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今日は母の日です。もちろん母にも妻にも贈り物をしました。母とのおそらく1番古いだろうと思う記憶が2つあります。1つは私が3歳か4歳の時に夜中に具合が悪くなった時に母に抱っこされてタクシーで病院に行った記憶です。私はタクシーのなかでも吐いてしまい、母のコートを汚してしまいましたが、母は怒りもせず、とても優しく私に「大丈夫?」と言いました。もう1つは私が悪い事をして家の外に出されてしまった時の事です。とても寒い日でした。どのぐらいの時間外にいたのかは分かりませんが、私は寒くて寒くて震えていました。少し時間が経った頃、母が外に出てきたので、怒られるのかな?と思ったら、母が優しくジャンバーを着せてくれて、そのまま2人で近くのスーパーに買物に行った事です。その時のジャンバーが薄い紫のフワフワな感触だった事も覚えています。それは母がそのジャンバーを着せてくれたあと私を優しく抱いてくれたからです。とても温かく感じました。本当に大切に育ててもらったのに、私は道を踏み外してしまった時期がありました。私が中学校で問題を起こして母は学校に呼び出されたり、私が怪我をさせてしまった人の家に一緒に謝りに行ってくれたり、私が高校を退学になった時も先生にもう1度チャンスをあげて欲しいと言ってくれました。警察に私を引き取りに来たり、母と一緒に裁判所に行ったりもしました。母は裁判所からの帰りにとても落ち込んでいて、スーパーによった時に車にサイドブレーキをかけるのを忘れて、車のなかで待っていた私は車と共に坂を下り国道の真ん中で止まってしまいました。もしかしたら母は私をサジ投げて殺そうとしたのではないか?と思い、母に聞いたら、母は笑って「そうかもね!」と言っていました。私が友達と遊んで朝方に帰ると母は家の電気を付けて起きて私を待っていました。私が悪い事をすると先生や友達の親や警察の前では母はいつも私をこっぴどく叱りましたが、同時に少し庇ってもくれました。私を守るために怒ってくれていたのだろうと今は思っています。東京に来てからも、私はお金を使いすぎて、たびたびお金がなくなってしまい、母に電話してお金を何度も送ってもらったりしました。お金も食べる物も無くなった時のために、固形燃料で作れる釜飯を母が大量に送ってくれました。お金も食べる物も無くなった時はその釜飯を食べていました。母には本当に迷惑をかけたと思います。私が水泳や空手の試合に出ていた時も大きな声で応援してくれました。極真空手の全日本のビデオにも判定の時に「赤ー!」とハッキリと母の声が入っているぐらいです。私の人生はいろいろあり、本当に人に迷惑をかけました。これは一生許される事ではないと思っています。ですが立ち止まって、また頑張って生きて行く事が出来たのは母が私を見捨てないでいてくれたからだと思っています。子供3人分ぐらいの苦労を母にはかけたと思います。私がラッキーだった事は母の子供に生まれた事だと思っています。母には本当に感謝しています。母はまだクルマを運転して東京に来たりもするので、まだまだ元気です。私ももう53歳ですが、何歳になっても母には長生きして欲しいと思っています。
kanno
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