「静かな大地」を遠く離れて
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2002年01月21日(月) この世界はきれいなだけで…

題:217話 函館から来た娘7
画:独楽
話:お座敷は本当に恐かったよ、と母は重ねて言った

雨の朝。いつもなら自転車で5分の通勤時間が徒歩で15分くらいかかる。
ぎりぎりまで惰眠を貪るためだけに現在の家に転居したわけでもないのに、
いつも結局は散歩したり喫茶店で本を読んだり、というような洒落た朝の
過ごし方は叶わない。意識が覚醒したらしたで昨日まで積み残した仕事の
あれこれを想起して、あれもやってないこれもやってない、となるからだ。
その現実から逃避するためにぎりぎりまで惰眠しているとしか思えない(^^;

だから雨の朝はあわを食う。外に出てはじめて雨が降っていることに気づく
と遅刻すること必定なのだ。でもなんとか間に合う、致命傷にはならない、
そういうタイミングだと、雨に感謝する。歩いて行けるから。普段は公園
の外周の道路を自転車で辿って職場に着くのだが、徒歩だと家の近くから
公園の中へ入って、そのまま中を突っ切って職場に着くことができるのだ。
つまり最初の20メートル以外は公園の中だけを通って行けるということ。

雨の朝、それも早朝ではなくて少し遅い時間帯になると本当に誰もいない。
勤勉なジョギング愛好家はもっと早い時間に引き上げているし、子供連れ
や犬の散歩をしている人もいない。最近話題の東京カラスさえ見あたらず、
外周の道路を走る自動車の音まで雨音に消されて聞こえなくなる。夏なら
樹々は緑に生い繁っているけど、冬となると葉も落ちて生命の気配はない。
都心の空白地帯。歩いている自分も雨音に溶けて消える。あとに残る静寂。

ひとつ前の冬、トウキョウが雪に覆われたことがあった。あの日も淡々と
でも実は内心嬉々として誰もいない公園の中を歩いて出勤した。夏の台風
の日にも、小さな洪水に靴を浸しながら、遭難を楽しむように歩いていた。
よく晴れた休日に、沢山の人々が思い思いにくつろいでいる光景を見ると
少し奇妙な優越感に浸る。誰も知らないこの公園の貌を知っていることに。
季節を渡る時間の中にある風景、それを感じるには惰眠も必要なのだろう。

薩摩という近世以来の帝国、つまり琉球を搾取して購った国力で日本国を
「簒奪」した国が、近代の北海道の運命を決めた。我らが榎本武揚公とも
奇縁でもって結ばれている黒田清隆という男は、そうした薩人の頭目だ。
植民地統治のスキルを持つ薩摩の利権としての北海道が明治初期に辿った
道のりは、色川大吉『日本の歴史 21近代国家の出発』(中公文庫)に
詳しい。ケプロンまで招聘して乗り出した開拓の構想は悪名高い松前藩の
場所請負制よりも徹底した搾取を残して溶解、不在地主の利権天国が残る。

芝増上寺という徳川家の菩提寺に構えられた開拓使を出ることなく、黒田
は北海道を遠隔統治しようとした。酒席で芸者たちを震え上がらせ、酒乱
の果てに妻を斬殺するような人物に、権力を持たせるべきではないだろう。
そういう恐い人たちが、喜んでつくった国に住みたいとも思えないだろう。
会ったこともない三郎伯父さんに憧れて歴史に深入りする由良さんのように
季節を渡る時間の中にある、もうひとつの国を幻視する眼力を鍛えること。

公園のほとりの部屋で呟いてみる。「この世界はきれいなだけでOKサァ♪」


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