「応える」のではなくて、私を「伝える」ようになりたい。何度うずくまっても、何度転んでも、立てたときの感触を信じながら。
泣いてもみっともなくても、前に進むことを伝えることを諦めなければ、輝きは消えない。そう信じようと思う。

信じる、ということは、ものすごく難しい。でも、その入り口に、立たせてもらった。

ありがとう。


2006年02月06日(月) こういうことを書くから誤解されるんだけど(?)

私は割と、しょっちゅう「食欲がない」などということを口走ります。それでまめだぁに

食べないと元気にならないんだからいいから喰え( ̄‥ ̄)

って叱られてしまうんですけど〜(T^T)。たしかに、そういうことを言ってる時って心因性だな、と思われることが多いんですけどね。ふう。
で、今日もそんなことを言っていた私……そしたら、月曜日にボランティアで事務所にお手伝いに来ているかたに

まめももさんって結構そういうこと言うけど、体は弱いのかい?

と訊かれました。


いえ、弱いというよりは軟弱だというほうが当たりなんですけど……


何その微妙な意見は(−−;)


kbさんナイスつっこみ(^ ^;)。一同爆笑。いや、私としては正確なつもりなんですけど(苦笑)。


やー、まめももさんはやせてるから、そういうのもあるのかなぁって

やせてないんですー、そんなことないんですー



あの、まめももさんの「そんなことない」は、たしかにそんなことないんだって、こないだお風呂に入ったときに……うん、ちゃんと肉はついてたよ



















( ̄□ ̄|||)がーーん!



















そ、そういうことをいうから、私がいつも動転するんですってば! 肉もさることながら「一緒にお風呂」で動揺したバカまめもも。ああもうっいや〜ん♪ (◇^*)Ξ(*^◇)←なんだアンタは\(- -;) 。
で、数時間後、事務局長さんがコーヒーを入れてくれました。仕分け担当の事務局員さんが快気祝い(先月まで入院してたので)で持ってきてくださったもので、砂糖も一緒に持ってきてくださったんですね。なんとかの元〜、とか言いながら(苦笑)。

いやもう、砂糖が付こうか付くまいが、もうこれくらいになるとちょっと肉だろうが体重だろうが、増えたって一緒だよね(^ ^;)

ええ、先ほど肉が付いてるという証明もされてしまいましたから……

やだもう、見ようと思ってみたんじゃないのよー、それにあのあたりに肉が付くというのは(年齢を重ねれば)当然なんだから〜(ー_ーゞ



居合わせたみなさんが大笑いしてくださいました( ■ ;) 。





え、あのあたりがどこかって? 自分で考えなさい(−−;)。
まったく出てほしいところは真っ平らなのに……










でも、こんなコト書いてるけど、精神的にはすごくぐらぐらな状態です。食欲ないって口走るくらいだから。最近もう、家に帰ってから疲れて泣く、というのが続いてます。何が原因だろう。子どもみたいにわんわん泣ければ楽なのに。そんなこと、ないのかな……
吐き出せれば楽だけど、それによって振り回す人が出てくるかもしれないのは、つらいな、と思う。叱られても罵倒されてもいいから、ぶつかっていければいいのかなぁ……でも。どうするのがいちばんいいのかがわからなくて、立ちつくしてるのだけど、それがよくないこともわかる。でも……

たったひとつわかっていることは、私の見ている景色はかなり、他の人とは違うということ。がんばってなんとかしようと思ったけど、もうどうしようもない……


2006年02月05日(日) 素直になりたい素直になれない

ほんとにねぇ。
多分今の私自身が「どうせ私なんか」モードになりそうになっててかなりまずい……所為もある、とは思うんだけど。

単独行動が、おそらくは苦にならない彼女。ひとりでさっさと動くことが多い。気がついたらいなかったりする(笑)。
一方の私はというと、別の意味でマイペースすぎて、気がついたら置いて行かれることも多い(爆)。実際疲れやすい体質(?)なので、ひとりでいるのは苦にならないけど、さみしがりでもある(……認める(^ ^;)。)ので、その辺の案配が自分でも難しくて、しばしば持てあましてます。
たとえば先日、全県規模の会議がありました。お昼休憩の間、事務局長さんは外にごはんを買いに行って午後の議事が再開するまで戻ってこなかったし(で、午後の議事の間、買ってきたお弁当を食べていた……)、私は私でお弁当を食べ終わったあと編み物したりしてるもんなぁ。ホントは「雑談に交ざることもしなくて、変だと思われてるかも」とか思いながら。私の場合、そこを「私は私でいいの」って思えないところが苦しいところ、なのかな……
おそらくは、ものすごく似てるところがあるんだろうと思う。ただ、見える部分とか積み重ねた部分はものすごくかけ離れてるのだけど。




けっこう、どちらともなく近くにいることは多いんですけどね。
それなのに、ちょっと挨拶するのにも「別にいいの」なんて避けちゃったりする(^ ^;)。まめだぁにはその辺がちょっと不思議だったらしいです。そりゃそうだよな……






そんな、とある催し物に、まめだぁにまめ子まで巻き込んで出かけたときのひとこまでした。
まめ子は大好きな退職教員のおじちゃんを、出待ちしてまで

バイバイいいたいからまってるの!

って言えるのに。私はどうしてこう素直じゃないんでしょう。まめだぁに

あんた○○さん(事務局長さん)に挨拶してかなくていいの?

って言われたのを「うん、(姿が)見えないからいいよ」って……いいんか。
せめて、どうせ私なんかの「なんか」は取らないと、話は先に進まないんだけどなぁ。

そうそう、こうやって一家で出かけた……ということは、まめ子はようやく回復しました。腫れが退いたら外出もOK、って、基準としては悩むところだった……私は。腫れてるときにはたしかに、安田大サーカスのHIROくん状態だったんだけど(* ̄m ̄) 、もともとがぽっちゃりなので、腫れる前の顔を思い出せなくて苦しみました(苦笑)。
なにはともあれ明日からまめ子も保育所、私も職場に復帰です。私はもう居場所なんてないかもしれないけど(泣)。


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