「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月07日(日) Gの誘惑1999 聖イレーネに恋して

#「ギリシアの誘惑1999 G−Who極私的旅日記」の再録です。




  1999.3.28「聖イレーネに恋して」

目覚めて窓の外を見る。雨風が強い。
サマータイム初日は嵐のようだ。村上春樹が「遠い太鼓」で言っていた通り、冬
から春のエーゲ海は悪天候が多い。
ボートが出航しないというので、ヴォルケーノ見物を断念せざるをえなかった。
H君も僕もすでにこの島にイカれていてネクスト・タイムを期しているので、や
り残したことがあるのもよし、とする。オプチミスト精神が身についてきた。

しばらくして天気は好転するも、船は出ないのでまた散歩と買い物三昧。サント
リーニ産のワインも買った。池澤御大はシチリアのワインに味が似ている、と書
いている。日本に戻ってからどんなシチュエーションで飲もうか…と考える。
すっかり旅の道連れとなったAさんとH君と、崖の途中のカフェテラスで休む。

本当にこの海の眺めは飽きることがない。
一方で、もしたった一人でこの風景と渡り合っていたら、正気でいられないので
はないかと思う。饒舌に言葉にしないと神経が感じすぎてまいってしまうのだ。
そういう意味では日本人の道連れに出会えて助かった、というところ。御大のよ
うな、鍛えられた旅の精神力と詩的な情報処理能力があれば大丈夫なのだろうが。

まだシーズン初めのカフェ。海が良く見えるテラス。
入り組んだ坂の小径には、猫が沢山住みついている。住人たちがエサを与えてい
るようだが、飼い猫と野良猫の区別がつかない。足下にすり寄ってきた三毛猫を
かまっていると「昨夜からモテますね」とH君にからかわれる。そういえばマリ
アンナも猫系の性格だったナ、自分では犬好きのつもりなのだが…。

猫をカフェのテーブルの横の壁に持ち上げて写真を撮る。
絵はがきになりそうな猫と青空と海と白い街並み。日本の女子大生やOLにこの
光景を見せたら、悲鳴をあげてここに来たがるだろう。
大の男3人が、猫ちゃんと代わる代わる写真を撮っている。
「猫と一緒に写真とります屋」でも開いたら儲かるかな、などとバカを言う。

カフェの奥から不思議な曲が流れてきた。
音楽家のAさんが耳ざとく聞いてマダムにCDを見せてもらった。映画「アリゾ
ナ・ドリーム」などのサントラを手がけている作曲家のオリジナルアルバムだと
いう。ヴァルカン出身の著名な人のようだ。東欧のサカモト・リュウイチみたい
なもんか。“DEEP FOREST”の「ボエム」というアルバムも面白かったので、
東欧系は要チェック。帰国したら詳しそうな人に尋いてCDを入手しよう。

マダムは、日本の山形に弟がいるが、まだ行ったことはないと話してくれた。
ギリシアと日本は意外につながっている。
夕方、船でピレウスへ帰るH君が乗るバスをAさんとともに見送った。
僕とAさんは今夜の飛行機で、それぞれに飛び立ってゆく。

街はどこもシーズンを迎えるためのお色直しに忙しそうだ。いろんなところで
壁を塗り直している。教会の前の広場から崖を見下ろすホテルの屋根で、老人
が一人コツコツと作業をしていた。小さな石を敷き詰めて模様を作っているよ
うだ。島の火山性の石には、灰色のものと赤いものがある。それを使ったちょ
っとしたアート。円形から外に向かって、4つの尖った部分が着いている図柄。
眼下数百メートルの海を背負って絶景に目もくれることなく模様の出来ばえだ
けに心を配っている老人に声をかけた。
「ヤーサス!これは太陽?」
「いや、東西南北の方位だ」と老人。
ほとんど空の上のように見える屋根の上、何やら哲学的なものさえ感じるでは
ないか!何かに似ている…と思ったら、チベットの砂マンダラとの連想だった。
カーラチャクラという儀式の時、ダライラマと高僧たちが作る色砂で造られた
精妙なマンダラ図。それとサントリーニの火山岩で造られるホテルの屋根の飾
りが似ていると思えたのは、老職人の哲学的風貌への勝手な思い入れだろうか。

