ささやかな日々

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2022年05月30日(月) 
障害者年金の手続きをとりに行く、と出掛けたAちゃんだったけれど。予想した通り呆然となって帰って来た。世界は弱者にやさしくない、こんな大変な手続きを経ないと助けてもらえないんですね、と、ぼそっと呟いた。
彼女の言葉を前に、私には言える言葉がなかった。だって確かに世界はやさしくはないし、こんな大変な手続きをとらなければもらえるものももらえないままになるし、それが現実だから。片言の慰めの言葉なんて、とてもじゃないが言う気持ちにはなれなかった。
レイプされたら就職もまともに扱ってもらえないんですね、と重ねて彼女が言う。それに対しても私は言える言葉がなかった。そうだね、としか言えなかった。だって実際、自分がそうだった。そして、世の中はそうやすやすとは変わってはくれない。私の時代よりはずいぶん変化したとはいえ、根本的なところはそのままだったりする。それが分かってしまっているから、そんな、容易には、言葉をかけられなかった。
死にたいとまでは思わないです、でも、できうるかぎり生命活動をゼロにしたい、そういう気持ちにどんどん陥っていきます。彼女がそう言う。私はただ、そうか、うん、そうだね、としか言えなかった。

自分の無力さや無価値さを痛感するこんな夜は、ガス台を磨くに限る。黙々と磨いているうちにガラス板が透明さを取り戻してゆく。さっきまで飛び散っていた昨日の揚げ物の油も、きれいさっぱり拭い去って、もう曇りも何もない。
でも何だろう、今夜は、ガス台を磨き終えても、気持ちはさっぱりしなかった。いつもだったらこれで気持ちの切り替えができるのに、とてもじゃないができそうになかった。

自分の無力さ。無価値さ。この存在のちっぽけさ。思い知る程にもう、耳も目も塞いで蹲りたくなる。もう何も見たくない何も聞きたくない何も。そういう気持ちになってしまう。
生活保護を受けることも考えているのだけれどと彼女は言っていたけれど、そうすると飼い猫を手放さなければならなくなるかもしれない。今彼女の命を辛うじて繋ぎとめているのは飼い猫のみっちゃんの存在だ。それがなければ彼女はとうの昔に自ら命を捨てていて不思議ではなかった。その、みっちゃんをもし奪われるようなことになったら。一体どうなってしまうのか。想像するだけで恐ろしい。
SOSを出してください、社会福祉を利用してください、ひとはよくそんなことを言う。でも、実際利用できるものがどれだけあるんだろう。性犯罪被害者に利用できる制度はどれほどあるんだろう。

先日観た映画「流浪の月」の音楽がどうしても再び聴きたくなって、CDを買ってしまった。ゆったりと漂う音の流れ。音のどれもが、その背景を想像させる。私はこの原摩利彦というひとを全く知らないけれども。これからきっと、あちこちの映像に出てくるのだろうなと思いながら、ただ、聴いている。

今頃、Aちゃんは横になれているだろうか。眠れないまでも横になれているだろうか。いや、たぶん彼女は薬を飲んで、死んだように眠ってくれるに違いない。そう信じよう。眠りさえもが彼女を遠ざけませんように。せめてやさしく抱いて、朝が彼女を迎えてくれますように。

どうしてこんな世界信じていられるんですか。彼女の問いに、私はただ、こうしか応えられない。世界を信じてるから、と。

そう、かつて、世界に捨てられたと思い込み、途方もない孤独という奈落の底に堕ちたことがあるから、もう二度とそこには戻りたくないんだ。世界はとてつもなく残酷で、遠くて、眩しくて、それなのに。
私はやっぱり、世界を信じて繋がっていたいのだ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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