| 2022年06月03日(金) |
通院日。ぼおっとしていたら降りる駅を二つも越えてしまっていた。慌てて次の駅で降りる。それなのに、何を考えていたんだか、何も思い出せないという体たらく。 カウンセリングの時間ぎりぎりまで、加害者プログラム宛ての手紙の続きを書く。書きながら、今回の手紙はとんでもなく暗いなぁと我ながら思う。
カウンセリングで私が、私の中にも加害性と被害性は同居している、というようなことを口に出したら、カウンセラーがもう少し詳しく話してくれる?と言う。詳しく話ができるほどまだまとまっているわけではなく。いや、もう何年も前からそのことについては思うところがあるのだけれど、まだ誰かに(外に向けて)語ることができるほど言語化できていない、というのが本当のところ。ためらいながらも少しずつ言葉にしてみる。 でも。いくら言葉を尽くそうと、語り尽くせるわけはないのだ。だってまだ言葉にしきれない思いが私の裡に充満している。そのことを私自身自覚している。 そこには、どうやっても語りたくないこと、も含まれている気がする。 時間ぎりぎりまで人間の裡に巣食う=同居する加害者性と被害者性、加害性被害性についてあれやこれややりとりを交わすものの、あっという間にタイムアウト、また次回にということになる。 ぐったり疲れて診察へ。最近もうまく横になることができないことを話し、酷いフラッシュバックがあって解離もしたけれど家に無事に帰っていた話をする。主治医はうんうんと頷きながら聞いていたと思ったらこう一言、「無事なら解離でも何でも、オッケーってことにしましょう」。にこにこ笑っている。主治医のこの笑顔はいつも私をほっとさせる。「階段落ちもせず無事帰宅してるなら、それで十分ですよね」と私もくすっと笑って返す。何とか薬を減らす方向にもっていきたいのだけれど、と仰るので、それなら眠剤を少し減らしてくださいと告げる。眠剤を飲んでも私は結局、短い睡眠しかとることができない。そもそも横になることに抵抗を覚えるのだから、もうこれ、仕方がない、と、自分でも思うので。「じゃあそうしましょう。この薬の半量は残して、それでやりくりしましょう」ということになる。先生は本当は、抗うつ剤のひとつを減らしたかったようなのだが、それについては私が、まだ怖いと思って微妙に抗った。 酷い鬱病のひとが通常処方される量の3倍はあなた飲んでるのよ、と、前から主治医に言われている。そうなのか、と、思ってもいる。でも。その薬の量でようやく日常をやりくりできるようになってきているのが実情。先生、もう少し、待ってください。 フラッシュバックも解離も、防ぐ手立てはない。特効薬があるわけでもないし、起きるときは起きる。そしてそれはいつだって生々しい。私を容赦なくあの時に引き戻す。それならば、主治医の言うように、事故がなければオッケー、カウンセラーの言うように起きて当然と受け止めるのがベターなんだろう。
帰り道、電車に揺られながらぼんやりする。眩しい陽光がきらきら影を縁取る。光と影はいつだって共存してる。どちらかだけ、ということがない。光と影は、光 対 影、とされることが殆どだ。確かに異なる現象だけれど、でも。ともに在ることもこれ、真実に違いない。 そう思った時、いろんなことにそれは言えるよな、と思う。加害と被害だってそうだ。対のように見えるけれど、その実、ひとりの人間の裡に両方が内包されている。どちらかだけ、ということはあり得ない。
そういえば今日は、カウンセラーに、あなたのような複雑性PTSDを背負ったひとは、というような言葉を何度も言われた。複雑性PTSDかあ、と心の中反芻していた。もともと昔の、一番最初主治医となってくれたM先生に、しょっぱな言われたんだった。あなたはPTSDです、まだ正式な病名ではないけれど、あなたはその中でも間違いなく、複雑性PTSDですよ、と。 PTSDという言葉自体、日本で普通に言われるようになったのは私が被害に遭ったあの年の阪神淡路大震災がきっかけだった。被害者元年、と後に言われるようになったあの年。
見知らぬ人間からの被害と、信頼関係や上下関係等といった関係性のある人間からの被害とでは、被害のその後が大きく異なるものなのだな、と、今日カウンセリングを受けて改めて痛感する。いや、分かっていた、分かってはいたけれど、でも、あまり考えたくなかっただけなんだ。本当は、気づいていた。何処かで知っていた。 今日のカウンセリングの続きは、ちゃんとやらないといけないな、と思う。
そういえば。夕方、大きな音がして驚いて振り返ると。風鈴が落ちた音だった。南部鉄の、お気に入りの風鈴。三つでひとつになっているもの。いつどこでどう買ったのかなんて思い出せないけれど、この音が気に入っていて長いことずっと使い続けている。三つあるうちのひとつの鈴の糸が切れて落ちてしまったらしい。短くなってしまうけれど、この糸をそのまま使って、短くして止めるほかに術はない。ぎゅっと先をかた結びで結んで窓際に吊り下げ直す。すると、これまでの倍くらいの勢いでりりん、りりん、と風に鳴るようになった。 りりん、りりりん。 いい、音。 |
|