「静かな大地」を遠く離れて
DiaryINDEXpastwill


2002年04月06日(土) Gの誘惑1999 アトランティス幻視

#「ギリシアの誘惑1999 G−Who極私的旅日記」の再録です。





  1999.3.27「アトランティス幻視」

サントリーニ島の最初の朝、深夜までの宴がたたったのか、寝過ごしてエーゲ
海の夜明けを見のがした。窓からは崖の反対側の海が見える。
水平線の上、すでに赤さを失った太陽が昇りつつある。
雲が多少あるものの、この季節としては天気はまずまずだ。
ブレックファーストを待ちかねて席につく。

窓の外にはまだ水が張られていないプールが見える。
夏には絵に描いたようなリゾートになるのだろう。
たとえば白人の中年夫婦が絶景を見飽きて退屈しながらプールサイドで分厚い
ペーパーバックを読み耽っている、そういう南国の島のイメージ。
朝食で、いかにもそんなアメリカ人の老夫婦に出会った。
ご主人は半世紀も前の戦争中にオーサカに居たことがあって少し日本語を話す。
あいさつ程度で会話を終えたが、もっとちゃんと話せばいろいろなストーリー
が聞けたに違いない。

アテネへの帰りは、明日の朝の飛行機を予約していたが、せめて夜まで滞在を
伸ばしたい。ホテルのフロント係に相談したら、リザベーションを変更して、
ツーリストからチケットも持ってきてもらうよう手配してくれると言う。
これでオリンピック航空の夜間飛行が予約できたわけだ。

きょうは、すでに昨日島内を回ったAさんのアドバイスにしたがって、Kさん、
H君と3人でシェアしてタクシーを雇うことにする。
目的地は遺跡のあるアクロティリ、島の最も高い山の上、そして島の北端の断
崖に立つ小さな町・イア。

町の広場でタクシーの値段交渉を済ませてアクロティリへ。
途中ワインを作るためのブドウ畑や、数少ない牛の牧場、青と白に塗られた教
会が、車窓から見える。もちろん背景はすべて海だ。

アクロティリの遺跡に着く。
ついにアトランティスの入り口に立った。
昔、竹内均の本を読んで興奮したものだ。アトランティスはここなのだという
説がある。テントのような屋根におおわれた遺跡は、想像したよりも広かった。
ショボくてがっかりしないように身構えていたのは無駄だったようだ。すばらしい。
紀元前15世紀。何しろ石の遺構はタイムマシンだ。
人間が暮らしていた空間が、そのままの形で出てくる驚異。

まったくため息しか出てこない。
ここは火山灰の層が厚すぎて、大規模な発掘作業が不可能なため、一体どれだけの
遺跡が眠っているか全貌はわからないという。
有名な壁画はすべてアテネの博物館にあるのでここには写真しかないが、色彩豊か
で自由な描き方から想像するだけで、この文明の未知の魅力を感じさせられる。

出口近くにいる管理人のオジさんに、Kさんが声をかける。オジさんは「英語は話
せない」と言っている。肌は浅黒く髭をたくわえて味わい深い顔。
その中に青い眼が印象的だ。
「ヤーサス!」とガイドブックで見た「こんにちは」の挨拶をしてみた。「ヤーサ
ス」と帰ってくる。観光大国の首都アテネでは、みんなが英語を解するので新鮮な
体験。なんの臆面もなく、わかりやすい観光客そのものの歓びに浸ることができる。

同じ出口付近でKさんが、一眼レフで遺跡を撮っている青年に声をかけた。彼はロ
ス出身のフィリピーノで、アテネ大学の考古学専攻の留学生だという。キラキラと
好奇心に満ちた眼で快活に話す彼は、アテネの北方の聖地・デルフィの写真を見せ
て説明してくれた。
『ギリシアの誘惑』の「サントリニ紀行」で御大が出会ったパーマー教授みたいに、
自分たちにもそんな出会いがあったことが妙にうれしい。
ガールフレンドたちと写った写真を見ていると、彼がアテネでとてもいい青春を過
ごしていることが伺えた。日本の高校生だってアテネへ来れば可能なのだ、と思う。

車は一路、島の最高峰へ。
「サントリーニ島の“いろは坂”」とKさんが名付けた、驚異のつづら折れの道を
登る。だんだんと海抜が上がってきて、なだらかな方の海岸線の波打ち際が遠ざか
る。ほとんど空撮のような大パノラマが展開した。
タクシーの運転手のオジさんは黙々と仕事をこなしている。ラジオからギリシアの
音楽。やや中東系のBGMが妙に風景にマッチする。頭上には、巨大な岩塊がそび
え立っている。まるでアンデスそっくりだ、と旅の経験豊富なH君が言う。頂上ま
で行くと反対側の海、つまり島の内側の崖の方の海も見えた。

