雲間の朝日に想うこと


< 不安を口にする権利が有るか >


結婚と言う形に拘るより、
二人の精神的繋がりを重視するべきだ。

結婚と言う形に拘るあまり、
二人の精神的作業に蓋をして、
二人の精神的作業を避けて通っても、
本当の繋がりは得られない。


極めて受け入れ易い考え方。
俺は正しいと思って来た。





ある例外を除いては。










 「ずっと側に居て良いの?」


そう問われても、
解答する権利は問うた相手の方にのみ、
与えられている。


 「ずっと側に居て良いの?」


そう問われても、
奴は解答権を有する事すら許されていないのだ。






二人の将来に、
二人の未来に、
幾ら彼女が不安を抱こうと。

奴の年齢に、
奴の若さに、
幾ら彼女が不安を抱こうと。



今も彼女には、
法で決められた相手が居る。


奴はどんなに逆らっても、
時間を戻す事が出来ないのだ。


配偶者と言う見えない敵。
法律と言う見えない敵。


別居している事なんて、
何の根拠にも、
何の力にもならないのだ。













 「怖くて何もかも聞けないんだ。」



そう吐き捨てる奴の怖さが、
俺には良く理解出来てしまった。


幾ら精神的に距離を近付けたとしても、
婚姻関係と言う物理的な壁は、
何の変化も無く其処に聳え立ち続けるのだ。




 「大人になるしか無いよ。」
 「彼女に自分の成長を見せるしか無いよ。」



怖さを跳ね除けるには、
何かに縋って、
何かを信じて、
それに打ち込む事しか無い。


俺もまた、
その位しか答えを持ち合わせないけれど。








幾ら彼女が不安を抱こうと、
二人は対等で無い。

別離を選択していない彼女の方が、
結局立場は強いんだ。



何が不安だよ。
何様なんだよ。






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References

 Nov.23 2002, 「脅威を感じているのか」
 Jan.29 2003, 「何を言えれば良かったですか」


2003年03月07日(金)


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History
2001年03月07日(水) お帰りが言えますか





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