カルデラ越しの日没を観るべく、Aさんと崖の上のベンチに陣取った。
巨大なカルデラの舞台の中で太陽と水蒸気が綾なす光の啓示にも似た光景を見る。
またしても言葉が出ない。
雲間から差す強烈な光線がカルデラの内海の火山島の奥のあたりを照射している。
全体としては靄がかかった周囲とのコントラストが激しい。
海は一刻たりとも同じ色に留まらない。
その中をミニチュアのような客船が薄い光に守られるように航行してゆく。
やがてカルデラの淵を通過して、この世界の外へと出ていった。
依然として光の核の部分は、橙色さえ帯びて輝いている。
今あそこからアトランティスの遺跡が浮上しても不思議ではないような光だ。
雲の悪戯が創り出した天空の織りなす光の神話劇。
それはどうしようもなく思考を天上のものへと引き上げる。

アトランティスの風景。
Aさんは、そうだとしか思えない記憶をもっているという。
海へと続く大理石の緩やかな階段を歩むと足が波に洗われるその暖かい感触まで
“覚えている”のだそうだ。
こうした現象はオカルティックな話だけとも言い切れない。人間の記憶とか時間
というものの概念そのものが、脆弱な基盤しか持たないもので、実態はまだまだ
解明されていない。

集合無意識的に記憶が「運ばれる」メカニズムが、我々の身体や意識の中にはあ
るのかもしれない。単線的な輪廻転生ではなく、記憶のプールのようなものがあ
る、という考え方にはすぐにもうなずける。個人が個人として他の誰でもなく特
定の時空間を占める一人の個性として生まれること、そこにも意味はあるだろう。
魂なり業=カルマなり、あるいは識なり、記憶を運ぶ主体は何者とも断じ難いが、
今の世に「アトランティス」の記憶と業を保持している人もいないとは限らない。

きっと滅んだ文明にはそれなりの錯誤や不幸があったはずで単にアトランティス
に立ち戻ることは、カルマを刈り取ることにはならない。ただしまるで同じ失敗
を低レベルで繰り返すのはつまらないことだ、とは思う。どうせ「失敗」するな
ら、もっと派手に悪虐の限りを尽くすのもいいかもしれない。もしかしたら20
世紀は、ほとんどそれに近い時代だったという恐れもあるが。

滅びがあったとしても、またこの先あるとしても、その中で強烈に想ったことは
宇宙の中で消滅はしないのだろう、ポジティブにもネガティブにも。
過去の他人の思惟をなぞること、記憶のデータベースにアクセスすること、そし
てそれぞれの限定された時空間の中に置かれた身体の生において、まだ誰も考え
ていない領域を何ミリかでも進むことができたとしたら、その人生は大成功なの
ではないか?その前にまず自分のカルマを刈り取るだけでも精いっぱい。
個々人に与えられた他人と違う初期条件のバイアスは、その機会を提供している
のだ、というと説教臭すぎるだろうか?

老職人は、ずっとホテルの屋根に方位を形づくっている。
先刻からの天空の神話劇は、彼にとっては「こりゃまた雨が降るかな?」という
風情の、天気読みの対象でしかない、とでもいうように、僕とAさんが絶句しな
がら海を見ている間も、彼は彼の仕事を続けている。
まるで神話の登場人物だ。
彼が造っているのは世界のミニチュア=ミクロコスモスで、その出来栄え次第で
外の世界=マクロコスモスの気象や運行が決定する、・・・そんな妄想さえ浮か
んでくる。「う〜む、今回の“世界”は、なかなか良くできたわい。」いまにも
そんなことを言いそうな顔をしている。
屋根の石絵づくりは、やりがいのある良い仕事だと思った。

見るべきものを見て、とうとう刻限が来た。
Aさんとタクシーをシェアして空港へ向かうことにする。
アレッサーナに預けてあった荷物を取りにいく。
マリアンナには会えなかったな、と少し寂しく想いながらフロント係のレイラさ
んに“Say goodby to Marianna!”と頼んでサントリーニの“わが家”を出た。

タクシーで着いた空港は、小じんまりとしていた。
知っている中では石垣島の空港のようなローカルな感じ。飛行機はバスのような
感覚なのだろう。アテネでも随分オキナワを引き合いに出したが、あそこが那覇
だとすると、このキクラデス諸島のあたりは、先島に当たるだろう。
船では10時間近くもかかるが、飛行機ではたった40分ほど、という距離感。

ハイ・シーズンの前だったせいもあるが、北の人間が南の島に期待するフレンド
リーな感じも、先島っぽい。東京に転勤したらトランスオーシャン航空で先島に
通おう、などと思う。それじゃあ池Z御大そのもののコースだが、必然的な流れ
なのだからしょうがない。

