「静かな大地」を遠く離れて
DiaryINDEXpastwill


2002年04月05日(金) Gの誘惑1999 エージアン・ブルー

#「ギリシアの誘惑1999 G−Who極私的な旅日記」の再録です。




  1999.3.26「エージアン・ブルー」

まだ薄暗い朝、ホテルをチェックアウトして、昨夜確かめておいた地下鉄の駅
へ向かった。正教会の横を通り過ぎる。キオスクの開店の準備をしているオジ
さんたちがいる。

きょうも晴れ。
太陽はまだ出ていないが、アクロポリスの丘が見える。
地下鉄の駅でチケットを買って、通勤客たちと一緒に車両に乗り込む。
地下を走るのは都心だけで、あとはピレウスの港まで地上を走る。

取り留めない街並みが広がる中を20分ほど走って、ピレウスの駅に到着。
駅を出ると、すぐに沢山の船が見える。港だ。
朝食にクルーリを買って、食べながら埠頭をめざす。ほのかな甘みのあるドーナ
ツ・パンにゴマがまぶされているもの。手配しておいたサントリーニ島行きの船
を捜して、港を歩き回る。人に尋ねながら捜し当てて船に乗り込んだ。

朝日が降り注ぐ甲板に陣取って、出航時間を待つ。ここからは、いくつかの島に
寄りながら10時間もかかるらしい。

船が出る。甲板で陽光を受けている。風は冷たくない。
スペインかイタリアか、ラテン系高校生軍団が後部デッキを占領して、ギターを
弾く男子生徒を中心にいくつもの歌の輪を作っている。見たところ外国人の老夫
婦、ギリシアのビジネスマン風など、さまざまな船客がいる。
穏やかな風と陽射しの中、船はエーゲ海を進んでいく。

エーゲ海の青。
最初は、ポスターや絵はがきやテレビのイメージのきれいな青だった。途中の海
域から、いつしか海は濃い青にかわって何とも形容しがたい深みをたたえるよう
になっている。
群青あるいはインクブルー、いっそ濃紺と言ってしまってもいいような深い青…。
海の色とはこんなにも美しく、また吸い込まれそうな怖さを内包しているものだ
ったか!

頭は、勝手にこれまでの人生で体験したさまざまな場所の海を参照しようとする。
しかし瀬戸内海でも、オキナワでも、バリ島でも、こんな色は見たことがない。
太陽の具合や海の深さ、溶け込んでいる物質の組成…、
それこそ池Z御大は、この青をどう形容していただろうか?…などと思いつつ、
船の舷側が分けてゆく眼下の波から目が離せないでいる。

これがエーゲ海の青…、ひとまず、そう言い切っておくことに決める。

甲板で二人の日本人に出会った。
一人は東京で塾の先生をしながら、小説を書いているという30歳のKさん。もう
一人はアイルランドに留学中で、高校の時サッカー選手だったという20歳のH君。
Kさんは塾の春休みの期間を利用して、もう3週間もトルコからギリシアを旅して
いるそうだ。イスタンブールやカッパドキアは、いつか行かなければならないと思
っているので、僕は彼の話を興味深く聞いた。


H君は、アイルランドの留学先の小さな街から、イースターの休みを前倒しして、
ギリシアを訪れているという。僕が北海道に住んでいるというと、アイルランドで
は北海道のことが意外によく知られている、と教えてくれた。

実は僕は以前から個人的に北海道=アイルランド論をぶっていたので、そういう認
識が当たっていたと聞いて興味深かった。牧場が多くて、ケルト民族とアイヌ民族
という先住民族がいて、大きさも気候も何となく似ている。
北海道・日高のサラブレッドの牧場には子弟をアイルランドへ修行のために留学さ
せる人も多い。逆にアイルランド人もニュージーランド人やモンゴル人と並んで、
日高に馬の調教スタッフとして働きに来ているケースが、ままある。

僕は、冬に知り合ったアイヌの博物館の人が、いま大規模なアイヌ展の準備のため
にワシントンのスミソニアン博物館へ行っていて、その帰りにカナダ太平洋岸のイ
ンディアン集落を訪ねて、太古のアイヌとの交流の可能性を調査しに行くという話
をしたら、H君は興味をもってくれたようだった。
エーゲ海の船の上で、大スケール話になったものだ。

