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稽古という言葉には「古を考える」と言う意味があります。古の先人が前に進めてくれたものを、最先端のものを学ばせて頂くわけです。だからその先人達の大切にした礼儀作法などを大切にして、尊敬、感謝、忍耐の心で学ばせて頂かなくてはならないのです。ですが、いつまで経っても先人はこう言っていた、先生はこう教えたと言っていては、空手をやっている意義が無いと思います。先人達から先生に伝わってきた事に、自分が空手の稽古や試合から学んだ事や経験した事をそこに付け加えたりアレンジしたりして、空手道を前に進めなくては面白くありませんし、空手をやった意義が無いと私は思います。もちろん中途半端ではいけないと思います。物事を学ぶ時に大切なのは「守・破・離」だと言います。守は、始めは疑問を持つ事なく先生の教えを徹底して守る。破は先生の教えを徹底して学んだ後にそれを超える。離は、先生の教えを超えたものを自分で確立させ次の人に伝えていく。という事だと私は思っています。私が空手道を学んでから、34年が経ちました。そろそろ何か集大成的な物を確立させて行かなければ成らないと思っています。空手道を自分なりに前に進めていく作業に取り掛からないと思っています。幸運にも私は極真会館の技術委員会になり、極真会館の型などの技術体系を編集、改定、確立する役の一端を担わせて頂いています。来年は50歳です。今年はしっかりと身体を治して、来年は何か人生の集大成となるような事に取り組みたいなと思っています。そしてそろそろ次の人材を育てなくてはいけません。
kanno
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