Aさんとしばらくまた夢中になって話していたが、やがてクレタ島のイラクリオ
ンへ向かう飛行機に乗って去った。
サントリーニで出会った友人たちの中で、僕は最後まで島に残ったというわけだ。
急に空港のロビーで一人になる。
現地の人は大勢いるのだが、日本人は僕だけなのだ。
もともと一人旅だったのに、日本人が誰もいないのが不思議な感じだ。
それも悪くはない。旅はまだ終わったわけではない。
これから“わが町・アテネ”へと帰るのだ。

たった一人、知る人もいない異国の島の空港…、そう思ったとき、見たような顔
の中年男性の顔が見えた。奥さんらしい人もいる。アレサーナの従業員夫妻だ。
遠くから見ているが、こちらに気づきはしない。
しばらく見ていると、そのそばに幼い女の子を連れている。

彼女は売店の方にミネラルウォーターを買いにきた。
よく顔を見る。間違いない、マリアンナだ!
でも彼女はここにいる昨夜の日本人に気づかない。
小走りに両親のもとに戻っていく。
誰かの見送りに来ているようだ。こちらから声をかけようか?
でも小さな女の子は気まぐれだから、僕にどんな反応を示すだろう?

そもそもあれがマリアンナだと、本当に確信できるのか?
よく似た別の女の子が、そっくりに見えるのかも知れない。
もしそうだとしたら僕も重症だけど…、そんなことを考えているうちに、搭乗
時間が近づく。ゲートに入るには彼女たちの方へ近づかなければならない。
意を決して荷物を持って立つ。
ホテルの従業員夫妻に近づいて挨拶する。
日本人はこの中で一人、記憶にもあるだろう。

そして娘と目があって…!
マリアンナは一瞬あっけにとられたように眼を丸くして、そしてこの世のもの
とは思えない可愛らしい笑顔で、僕に向かって近づいてきた。
昨夜の「やんちゃ姫」ぶりは、すっかり影をひそめてシャイな島の娘に戻っている。

「これから発つんだ。君に逢いたかったヨ!」
そう字幕スーパーなら訳すようなつもりの英語で言う。
父親が微笑みながら「彼女の母親がアテネに出かけるんだ」と説明してくれた。僕が
それに応えていると、マリアンナは何も言わないで小さい手で僕の左手を握ってくる。
しばらくマリアンナと手をつないでいてあげた。
どうやら彼女にずいぶんと好かれたらしい。
ロビーにいる現地のギリシア人たちは、島の子供と手をつないでいる日本人を何者だ
と思っているだろう?

昨夜のことを思い出して荷物からブルーベリーチョコレートを取り出して差し出す。
今度はうれしそうに受け取って両親に見せに行く。父親と母親が口々に彼女に何かを
言うと、マリアンナが、僕の眼を見てなにか言おうとしている。
少ししゃがんで「なぁに?」という感じで見返してやる。すると照れ臭そうにしなが
ら彼女はおずおずと口を開いて、“Arigato!”と発音した。

日本語で“ありがとう”
昨夜はさんざんギリシア語の発音練習をさせられたけれど、きょうは逆に彼女が日本
語でお礼を言ってくれたのだ。こんなことなら、もっと日本語を教えてあげれば良か
った。両親が楽しそうに笑っている。
僕は、ほとんど心臓を射抜かれたみたいだった。
マリアンナが、もう10歳も年上だったら、ギリシアの宿屋の娘に恋したという詩人
・バイロンのエピソードを地で行っただろうか?…とまたアホなことを考える。

マリアンナのおかげでサントリーニは、僕にとってさらに特別な島になってしまった。
「またここへ来たら、ギリシア語を教えてくれる?」と聞くと、マリアンナは、少し
お茶目な表情で笑ってうなずいた。
搭乗ゲートに入るまで、僕が振り返るたびに何度も彼女はこちらに笑いかけた。

夜間飛行。オリンピック航空のアテネ便。
ついにこの島を去る。”島に恋する”ということがあるのをここで初めて実感した。
池澤御大の「ギリシアの誘惑」によると、サントリーニは「聖(サント)イレーネ」
という乙女の名に由来する。
4月3日を祭日とする聖処女が島の守護聖者なのだそうだ。
僕は、ものの見事に彼女に恋をしてしまった。

船で一日かけて移動した距離を、飛行機はすぐに越える。
アテネの夜景が見えてきた。
心はまだサントリーニに奪われたままだ。

きっとまた「彼女」に逢いにいく、すでにそう決めている。


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