まめごはんつうしん
DiaryINDEXpastwill


2006年03月31日(金) 今月と、ついでに05年度を総括してみる。

今月は久々に(?)あまりこちらに足が向かなかったなぁ……と思いつつ。

えっとまず、1年間の保育所通いが無事に終了しました。
お別れもあっさりしたものだったけど、ここに「戻ってくる」なんてことはないんだろうなぁ……夏祭りとか運動会の時には招待状が来るのかな。
最初ふた月くらいはどうしたものかという感じだったけど、ちゃんと1年間通えて、よかったなと。本当にお世話になりました。母自体がかなり酷い精神状態だったときのほうが多かったけれど……うわ、やっぱり今年度の総括って、おそろしくてできないよ! 今までの「まめつう」で納得してください、って(こら)。ただ、いろいろあって1年前とはかなり違うところにいるな、という感じはします。
見える景色は、かなり広がったのかもしれない。振り返ってみれば、仕事もがんばったって言っていいかなと思う。投げ出さなかったことだけはほめてあげていいのかもしれない。プライベートでの居場所もちょっと増えた。声をかけてもらえることは、本当に、うれしい。
それでいて、今までのつながりももう無くなったようでいたけど、そんなことなかった。全体的につらかったので直接会えたのはあゆみさんくらいだったけど、メールやお手紙がほんとうに、とてもうれしかった。ほんとうに、ありがとう。


で、こちらに来られなかった間の3月。
まず、昨年の分を取り戻すべく、展覧会に足繁く通いました(笑)。今月だけで5回! もっともっと行きたいところはあったんだけどなぁ……世田谷文学館の「暮らしの手帖展」なんて、知ってたら絶対行きたかったのに〜(4/8までなので、もう無理……)。でも、全体的に満足でした。箇条書きしてみよう。
1:名取洋之助と日本工房(福島県立美術館)
まめだぁが招待券をもらってくれて出かけました。戦前戦中の時期にこんなふうに人を引きつけるグラフィックデザインをしていた人たちがいたなんて……感嘆。
2:アートと話す アートを話す(東京オペラシティアートギャラリー)
まめ子が興味を持って見てくれてすごくよかったです。実際に見取り図に色を塗ってみたりというのもあって、楽しかったようです。展覧会用のワークブックを使って鑑賞、という形式が新鮮だったし。販売用もあって、しばらくまめ子がそれで楽しんでいました。もうちょっと時間をとれるとよかったなぁ……降りる駅間違えちゃったりして、ちょっとロスが多かったです__(_ _;)。
3:ちひろ美術館・東京→後ほど、「お茶会」の項で。
4:村田朋泰展 俺の道・東京モンタージュ(目黒区美術館)
私は実のところあまり興味がなかった(^ ^;)のだけど、まめ子が新日曜美術館で見て「いきたいー」と大騒ぎしたために行くことに(笑)。ミスチルのPVかなんかも手がけたかたなんだそうですが、まめ子的には「プチプチアニメ」の人だったという……その「プチプチアニメ」の制作過程や、ジオラマが見応え抜群でした。
で、ガチャガチャが会場内にあって(!)、まめ子がなんと1等、私は5等を当てました。1等の景品はマグカップで、なんとご本人がぬっと現れて(笑)サインをしてくださったんでした。すごい! ちなみに5等はステッカーでした。
5:絵本作家ワンダーランド(大丸ミュージアム・東京)
これを見に行けたのはホントに意外で、ラッキーだったというか……あまり時間がなくて、せっかくまめ子がいなくてひとりだったのにじっくりその絵の世界に入ってくるのは難しかった(泣)。でも、印刷された絵本と原画とはまた違った魅力で、堪能しましたよー。リサガスとペネロペの3ショットの書き下ろしの絵を見られたのがうれしかった!

行きたいところはこれからもあるなぁ(^ ^;)ゞ 。


で、お茶会。
今回、2年ぶりにえびなさんも来てくれて、楽しかったです。
で、今までだといつも誰かしらがかっ飛ばしてくれて暴走……となるのですが、今回はあまりそういうこともなく……うん。たくさん笑ったんだけど、その中にもなんか落ち着いた感じがあったのは、それぞれに30半ばにさしかかるからなのか、それともちひろ美術館という場所柄だったのか。ものすごく、意味のある時間を過ごせたなぁ、と思うのでした。
今回、一番「ずしん」ときたのが、えびなさんの言っていた、この一言。