遠近感が狂うような巨大さ!
なにか合成写真でも見ているようにリアリティーがない。
サブライム=崇高美学とは、この風景のためにある言葉だ。確実に脳のどこかを刺
激する風景だ。両側に海、眼下に崖。「コンドルが飛んでゆく」がかかって空中都
市マチュピチュが出現してもおかしくない。ケーナを持って旅していたら面白いか
もしれない、などと話す。
下りもまたエキサイティング、なんとか無事に下界へ帰還。

島を半周して岬の町イアへ。
ここは崖の途中に密集して家並みがある。白い通りが迷路のように入り組んでいて、
そこここから海がのぞく。フィラもそうだが、イアはさらに徹底している感じ。
日本でいえば、瀬戸内の町・尾道の坂の途中の路地に迷い込むような楽しさがある。
もちろん色彩はまるで異なるが。
まだシーズン・オフの避暑地なので人がいなくて寂しい感じも迷路っぽさを増す。
白と青の鮮やかな色の教会があって、バス停があった。
バスを待つ地元の人々のたたずまいが良い。

フィラに戻ってスブラキ・ピタの軽い昼食を終えた後、断崖の道を船着き場まで歩
いて降りてみることにした。
「エーゲ海の青」を間近に見つめるのが目的だ。
途中観光客を乗せるロバの一群とすれ違う。せまい道なのでロバのそばをすり抜け
なければならない。ロバとはいえ結構大きい。蹴られたら危ないのだが、日高で馬
を扱った経験を生かして上手くおじ気付かずに横を通りぬけられた。

エーゲ海の青。その秘密は解けない。
手が届く距離で見ても、水そのものが紺色のような深い色に着色されているとしか
思えないような感じ。光の差し込み具合と反射、その波長…、理屈は何となく想像
がついても、どうにも腑に落ちない。
今夜の船でアテネへ戻ってそのまま日本へ帰途につくKさんは、海の青を見て一人
黙りこんでしまった。H君と僕は、昨日の船以来はじめてエーゲ海に魚の姿を認め
て少し安心しながらも、やはり怖いような色に吸い込まれそうになっている。

先刻から客引きに熱心だったロバ牽きのオジさんが「早く乗れ」とせかす。
雨が落ちてきた。小一時間も海辺にいただろうか?僕たちは値段交渉の上ロバに乗
って数百メートル上のフィラの町まで戻ることにする。
ロバは、以前に日高で乗った乗馬用の馬みたいな感じでおとなしい。ただ道が石の
階段上になっているのに加えて雨が降ってきているので、時々ロバの蹄がツルッと
滑っている。ノロノロ歩いているかと思うと、急に思い立ったように加速したりし
て、エキサイティングなことこの上ない。
もちろん眼下は例の断崖。
H君と僕は、雨中の大レースを展開した。
インコースから抜きにかかるが、進路を塞がれたり、逆にコーナーで外から差そう
としたり…、まるっきりのガキになって、はしゃいでいるうちに上までついてしま
った。わざわざ足で下まで降りて、金を出してロバに乗った価値は充分だった。

雨でもあるし、コテコテの日本人観光客らしくショッピングに精を出すことにする。
サントリーニの写真がいっぱいの英語版ガイドブック、ギリシア料理のレシピ本、
2000年版の小さなカレンダー、ポストカード、しまいにはコットン・ニットの
セーターやTシャツを漁る始末。これまでの人生にないことだ。オキナワでさえ、
観光客向けの土産物屋で買い物なんかしなかった。
値引きの交渉なんかも自然にしている。
これが本当の観光地マジックか。
買う側はここで逃すと二度と買えないかも…、売る側はこの客を逃すと二度と売れ
ないかも…、というのが商業の本源的な姿かもしれない。
島のフォトCDーROMまで見つけた僕は大満足していた。

崖の上のカフェで少し休む。
曇天に霞む島も、また違った表情ですごい。
輪になった外輪山の淵からのぞき込んでいる形。
真ん中には小さな火山島がある。
北海道の洞爺湖が海になっているようなものだ。実際洞爺湖もカルデラ湖で、形成
されたプロセスはここと同じ。しかし崖はこんなに切り立っていない。
ご近所で言うと地球岬の断崖に近いか。北海道の夏の海は、エーゲ海とは言わない
までも、かなりきれいだ。とことん火山地形マニアかもしれない。

雨に煙るカルデラの真ん中の小さな火山島を見ていると、妙な感覚にとらわれる。
その島自体が独立した一つの大きな島の模型のように見えてきたのだ。島は世界の
模型。地図に描かれた大陸のように。自分が眼下遥かのあの島の中に居ながらにし
て、しかも神のような、俯瞰の視点でその島を眺めている。
ちょうど夢の中で、自分の目線と自分を見ている目線が併存しているような感じで
、四次元的に島を見つめている。
H君と現地のツアーで火山島とその近くの海中温泉を訪ねる計画を検討する。
Kさんは今ごろ船でピレウスへ向かっているだろうか?
妙にあっけない別れ方をしてしまった。

