ささやかな日々

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2022年05月29日(日) 
東の空、縦に長く伸びる薄い筋雲が、ピンク色に輝き始める。ああ、じきに日の出だ。そう思いながらじっと空を見つめていた。下から照らされピンク色に染まり輝く雲は、まるで天女の羽衣のようだった。日の出だ。その瞬間、色はピンクから橙色に、一瞬にして変わった。それまでの青とピンクのグラデーションが、青と橙色のグラデーションへ。その変貌の見事さといったら。見事すぎてもはや溜息しか出ない。

ホワイトクリスマスの様子がおかしいので、思い切ってプランターをひっくり返してみる。出てきたのはふたつの抜け殻。コガネムシか何かだろう。成虫になって飛び立った後だった。でもそれ以外何も出てこない。たった二匹のコガネムシにやられてしまったということか。私は思わず唇を噛む。憎き虫よ。
丁寧に丁寧に元に戻したけれども。これはもうだめかもしれない。覚悟しないといけないかもしれない。長年私のそばにいてくれたホワイトクリスマスだけれど。お別れになってしまうかもしれない。今日の今日まで気にしながらも何の処置もできなかった自分が悔やまれる。
私は足元のプランター、挿し木した子らが集まるプランターをじっと見つめる。ホワイトクリスマスの枝を挿し木しておいてよかった。本当によかった。もしもの時は。と考え始めてはっとする。いやまだこの子は生きているのだから、この子を生かすことだけ考えよう。大きく育ったホワイトクリスマスの樹をそっと指で撫でる。お願い、頑張れ。

見事に閉じ篭った後、何とか気持ちを立て直す。一度閉じ篭りモードに入ると延々鬱々しがちな自分。分かっている。だから奮い立たすように自分に言い聞かす。大丈夫、今日はちゃんと外に出るんだ。
私が息子と一緒に必ず一度は外に出るのは、そのタイミングを逃すと閉じ篭りに徹してしまう自分を知っているからだ。その話を加害者プログラムで話したことがある。みな、いちようにぽかんとしていた。伝わってないなと思ったので、もう少し詳しく説明した。外に出ることが基本的にしんどい。できるなら家に閉じ篭っていたい。それが一番安全だからだ。憂鬱度合いも高くなると、なおさら閉じ篭りたくなる。だから、無理矢理学校に行く息子と一緒に玄関を出る。とにかく出る。行先なんてなくとも出る。それがきっかけで、私の背筋はしゃんとする。それまで体育座りして顔を膝に埋めて頑なに世界を拒否していた自分から、世界に対して手を伸ばそうとする自分に変わる。世界に対して両手を伸ばしていられる自分にスイッチが入る。
「じゃあね!」「まったねー!」言い合い手を振り合って別れる。この、一連の行為をして初めて、私の今日は、がたがたがた、と音を立てて廻り始める。

一時期、フォーカシングを意識して為すようにしていた。自分の中のまだ名前のついていない状態に名前をつけてやり、向き合い、抱きしめる作業。それを為すだけで、ずいぶんと不安が解消されたものだった。もともと自分の内側とおしゃべりすることは為していた自分だったから、フォーカシングは自分にとても馴染んだ。今はもう、意識して為すことはしていない。というのも、それは自分の一部になったからだ。
何というか、ひとは、名前もついていない宙ぶらりんの状態が一番不安度が高まる気がする。それにいったん名前をつけてやると、それだけでほっとしたりする。名前をつけたそのモノと向き合い、受け容れ、抱きしめる。そうすると、それまで宙ぶらりんだったモノがちゃんと地上に降り立ってくれる。地べたの温度をちゃんと足の裏で感じることができるようになれば、もう大丈夫。

そういえば、今日は日曜日だったんだ。日が傾き始める頃はっとする。日曜日。何の変哲もない、何処にでもありそうなくらい穏やかな一日。ちょうど日没時に息子とワンコと三人で散歩していた。ふと眩しさを感じて横を見やれば、家々のガラス窓が燃えている。ああ日没だ、きっと見事な色合いをしているんだろう。息子にそのことを教えてやるとすぐさま目の前の壁をよじ登り、高台へ。「母ちゃん!すごいよすごいよ、すっげーきれいな色のお日様が堕ちてくよ!」。
おやすみ太陽。また明日。


浅岡忍 HOMEMAIL

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