1月に入ってから昼食をとった記憶がない。平日に限っての話だが。 空腹感は感じるが,食事をする意欲というものがわかない。 おそらく,生きる意欲の低下の余波みたいなものだろう。
昨日の診療で加藤先生にそのことは話した。 「1カ月で4キロの体重変動があったら危険」というようなコトを言われた。 その前に,僕がさんざん食事したくない(する気にならない)ことを話したからで,加藤先生のアドバイスは別段冷たいものではない。
しかしながら,昨日の「根が深いかもしれない」というコトバは痛かった。 いや,冷静に捉えればそれは単なる事実なのだから, ドクターからすれば別に普通のことを話したということだろう。 だが,精神的に弱っている状況で, 僕は冷静に受け止めることはできなかったようだ。
簡単に言えば,ショックだった。
そのせいか,今朝も不安があり,レキソタンを2錠のんだ。 本当は4錠にしたかったが,くせになるのが怖くてやめた。 薬の残量には限りがある。 そんなに大量に飲み続けるわけにはいかないという判断もあった。
しかし…「うつ病」という現状脱却の希望は,原型をかろうじてとどめてはいるか,かなり砕けてしまったように思う。 治る見込みのある病気であると信じなければ,これから先に進むことはできない。 だが,果たしてこれから先に進めるだろうか。疑問だ。
死にたいとはあまり思わない。死ねば家族に迷惑がかかる。 また,ヒトが死ぬと多くのことが動く。 役所,銀行,生命保険,車,会社,ひとつひとつ整理していかなければならないだろう。 そんな面倒を家族に押しつけたくはない。
逆説的に,「ひとり暮らしで身寄りがなかったら?」と考えてみても, やはり死ぬとは思わない。 社会の負け犬になって,ボロゾーキンのように街角に横たわるのはイヤだ。
どうあがいても生きることに執着があるわけで, そう思っている限り大丈夫だと思う。 下手な自己憐憫は,自分のこれからの可能性まで否定してしまう。
だけど,本当に大丈夫だろうか…? 自分を保ち続けて,自分の存在を抹消することなしに, 自分を再び自分の認められる存在へ変えることができるだろうか? 正直,あまり自信はない。
帰る前に,やはりレキソタンを飲んでおこう。 これで今日も4錠のんだということになる。
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