この2年間会うことはできなかったけど「今度お茶会やるよー」とか、終わったよーって報告のお手紙をもらうたびに、ああ、仲間なんだなぁって思って、うれしかった

そういうふうに、思っていてくれた人がいる。
私のほうがむしろ、余裕がなくてそんなふうに思っていられたかなぁ……と思って、逆に反省してしまった。
ある時期を、同じ「居場所」でともに過ごした人々。気がついたら15年ほどの月日が過ぎていた。今はそれぞれ、違う居場所があったとしても、こうしてつながることができる。それって、ものすごく幸せなことなんじゃないか。
それにしても、一番大変な時期に「おたから」を渡してしまったこと、あらためて申し訳ないなぁ、と思っています。でも本当に、引き受けてくれてありがとう。特に女性は、大きく人生が形を変えることが多いから。流れる月日が人々の形を変えることも、仕方ないんだと思う。それでも、必要な人脈は、多分細くなることがあったとしても、切れない。そのことは確信できるなぁ、と思うのです。ねっ。


お茶会と帰省を終えて福島に戻ってからは、振り返ってみるとかなり仕事に邁進したなぁ、という感じになっていました。ちひろ美術館に行ったことで、あらためて私自身の「ルーツ」を確認できたことが大きかったのか、それともあの場で大事な仲間たちといろいろ喋ったことが大きな勇気になったのか。福島を発つ直前にあったことも、大きかったかもしれない。
私は今まで、極力夜の時間帯の会議や集会動員は割り振らないでもらっていたのですが、帰福以降はその、夜の時間帯のものも含めていろいろなことを引き受けました。もちろん、まめ子が4月から小学生になるとはいえ、まめだぁの力も借りないとできない部分も多々ありましたが。お迎えやお留守番を頼んだことも多かったなぁ……まめだぁだって忙しかったのに。そういえば東京日帰りもあった! (だから大丸ミュージアムにも行ったんですね。)
私自身の頼りなさ加減とか怖いなという思いとか、そういったことは相変わらずといえば相変わらずです。失敗も多いしボケもかます。でも、踏み出してみたくて、踏み出している。ようやく。その分、得るものも多くて、よかったなって思っています。ほんとに、いろいろなものを、得た。




春は、いろいろなことが大きく変わっていく季節でもあります。
私が今の事務所で今の役割を負いはじめた頃に、一緒にやってきた仲間たちをこの春、相次いで見送る側に立ちました。ひとりは転勤で首都圏に、もうひとりはもう一度、天職である保育士の仕事をするために。半年くらい前からわかっていたことで、ひとり取り残されるようで、ものすごく不安だった時期もあった。けれど、今はもう

もう大丈夫だから心配しないで

と、言える。今まで、本当にありがとう。最初にやってきた仲間があなた達で、私は本当に幸せだった。
春からのまめ子の学童保育も、なんとか決まりました。前の保育園にいたときから続けてきたオイリュトミーをいったん終わりにする決心は、まめ子だけでなく私にとってもかなり切なくて、つらかったけれど、それもまた、次に進むということかもしれません。あらためて、これまで私やまめ子に関わってくれた人たちの、視線のあたたかさに、感謝せずにはいられないな、と思いました。その渦中にいたときには気がつかないことも多かったけれど……
そうそう、なかなか会えない遠くに住んでいる仲間たちにも、たくさん励まされました。私はいつもぐらぐらしているけれど、ああ、そういうふうに見てもらっていたんだ、その一言でどれほど救われたことか。

捨てたもんじゃない。
それどころか、本当にありがたいと思った。
人に関わることでつらい思いをするけれど、そのつらさを癒して乗り越えていく力をくれるのも、また、人の中にいることなんだ。
おお、ついでに今年度もちゃんと総括できたじゃん、自分(苦笑)。


2006年03月25日(土) 今度こそ巣立つ。

無事に満了式を終えてきました。

やはり、感激度ということで言えば昨年の、地域保育所の卒園式には正直言って敵わなかった……けれど、それでもたった1年でもいろいろなことがありましたからねー。子どもの成長っぷりに感激、なのは一緒です。

担任の先生が子どもたちひとりひとりにお手紙をくれましたが、先日のオイリュトミーの先生の「まめ子を見ていての所感」と、担任の先生がまめ子を見ていた印象があまり違わないことにちょっと吃驚しました。当然だって言う? でも、普段接していて、ちょっと意外だった感じがするので……そういうふうに見てるとは思わなかった、っていうか。
逆に言うと、保育所を移っての数ヶ月、馴染むまでにたしかにまめ子も苦労したけど先生も大変だったのかもしれないな、と思いました。(実際「まめ子ちゃんは独特の世界を持っていて」それが大変だということを担任の先生に言われたことがあるのでした(^ ^;)。)

うん、ほんとに、彼女が保育所に「馴染んだ」と言えるのは、ことに年が明けてから、だったかもしれません。今となっては1年ではいろいろな意味でもったいなかったな、と思うし……私自身ももうちょっと時間があればきちんと保護者として関われたかな、と思うし。
前の園でいろいろなことがあったが故の「2度目の卒園式」でしたけど、通う場所を移したことにも意味がないわけじゃなかった、と、あらためて思います。