僕たちの船は、キクラデス諸島に寄港しながらサントリニ島を目指す。何せ10時
間だ。甲板で風を受けながら、陽光を浴びて海を見る。
いつまで見ていても飽きることがない。
またぞろ想いは、あらぬ回想に向かってしまう。
今までの人生の中で、こんなに長い船旅をしたことがあっただろうか?僕が育った
瀬戸内海は言うに及ばず日本でこんなに長く船に乗る機会は、そうはない。

昔、東京港の近くに住んでいたとき竹芝桟橋から夜中に出る船で伊豆大島に行った。
あれが明け方についたから、6時間くらいは乗っていたのだろうか?
あれも火山の三原山見物が目的だった。’86年に噴火したばかりなので、溶岩の
流れ出た跡の生々しい姿を見ることが出来た。木が立ったまま焼け焦げていたり、
頂上への観光道路が溶岩に埋まってしまっていたり…。
民家の庭先にアロエが繁っていて、オレンジ色の花が満開になっていた。黒潮のせ
いか、冬でも暖かい南の島なのだ。

宮澤賢治が人生で見た南端の地もたしか伊豆大島だった。ちなみに北端はサハリン。
そこも仕事で行ったことがある。最近では鈴木光司がヒット作「リング」でうまく
伊豆大島の場所の力を使っている。御大の『バビロンに行きて歌え』にも伊豆大島
の場面が出てきた。東京都でありながら、小笠原から遥かにハワイイへ連なる太平
洋の火山島の一つとしての伊豆大島。

同島出身の石川好さんの新作も、そんな大スケール話だ。
若いころカリフォルニアの農園で働いた経験を出発点に、アメリカについて数多く
の著作をもつ石川さんは、数年前に参院選に出馬したこともある、見識の人だ。
いっそ混迷の東京都知事選に出て勝ってもらって、アメリカ仕込みの民主主義ステ
ートにしてもらう、というのはどうだろう? 移民にも適度に寛容なトウキョウ。
もちろん都庁舎や臨海副都心などの、巨大ハコ物は民間に売却する。その資金で
都庁を伊豆大島に移転。日本の国家像を変えるには、面白い試みではないか?

船旅というのは、ボンヤリとものを考える時間がいくらでもある。いま「島」とい
う原型について考えようとしている。池Z夏樹は、何より「島」の作家だ。
ギリシアのこのエーゲ海の島々に、その思考の源流の一部を求めることは、そう外
れてはいないだろう。ミクロネシアに通い出したのはギリシアへ来る3年前の20
代後半だったらしい。デフォー、スティーブンスン、中島敦、メルヴィルにモーム
…それよりもJ・ダレルのコルフ島。先達は沢山いるにしても、とにかく「島」と
いう世界の模型を思考実験の場として設定することの愉しみが、彼を強く捕らえて
いる初期衝動であることは間違いない。

それなら少年時代に「もうひとつのサントリーニ島」を執筆した僕だって…などと、
『街道をゆく』的な思索ごっこに浸っているうちに、やがて大きな島影が見える。
あそこに船が着くようだ。だんだん近づいて来る。

パロス島。
港に入ると海は浅くなって明るい水色に変わる。
船が底の白い砂を巻き上げて、クリームを入れてかきまぜたコーヒーカップのよう
に色が変わる。何とも不思議な色だ。丘の上まで白い家並みと教会がびっしりと建
っている。岩がちな山にはあまり植物は繁っていない。段々畑のような棚が見える。
何を育てているのだろうか?
実際のところこの島は、観光以外にどんな産業があるのだろう?日本の南西諸島の
離島やミクロネシアのような経済体系なのかもしれない。

島の風光は映画「グランブルー」の冒頭の場面そのままだ。こんな島で一夏過ごし
てみたらどんな感じがするだろうか?港の周りには何台かの車とバイクがあるが他
には音を立てるものは何もない。岬になった岩場へ降りてみたいという誘惑に駆ら
れる。幼いジャック・マイヨールとエンゾのように海に飛び込んでみたくなる。
しかしここでは島に降りることはできない。
船は乗客と積み荷を降ろすと、15分ほどでまた出航する。

