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母との思い出をもう少し書いて見ようかと思います。書いてみようかと思いますと言ってみたものの書ける事と書けない事があるので、そこを結婚考えて書かなくてはいけないのでけっこうネタに悩みます。書けない事が多いと言う事は、それだけ親不孝をしたという事なんだと思います。私は小さい頃から母とばかり話している子供だったとは思いますが、母と1番会話が多かった時期は、私が水泳をやっていた小学4年生から中学3年生までだったと思います。小学5年生の時に私がライバルに負けた時は、母に数を数えてもらい毎日、腕立て伏せをしていました。私が泳げるようになったのは母に川に落とされた事でした。大人が高い所から飛び込めるような深い所でしたが、怖がって飛び込めない私を見て、母が私を後から押して、私は河に落ち、向こう岸まで泳がなくては死ぬと思い、必死で向こう岸まで泳ぎました。それがきっかけで私は泳げるようになり、そこからどんどん泳ぐのが上手くなり、気づいた時には人より速く泳げるようになっていました。母は東京の中野で生まれ東京の中野で育った人なので、周りのお母さん達より、チャキチャキして人にハッキリと物を言う人だったと思います。私が悪い事ばかりしているから私が悪いのですが、いつも私を怒ってばかりいる先生達が家庭訪問の時に母の勢いに押されて私の悪い所の三分の一も話せずに帰って行くのを見て痛快に思っていました。私が先生に呼び出されたり、私を警察に引き取りに来た時も、先生や警察の方が「お母さん、落ち着いて下さい。」と言うぐらい怒って泣いていました。本当に申し訳ない事をしたと思っています。私が極真空手の全日本空手道選手権大会に出場するようになってからは、私を応援しに東京体育館や大阪府立体育館まで来てくれました。母は私が出場した試合のパンフレットや私が載った雑誌は全部持っていて保管してくれています。本当に親というものはありがたいものです。感謝しています。
kanno
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