本当に、おめでとう。今度こそ、小学校だよね。







とはいえ、3月いっぱいは今の保育所にお世話になるのです(笑)。事務所には子連れ出勤も構わないと言われていますが、おそらくまめ子ではなく私が耐えられない(爆)。日帰り上京も一度あるので、やはり子連れ勤務は無理……あゆみさんとお茶するのも無理だろうな(って、常にそれを考えるのか\(- -;) )。


2006年03月08日(水) 「たいしたことじゃないよ」

私の言葉が足らなくて、思ったように伝わらなかったこと。
ああもう、何が足らなくて誤解招いちゃったんだろう……と呟く私に


そんな、たいしたことじゃないよ!
誤解かどうかもわからないし、とにかく本当はこうだったんだよということを伝えてみようよ、ね



とっさに「いえ、落ち込んでるわけじゃないですから」と応えた私に思わず自分で吃驚しましたが。

人と人を繋ぐことには、とにかく誤解や行き違いがついてまわる。ホントに多い。さっき言ったことが、変更になってしまうことも本当に多い。それにいちいち腹を立てていた時期もあった。「さっきそう言ってたじゃん!」って。でも、あとになって「やっぱりこのほうがいいのかな」と思うこと、実は多い。自分でいろいろなことを引き受けるようになって、わかったことですが。
そんなふうにして発生した行き違いや誤解を、いろいろやって諦めないでほどいていく。
それは、やったことが、今までの人生にはほとんどないこと。
でも、やっていかなくちゃならないなって。







その思いには、伏線があったかなと思う。
昨日のことだったけど。

私とまめももさんの間を埋める世代がいないから、大変なことはたしかなのね。私たち以外(の中心メンバー)はみんな50代や60代だけど、私たちも(年齢が)13離れてるから……ねぇ。
この間
(2/24付け参照)も、資料の印刷とかそういうことは私たちだって手伝えるけど、たとえば地域に「どうなってますか?」ってつながったり、行事そのものの組み立てに必要なことは結局まめももさんがひとりで、いろいろな業務の合間を縫ってやってきてたんだよね。
まめももさんは精一杯がんばってきたし、成長もしてきたよ。でも、こういう活動は長いことやってきても「これでいいのかな、もっとほかのやり方があったかな」って迷ったり悩んだりするものなんだけど、同年代がいない中でひとりでがんばっていると、空回りすることもあるし、まめももさんは何かあったときにひとりで背負っちゃうことも多いから、自虐的になってしまうこともあるし……私いつも言うんだもんね、「またそうやって自分からどつぼにはまってるし」って(^ ^;)


だから、私と一緒に考えたり動いたりできる人として、子ども部門の責任者を引き受けてほしい……ということを、私よりちょっと先輩のメンバーに事務局長さんが訴えたときに、だいたい上記のようなことを話していたのですが。(で、結論から言うと、彼女は「それは私には重すぎる」といって引き受けてはくれなかったんだけど。)

何も言えなかったけど、月並みだけど、ホントにうれしかった。見ていてくれるヒトがちゃんといる。今更ながらそのことに気がつく。
でも、それと同時に、ものすごく不安になった。精一杯がんばった、成長してきた……私にとっては本当に、最大限の賛辞だったあまりに、そんなことないです! って言いそうになってしまった。私って……__(_ _;)


失敗なく、完璧にできることがいいことなわけじゃない。そのことには気がついていた。でも、それにしてもあまりにも……と、自分では思っていた。
取り柄なんかほとんどない。それでも私なんだ。もっと器用に、ちゃんとこなせる人だっているのに。でもそれを言うと

またそこに落ち着いちゃうんだ……
あなたがしてきたこと以上のものは、ないんだよ


と、言われた(これも言うところの「自分からどつぼにはまる」なのかもしれないけれど)。
自分のことは、自分では見えないのかな。少なくとも「私が一番私を解ってる」なんて、断言できないのかもしれない。



いろいろなことを言ってきたけれど、あなたにはここに座っていてほしいから



いつか言われたこと。
その言葉を手のひらで握りしめながら、思う。


繋ぐことのできる人になりたい。
ぶきっちょでもこなれてなくてもいいから、伝える人になりたい。



ちなみに、冒頭書いていた誤解は、大変だったけど、なんとかとけたかな、と思います。どうせわかってもらえない、ではなくて、わかってほしくて、そのためには勇気を出して伝えることが必要で。
ぶつかることもこんがらがることもあったとしても、一緒にやっていきたい。その思いを忘れずにいれば。

思いは、届くのかな。







私が挫けそうになることのひとつひとつ。
「たいしたことじゃない」って、背中を押してくれていたのかもしれない。
そうだね、ちゃんとこの人にこそ伝えなくちゃならないのかもしれない。

言葉じゃなかったとしても。
ちゃんと背筋を伸ばして、生きていきたい。


まめもも |MAILHomePage