さらに2つの島に寄って、太陽が傾きかけたころ、遠く島影が見えてきた。寄港地
の予定からしても経過時間からしてもあれこそ僕の目的地、サントリーニ島だ!
今回のギリシア訪問でどうしても外すことのできない場所。
このためにクレタ島のクノッソス宮殿をあきらめたくらい。
僕のサントリーニへの思い入れは、20年以上になる。

紀元前15世紀ごろに円い火山島が大爆発を起こして真ん中部分が陥没して海にな
ったカルデラの島。内側に向けて切り立った高い崖にはりつくように街が広がって
いる様を写真で見た。その奇想天外な地形と噴火で滅んだ文明の遺跡が、世界に類
を見ないオリジナルなこの島の観光資源である。
プラトンが伝説を記述したというアトランティスは、この島だったという説があっ
て、それがサントリーニの幻想性をいやが上にも高めている。

島影が徐々に近づくにつれて、いくつかの島が寄り集まった地形が、地図で見るサ
ントリーニ島そのものだと確信した。もはや間違いない。ついに来てしまった!
しかし何という地形の島なのだろう。大きなカルデラ地形が海から立ち上がってい
る。そして想像以上の巨大さ!
だんだん左手の島の上に白い建物の集落が見えてきた。

船が左右の島で形づくられた門を通過していく。まるでここから先は、別の世界へ
入っていくとでもいうような感覚!
左手に弧状に続く最大の島は、内側からみると数百メートルの崖が海からいきなり
立ち上がっている形だ。その上に集落がある。こんなところにも人の暮らしがある。
世界は本当に広いのだ。

すっかり傾いた陽の名残りを受けて、船は崖の下の小さな港に接岸した。Kさんと
Hくんの今夜の宿を求めてインフォメーションに寄ってから、バスに乗り込む。崖
を登るつづら折れの道路は迫力満点だ。対向車でも来ようものならテレビゲームを
地で行くスリルが味わえる。ここは年配の人には奨めないほうがいいかもしれない。
ほどなく島を半周して、フィラの街へ。
アテネから予約しておいたホテルに辿りつく。

まだ町はシーズンを迎える前のリゾート地のたたずまいで、「アトランティス」と
いう島最大のホテルや、20数年前に池澤御大が泊まったホテル「パノラマ」は、
開業前だった。サントリーニでの”わが家”は、ホテル「アレサーナ」。
小ぎれいな半バンガロー式ホテルだ。フロント係のお姉さんも親切で感じがよく、
ついでに言えば美形。部屋に落ち着くとH君が訪ねてきた。結局ここに泊まること
にしたという。Kさんとも落ち合って、一緒に夕食を食べる約束になっている。

ホテルを出てすぐの教会の前は、断崖の上のヴューポイントになっていた。観光客
たちがカルデラの中の海を見ている。
そこでもう一人の日本人Aさんに出会った。Aさんはパリ在住で作曲を仕事にして
いるという、芸術家らしいダンディでエレガントな感じの男性。
Kさんも合流して、断崖にはりつくように広がる街を散策しながら、レストランを
決める。出会いを祝してワインを開けながら、互いに自己紹介を済ませた。みんな
それぞれに一人旅。年代や背景が異なるのにも拘らず、話はとても弾んだ。
テーブルの横の足元に入ってきた猫にパン屑をやったりした。

料理を存分に味わった後、そのまま僕たちのホテルに流れた。夜のテラスに椅子を
並べ、さらにワインを開けて話し続けた。スカした言い方だが、極自然に人生と芸
術を語り合っていた。これは僕には極めて珍しいことで、やはりこの場所に何か特
別なものを感じたのだろう。みんなもそれは同じようだった。

KさんはLAに住んでいた時のことや小説や芝居のこと、H君はサッカーや旅の経
験やアイルランドのこと、Aさんはご自身の結婚経験や将来書くべき曲のこと…。
みんな日本を出て何かを体験することに貪欲で、かつそれを消化しているように見
えた。僕自身は、いまだ語るべきものを持っていないような気がした。
ただサントリーニ島には子供のころからずっと思い入れていた、という話をしたら
少し興味を引いた。

4人が解散したのは、すでに夜中の1時ごろだった。
明日はこの島を見て回る。旅の至福の時間。


時風 |MAILHomePage