「静かな大地」を遠く離れて
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2002年01月20日(日) With or without坂本龍馬

題:215話 函館から来た娘5
画:ゴム風船
話:なにもかも、あんなに遠い昔のことだから

題:216話 函館から来た娘6
画:ビー玉
話:堅気の家の娘だったんだから、三味線なんて触ったこともなかった

由良さんの、函館からきた弥生母さんへのオーラル・ヒストリー調査がつづく。
われわれの“立ち位置”は、「歴史」を見なければ知ることができない。
個人の生活史と大文字の「歴史」、その懸隔を埋めることが難しい。
「歴史」は未だ定まらず、いつもドラスティックに変わりうる。
先日ここで触れた綱淵謙錠『乱』(中公文庫)などは、その好例と言っていい。
日本の行き詰まりや関係諸国との関係の変化は、必ず近現代史はおろか古代史
までも含む「歴史」の見直しを喚起する。

『武揚伝』(中央公論新社)以来、日本の19世紀半ばの変動期についての関心
を高めてきたが、最近注目している孝明天皇について、時機を得た新刊が出た。
孝明天皇にかなりの紙幅を費やしているらしきドナルド・キーンの『明治天皇』
は大部すぎて手に余り、何かハンディな参考書を物色していたところだった。
きょう書店でみつけてまだ通読できてないのだが、どうやら良書のようだ。

■家近良樹『孝明天皇と「一会桑」 幕末・維新の新視点』(文春新書)
(帯惹句を引用)
 「薩長が坂本龍馬の仲介で武力倒幕を目指す同盟を結んだ」
 あなたはこれを「史実」だと信じていませんか?

 明治維新の「勝者」だった薩長に都合の悪い歴史的事実は、
 露骨に無視されるか歪められた。薩長人であっても「勝者」
 に反対したひとびとの記録は徹底的に抹殺された。その結
 果、明治以来、日本人は一方的な「史実」のみを教え込ま
 れることとなった。まぎれもなく幕末・維新期の主役のひと
 りだった孝明天皇や「一会桑」を復権させることは、近代日
 本の出発点だった時代の歴史を書き直し、われわれの現在を
 見直すことにつながる。
(引用おわり)

タイトルだけ見ると地味で、正史へのマイナーな脚注のような感じがするかも
知れないが、まったくさにあらず。錯綜して未だ日本人が脈絡をつけること
能わずにいる19世紀半ばの混乱について、すっきりとしたパースペクティブ
をつけるためにこそ、孝明天皇と「一会桑」を軸に据えた、というのが順番。
ちなみに「一会桑」とは、一橋慶喜、会津、桑名。その重要さを説いている。
著者は中学校や高校の教壇にも立ったことがあるという歴史研究者。
「幕末」の人気に比して、その全体像があまりに知られていないという実感が
執筆動機だという。新書執筆者として願ってもない出発点だ。

こういう仕事が学問の世界、それと実際に「歴史」を「物語」として享受して
行く人々に伝えるエンターテイメントの世界、双方を刺激してくれることだろう。
佐々木譲さんも中島三郎助を主役にした『黒船(仮)』を書かれるようだし(^^)

日本の近代の出発点の“カルマ落とし”は急務だろう。現代史をやっつける前に。
あれは一体どういうプロセスだと受け止めるのが妥当なのか、今後の世界を生きて
いく上で力になるのか、『竜馬がゆく』を塗り替える21世紀の幕末像を誰がどう
描いてくれるのか、 この周辺の動きは今後もとても重要だし楽しみだ。


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