来るときの船から話題にしていたシーフードへの情熱を満たしに、レストランへ。
雨が降り込む中をやせ我慢して、H君とオープンの席に陣取る。
グリルド・オクトパスを中心にしたディナーを済ませたあとホテル・アレサーナへ
戻った。フロント係の女性の隣に、もうひとり小さなレディーが座っていたので
「ハロー」と声をかけた。
彼女が黙っているので、フロント係の女性が「マリアンナ、ごあいさつしなさい」
みたいなことを言っているようだ。

少しお茶でも飲もうかとロビーのソファに座っていたが、H君はテレビ・コーナー
へサッカーを見に行ってしまった。テーブルに置いてあったアクロティリ遺跡の写
真集を眺めていると、さっきの女の子が観葉植物の陰からこちらをうかがっている。
「おいで」と言うと、「No」と恥ずかしがる。
田舎の子供らしいシャイさ。
「いくつ?」と尋くと「8」と応える。英語は話すようだ。
そのうちこちらに寄ってきたので日本から持ってきたお菓子をあげようとするが、
受け取らない。花や本を指差しながらギリシア語を教えてくれようとしているみた
いだが、要領を得ない。お互いに微笑むしかない状態。

そのうちH君も戻ってきて、マリアンナのギリシア語教室のようになった。
と言っても、彼女がホテルの説明書を開いて、いろんな地名や物の名前を発音する
だけなのだが、なかなかに厳しい先生で正確に復唱しないと何度でも直される。
なにしろ、ほとんどその発音が何を意味しているかさえ理解しないうちに、発音練
習をさせられる。名詞ならまだしも、センテンスとなるとお手上げだ。

彼女が発する言葉で意味がわかったのは「デルフィーニア」すなわちドルフィンの
ギリシア語くらい。マリアンナが、一生懸命にイルカの泳ぐ姿を真似しながらデル
フィーニア、と抑揚をつけて発音する。復唱していると英会話を習いはじめたばか
りの子供に戻った気分。実際彼女はいい先生だ。口の形で発音を教えてくれて、上
手に復唱できると「ブラーヴォ!」と、小さな手を叩きながらホメてくれる。
そのしぐさが大人びていて、妙に可笑しい。

先生は、当初のシャイネスはどこへやら、やがて専制君主として君臨しはじめた。
H君の持っていたカメラという格好の玩具を見つけて、僕やH君にポーズをつけさ
せて撮りまくるのだ。貴重なフィルムが見る見る減っていくのを嘆いているH君を
よそに、マリアンナは次々に思いついては、僕らにポーズを取るよう命令を下す。
セルフタイマーで、みんなで写真を撮ったあと、迎えにきたお祖父さんらしき人に
連れられて帰っていった。

やれやれという感じで疲れ果ててバー・カウンターに移動。紅茶を飲んでいると別
の宿に泊まっているAさんが現れた。きょうはボートで火山島の見物ツアーに参加
したという。明日は自分たちが行くつもりの場所なので真剣に話をきいていると、
背後からマリアンナが笑いながら再登場。日本人が気に入ってしまったのかまとわ
りついてくる。バーの高い椅子に座らせてやったら、大人しくしている。
しばらくAさんとの会話に夢中になっていると、刻限がきたのか、短く別れを言っ
て帰っていった。もしかしたらレディーに失礼な振る舞だったかもしれない。
明日も一緒に遊べるかな…と思いながら見送った。

再びAさんと話す。
この島については、いくら感嘆しても尽きることがない。
Aさんは、僕以上にアトランティス伝説に思い入れをもってサントリーニを訪れて
いるようだった。大学で仏教を学んだりしながら、輪廻転生という観念に関心を持
ちつづけて来られたそうだ。いまははパリでコンポジションをしているが、いつか
アトランティスと輪廻転生をテーマにしたオペラを書きたいという。
三島由紀夫の『豊饒の海』や竹内均の地球物理学的考察などを引きながら、アトラ
ンティスと輪廻に対する見地をお互いに話した。

サントリーニ島はギリシアとも違うアナザー・ワールドだ。
ここにいると時間と空間の尺度が狂ってくる。
火山活動という地質学的年代のスケール。
古代遺跡という文明史のスケール。
観光地としての旅の慌ただしい時間スケール。
…それらが混然一体となって、このリング型の島の上に重なっている。
すべての時間が層をなして、世界を覆っている。
こんなところは他にない。

無意識の記憶のアトランティスを幻視する夜が更けていく。
そういえば今日深夜から、欧州はサマータイムに入る。
みんなで時計を1時間進める。
時間のスケールについて話しているうちに、日付は変わっていた。


時風 |MAILHomePage